暗流 ②

 ローズは父に全てを語った。たとえ乱心したと思われようと、たとえ海賊の手先になったと蔑まれようとも、ドゥムノニアの名を奪われたとしても、彼女は決然たる意思を以って熱烈たる弁舌をあらん限りに駆使した。


 まるで古の竜が火を吐くような勢いにダラスは暫し我を忘れて聞き入るより他に無く、やがて愛娘の言葉を理解していくごとに、冷め切った紅茶に映る顔色が青ざめていく。

 滲み出した汗を拳の内に握りしめ、鼓動が激しく乱れるのを感じた。

 帝国の継承者たる皇女が、よりにもよって帝国中枢によって暗殺されかけたばかりか、主犯と目されている海賊の首領の下で生きているなどと、どうして信じられようか。


 だがダラスの目は曇っていなかった。ローズの燃え盛る瞳には一点の迷いも淀みもなく、舌から滑り出る言葉の何と鬼気迫ることだろう。そして彼女が嘘や戯言で父を欺くような人物でないことは、ほかならぬ彼が一番心得ていた。

 だからこそ彼は驚愕と苦悩に打ちひしがれた。

 冗談だと一笑に付すことが出来ればどれほど楽だったか。

 ダラスは深く息を吐いて気を落ち着かせ、確認のために今一度問う。


「殿下は、間違いなく生きておられるのだな?」


「はい。現在はニューウェスト港にご滞在です。父上、いっそのこと信頼に足る軍司令に助力を願い出てみては? 武力を以って殿下をお守りすれば貴族といえども……」


「それは危うい。軍とは無数の個人の集団によって成り立つものだ。貴族が財力に物を言わせれば簡単に裏切る者が出てくるだろう。人は義や忠よりも利に弱いものだ。しかし殿下が都へお戻りになるというのならば、こちらも相応の戦力を整えてお迎えせねばなるまい」


「妨害を防ぐため、ですね?」


「そうだ。敵は皇女の存在を隠し、あくまで海賊として征伐するように兵たちに命じるだろう。どうにかしてそれを食い止めねばならん。派手に動けば敵に気づかれる。ローズ、これは命がけになる。覚悟は出来ているだろうな?」


「無論です。私はこの身を帝室に捧げると誓いました」


「よろしい。まさしくドゥムノニア家始まって以来の難事業だが、殿下の為とあらば忠を尽くさねばならん。ローズ、明後日に私と共に都へ赴き、信頼がおける軍人を味方につけておいてくれ。私は宮中で探りを入れる」


 こうなれば迅速な動きが成否を分ける。暗殺グループの首魁が誰なのか、そして帝室の味方と敵を見極めねば生き残ることは叶わない。同時にニューウエスト港のことも気がかりだ。


 ダラスは海賊を信頼に足るものとは思っていなかった。

 直接ヘンリーに会えばまた違った印象であっただろうが、海賊は海賊。

 犯罪者の只中に皇女がいるというのは落ち着かない。

 しかも停泊しているのが悪名高きマフィアたちの巣窟ともなれば、ローズの言うように私兵だけでも率いて身柄を保護したい衝動に駆られる。

 が、こちらが兵を動かせば宮中で不穏な噂が流れるかもしれない。


 たとえ皇女を無事に保護出来たとしても、皇女を独占しようとする逆賊とでも言われれば敵の思う壺。不安は有り余るが、あの清廉潔白なローズが信用に足ると言わしめた海賊に委ねる他に無かった。

 気づけば空が白み始めていた。

 夜通し言葉を交わした父娘は眠気も覚えず、陰気な空気に辟易して朝霧が立ち込める庭園を散歩することとした。

 母が精魂込めて育てた赤と黄の薔薇に始まり、季節の花々が咲き誇る庭園はローズも気に入っていた。

 石畳の道を歩き、鮮やかな淡水魚が泳ぎまわる池の前でダラスが立ち止まる。

 徐々に地平線の彼方から昇りつつある太陽が眩しく、治める町でも早起きを日課としている殊勝な連中が井戸端に集まっていた。

 まもなく使用人たちが朝食の支度を整えることだろう。


「ローズ……やはり、腰を落ち着けるつもりは無いのだね?」


「自分で選んだ道ですから。後悔などありません」


「男児が生まれなかったことを気負う必要は無いのだぞ?」


「いえ、そういうわけでは……」


 実を言えば多少気に病んでいた。せめてこの身が男であれば……そんな風に思ったことは一度や二度ではない。騎士への道を目指したのもその理由が半分だ。もう半分は自らの力を試したかったからに過ぎない。そして何よりも彼女は性根の腐った貴族と婦人たちが嫌いだった。


「父上……敵は、あるいは帝国そのものなのかもしれません。帝室への忠誠は薄れ、皇祖と共に国を興した志は既に無く、貴族たちは遊興と姦淫に耽るばかり。生意気かもしれませんが、先が思いやられます。根が腐れば大木も朽ち果て、他の国に食い物にされるでしょう」


「お前の懸念は尤もだ。宮中も乱れておる。私もここのところ社交界の誘いがあっても断っている。人の欲望に底は無い。特に我々は物心ついた頃から既に貴族という身分が約束され、差したる努力も無いままに絢爛豪華な道を歩んできた。腐らぬほうがおかしい。げに恐ろしいのは人間の欲望だ。金銭、地位、望めば望むほどに身の丈に合わぬ欲に支配されていく」


 ローズは父の言葉に半ば同意しかねていた。高みを目指し、多少の欲に従って生きるのは決して悪いことではない。が、それが腐敗に繋がることは素直に頷いた。


「父上は、更なる爵位や領地を得ようとは考えられないのですか?」


「偉大な祖先が成し得なかったことを私が出来ると思えないだけだ。それに私は、これ以上守るべき土地や領民を抱える勇気もない。ただ受け継いだ家を守り、帝室への義務を果たし、皆が一生を安寧に過ごす手助けをするだけだ。お前も分かるようになる」


 世の中の汚点を見続けてきたダラスが諭すように娘に語り、間もなく使用人が朝食の支度が整った旨を報せに来た為、尚も食い下がろうとしたローズは口に含んでいた言葉を一先ず飲み込んだ。食卓に着き、程よく固まったゆでたまごをスプーンですくう。朝食の間はダラスもローズも終始無言のままで、臨席した母も二人の並々ならぬ面持ちに押し黙っていた。


 料理もどことなく味気ない。


 地位や爵位で着飾っていても、そこに居るのは父と娘に過ぎなかった。

 親子喧嘩でもしたのかと執事を始めとした使用人たちも心配そうに見守っているが、結局二人が何を考えていたのか誰も察することは出来ず、食後の紅茶を飲み終えたローズは自分の部屋に閉じこもった。といってもベッドに塞ぎこむわけではなく、明日の支度を淡々と整えていく。軍に提出する報告書、信頼のおける同期へ送る手紙など、用意せねばならないものは多い。


 サーベルの手入れも欠かせない。

 だが出立の時が近づくに連れて不安も増していく。

 父の助けがあるとはいえ、果たして帝国中枢を相手に上手く立ちまわることが出来るのか。


 戦場で散るならば本望だが、背中を刺されて闇に葬られるのは怖い。

 暗い檻に閉じ込められ、二度と光を見ることもなく朽ちていくなど耐えられない。

 気づけば肩が震えていた。しかし彼女の恐怖を受け止めてくれる男はいない。

 今まで恋に燃えたことがない彼女。同期の男性たちも貴族の出身だった為に言い寄られても跳ね除けるばかり。下々の男たちは彼女の家柄を畏れて近づこうとせず、むしろ彼女の凛々しい姿に憧れた女性たちから言い寄られることの方が多かった。


 が、ローズに彼女たちの想いを受け止めるだけの甲斐性もなく、椅子に腰掛けたまま両膝を抱えて俯いた。

 そのとき、脳裏に浮かんだのは何故かヘンリーの顔だった。

 ハッとした彼女が顔を上げ、疲れているのかと溜息を吐く。


「どうしてあいつの顔が……馬鹿みたい」


 法も、神すら恐れない彼の獰猛な微笑みが、今の彼女からすれば眩しく映った。

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