寄港 ④
翌日になると街は俄にざわめいていた。
港で発見された賞金稼ぎの遺体、加えてロッシュ・ファミリーの只ならぬ動向に他の組織もヘンリーの情報と懸賞金を得るために動きまわっていた。なにせ賞金額1000
仕留めれば暗黒街で名を上げられるどころか、貴族に取り立てられることも十分に考えられる。もちろん彼の手元に皇女がいることなど知る由もなく、見習いの小娘のことなどまるで眼中になかった。
外泊を禁止されたルーネはヘンリーとともに船で一夜を明かし、がらんとした甲板で朝日に照らされながら柔軟体操をしていた。船に残っているのは航海士のウィンドラス、船大工のキール、他に交代で留守番をしている水夫が数名。
ルーネは爽やかな朝を迎えていたが、ヘンリーは多少の寝不足に悩まされていた。昨日のような賞金稼ぎが船にまで乗り込んでくるのではないかと危惧し、船長室のテーブルの上には弾の込められたピストルやカットラスなどが並べられており、時折仮眠を取りながらも窓の外を常に気にしていた。
が、結局襲撃はなく、いっそのこと今日一日は船で眠ってしまおうかと思っていたヘンリーのもとにウィンドラスが訪れ、黒豹からの報告を受け取った。
ロッシュ・ファミリーのボスが探していること、そして今日一日使って水夫の募集をするとのこと。ヘンリーは報告を聞きながら眠気覚ましのコーヒーを啜った。ハリヤードも出払っているため食事を作るものがおらず、部屋を出ていこうとするウィンドラスに適当な出前を取るように申し渡し、更に珍しいことにドクター・ジブを船長室に呼んだ。
ジブは街で種々の怪しげな薬草や動物の干物などを購入して船に戻っており、昨晩から医務室に篭ったまま出てこない。またぞろ面妖な薬物でも調合していたのだろう。
船長に呼び出されて不機嫌な顔を浮かべているあたりから、作業の邪魔をされ、苛立っていることがよくわかる。ヘンリーはおもむろに丸めていた羊皮紙をテーブルに広げてジブに見せた。
「これは何ですかな?」
「とっておきの隠し球さ。こいつを作れるか? 火薬にも精通したお前の意見を聞きたい」
「ふむ……」
図面を食い入るように見つめるジブは興味深そうに唸った。
「作れないことは無いけどねぇ、かなり扱いが難しくなりますぞ」
「承知の上だ。だが都へ乗り込むとなりゃぁ、このくらいのものがないと出来ん」
「ヒッヒッヒ、面白いじゃないかぁ。開発資金は回して貰えるんだろうねぇ?」
「もちろんだ。好きなだけ使え。都の奴らの度肝を抜いてやろうじゃねぇか」
二人して邪悪な笑いを顔に浮かべ、その様子をドアの隙間から覗き込むタックとルーネはあまりのおぞましさに顔を青くしていた。昼が近くなる頃に街の食堂から出前の小間使いが船を訪れ、甲板の上で食事を進めていく。
甘酸っぱいイチゴのサンドイッチを頬張っていると、ウィンドラスが何やら深刻そうな顔で唸っていた。どうしたのかと尋ねてみると、中々物資の手配が上手く運んでいないという。なにせ街の商売という商売に裏組織の息がかかっているのだから交渉も難航しており、まともな商人たちも彼らを恐れて一向に首を縦に振ってくれない。
いっそのこと皇女の名のもとに貴族や軍を動かせれば何の苦労も無いのだが、今の状況ではとても叶わず、ウィンドラスも何とかしてみせると微笑んでいた。
腹ごしらえも済んだところで再び上陸の許可を得たルーネは、昨日のようにヘンリーと共に街の市場へ繰り出した。港に比べて市場はまだ活気があり、多くの住人たちも買い物を楽しんでいる。
時刻が昼間というのもあるが、ルーネは店先に並ぶ売り物の数々を眺めつつ店の人間の顔色を伺うと、とても心から笑っているとは思えなかった。まるで砂漠のように乾ききった瞳に生気はなく、客引きをしている少年も恐らくは奴隷だ。裏路地に入ればたちまち浮浪者と暴漢たちの巣となっている。キングポートのような華やかさなど欠片も無い。
「私、ここ嫌いだわ……」
「珍しく意見が合うな。ゴミ溜めのほうがまだマシだ。だが覚えておけ。世の中にゃ、こういう場所が自然と出来るもんだ。俺のような悪党が集まる穴ぐらが。光があるだけ影も出来るってことよ。なあ、お前だってそう思うだろう? さっきからコソコソとツケ回しやがって」
ヘンリーは不意に背後に向かって呼びかけると、群衆の中に紛れていた男二人が驚いた素振りで固まっていた。全く気配を察知出来なかったルーネがハッと息を呑む間にもつかつかと男たちのもとへ近づいていったヘンリーは、腰のカットラスをちらつかせながら男たちを路地裏に引き込んで胸ぐらを掴み上げる。
「どこの組の
灰色の瞳に殺気を満々とぎらつかせたヘンリーにすっかり圧倒された男たちは額に脂汗を滲ませる。
「ま、待て待て待て。俺たちゃロッシュ・ファミリーだ。あんたを探していたんだ。ボスの命令でな。頼むよ、ボスのところまで同行してくれ」
「ものを頼める立場だと思ってんのかぁ? チンピラ風情が。まあ、いい。お前らもガキの使いにもならんとなっちゃぁ、一家の恥になるだろうからな。案内して貰おうか」
掴みあげていたシャツを手放したヘンリーはタックに目配せをし、どぎまぎしているルーネの手を引いて組員たちの後を追った。
「せ、船長……私がいても足手まといになっちゃうんじゃないの?」
「お前さんに何かあったほうが余程面倒なんだよ。いいから黙ってついてこい。絶対に俺から離れるんじゃねえぞ?」
二人が連れられた先は街で一番豪勢なホテルだった。赤いレンガ造りの五階建て、フロントは大理石の柱に琥珀の装飾、そして床一面が赤い絨毯で敷き詰められていた。さながら石炭の中に輝くダイヤモンドのようだ。
受付のホテルマンに話を通した男たちは最上階のスイートルームに二人を通した。ドアの前にはガードマンらしき屈強な黒い肌の男たちが直立不動で控えており、ヘンリーに武器を渡すよう言いつけた。
「武器の類を預けて貰おうか」
「お断りだ。そっちが俺を呼んだのだろう? それともお前らのボスは礼儀も心得ていないのか?」
「こいつめ!」
親を侮辱された組員たちがヘンリーに掴みかかろうとしたとき、部屋のドアが内側から開けられた。中から金髪の青年が組員たちを窘め、彼とルーネを部屋の中へ招き入れる。
「先程は失礼。なにぶん他のファミリーとの縄張り争いでカリカリしているもので」
「お前さんは?」
「ロッシュの息子、ロベルトです。レイディン船長のご高名はかねがね」
「海賊に世辞は不要だ。入れてもらって言うのも何だが、武器は奪っておくべきだったな」
「信用も我々の武器ですから。そちらのお嬢さんは?」
ロベルトの視線を受けたルーネはなるべく胸を張って堂々としてみせるが、如何せん見た目が少女の為、大した威嚇になっていない。ヘンリーはそんな見習いの髪をグシャグシャと撫で回し、すまし顔でロベルトに答える。
「うちの見習いだ。こう見えて結構素質があるんでな。まあ小間使いくらいに思っていてくれ」
「……ではこちらへ」
ロッシュは広間のソファに腰を下ろしていた。テーブルには紅茶や菓子が並べられ、ヘンリーの姿を見るやソファから立ち上がって出迎える。
「ようこそ、ヘンリー・レイディン船長。このような形でお会いすることになって大変申し訳無い。できればこちらからお訪ねしたかったのだが、我々にもメンツというものがあるのでね」
手を向かい側のソファに向けて着席を促し、ヘンリーとルーネが着座するとロッシュとロベルトも席についた。すぐに組の者が白いティーカップにルビー色の紅茶を注ぐ。
「さあさあ、まずは温かいものでも飲みながら、旅の疲れを癒して下さい。ご心配なさらずとも毒など盛っておりません」
と、ロッシュは先んじて紅茶を啜ってみせた。
ルーネはカップを手にとって香りを確かめる。
「すごい、サウザンブリア地方の高級茶葉だ」
「ほう! そちらのお嬢さんは実にお目が高い。帝室御用達の茶葉だ。紅茶には目がなくてね」
ヘンリーも無遠慮に音を立てて茶を飲み、バターがたっぷりと練りこまれたビスケットを囓りながら低く唸る。
「どうにも見えてこねえなぁ。お前さん、俺の首が狙いなんじゃねぇのか?」
回りくどい話を好まないヘンリーが核心を突くと、ロッシュは心底困ったといった風に溜息を吐いてみせた。
「確かに、懸賞金2000枚は魅力的だ。だが私は金に困っているわけではない。そこいらの貧乏人や賞金稼ぎと同じにされてもらっては困る。取引をしようじゃないか。互いの利益のために」
ロッシュが持ちだした取引は、まるで水平線の彼方に浮かぶ暗雲のようだった……。
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