VOYAGE 8

暗流 ①

 ドゥムノニア家……遥かな昔、皇祖と共に帝国の礎を築いた名家。


 男爵の位を賜った祖先に続くローズの父ダラス・ドゥムノニアは、帝都に近い小さな町の領主として大きな館に居を構えていた。整った短い茶髪に口髭を蓄え、白いシャツの上に上等な革のコートを着た彼は、落ち着かない様子で書斎の中を歩きまわっており、使用人たちも主人の体調を案じている。悩みの発端は机の上に広げられた一枚の羊皮紙。


 即ち皇女の仇討ちの為に出港した娘ローズの行方不明である。


 彼は娘が軍に入ったことを不満に思っていた。

 娘は娘らしく、綺麗なドレスを着て社交界に出ていればいいものを、と。

 落胆する彼を支えるべき妻は病に臥せっていた。とてもではないが都からの報せを伝えるわけにはいかない。これ以上病が重くなれば命に関わるかもしれないのだ。


 使用人たちも何とかスープだけでも飲んで貰いたいと懇願し、家中の者にまで不安を撒いて仕事が疎かになるわけにもいかず、彼は応じて食堂へ続く階段を下りた。


 都ほど絢爛豪華な館ではないが、木造の壁にレンガ造りの暖炉が居心地よく、外に出れば自慢の庭園も広がっている。領民たちの町を見下ろせる時計塔からの眺めは他の貴族たちに自慢したいほどだ。純白のテーブルクロスが掛けられた食卓に腰掛け、暖炉の上に掛けられた鳩時計をちらりと見つつ、使用人たちが運んでくる料理にフォークを伸ばすと……。


「旦那さま! 一大事で御座います!」


 突如としてドゥムノニア家の執事が駆け込んできた。


「騒々しいぞ。一体、何事だというのだ?」


「これは失礼を。ですがお喜び下さい。吉報で御座います。お嬢様が、ローズお嬢様の行方が判明致しました」


「それは誠か!」


 思わず席を立った彼に、執事は満面の笑みで頷く。


「確かな情報で御座います! お嬢様はここから南西に位置する港にて保護され、ただいまこちらへ向かわれているとのこと。先ほど軍の早馬が」


「そうか。ともあれ、無事であれば何よりだ」


 胸をなでおろしたダラスは食卓へ戻り、数々の料理を口に運んだ。

 使用人たちの顔も嬉しげに綻んでおり、すぐにローズが帰宅した際の宴の計画を練り上げていった。


 しかし当のローズはそれどころではない。

 ニューウエスト港から貨客船に乗り込み、一週間かけて父の領土に近い港へたどり着くことが出来た。そこに駐屯する兵に頼んで父へ早馬を出してもらい、自身も一泊した後にそれを追うように広大な草原を馬で駆けている。


 ヘンリーに撃たれた傷は完治していないが、一々痛みに唸っている暇もない。

 馬上で手綱を握る彼女は必死で今後の動きを考えていた。

 ヘンリーも皇女も無理難題を言ってくれると悪態を吐きたくなる。

 いくら帝国中枢に伝手があるといっても所詮は名誉しかない騎士爵にすぎない。

 深部に触れるには宮中に強い繋がりがある父の協力を仰ぐしかない。

 だがこんな話を父が聞き入れてくれるだろうか。軍に入りたいという我儘まで聞いた貰った上に、今度は皇女暗殺を企てる貴族たちと真っ向から敵対してくれなどど……。


「最悪は、勘当かな」


 自嘲しながら馬の脇腹を蹴り、彼女は彼方に見える館の時計塔を目指した。

 外敵から町を守るために築かれた城壁、ドゥムノニア家の私兵たちが防衛する正門に馬を寄せたローズが顔を見せると、兵士たちは直ちに開門した。館と同じように石材と木材で組まれた家々が立ち並ぶ町を駆け抜けると、領民たちから万雷の歓声が送られた。

 それもこれも父の善政のお陰だと感謝しつつ、館の前で馬を降り、足早に館の門を押し開けた。出迎えてくれたのは執事を始めとした使用人たち。

 しかし、その中に父の姿はない。


「父上は?」


「執務室にてお待ちです。無事のご帰還を祝う宴の用意も滞りなく――」


「そんなことはいい! 父上にお話がある!」


 驚く使用人たちをかき分けて階段を一気に上がり、執務室のドアを強めにノックした彼女は一言失礼しますと言って室内へ押し入った。

 ダラスは大窓の外を見つめたまま娘に背を向けている。

 命からがら戻ってきた娘に対してあまりにも素っ気ない態度だが、ローズ自身、父の娘に対する想いを痛いほどに知っていたので致し方無いと気にしなかった。

 むしろここからが正念場だ。

 父の機嫌をこれ以上損ねてはならぬと居住まいを正し、深く呼吸をした後に恭しく一礼する。


「父上。ローズ・ドゥムノニア、ただいま戻りました。ご心配をおかけしたこと、お詫び申し上げます」


「……うむ」


 ようやく顔を向けてくれた父の顔は今まで見たことがないほどに不機嫌で、今にも壁に掛けられたサーベルを抜きはらいそうな気迫に満ちていた。

 一体どんな叱責を喰らうのかと覚悟を決めたローズにダラスが近づくと、不意に腕が振り上げられ、勢い良く振り下ろされた平手が彼女の後頭部を優しく包み込んだ。



「お転婆も大概にしろ! 一体どれだけ皆に心配をかけてた思っている!」


 ダラスの声は嗚咽を噛み殺すかのように上ずっており、ローズも久方ぶりの父の温もりに目頭が熱くなった。

 その後母が臥せっている寝室にも赴き、すっかりやつれてしまった母の手を取って無事な姿を見せた。

 彼女の銀髪は母ゆずりで、是非髪を梳かせてほしいという母の願いを聞き入れて母娘水入らずの時を暫し過ごした。


「ローズ……あなたは昔から無茶ばかりしているけれど、あまりお父上に恥をかかせてはいけませんよ? たまにはきちんとドレスを着て、舞踏会に顔を出しなさい」


「はい、母上。でも私にはやり遂げねばならない仕事が残っています」


「軍のお仕事ですか? わたくしは不安でたまらないわ。女の子が働く場所ではないもの」


「これでも私は帝国の騎士です。女の身でも何かお役に立ちたいのです」


「そう……でもローズ。せめてこの家にいる間は、普通の女の子でいて頂戴ね?」


 頷きはしたが聞き入れたわけではない。

 ローズはいつも家の中で男装を好み、家の兵士たちと剣の競い合いに勤しんでいた。

 他の貴族と遊ぶ際も乗馬や舟遊び、もしくはチェスばかりで、読みふける書物といえば古の英雄譚や山海を舞台にした冒険小説が主だった。

 そんな娘の姿を間近で見守っていた母だからこそ、普通の娘で居て欲しいと願う一方で、この子が一度決めたら梃子でも動かないことも重々承知していた。

 むしろ跡継ぎとなる男児を産めなかったことが娘に要らぬ責務を背負わせてしまったのではないか。そんな風に思えてならず、故にそれ以上しつこく言い聞かせることもせず、今はただ娘との一時を楽しみたかった。


 おかげでローズも徐々に落ち着きを取り戻し、家族揃って夕食を味わうこととなった。

 使用人たちも腕によりをかけて料理を仕込み、領民たちが丹精込めて育てた野菜や肉が団欒を彩る。先程は感情を露わにしていた父も今は使用人の手前もあって落ち着き払っており、当たり障りのない話などで場を盛り上げた。

 しかし顔色に疲れが濃厚に浮き上がっており、気にかかったローズが隙をみて尋ねる。


「父上、お疲れのご様子ですが、宮中で何か?」


「うむ……帝位継承の問題でかなり揉めていてな。大勢は大公殿下が継承することになっている。私もそれが筋道だと思う。先帝の弟君ならば血筋的にも何ら問題はない。殿下も初めは辞退されていたが、最近では態度を一変させてその気になられている」


「皇女に関する報せは何も進展は無いのですか?」


「無い。既に皇女殿下は亡くなられた。お前も殿下の仇討ちの任務で出港したのだろう?」


「は、はい……」


 ローズは手が震えた。

 監獄島にて書き上げた報告書は間違いなく届いているはず。

 そこには皇女生存について確かに記した。危険であることはわかっていたが、皇女の生存は国の一大事。歓びで沸き返る宮中の中では暗殺グループも手出しが難しいと踏んでのことであったが、そもそも報告書が何者かによって握りつぶされていたとすれば……。

 和やかな家族の温もりに触れて燻っていた彼女の義憤が再び紅蓮の炎を燃え上がらせた。


 食後、ローズは父に話があると告げて彼の書斎に腰を下ろした。

 使用人たちも人払いさせ、扉の鍵も閉め、完全に二人きりであることを確認した娘にダラスは訝しむ。


「一体、何の話だというのだ?」


「父上……どうか気を静め、しかし心して聞いて頂きたいことがあります。そして、どうかこの親不孝者を信じ、父上の御力を貸して頂きたいのです。これは、騎士ローズ・ドゥムノニアから、男爵閣下たるダラス・ドゥムノニア卿へのお願いです」


 並々ならぬ娘の言葉にダラスも背筋を伸ばす。


「騎士ローズ殿、謹んで伺おう。申してみなさい」


「はい。皇女は……ルーネフェルト・ブレトワルダ殿下は生きておられます!」


 帝国を包み込む巨大な陰謀との戦いが、今始まろうとしていた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る