寄港 ②
見張りが陸地を確認したとき、水夫たちは歓声を上げて舞い上がった。
水は枯渇目前で1日1杯の配給に変わり、食料もビスケットやクズ肉くらいしか口に出来なかった彼らは、陸地の食堂で味わえる料理の数々を思って涎を溢れさせ、今まで甲板に座り込んでいた水夫たちが急に張り切りだしたのでヘンリーも黒豹も苦笑いを浮かべていた。
コックのハリヤードも胸をなで下ろしている。
色々と工夫して食料を節約してきた甲斐があったというものだ。
食べ盛りのタックも空腹に耐えかねてネズミを探しまわり、ルーネも皆と同じ食事にして欲しいと何度も頼み込んだ。皇女だからといって特別扱いなどしてほしくない。特にこの船の上では一人の少女ルーネとして扱って貰うことが、彼女にとって喜びであったのだから。
が、さすがにローズに対しては出来る限りの配慮を施した。
水も食料も優先的に彼女へ回し、ときに不平不満を漏らす水夫に対してはヘンリーの絶対的な威圧によって黙らせた。彼らにとってヘンリーは帝王であり裁判長だ。逆らえばどうなるかわかったものではない。また逆らったところで船長になろうという者もいなかった。
彼らが望むものは金銭と食料。それらが手に入るだけの力が船長にあれば、逆らう理由もない。故に内心で不満に思うことがあっても、黙って従っていたほうが賢いというのが彼らなりの結論だった。ウィンドラスという愚痴の受付もいる。
ともかくも陸地が見えたことは船全体の喜びだった。
しかしヘンリーとウィンドラスは如何にして港へ入るか検討の最中で、手配書が出回っているとあっては堂々と入港するわけにもいかない。そこでウィンドラスは帝国の商船に化けるように提案し、グレイウルフ号の灰色の帆も真新しい純白のものに取り替えられた。
まもなく水先案内人を乗せたボートが近づき、グレイウルフ号の甲板に乗り込んでくる。
もちろん水夫たちは武器を隠し、愛想よく水先案内人に挨拶をした。
「船長はどなたかな?」
「私です。ウィンドラスと申します」
「水先案内人のリチャードです。早速ですが、入港の目的は?」
「船の補給と船員の休息のためです。滞在期間は未定ですが、一つご配慮のほどを」
と、ウィンドラスはずしりと重たい麻袋をリチャードに手渡した。
「分かりました。ニューウエスト港へようこそ」
賄賂に加え、ウィンドラスの気品さから案内人もすっかり彼が船長だと信じ、入港は滞り無く進められた。
ニューウエスト港……帝国の領土では最も西方に位置する街。見た目は赤いレンガで造られた長閑で清潔な街並みを装っているが、その実はあらゆる陸と海の悪党たちが息を潜め、縄張り争いを繰り返す危険な港でもある。
キングポートのように馬鹿騒ぎが出来るような空気ではない。
真っ当な人間がこの街で生きていくには余程世渡りが上手いか、もしくは何らかの後ろ盾を得ている。どちらにしても碌でもない人間ばかりだ。貴族たちも報復を恐れて手を出そうとせず、むしろ見逃す見返りを貪っている。このリチャードと名乗る水先案内人も、港を牛耳るマフィアの差金に違いない。
船長室の窓から街並みを眺めるヘンリーは反吐が出そうだった。
人のことは言えないが、港を歩く男たちも明らかに真っ当な船乗りではない。
そもそも船乗りかどうかすら怪しい。
港は裏取引の舞台としては絶好だ。非合法薬物、銃器、あるいは人身売買。
キングポートが悪徳の港ならば此処は悪行の港といえよう。
陰湿で華やかさなど微塵もない。
こんな状況でなければヘンリーも絶対に船を入れようとは思わなかった。
入港作業は事もなく終わり、リチャードが船から降りると、ウィンドラスはヘンリーに一部始終を報告した。
「ご苦労さん。部下には俺の取り分から配っておいてくれ。少ないが、一晩飲み明かすくらいは出来るだろう」
「わかりました。それで、これからどうするおつもりで?」
「考え中だ。まずは補給と休息をせんといい考えも浮かばん」
「彼女については?」
「外出はさせてやるが俺から離さん。外泊は禁止だ。窮屈な思いをさせるが、あいつは俺たちにとって命綱だ。失うわけにはいかん」
「同意します。では、私が補給のために船に残ります」
「すまんな。いつも」
「これくらいしか取り柄がありませんからね。貴方のように鉄火場や酒場は似合わないのですよ」
ウィンドラスは微かにはにかんで早速補給の手続きと船員への配当に取り掛かり、ヘンリーは客室にいるローズを訪ねた。傷は完全に癒えていないものの、ジブの腕と彼女の精神力によってすでにベッドから起き上がるまでに回復しており、食欲も衰えず、ドアを開けたヘンリーのこめかみに銃に見立てた指先を押し付けた。
「隙ありだ。私なら撃ってる」
「ハッ、相変わらず気の強い女だ。今しがた港に入った。約束どおり、あんたを解放する」
「……本当に、良いのか? 何故私を信用する?」
「そうやってあれこれ難しく考えるからだ。俺なら、何も考えずに有難く降ろさせて貰うね」
「成程。私も難儀な性格を持って生まれてしまったみたいだな……レイディン、もしも殿下に万一のことがあれば、そのときは私がお前を殺す。覚えておけ」
「ああ、任せておけ。こいつは少ないが、俺からの餞別だ。旅費の足しになるだろう」
ヘンリーはポケットマネーの金貨30枚を彼女に手渡した。
船を降りる際、ローズは見送るヘンリーとルーネに一礼する。
「殿下、どうかご無事で。そしてレイディン……世話になった。この借りは必ず返す」
「ローズも、くれぐれも気をつけて。旅の無事を祈っています」
「身に余るお言葉。では、またいずれ」
軽やかな足取りで船を降りたローズを一目見送ろうと、水夫たちは甲板やマストに登って彼女の風に揺れる銀髪をいつまでも眺めていた。間もなくローズの姿が街中へ消えていくと作業を終えた水夫たちにも上陸の許可が下り、皆喜び勇んでニューウエストの繁華街へ繰り出していく。
黒豹たちに水夫の募集も怠らないように言いつけたヘンリーもタックとルーネを伴って上陸したが、向かった先は派手な食堂ではなく、こじんまりとした小さな酒場だった。カウンターにいる店主も含めて客層はお世辞にも柄がいい連中とはいえず、むしろその真逆。誰も彼も目つきが悪く、腰やテーブルに何かしらの凶器を置いていた。ヘンリーが戸を押し開けると全員の視線が彼と両脇に隠れる少年少女に向けられ、カウンター席に座るやいなや、マスターが渋い顔をして顔を寄せてきた。
「お客さん、ここは保育園じゃねえ。ガキは外で待たせてくれるかい?」
するとヘンリーはおもむろにカウンターへピストルを置いた。
「ラムだ。モヒートで頼む。お前らは何にする?」
まるでマスターの声が聞こえていなかったかのように振る舞うヘンリーにルーネもタックも呆気に取られてしまい、完全にシカトされたマスターの額にも青筋が立っていた。
だが長年悪党どもと付き合うなかで培われた一種の鼻が、ヘンリーに染み付いた血と硝煙の匂いを嗅ぎつけた。
「あんた、見ない顔だな。どこから来なさった?」
ホワイトラムにミントフレーバーを加えながらマスターが尋ねる。
ヘンリーはパイプに煙草を詰め、マッチで火を灯しながら答えた。
「母港はキングポートだ」
「へぇ、船乗りさんかい。にしちゃぁ血の匂いがプンプンするが、あんたまさか……」
手を震えさせながらグラスを差し出したマスターが勘ぐると、美味そうに煙を吐くヘンリーが気さくに笑ってみせた。
「オヤジ、余計な詮索は野暮ってもんだ。俺はただ楽しく酒が飲みたいだけだ。別に悪さをしようってわけじゃねえ。こいつらも見た目はガキだが、一端の船乗りだ。一つ大目に見てやってくれ」
と、ヘンリーは懐から金貨を1枚取り出してマスターへ差し出した。
口止め料といったところか。
金貨を受け取った彼もニヤリと笑ってそれ以上問うことはなかった。
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