海戦 ⑤

 ロイヤルハウンド号は勝利の美酒に酔いしれていた。

 帝国最大の敵を拿捕したばかりか、暗殺されていたと思われていた皇女を奪還したのだから。

 都へ戻れば末端の水兵に至るまで勲章が授与され、この栄光は未来永劫語り継がれることだろう。


 少年兵でさえ、我こそが救国の英雄だと鼻高々だった。

 海賊たちも今では最下層の牢獄の中。決して逃げることは出来ないように見張りは三交代、海賊全員に手錠がはめられていた。

 生き残った海賊たちは幹部も含めて35人。そして船長のヘンリーは部下たちとの連携を断つために隔離され、当然の如く警備も一層厳重であった。


 さて、故郷の軍隊に救助された皇女ルーネフェルトは見窄らしい水夫の服からローズの予備の軍服に着替えさせられ、今は艦長用のキャビンを充てがわれていた。

 温かな紅茶に菓子が供され、他にも粗相がないようにというローズの気遣いが多々あった。

 ルーネはローズと面談の最中、やはり心ここにあらずといった具合で、生き延びていたことを喜ぶローズの言葉の大半を聞き流してしまった。


「殿下? お加減が悪いのならば、船医を呼んで参りますが」


「いえ、大丈夫です。でも驚きましたわ。まさか貴女がこの船の指揮をしていたなんて」


 臣下の手前、ヘンリーたちと同じように気さくに話すわけにもいかず、しぶしぶと宮廷言葉を選んで話を進める。


「それはこちらも同じです。まさか、殿下が生きておられたとは……さぞや辛い思いをされたこととお察し申し上げます。ですがご安心ください。このローズ・ドゥムノニアが、必ずや宮殿へお送り致します」


「頼もしい言葉、嬉しく思います……あの者たちはどうなるのですか?」


「ヘンリー・レイディンは重罪人です。絞首刑は免れません。他の者たちも罪は重いですが、私も騎士です。悪党とはいえ、約束は守ります。が、無罪放免というわけにもいきませんので、刑務所にて生かすつもりです。帝国の法を犯した報いを受けねばなりません」


「そう、ですか……」


 ルーネの顔に陰が落ちる。ヘンリーが吊るされる場面を想像しただけで全身の毛が逆立ち、鼓動が乱れた。何とかして彼を助けたい。他の者たちも、仲間を助けたい。

 しかしローズは見ての通りだ。とても釈放を願い出たところで聞き入れて貰えるとは思えず、また皇女にそのような権限もない。軍艦の指揮官はあくまでも艦長である。たとえ皇帝であってもこの権限を奪うことは許されていないのだ。


「少し、休みます。考えたいことがあるので」


「承知いたしました。どうぞごゆるりと」


 何が皇女だ。何が帝位継承者だ。無力な自分が恨めしい。

 勿論帝国と臣民たちが大切だ。だが共に旅をした仲間たちも、どうにかして救いだしてあげたい。刺客から命を救ってくれた恩人たちに報いずして、どうして国を治めることなどできようか。


「ローズ! お待ちなさい!」


 決然とした声色が退室しようとした彼女を呼び止めた。


「如何なさいましたか?」


「話があります。帝国の将来に関わる重大な話です」


 皇女の口から語られた数々の真実。権限が無いならば、ローズの裁量に全てを委ねる他にない。そして彼女の心を動かすには嘘偽りのない真実を語るより他に無く、これまでの経緯を包み隠さず語った。生き延びるために海賊の見習いとなったことも、キングポートにて刺客に命を狙われたことも、またヘンリーによって保護されていたことも全て。


 椅子に腰掛けて皇女の話を聞いていたローズは、少なからず動揺した。


 皇女の言葉が信じられぬ。否、信じたくなかった。


 生来の潔癖ゆえ、帝室に弓を引くような貴族がいるなど考えたこともなく、更に海賊が皇女を保護するなど如何なる空想物語にも載っていない。海賊とは悪なのだ。絶対的な敵なのだ。


 頑なに信じて疑わない彼女だが、ほかならぬ皇女の口から語られた話を無碍にも出来ない。


 一体なんと答えればいいのか分からないまま、低く呻くような声をあげてしまったローズにルーネは畳み掛ける。


「賊とはいえ、命を救われた恩を返さずして民を導けましょうか。ですが私にはその権限がなく、ただ貴女の裁量に委ねるしかありません。そして私の命を狙う者は、未だ爪を研いでいるはず。私が都へ戻れば、恐らく……」


 するとローズは慌てた素振りで彼女の前に跪いた。


「殿下! 恐れながら、私は軍人です。帝室のため、祖国のため、ただ勝利することしか考えたことがありません。殿下が仰られていることが真実か否か見極められるほど、私は聡明ではありません。ただ与えられた使命を果たすだけ。しかし殿下、どうかこのローズ・ドゥムノニアにお任せください。如何なる貴族であろうとも、殿下の御身は私がお守り致します」


「では、彼らについては?」


「……暫し、考える余地を頂きたい。これよりヘンリー・レイディンを尋問致しますので」


「くれぐれも手荒な真似はせぬように、お願いします」


「善処致します」


 一礼した後に退室したローズは部下にヘンリーを連行するように命じ、艦長室にて皇女の言葉を脳内で何度も反芻する。これではどちらが英雄か分からないではないか。しかし討伐を命じられている以上、何としてもヘンリーを監獄に送り込まねばならない。


 そして絞首刑に処してこそ彼女の使命が果たされるのだ。むしろ重要なのは皇女暗殺の件だ。


 皇女の手前、少し見栄を張ったことを言ってしまったが、相手が帝国中枢に関係しているとなれば手の出しようがない。ローズは士爵とはいえ所詮は海軍の一艦長にすぎない。


 艦隊提督や海軍大臣ならばまだしも、小娘の戯言だと門前払いを喰らうにきまっている。


 かといってこのまま都に戻り、皇女に万が一のことがあれば大事件だ。


 仮に皇女が言うようにヘンリーが暗殺一派に謀られたのだとすれば、同じように謀られ、フォルトリウ伯のように身分を剥奪されるかもしれない。それだけは何としても避けねばならなかった。ドゥムノニア家は末端ながら皇祖と共に建国のために戦った名門だ。


 家名を汚され、父と共に白い目で見られることを考えると体が震えた。


 そんなとき、水兵に手錠の鎖を曳かれたヘンリーが艦長室に顔を出した。


 強制的に椅子に座らされ、縄で上半身と背もたれが巻きつけられていく。


「いてて……随分と用心深いじゃねぇか。お嬢さんよ」


「口を慎み給え。君は囚人だ。今すぐマストに吊るすことも出来るのだぞ」


 艦長の席に着いた彼女は鷹のように鋭い目でヘンリーを見据える。


「自己紹介でもしておこうか。私はローズ・ドゥムノニア。栄えある帝国の軍人だ」


「今更な気もするが、ヘンリー・レイディンだ。ちょいと前までは私掠免状を持っていたんだが、今ではしがない海賊だ。そいつももうすぐ終わるのだろうが。で、俺と何を話そうっていうんだ? 騎士さま」


 正直、ローズは何を聞くべきか迷っていた。この際彼の罪状を明らかにしたところで状況がどうなるわけでもなく、皇女についても、ローズは彼のことを信用することは出来なかった。


 相手は海賊。適当なことを言って罪を逃れようとするに違いない。

 故に、皇女から聞き及んでいる範囲で問い詰めることとした。


「何故……皇女を殺さなかった? あるいは帝国に身代金を請求することも出来たはず」


「……あれは、俺が刺客の依頼を達成して少し経った日だった。俺の部下が密航者を見つけてなぁ。そいつは生きたい一心で見習いとして船に乗せてくれって言い出した。見た目が水夫の格好をしていたもんだから、俺もすっかり騙されたぜ。皇女であることがわかったのはキングポートで一悶着あってからだ」


 ヘンリーは傍若無人に足を組んで尊大な態度を取った。


 もう首を吊られることは確定しているのだから、特に遠慮する必要もない。


「しかし、君にとっても皇女は邪魔者だったはず。キングポートに置いていく気は無かったのか?」


「そりゃぁ、お前。あいつはうちの見習いになったんだ。仲間を見捨てておけるかよ」


「刺客はなにか言っていたか? 黒幕の名や、あるいは組織など」


「さあな。だが、あのフォルトリウの野郎もまんまと騙されたぐらいだ。黒幕はかなり力があるやつなんだろうよ。なにせ、あんたら軍もまんまと動いているじゃねぇか」


 痛いところをつかれてムッとする彼女に、更に言葉を紡ぐ。


「俺は、政治だとか、小難しいことはわからん。だが、あるいはあいつを殺そうとしているのは、帝国そのものなんじゃないか? あいつに逃げ場なんて無いんだよ。俺のような、どうしようもない奴のところぐらいでしか、あいつは自由になれん」


「思い上がるな!」


 机を叩いたローズがヘンリーに掴みかかる。


「貴様などに何がわかる! 卑しい海賊風情が、殿下の苦悩を理解出来るはずがない!」


「ならお前さんは理解出来るってのか? 笑わせるな。誰も理解なんかしてやれんよ。そいつはただの同情だ。俺はただ、あいつに生きる選択を与えただけに過ぎん。船を降りることも出来たろう、皇女として死ぬことも出来たろう、身分なんか捨てて海賊として生きることも出来たろう。この先もあいつは自分の生き方を自分で見つけていく。そして苦しみ続けるんだよ! お前のような、国の為だとか何とか言ってる連中があいつの選択を奪うんだ! あいつを玉座に座る人形にしちまうんだ! 生き方を選べん人生に価値なんてねえよ!」


 捲し立てるヘンリーの言葉にローズは圧倒された。


 王はその星の下に産まれた者が自然と玉座に座るものであり、帝国でいえばブレトワルダ家に生を受けた者が代々玉座を守り、国を治めてきた。だが玉座を辞した皇帝は未だかつていない。それは各々が自らの運命を享受していたからだ。


 故に外野がとやかく言うことでもない。


 そう反論しようとしたローズだったが、何故か言葉が喉から出てこない。


 かつて宮殿で見かけた皇女の顔を思い出した。


 神が創りだした人形のような麗しさだった。

 そう、人形のように……彼女は笑っていなかった。宮殿の舞踏会でも、また楽師たちによる演奏会でも、彼女は無機質なほほ笑みを浮かべてばかりだった。


 それがどうだ。先ほどの皇女の目に輝く生気の程は。

 とても海賊たちに犯され、汚された者の目ではない。

 加えてヘンリーの怒りに満ちた言葉だ。


 海賊ごときが皇女の閉ざされていた心を解き放ったとでもいうのか。

 ただただ帝国とブレトワルダ家を大事に思っている我々ではなく、こんな男に皇女は笑顔を見せたのか。慈悲を願う程に皇女は心酔したのか。まさかこの男を愛しているのか。


 ローズの心に激しい嫉妬の火が燃え盛った。


「……尋問は終わりだ。引き続き厳重に投獄せよ」


「おい、冥土への土産教えてくれ。これから何処へ行くつもりだ?」


 すると彼女は酷くサディスティックな笑みで答えた。


「フフフ、貴様に相応しい地獄だ。未だかつて生きて出た罪人はいない死の監獄島……アビス」


 途端にヘンリーの目の色が変わった。神をも畏れず、国を相手に舌なめずりをする程の男の目に浮かぶ色は、ほかならぬ、恐怖であった……。


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