監獄 ③
月が雲に隠れた闇の夜。
グレイウルフ号はこの上ない戦利品として係留されていた。
海賊たちを全員牢に入れたと思い込んだことで甲板に兵の姿は無く、無人の船を見張ったところで仕方がないとばかりに、岸壁にも人影は特になかった。そんな静まり返った甲板の扉が突然開かれ、手に金槌を持った船大工のキールがフラフラと現れた。
海戦の騒ぎで誰も気づかなかったのが幸いしたのか、彼は船倉の更に下部に位置する
見上げれば難攻不落の大監獄が聳え、腰の痛みを覚えた彼はすぐに猫背に戻って辺りを見渡す。右手側の奥にロイヤルハウンド号が修理を受けるドックがあり、左手に監獄の入り口に通じる長い石畳の道が続いていた。グレイウルフ号から岸に降りたキールは堂々と道の真中を歩いてドックへ近づいた。
監獄の兵士に混じって船大工らが忙しく動きまわっており、夜中まで働くところからかなり急ぎの修理だと見込んだ彼は、作業を見守る少年兵に話しかけた。
「おい坊主、厠は何処じゃったかのぅ?」
「ん? 爺さん大工さんかい? 厠ならそこの詰め所か建物の中だよ」
「そうか。中で用を足したいんじゃが、道を忘れてしもうた。すまんが案内してくれんか?」
「ええ? ちょっと待ってな。先輩に許可貰ってくるから」
と、少年兵は上司に相談して許可をもらい、戻ってきた。
「こっちだよ、爺さん」
少年兵に案内されて施設内に入ったキールはブツブツとぼやく。
「すまんの。儂も年じゃけぇ、そろそろ引退するかのぉ」
「おれも最近此処に着任したばっかりだからよく知らないんだけど、爺さん長いのかい?」
「さて、どうじゃったかな。ところで最近、大物海賊が此処へ運ばれたようじゃな?」
「ああ。とんでもない連中だよ。まっ、すぐに絞首刑になるさ」
「そうか。手下どもは何処に捕まっておるんじゃ?」
「確か通常の牢だったと思うよ。どうしてそんなことを聞くんだい?」
怪訝な顔をする少年兵に彼はしみじみと微笑む。
「いやな、老い先短いけぇ、世間を騒がせる悪党どもの顔を冥土の土産に見ておきたくての。お前さんも将来は立派な兵士になるんじゃろう? 今のうちに悪党どもの面を見ておくのも、勉強になると思うが?」
本音の混じった嘘ほど人を騙せるものだ。
「うぅん、でもおれはまだ下っ端だし、勝手に行動すると怒られるからなぁ」
「カーッ、情けないのぉ。若い内は一つや二つ冒険をしてみるもんじゃ。あの海賊どもの中には、お前さんよりも小さな小僧もおる。年下が国を敵に回す度胸があるというのに、お前さんは何じゃ? たかが悪党の面も見に行けんというのか? 海軍の将来も危ういのぉ」
「む……」
そう言われては彼も黙ってはいられなかった。元々は華やかな艦隊勤務を志して入隊したはずが、初の勤務地がこんな絶海の監獄島の見張りということもあってかなり鬱屈としたものが少なからずあり、加えてヨボヨボの老人大工に情けないと思われては、帝国の男子として反発してみたくなった。反抗してみたくなる年頃だったことも要因の一つかもしれない。
いつの間にか厠に行くという話から海賊たちの面を拝みに行くという話にすり替わり、ランプに照らされた薄暗い通路を少年兵は他の兵士に見つからないように物陰に隠れながら歩いていたが、キールは相変わらず隠れる素振りも見せない。
「ちょっと爺さん、見つかったら不味いんだってば」
「ゴチャゴチャ抜かすでない。こういうのは堂々としておるほうが怪しまれん。今のお前さんは自分から怪しんでくれと言っておるぞ」
成る程一理あると彼はなるべく胸を張って廊下を歩き、すれ違う兵士もちらりと少年兵と老人を見たが特に話しかけることはなかった。命令系統が徹底されている軍隊の弊害として、多少奇妙なことも軍服を着て堂々としていると、何かしらの指示を受けて行動していると思い込んでしまう。また余計な私語をして自分自身が叱責を受けたくないという保身も重なり、少年兵の懸念も虚しく、思いの外すらすらと牢の近くまで進むことが出来た。
「どうじゃ? 儂の言うた通りじゃろ?」
「爺さん、あんた何者? 元は兵士だったとか?」
「ただの船大工じゃよ。その昔は、都で先帝の船を任されていたものじゃ」
「うへぇ、凄いじゃないか」
牢に近づくに連れて悪党たちの騒ぎ声が聞こえてきた。
色々な声が入り混じっているが、大半はヘンリーを褒め称えるか蔑むものばかり。
格子扉を前にしてごくりと生唾を呑む少年兵は緊張から尿意を覚えた。
「じ、爺さん。そういえば厠に行きたいって言ってたよね? おれも行きたくなったから、一緒に行こう」
「しょうがない奴じゃ。とっとと済ませるぞ」
最寄りの厠に駆け込んだ二人は並んで用を足す。冷静になってみればこんなことがバレたら叱責どころか任務放棄の疑いで独房に入れられるかもしれない。見張りの兵士が牢に入るなんて冗談ではない。と、落ち着くのと同時に焦りを感じた少年兵が戻ろうとキールに言おうとしたとき、後頭部を金槌で殴られ、気を失ってしまった。
「連中の居場所が分かれば用済みじゃ。悪く思うな」
キールは少年兵の軍服を剥ぎとって掃除用具が入った個室に彼を放り込み、老兵に成りすましてウィンドラスたちが収容されている区画へ侵入した。夕食を終えて一息吐くウィンドラスたちはこれといった妙案も浮かばず、気を紛らわすために雑談に興じていた。
「船長、今頃ミイラになっちまったかなぁ?」
「料理長! 縁起でもないこと言うなよ! 船長はきっと無事だって。ウィンドラスさんもそう思うよね?」
「ああ……そうであってほしいね」
彼は珍しく無気力な顔を浮かべていた。一見すると考えを巡らせているようにも伺えるが、頬杖をついて虚空を眺めているあたり、そうでもないようだ。グレイウルフ号の頭脳があれではタックたちも一層不安に駆られてしまう。
黒豹は黒豹で周りの連中との口喧嘩に疲れ、固いベッドに寝転がって天井を睨んでいた。強がっていてもやはり彼女もヘンリーのことを案じて止まなかった。ルーネがいたから降伏したのも仕方がないとは思うが、しかし、本来ならば決して降伏などせずに海の底に散る男だ。だからこそ惚れている。
ただただ悔しい。カットラスさえあればここの兵など物の数ではなく、ヘンリーを救出出来る自信があった。全員が口惜しく、悶々としていたとき、兵士に扮したキールが顔をのぞかせたのはまさしく僥倖だったといえよう。
「情けない顔をしておるのぉ、若造ども」
「キール爺さ――むぐっ!?」
思わず大声を出しかけたタックの口をハリヤードの手が塞ぐ。
すぐさまウィンドラスが小声で話しかけた。
「グレイウルフは?」
「岸に係留されておる。見張りはおらん」
「船長は何処に?」
「まだ分からんわい。あんたらを見つけるので精一杯じゃ。年寄りに無理をさせるな」
怪しまれないように小声で話すキールは懐から針金を取り出し、背中越しにウィンドラスと黒豹へ手渡した。鍵さえ開けられれば牢など単なる鉄格子の扉に過ぎない。
だが企みというものは得てして上手くいかないことが多く、やりとりを見ていた囚人が声をあげた。
「おい爺さん! いま何を渡しやがったんだ! 俺にもくれよ!」
その声に周囲の兵士たちも反応し、更に殴って気絶させた少年兵も兵士たちに異変を訴えた為に異常を報せる警報が監獄に鳴り響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます