寄港 ③
水夫たちを引き連れて街の食堂を訪れた黒豹ら幹部たちは、逃避行の疲れと貧しい食事への反動からか、多くのスペースを占拠して宴を催していた。自然と周囲の連中からも注目されるが、そんなことはお構いなしといった風に酒を飲み、料理を食らっていく。
無論此処にも善良な一般市民など一割いるかどうか。他の九割はジッと押し黙って騒ぐ船乗りたちを睨んでいた。こと悪党は縄張り意識が強く、よそ者が自分のシマで騒いでいることが余程気に入らないとみえる。気づけば黒豹たちのテーブルはガラの悪い男たちによって取り囲まれていた。
彼らの手にはナイフが握られており、店員たちも一荒れくると恐れて店の奥に隠れている。しかし黒豹たちは意にも介さずに宴を続けていた。徐々に男たちの顔が赤く染まり、黒豹の肩を掴みかかる。
「おい、姉さんよ。ここは俺達の縄張りなんだよ。よそ者はおとなしくして貰おうか」
瞬間、男の手首が黒豹に捻られた。
「いででで! 何しやがる!」
「失せな、チンピラ。オレたちと喧嘩したけりゃ、命捨てる覚悟が出来ているんだろうね?」
野獣の眼に街の不良たちは気圧された。歴戦の略奪者の迫力に慄いた彼らだったが、悪党には悪党の意地がある。不良たちがナイフを振り上げようとしたとき、店の扉が開き、瀟洒な黒いシャツに中折れ帽子と、白く丈の長いマフラーを肩にかけた初老の男が葉巻を咥え、店にたむろする不良たちを一瞥した。
すると不良たちは顔色を青くして振り上げかけた腕を下ろし、その男の道を開けた。
黒豹たちの視線を受けた男は被っていた帽子を手に取って彼女たちに挨拶を送る。
「うちの若い連中が失礼をしたようで。ご高名なレイディン船長の一味と知っていれば、こいつらも手出しはしなかった。親としてお詫びする」
物腰柔らかい態度に流石の黒豹も舌を巻く。
「へえ、悪党の親玉にしては紳士じゃないのさ」
「こちらも無用の争いは避けたい。なにせ、此処は様々な組織が微妙な均衡を保って成り立っているので。ところで、レイディン船長はどちらに?」
「さあ? 船長なら一人で一杯やりに出かけたよ。ところで、今うちの船は水夫の募集をしているんだけど、ここいらで集めても構わないかい?」
「構わないが、うちや他所の組員の引き抜きだけはしないでくれ給え。ではごきげんよう」
と、彼は最低限の手下を店に残して出て行った。
取り巻き達は不満げな顔を浮かべている。
よそ者に縄張りで騒がれ、しかも自分たちのボスが詫びを入れるなど耐えられない。そんな彼らの不満を察したボスが懐から一枚の手配書を取り出し、皆に見せた。もちろん、ヘンリー・レイディンの手配書である。
懸賞金1000
手下たちはその金額に言葉を失った。
「ボ、ボス、こいつぁ逃す手は無いですよ。他の組にも知られているはずだ。早く手を打ちましょう。何ならすぐにでも俺達が、ロッシュ・ファミリーがやっちまいましょうよ」
手下の進言をロッシュは跳ね除ける。
「だからお前は浅はかなんだ。連中はあの監獄島を破り、帝国軍の顔に泥を塗り続けている。下手に手を出して腕を食いちぎられてたまるか。いっそのこと、手を組んで他の組を潰させるという手もある。時期を待て。俺の命令があるまで決して動くな。それまでは自由にさせろ。ただし、うちの縄張りから出すな。それからレイディンの居場所を全力で洗い出せ」
指示を受けた手下たちはすぐに行動に移った。
一方そのころ、ミントとライムの香りが爽やかなラムモヒートに酔いしれるヘンリーの傍らに座るタックとルーネも、甘酸っぱいオレンジジュースを飲みつつ、酒場のマスターとヘンリーの会話に耳を傾けていた。
話題の殆どがこの街を牛耳るマフィア組織のことだった。
曰く、経済的にも人数的にも多くの縄張りを取り仕切っているのが、ロッシュファミリーだという。ロッシュは弁術に長けており、街に連なる店も彼に上納金を支払うことで商売が成り立っているのが現状だった。
他の組は港湾組合や漁業組合など、古くからこの土地にある堅気の連中と結託して組を維持している。いずれにせよ自分たちの縄張りによそ者が入ってくれば敏感に反応し、今までに幾度も新参の悪党が名を上げようとして返り討ちにあったという。
「あんたも名のある悪党のようだが、悪いことは言わねえ。早く出て行くことだ」
「そりゃ俺だってこんなところに長居はしたくねえが、木を隠すなら森のなかっていうだろう? 悪党が身を隠すにゃ、悪党の中ってことだ。特に、こういう酒場にな」
「ハハハ、成程な。まあこの街にはあんたと同じような船乗りも多くいる。気が合えばいいな」
いつしか険悪な空気も緩んで談笑に勤しむ二人の男から置いてけぼりを食らった若者二人。
ジュースも飲み飽き、つまみのフルーツもどことなく味気ない。
いっそのこと市場にでも繰り出し、タックと一緒に買物を楽しみたい。
もちろん身の危険があることは理解しているし、船長がなるべく人気のない酒場に連れてきた理由もわかっている。が、自分はともかく付き合わされるタックが不憫だった。
キングポートで一緒に買物をするという約束も果たせていない。
憂鬱になりながら店の中を見渡してみると、先ほどからこちらを舐めるように見つめている三人の客がいた。腰にはナイフやピストルがホルスターに収められている。別に今更珍しいわけではないが、いつまでも見つめられていて気分が良いはずがない。
ヘンリーも彼らの視線に気づいているはずだが、マスターとの会話を続けるばかり。
やがて男たちが立ち上がった。手にはナイフやピストルが握られ、マスターも異様な雰囲気を察して顔から笑みが消え去り、後ずさる。ルーネもタックも身構えるが、ヘンリーは相変わらず香ばしい煙の立つパイプを咥えたまま微動だにしない。
そして男たちの手がヘンリーの肩に触れた。
「あんたがレイディンか?」
「そうだと言ったらどうだってんだ? 賞金稼ぎのゴロツキ共よ」
「懸賞金2000帝国金貨(ゲルト)の首、貰い受ける」
ヘンリーの首をナイフの腹がなで上げる。タックはピストルを構え、ルーネも震える手でナイフの柄を握った。一触即発の張り詰めた空気が店の中に満ち、店主も表でやれと叫びたいが空気に呑まれて声を出せない。が、ヘンリーは不敵に笑った。まるでこの空気を心底楽しむかのように、あるいは自分の名声に酔いしれるかのように。
賞金稼ぎたちも彼の態度が解せず、動くことが出来ない。
「どうした、お前たち。俺の首が欲しいんだろう? もたもたしていると、喰い殺されるぜ?」
「ぐふっ」
ヘンリーにナイフを当てていた男の脇腹にフォークが突き刺さり、崩れ落ちる男の手からナイフを奪って二人目の喉に突きつける。瞬時に形勢が逆転した。三人目にもタックの銃口が向いているので賞金稼ぎたちは身動きが出来ない。一人目の男も今ではヘンリーに胸を踏みつけられて、突き刺されたフォークの痛みに脂汗を流す。
「お前たち……ここで死ぬか? それとも、逃げるか? あるいは、俺と一稼ぎするか? 俺の船に乗れば見たこともない財宝を手に掴ませてやる。選べ。お前たちの人生だ」
男たちは互いに顔を見合わせた後、まずナイフを喉に突きつけられた者が首を縦に振り、続いて銃を向けられた者も頷いた。彼らは利に聡い。金が手に入る方に動く。
「お前さんはどうするんだ?」
踏みつけられた男も遂には同意し、ヘンリーは足を離し、突き刺したフォークを抜いてやった。席に座り直したヘンリーはグラスのラムを飲み干して彼らに問う。
「ところでお前ら、船に乗った経験は?」
「いや、無い。俺達はずっと内陸で稼いでいた。海を見たのも初めてだ」
「そうか。じゃあ役に立たんな、不合格だ……あばよ」
ヘンリーは不意にタックの手からピストルを奪い取ると、一人を撃ち殺し、二人目の喉をナイフで掻き切り、三人目は叫ぼうとしたところを組み付いて首を折った。
小さく叫ぶ店主とルーネを他所に、ヘンリーは出来上がった亡骸を肩に担ぎ、店の外に広がる海へ捨てた。
一部始終を見ていた他の客たちもすっかり彼を恐れて壁に背中を張り付かせ、席に戻った彼は何事もなかったかのようにラムのおかわりを注文した。
「くくく、俺の首が金貨2000枚か」
噂は枯れ草を燃やす火のように広がるだろう。
海賊ヘンリー・レイディンが街に来た、と。
そして人が集まる。多くの悪党や船乗りたちが。
一体彼が何を企んでいるのか……ルーネは見守るより他になかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます