寄港 ⑤

 日は傾き、飲み物もお茶からワイン等のアルコールへ変わり、緊迫した空気の中で平然と紫煙をくゆらせる二人の男は互いの意図を見抜こうと視線を対峙させていた。ロッシュが提案した取引は、街で自由に船員の募集や物資の補給を認める引き換えに、他の組織との抗争に助け舟を出すというものだった。


 ヘンリーからすれば何故そんなものに関わらねばならないのかと不満であったし、ロッシュはロッシュでこれをまたとない機会として逃すつもりは毛頭ない。


 テーブルに置かれた灰皿に燃え尽きた葉巻が山を成し、またヘンリーお気に入りのパイプ草も既に無く、条件に対して一言も議論が交わることも無いままに互いを睨んだ状況が永遠につづくかと思われたとき……。


「いいだろう」


 ヘンリーが静かに、しかし周囲のアウトローたちの顔を引き攣らせるような声色で答えた。


「ただし条件にもう一つ上乗せさせて貰う。俺達は好きにやらせて貰う。あんたらの指図は受けんし、あんたらがどうなろうと知ったことじゃねえ。こちとら補給が出来りゃそれでいい。手を貸すのは仲間たちが納得した上で、だ」


「ずいぶんと大きく出たものだ。港の権限がこちらにあると知っての上だね?」


「いざとなりゃぁ、力づくで奪うまでだ。互いに悪党。文句はねぇだろう?」


 にやりと笑うヘンリーの言葉を受け、ロベルトが窓の外に広がる港を見下ろしてみれば、グレイウルフ号の甲板に集まった水夫たちが篝火を燃やし、臨戦態勢を整えている姿が見えた。


 これ以上会談が長引けば襲撃してくるかもしれない。

 甲板に運びだされたカノン砲も会場であるホテルに向けられている。

 するとロッシュはヘンリーに負けず劣らない空気を醸し出しながら頷いた。


「違いない。では、取引成立ということで」


 差し出されたロッシュの手をヘンリーが握り返した。悪党の親玉同士で何か通じるものでもあったのか、今までの沈黙が嘘のように話がスムーズに進み、どちらも空腹だったのでロッシュから夕食に誘われた。もちろんルーネも含めて、である。


 ホテルから出ると偵察に来ていたタックや水夫が待ち構えており、親指を立てて無事であることを報せた。


 向かう先はファミリーが経営するレストラン。


 真紅のビロードで派手に飾られた店内にはちょっとしたカジノや演奏つきのバー、そしてルーネには刺激が強すぎるストリップショーなども行われていた。ただでさえ如何わしい姿をしたウェイトレスたちが闊歩しているというのだから、ルーネは自然とヘンリーのコートで視界を隠した。


 そんな彼女をヘンリーが鼻で笑う。


「フン、まだガキにはキツイわなぁ、おい。貧相な肉付きだもんなぁ。ハッハッハ」


「ムッ……ていっ」


 眉間に皺を寄せたルーネはヘンリーの脛にキレのあるローキックをめり込ませた。


 あまりの痛みに顔を歪ませたヘンリーを尻目に、一行は別室に用意された特別席に通された。


 肉汁あふれるステーキに舌鼓を打ちながら他愛のない世間話や今までの航海の話で会食に花を咲かせ、特にリンジー島の襲撃やアビスからの脱獄など、ロッシュは専ら会話を肴にワインを楽しんでいた。


「聞くところによると、船長はかつて帝国の私掠船だったとか。何故帝国の飼い犬に?」


 飼い犬という言葉に眉をぴくりと動かしながらも、彼は咀嚼していた肉を飲み込みつつ答えた。


「あんたらのように地下でコソコソ稼ぐモグラみたいな連中と違って、こちとらは羊を食い荒らす狼だ。誰彼なく噛み付いて回れば逆に狩られる。成程飼い犬に見えるだろうが、その方が飢えた腹を満たせるんだよ」


「ははは、益々面白い。つまり帝国は自分の飼い犬、いや飼い狼に手を噛まれたわけだ。正直未だに信じられない。帝国の皇女を手にかけた男が目の前にいるなどとは。我々が手を組んだことを他の連中が知れば、さぞ震え上がることでしょうな」


 口にこそ出さないものの、ヘンリーは内心でロッシュのことを見下していた。

 これだから陸で威張り散らしている連中は嫌いなのだ。あれこれと策を弄するのはいいが自分の手を汚すことは絶対にしない。私欲に忠実なのは別に構わないが、獲物が欲しければ汗水流して手に入れればいい。第一こんなところでグズグズしている暇もないのだ。


 できれば一刻も早く船の修理と補給を済ませたいが、連中が港を牛耳っている以上、手を組んだほうがメリットがあっただけの話。向こうとて同じ。他の組織を潰して街を完全に掌握した後はヘンリーを始末し、懸賞金をその手に掴む算段なのだろう。


 利用出来るうちに利用しておく。

 ただそれだけのこと。


 むしろ気がかりなのは帝都へ戻ったローズのことだ。

 無事に黒幕を暴きだしてくれれば良いが、確証は全く無い。

 彼女に限って皇女の情報を売る真似はしないと思うが、それもあくまで希望的観測でしかないのだから。


 奇しくも彼と同じ懸念を抱いていたルーネが粗方食事も終え、ナプキンで口元を拭いていると、さりげない仕草でロベルトが声をかけてきた。


「すまないね。君のような子には退屈なことだろう」


「いいえ、別に。これでも慣れていますから」


 うんざりする程社交界やら政治話やらに付き合わされてきた彼女からすれば、退屈こそすれど場の空気に圧されることはない。ロベルトも素っ気ない返事に参ったと言わんばかりに指先で頬を引っ掻き、はにかんでいる。


「僕は中々馴染めなくてね。いずれ父の跡を継がねばならないと思うと、気が重くて」


 どこの世界でも跡継ぎの重責と苦悩は変わらない。同じ苦しみを知っている彼女は少なからず親近感を抱いたが、相手が相手だけに心を許すことはせず、邪魔にならないようにヒソヒソと小声で言葉を交わした。ロベルトは父親譲りなのか元来の性格なのか言葉遣いが丁寧で、立場を知らなければ単なる街の好青年にしか映らないだろう。


 流れる川のように伸びた赤毛や整った顔立ちがお世辞抜きにハンサムであるし、自らを誇張することもなく、むしろ手下に命じてルーネにケーキを用意し、暇つぶしにチェスに誘うなど、細かな気遣いが徐々に彼女の警戒心をほぐしていく。さぞ街の女性たちから熱い視線を受けていることだろうと、ルーネは彼の人柄を素直に見なおした。


「君は何故船に乗っているの? 女の子なのに」


「うーん……自由に憧れたから、かな? 私も家を継がないといけなかったから」


「君は強い子なんだね。僕にはとても真似出来そうにないよ」


 苦笑するロベルトの目にはかつてのルーネと同じような光が宿っていた。ただその家に産まれたという理由だけで自由が無く、気ままな人生への憧れと諦めの色が。


「諦めたらダメだよ。自分の人生は、自分で決めるものでしょ? 私だって悩んでばかりだったけれど、後悔なんてしていないもの。貴方だって……」


 船長の受け売りとはいえ、彼女の真っ直ぐな視線を受けたロベルトは哀しげな顔のまま俯いてしまった。そんな二人のやりとりを他所に、ほろ酔い気分になったヘンリーとロッシュはおもむろに席を立ち、客達がディーラーの手品にまんまと引っかかっているカジノのコーナーへ移動した。咄嗟に後を追う彼女が聞き耳を立てると、どうやら二人はポーカーで一勝負しようとしているらしい。


 発端はロッシュの一言から始まった。


「ときに、この世は弱肉強食であるが、同時に悪党には強運も備わっていなくては生きてはいけない。はてさて船長の運はいかほどのものか、一つ手合わせを願えますかな?」


「おうおう、船乗りの悪運を舐めるんじゃねえぞ。よし、受けて立とう」


 かくしてポーカーテーブルに腰を下ろした二人のアウトロー。

 ヘンリーは上着と帽子をルーネに押し付け、腕を捲った。

 ディーラーも緊張した面持ちで双方にカードを配り、周囲の客たちも固唾を呑んで勝負の行方を見守っている。手札を睨んだまま押し黙るヘンリーに、ロッシュは余裕の態度を保ち続けていた。


「一度ならば、カードの入れ替えも認めますが?」


「要らんよ。これでいい。本当の運ってのは、一発勝負だ」


「では私もこの手札で……勝負」


 ロッシュが手札をテーブルに広げた。


「キングのペアだ」


 全員の視線がヘンリーの一挙一動に注がれ、


「もらったぜ、旦那」


 手札をテーブルに投げやった彼は席を立ち、ルーネに預けていた外套を肩に担ぐ。


「そろそろ船に戻らせて貰うぜ。補給の件、忘れるなよ? 行くぞルーネ」


 見習いを伴った彼が呆然と見送る客達をかき分けながら店の外にでると、我に返ったファミリーの手下たちがざわめく客達を黙らせ、ロッシュはヘンリーのカードを手にとった。


「エースのペア……しかもハートときたか。流石だよ、ヘンリー・レイディン」


 高らかに笑うロッシュは客たちに今宵はこれで店じまいにすることを告げ、自身も中折れ帽子を被って引き上げた。グレイウルフへの帰り道、吹き抜ける肌寒い潮風に外套を翻す船長の背中に向かってルーネは言葉を投げかける。


「船長ってトランプが強いのね? 喧嘩だけかと思ってたけど、カッコ良かったよ」


「ハッ、アホ吐かせ。見習いの癖に」


 ヘンリーは照れ隠しのように振り返ることもなく足早に歩き続け、そんな彼がどこか可愛く思えたルーネが踊るような足取りで彼の隣に並び、外套のポケットに突っ込まれた右腕を優しく掴んだ。


「エスコートしてくださる? 船長さん」


「おいおい、歩きづらいだろうが……転ぶんじゃねえぞ?」


 腕を組み、夜の街中を歩く二人の姿を、月はいつまでも照らしていた。

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