VOYAGE 6

監獄 ①

 監獄島アビス――帝国が誇る巨大な犯罪者収容所。

 島全体が、さながら要塞のように堅牢な石造りの建物となっており、狭い水路を越えた先に、唯一の出入り口である巨大な鉄格子の門が皆の息を呑ませた。


 甲板に出ている水兵や海賊たちも、その圧倒的な城壁に言葉を失っている。

 城壁には狙撃用マスケットを携えた歩哨たちが大勢おり、さらに主だった出入口は明かりが灯されて闇に紛れる事もできず、周囲は流れが激しく岩礁も多い。


 たとえ城壁を乗り越えたとしても船が無くては脱出不可能。

 そして船の出入口は目の前にある巨大な鉄の門だけだった。

 ロイヤルハウンド号が近づくとボートが寄ってきて所属を申告するように求められた。

 海賊ヘンリー・レイディンを連行した旨を伝えるとにわかに監獄全体が慌ただしくなり、直ちに特別房が用意され、船も修理のために港のドックへ入れられた。


 鎖で繋がれた海賊たちが船から降ろされ、それぞれの檻へ収容されていく。

 近日中には裁判を経てそれぞれ罪を背負って生きていくことだろう。

 一方、ヘンリーは収容されている犯罪者の中でも特に危険人物として監獄島の最奥に位置する牢獄に案内された。地下三階の狭い通路には兵士が何人も見張りに立ち、各階に完全武装した者たちが更に控えている。


「VIPルームとは、俺も出世したもんだねぇ」


 と、軽口を叩くヘンリーは牢獄の中においても手足を鎖で繋がれ、まさしく捕らえられた狼のように拘束されてしまった。食事も扉の小窓から与えられる為、次に開くのは彼が裁判を受け、絞首刑に処せられる日のことだ。歴史に名を刻んだ大悪党もここで最期の日を待ち、自身もそれに名を連ねると考えると妙に痛快で、ヘンリーの愉快げな笑い声が見張りの兵士たちを震え上がらせた。


 一方でルーネは監獄島の責任者から歓待され、ちょっとした歓迎式が催された。

 所長は貴族ではないが肥え太った大男で何処と無く下品で俗物な雰囲気を漂わせており、ルーネにワインや種々のご馳走を勧めながら一人で勝手にしゃべり続けている。


「いやはや、しかし何とも殿下にお越し頂けるとは身に余る光栄でございます。このような場所故に貧相な料理しか用意出来ませんが、どうぞお寛ぎくださいませ」


「心遣い、嬉しく思います」


 適当に返事をする彼女は堅苦しい空気にほとほと疲れ、知らず知らずのうちに溜息が漏れていた。こんなことをしている場合ではない。どうにかしてヘンリーを始めとした仲間たちを救い出さねばならない。

 が、その権限も所長にある。国家の運営を円滑にするために分権を選択した祖先の気持ちも分からないではないが、こうも権威ばかりで権力が無いというのも考えものだ。

 いっそのこと中央集権の絶対王政ならばこんな苦労も無かったろうに。


 この皇女の命が聞こえぬのか! 下郎!


 と、出来れば言ってみたい。


 しかし、言えぬ。言ったところで心配無用と相手にされないだろう。

 歯軋りをしたい思いをグッと堪え、何とか方法があるはずだと思案に暮れる彼女の側で、所長は相変わらずしゃべり続けていた……。


 場所は変わって此処は士官用の寝室。

 ローズはランプの灯りに照らされ、羊皮紙を広げたまま唸っていた。

 本国へ報告書を送らねばならないが、暗殺の件もあり、どこからどこまでを報告すればいいのか迷うに迷っている。

 ヘンリーを逮捕したことは無論報告するが、皇女に関しては如何にするべきか。


 軍人なので真実のみを報告せねばならないのは当然心得ているが、大臣を通して中枢の貴族たちにも必ず伝えられる。ならば都に帰還した途端に手を打ってくるはずだ。


 船の修理もかなり時間がかかる。

 何せ砲列甲板を食い破られたのだから。


 しかしローズ自身、此処には長居したくなかった。

 所長の性格も気に食わないが、此処は数多の犯罪者たちが収容されており、牢獄に近づけば怨嗟の声が否応なしに聞こえてくる。

 殺人犯、政治犯、詐欺師や大物ギャング、そして海賊や山賊。

 あらゆる悪党が鉄格子の中で個人的な最後の審判を待っていた。


 キングポートがこの世の吹き溜まりなら、ここはこの世のゴミ箱といったところか。

 正常な人間ならゴミ箱の中ではとても寛げない。

 故にローズは歓迎式が終わった後は皇女を部屋まで護送し、早々と用意された部屋に籠もった。

 とにかくあの所長と同じ空気は吸いたくない。

 今頃士官や水兵たちは風呂で体を洗い、酒を飲み、戦友同士で娯楽に耽っていることだろう。

 ローズは娯楽や遊興に興味がない。

 我ながら損な性格だと思いつつもこうして報告書を書こうとしているが、どうにもこうにも筆が進まなかった。


 さて、そんなゴミ箱の仲間入りをしたレイディン一家。

 黒豹など、幹部たちも他と同じように囚人として投獄され、ご近所が新入りが来たと騒ぎ始めた。

 中には自分の犯罪自慢をする者もいたり、あるいは明日処刑されるので静かに瞑想している者などなど、様々な連中が好き勝手に喋っていた。


「はぁ、とんだところに来ちゃったねぇ。ヘンリーは大丈夫かな?」


 船長を案じる黒豹は一応女ということで独房だったが、隣にはウィンドラス、ハリヤード、そしてタックが収容されていた。


「恐らくは大丈夫だと思うけれど、彼は……絞首刑は免れないだろう」


「ウィンドラスさん、俺達はどうなるのかね?」


「船長は自身と引き換えに我々の助命を乞うていた。あの女性艦長や司法が義理堅ければ、少なくとも首吊りは無い……と、思いたいところだが」


「ね、ねえ。オイラも吊られるのかな?」


「タックはまだ子供だ。子供を処刑したとあっては帝国も対外的に印象が悪くなるから、それは無いだろう。心配なのは船長もそうだが、ルーネのことだ。皇女として国へ戻れば再び刺客が現れるだろう。彼女がどういう行動に出るのか、何とも予測がつかない」


「へいへい、ウィンドラスにしては随分と頭が冴えないじゃないのさ。オレは分かるよ。あの子が何を考えているのか。きっとオレたちを助けようと動くに決まってる。ヘンリーも、どうにかして助けようとする。そうに決まってる」


 確かに今までの彼女のことを考えれば充分有り得る話だが、ウィンドラスは皇女にそこまでの権限がないことを知っている為、とても楽観的になれなかった。


「おい新入り! お前ら何処の悪党だ! 何やらかした?」


 向かい側の檻の連中が声をかけてきた。


 苛立っていた黒豹が敵意をむき出しにして応える。


「うるせぇ! レイディン一家を知らんのか!」


 すると今まで騒いでいた連中が急に黙った。


「レイディン一家だって? そりゃ、あれかい? あの、ヘンリー・レイディンの一家かい?」


「そうだよ! 文句あんのか、こらぁ?」


 次の瞬間、島中に響かんばかりの歓声が黒豹たちを包み込んだ。

 半分は驚きと歓び、もう半分はブーイングだ。

 向かい側の男は前者だった。まるで英雄が凱旋したかのような熱狂ぶりだ。


「ひゃっはっは! こいつぁいい! 遂にレイディンも儂らの仲間入りってこった! 聞いてるぜぇ? 帝国の皇女をぶっ殺したって話をよぉ。いやぁ、痛快でたまらねぇ! よくやってくれた! あんたらの船長は英雄だ!」


 わけが分からずぽかんとしている彼女に、ウィンドラスが注釈をつける。


「ここにいるのは帝国に恨みを持つ連中ばかりだ。帝国の柱である彼女が死んだと思って喜んでいるんだろう。全く、下衆の勘ぐりとはこのことだ。放っておいたほうが賢いよ」


「なあ、あいつら殴っちゃダメ?」


「コレ以上面倒なことを起こすべきではないよ。それこそルーネが動きにくくなる。今や我々の命運は彼女の行動次第だ。それまでは大人しく過ごすしかない」


「悔しいなぁ! オイラたちにも何か出来ないかな?」


「タック、焦りは禁物だ。ウィンドラスさんの言うとおり、ルーネちゃんを信じようじゃないか。逃げるにも体力がいる。あの壁を見ただろう? 海も荒れている。ウィンドラスさん、策だけは考えておいたほうがいいと思うのだがね」


 ウィンドラスは応えず、何処を見るでもなく黙り込んだ。

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