漂流 ④

 宴は夜になっても続いていた。

 篝火が焚かれ、食べ物も飲み物も無くなる気配がない。

 なにせ港の住人たちが汗水流して働き、家族のために蓄えた食料だ。

 あるいは商人が危険な海を乗り越えて運んだ酒樽だ。

 それらを蹂躙するかのように食べつくし、飲み干す海賊たちの宴。

 これほどの悪徳も早々ない。


 港には理不尽な暴力と殺戮によって地に埋まる者たちの怨念で満ちていよう。


 ルーネもそれらを口にした。罪悪感は無い。

 何せ他国の領地、他国の民だ。

 これが帝国の港であれば決して手はつけないし、ヘンリーにも抗議していたことだろう。

 だが此処は他人の土地。

 亡くなった者たちは気の毒に思うし、冥福も祈る。


 だが罪の意識はない。

 それもまた帝国の常識であり、彼女の常識であった。


 岸壁に座り、タックと一緒にリンゴを齧る。

 ルーネは今までと同じように振る舞っているが、隣に座るタックはどことなくぎこちなかった。

 ちらちらと彼女の表情を盗み見ては視線が重なって顔を逸らしている。


「どうしたの? さっきから」


「いや、あの……驚いた。ルーネがさ、お姫様だったなんて」


「絵本に出てくるようなお姫様じゃないよ、私。それにお姫様なんて嫌いだもの。今のほうがずっと好き。タックとお話したり、ハリヤードさんのご飯を食べたり、黒豹姉さんと一緒に寝たり……船長の見習いをする今の方が、ずっと……ねえタック。お願いがあるんだけど」


「なに?」


「ピストルの撃ち方、教えてくれない?」


 其の頃ヘンリーは島の長の屋敷に居座って酒を飲んでいた。

 ひと通り仲間たちと酌み交わした後は人知れず一人になり、紫煙をくゆらせながら海図を睨む。


 やはり母港を失ったのは手痛い。

 略奪で交易品を得ても金に換えることも出来ず、金に換えたところで物資に換えてくれる商人もいない。

 追手のことも気がかりだ。

 あれほど用意周到に暗殺計画を立てていたからには、軍も容易く動かせるだろう。

 既に出航しているものと見て間違いない。

 元より海賊は追い追われる身なので別段焦ることもなかったし、この島で休息し、万全の状態であれば相手が軍艦でもそれなりに戦える自信もある。


 ただし、ルーネが乗っていなければ、の話。


 いくら見習いだと言ったところで皇女は皇女。

 万一のことがあったらそれこそ面倒なことになる。

 かといってむざむざ帝国に引き渡せば彼女の命もない。


 八方ふさがりだった。

 どうやってもルーネを軸に次の行動を考えねばならない。


 しかし行動するにしても後ろ盾も頼れる人間もおらず、ただただ追われる日々が待っているのだ。

 皆の士気を如何に維持するのか、船長としての責務が肩にのしかかる。

 大きな欠伸をして四肢を伸ばしていると、不意にピストルの発砲音が聞こえた。


 もう追手が来たのかと慌ててバルコニーに飛び出して望遠鏡で港を見ると、ピストルを構えたルーネがタックにあれこれと指導されながら、樽の上に置かれた空瓶に狙いを定めている。

 面白そうなのでそのまま様子を伺っていると、ルーネが放った弾丸は瓶に掠りもせずに樽へ命中した。

 構えもなっていない、腰も引けている。

 発射したときの衝撃に驚いて銃口も跳ね上がっている。

 あれでは当たるものも当たらない。

 第一動き回る人間や動物が相手ならまだしも、樽から動かない瓶を相手に当てられないというのは笑いを通り越して呆れる他になかった。


「あいつめ、ヘッタクソだなぁ。先が思いやられる」


 酔っ払った水夫たちもゲラゲラと笑っていた。

 中には手本を見せてやると言って見事に命中させた者もいた。


 するとルーネは頬を膨らませ、意地になって次の瓶を樽に乗せる。


 ヘンリーは射撃の下手さに閉口しつつも、彼女が自ら戦う術を学ぶ姿勢は内心で高く評価していた。職業柄争いは避けられない上に刺客に狙われているとなれば、誰でも身を守る術を学ぼうとするだろう。自らの牙は自らが磨く。それもまた海に生きる者の掟だった。


 己もそうやって生き延びてきたのだから。


 物心ついたときから生きるために奪い、殺し、血の池の中で吠えてきた。

 獣のように。獣は神など信じない。仮に神が存在するのならば、是非ともその面を拝んでみたい。そして人間が地をのたうち回る様を高みから嘲笑う綺麗な顔に鉛球をぶちこんでみたい。何故俺のような男を産んだのかと問い詰めながら八つ裂きにしてやりたい。


 脳裏に女の声が響く。腹を痛めてこの世に産み落とした我が子を忌み嫌い、一度も抱くことが無かった、母親と宣う女の声。たかだか産まれた時点で左目が潰れていただけなのに、まるでゴミのように赤子を海へ捨てた女の言葉。


――お前なんて産まなければよかった……呪われた子なんて、産まなければよかった。


「チッ」


 ヘンリーはワインを飲み干して湯を熱くない程度に沸かし、石造のバスタブに貯めて身体を洗った。


 風呂には馴染めない。嫌いではないが、長い航海をしていると湯で身体を洗う習慣がつかないのだ。しかし、温かい湯を浴びると疲れが取れる。思えば心から安らぐ休日など数える程しか無い。キングポートに居た頃も事あるごとに喧嘩に興じ、海に出れば殺しと略奪に勤しみ、また港に戻れば酒に酔って馴染みの娼婦と情事に溺れる。


 面白おかしい日々だが、安らぎはなかった。

 娼婦たちも見た目は美しくとも金には汚かった。

 故に彼女たちに惚れるようなことも無く、まともな女はヘンリーを恐れて近づこうとしない。

 そもそもまともな女がキングポートに存在しないのだが。

 風呂から上がったヘンリーは濡れた身体を拭き、早々とベッドに横たわった。


 さて、十発ほど弾を無駄にすると流石にコツを掴んだのか、何とか動かない標的に命中させることが出来た。あたりに立ち込める硝煙の匂いに咽るルーネは手取り足取り教えてくれたタックに礼を言い、眠気を覚えて彼女も呑気に欠伸した。


 水夫たちも酔いが睡魔を誘い、思い思いの家のベッドを占領していく。


 無人となった町を丸ごと好きに使えるというのは妙に心を沸き立て、タックと一緒に手頃な寝床を見つけ、ベッドに腰を下ろした。ハンモックに比べると寝心地も段違いだ。


 しかし今朝まで本来の家主が暮らしていただけあって家の中は生々しい生活感に溢れ、二人が休む部屋も元々は子供部屋だったのか、可愛らしい人形や玩具が無造作に転がっていた。


 勿論、その子らも今となっては親と一緒に土の中。


 顔も知らない他国の民とはいえ、流石に心にチクリと刺さるものがある。


 複雑な顔をする彼女を覗きこむタックが心配そうに話しかけた。


「どうしたの?」


「ううん。なんでもない。もう、過ぎたことだから」


「も、もしかして、まだ怒ってるの……?」


 タックの質問の意図が読めずに首を傾げると、彼は気まずそうに指を弄りながら、さも申し訳なさげにつぶやく。


「だ、だからさ……オイラが、その、おっぱい見してって言ったこと……」


「ぷっ、アハハハ!」


 色々なことが起こりすぎてすっかり忘れていたルーネは堪らず噴き出してしまい、タックはタックで何故彼女が笑うのか分からなかった為、あたふたと狼狽し始めた。


「な、な、何がおかしいのさ!」


「ごめん……フフッ……タックって意外と引きずるタイプなんだね?」


「笑うなよぉ。こっちは真剣に謝ってるんだからさぁ」


「ごめんね。別に、怒ってなんかないよ。あのときはビックリしただけだし、タックも男の子だもんね」


「そんな風に言われたらこっちが恥ずかしいよ! ああ、もう! お風呂沸かしてくる!」


 逃げるように部屋から飛び出した友人を見送ったルーネは、おもむろにベッドから立ち上がると、床に転がっていた人形を抱き上げた。白いドレスを着た女の子。王冠を被っているところを見ると、これはお姫様だろうか。


「貴女も私と同じだね……」


 ルーネは毛糸の姫君を机の上に置き、タックが沸かした風呂に入ることにした。


「いいの? 私が先に入っても。タックが沸かしたんだから、先に入ってもいいのに」


「えっと、あれだよ。そう! レディファーストってやつ」


「……覗く気じゃないでしょうね?」


「まままま、まさかぁ! そんな、あははは」


 ジトーっとした彼女の疑わしい視線に笑って誤魔化すあたり、図星だったようだ。


「覗いたら黒豹姉さんに言うからね?」


「だ、だから覗かないって! 部屋に戻ってるからさぁ」


 必死に言い繕うタックを無視して風呂場のドアをピシャリと締め、両手で湯を身体にかけていく。自慢の髪の毛もここのところ潮風にあてられて少し傷んできたような気がする。


 ふと我が身を見下ろしたが、お世辞にも女性らしい体つきとはいえない。


「はぁ~……私も黒豹姉さんみたいになれればなぁ。大体、なんで男の人って胸ばっかり見るんだろう? どいつもこいつもバカなんだから」


 己の貧相な胸に対する僻みにも聞こえるのはさておいて、入浴を済ませたルーネはタックと交代し、部屋の窓を開けて涼しい潮風にあたりながら月の光を反射する水平線を見つめた。


 寝静まった岸壁に係留された灰色狼も戦いや嵐からようやく解放され、無人の船体を月下に浮かべている。だんだんと愛着も湧いてきた。


 なにせ今では彼女こそがかけがえの無い家なのだから。


 タックが濡れた髪を拭きながら部屋に戻ると、ルーネは窓枠にもたれたまま眠っていた。


 風をこじらせてはジブの餌食となるので、彼女をベッドに運ぼうと手を伸ばしたタックであったが、ルーネの肌に指先が触れる直前で手を止めた。


 彼の中の天使と悪魔が左右の耳にささやいてくる。


 今がチャンスだ。惚れた少女の裸体を堪能しろ、と。

 はやく彼女をベッドに運べ。姫は紳士にこそ好意を向ける、と。


 暫しの葛藤の後、タックは起こさないようにルーネを抱き上げ、ベッドに寝かしつけた。


「おやすみ、オイラのお姫様」


 彼女の頬にそっとキスをした少年もまた、安らかな夢の淵へ落ちていった。

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