監獄 ④
兵士から銃を手に入れたルーネは一旦部屋に戻り、彼女の世話を仰せつかった従兵を部屋に呼び寄せた。従兵といっても普段は女性犯罪者を担当している女看守であり、ここで皇女のお気に召せば出世間違いないと喜んでいた。
故にルーネから呼び出された時はかなり緊張した様子で部屋をノックし、暇つぶしの話し相手になってほしいと彼女から言われると、内心で握りこぶしを固めた。
これはチャンスだ。
絶対的な人生の分岐点だ。
何が何でも皇女殿下を喜ばせてみせる、という気合で席を共にした。
勿論皇女が懐に銃を隠し持っているなど知る由もなく、また、所長の意向によって従兵は彼女の前では丸腰であるように指示されていた。
小心者らしい慎重ぶりにルーネはこみ上げてくる笑いを必死で堪えていた。
銃も剣も持たぬ兵士が何処にいる。
ともあれ、ルーネは彼女の心に根ざした野心をくすぐるように切り出した。
「わざわざ有り難う。話し相手になってくれて、とても嬉しいわ」
「はっ! 光栄であります! 私如きでよろしければ、何なりとお申し付け下さいませ」
「そう……では、早速だけどお願いを聞いてもらっていいかしら?」
早速の願い事に彼女も意気揚々と聞き耳を立てた。
「ここは大変素晴らしい監獄だわ。帝国に仇なす者たちを収容しているのだから、本国で是非議会に取り上げてもっと予算を工面してあげたいの。そこで、私もよくしらないことを議会に提出するわけにはいかないから、是非ここの見取り図を読ませて頂きたいの。隅から隅まで、詳しく、どこに何人兵隊さんが働いているのか……教えて下さらない?」
お安い御用だと彼女は舞い上がった。
というのも彼女はただ皇女の世話を仰せつかっただけなので、彼女が海賊の見習いとして乗り組んでいたことも、ヘンリーに特別想いを寄せていることも全く知らされておらず、むしろ本国で自分たちの仕事ぶりを評価してもらえると聞いただけですっかり高揚していた。
仲間たちにも自慢出来る。
私のおかげで皆のことを皇女殿下に知って頂けたのだと、先輩にも後輩にも大きな顔が出来る。
彼女は島と施設の見取り図を全てテーブルに広げてみせた。
それこそ掃除用具入れからヘンリーがいる特別房まで、全て。
本来ならば重大な機密事項だが、皇女が相手ならば別に隠すことはないという油断と、何よりも出世欲が彼女の兵士としての目を曇らせた。
しめしめと思う一方で、こんなに簡単に秘密をばらすような兵士がいることは少々問題だと彼女は複雑な気持ちで説明を聞いた。
「ところで、此処には特に危険な犯罪者を閉じ込める、自慢の牢屋があると聞いたのだけど、それは何処?」
「はっ! こちらでございまーす!」
彼女が指し示した特別房は此処の地下三階に位置し、多数の兵士たちが交代で見張りをしているのでアリの通る隙間もないと豪語した。しかし牢の周りは彼女の言う通り鉄壁の守りを固めているが、地下に行くこと自体は然程難しくはなさそうだとルーネは感じた。
なぜなら階段に兵士を置いていないからだ。
通常の房が地上の施設にあり、刑罰の重い者が地下に幽閉される。
地下にいるのは大抵がギャングやマフィアのボス、あるいは帝国の転覆を狙うような政治犯など、決してここから生きて出してはならない者たち。
地上にいる犯罪者などは所詮木っ端な悪党だけだと、説明する彼女は鼻を鳴らした。
不可能だが脱獄したところでどうということはないと。
だが地下にいる連中は全く別物だ。そんな地下の最深部にある独房から逃げられたとあっては、それこそ帝国の威信に関わることだろう。
故に不落の警備を敷いている。
そこに付け入る隙もある。
この世に絶対などあり得ない。しかしそれを信じて疑わない者達は、絶対という言葉の心綺楼によって肝心な部分を見誤ることが多いのだ。目の前にいる女看守とてそうだ。
まさか皇女が海賊の脱獄を企んでいるわけがない。
そういう、ある種の固定概念や杓子定規なモノの考えによって失敗した人間が何人いたことか。
またこれから何人増えることか。
しかし今のルーネにとって、その慢心こそが神がもたらした一筋の光のようだった。
果たして神の悪戯か、あるいは悪魔の罠か、天がルーネの背を後押しする如く、突如として監獄島にけたたましい警報の鐘が鳴り響いた。
数十年来鳴ることのなかった警報に、兵士たちは度肝を抜かれた。
誰かが脱獄しようとしている。
しかも、警報が鳴るということは、このアビスの牢が破られたということに他ならない。
執務室でふんぞり返っていた所長のもとに緊急の報告が回され、海賊たちが牢を破って兵士たちと交戦している旨を聞いた彼は唾をまき散らしながら兵士たちを応援に向かわせるように怒鳴りつけ、ルーネの相手をしていた女看守もすぐに状況を確かめるので、決して部屋から出ないようにと言って飛び出していった。
「嗚呼、神様。どうか私に御力を、そして、彼らにご加護を!」
ルーネもまた部屋を飛び出し、頭に叩き込んだ地下への道を疾走る。
幾度も兵士たちとすれ違ったが誰も意に介さない。兵士たちにとって脱獄囚の鎮圧こそが今の使命であり、他のことに気を配る余裕など無かった。
ルーネは廊下を走りぬけ、階段を一気に駆け下りる。
三階から二階、一階、そして地下へ続く。
何者かは知らないがアビスから脱走しようとしていることに、地下の大物たちも歓声を上げていた。
残された兵士たちも罪人の騒ぎを止めようと大声を出し、地下二階から最深部の三階へ下りていく彼女に誰も気づかない。
が、この特別房だけは違う。
二階が騒がしいので様子を見に行こうとした兵士がルーネと鉢合わせした。
「お、おい! この騒ぎは何だ! お前は――」
「騒がないで!」
兵士の喉元に銃口が突きつけられた。
「なっ……貴様、脱獄犯の一味か?」
「さあ、どうかしらね。でも私の名前は、ルーネフェルト・ブレトワルダ! 皇女の名のもとに命じます! 私を、ヘンリー・レイディンのところまで案内しなさい!」
突然のことで兵士には彼女が本物の皇女かどうか見極める余裕はない。
ただ、喉に銃口が突きつけられている以上、どうあっても従わざるを得なかった。
他の兵士たちも人質を取る少女に銃を向けるが、彼女の蒼眼と金色の髪に恐れをなし、ルーネの悲痛な叫びによって銃を持つ手から力が抜けた。
「皆に願います。理解してくれなんて言わない。けれどこれだけは信じて。私は、皇女として国を救います。どうか私に、愛する貴方達を撃たせないで!」
もはや兵士たちに戦意など無かった。
銃を下ろし、ただ事の成り行きを見守る他に術がない。
冷たい牢の床に座るヘンリーは兵士を人質にして近づいてくる彼女の姿を前に、思わず笑みを零した。
鉄格子を隔てて対峙した皇女と海賊。
二人はまるで初対面かのようなぎこちなさで互いを見つめ合う。
「答えは、見つかったか? お前さんの生きる道の答えを」
「ええ、船長。私、もう決めた。国へ帰るわ。そして、帝国を継ぎます。そのために、貴方の力を貸してほしい」
「だがなぁ、俺は見ての通り、牢に囚われた無力な男に過ぎん。そんな男に、何をしろっていうんだ?」
「ヘンリー・レイディン! 答えなさい。貴方はどう生きるの? このまま絞首刑を受け入れるの? それとも私と一緒に都へ行くの? 答えなさい!」
断固とした彼女の言葉に、ヘンリーは溜息を吐いた。
「参ったねぇ。まさか俺が問われる日が来るとはな。よぉし、一回しか言わんからよく聞け…………俺は生きたい! 生きて、また海を暴れ回り、女を抱き、仲間と美味い酒が飲みたい!」
「ならば、皇女ルーネフェルト・ブレトワルダの私掠船として国に尽くすことを誓うか?」
「誓う!」
「私と共に帝都へ行くと約束してくれますか!」
「請け負う!」
彼の答えを聞いたとき、彼女の目から熱い涙が溢れかえった。
ルーネは呆然と立ち尽くしていた兵士のサーベルを抜き払い、牢に座るヘンリーの肩に刃を載せた。これが彼女が出来る最大の権限。如何なる犯罪者であっても牢から解き放つ、彼女の、皇女だけが持つ最強の切り札。
「次期女帝、ルーネフェルト・ブレトワルダの名のもとに、貴公を我が騎士に叙す」
するとヘンリーも片膝を床につけ、胸に手をあてて頭を垂れた。
「不肖、ヘンリー・レイディン。謹んでお受け致す」
「頼むわよ? 私の海賊」
「任せとけ。俺の女帝陛下」
友として、信頼を置く仲間として、ルーネは頬を涙で濡らしながら、ヘンリーはそんな彼女の顔を眺めながら、互いに心から笑いあった。
「看守兵! 彼は我が帝国の騎士です。直ちに牢から解き放ちなさい!」
「しかし……」
「命令です! それとも帝室への不敬罪によって貴方が牢に入りたいのですか!」
もはや彼女に逆らうことは出来ず、看守は己の職務を忘れ、ヘンリー・レイディンの鎖を解いた。
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