漂流 ③

 リンジー島は南方に広がる諸々の島の一つであり、他国の領土の中では最も帝国の勢力圏に近く、キングポートほどの要衝で無いにしても商船が立ち寄る小規模の港として知られていた。


 島全体が鬱蒼としたジャングルとなっており、港のすぐ側にまで森林が広がっている。

 占領しても大した旨味が無いために今まで帝国から攻撃されることもなかったが、島民たちもまさかこんな航路から外れた港を襲うことは無いだろうと高をくくっていた。


 時は明け方。

 未だ水平線から太陽が昇らず、闇に包まれていた空が徐々に白み始めた頃。

 グレイウルフ号は音もなく島に近づきつつあった。

 明け方は襲撃に最も適した時間帯だ。

 多くの島民たちは未だ眠っているか、早起きが日課の者も目覚めたばかりで微睡んでいることだろう。


 井戸端で顔を洗う青年が港に近づくグレイウルフを見つけた。


 またぞろ航路から逸れた商船か何かだろうと特に気にすることもなく家へ戻ろうとしたとき、グレイウルフのマストに黒旗が掲げられた。

 同時に左舷の砲列から砲煙が噴き出し、飛来した砲弾が港の倉庫や町の見張り台を吹き飛ばす。

 騒ぎに驚いた島民や宿泊していた船乗りたちが一斉に家の中から出てきたとき、彼らの視界に、ボートに乗って上陸してくる海賊たちが映った。

 数はそれほど多くはないが砲撃によってすっかり縮み上がっていた彼らに抵抗する意思も度胸もなく、いの一番にリンジー島の土を踏んだ黒豹が高らかに叫ぶ。


「港の長を出せ! 船長から話がある!」


 まもなくリンジー島の長老が人々の間から這い出てきた。


 同時に船長のヘンリーも上陸し、皆が見守る中、ヘンリーは港に置かれていた樽を椅子代わりに座って高圧的な態度を取る。長老は地に両手をついてすっかり怯えきっていた。グレイウルフ号に掲げられた旗に覚えがあるからだ。他国の人間にとってヘンリーは悪魔そのもの。


 帝国では国家公認の私掠船だが、他国からすれば見境のない海賊以外の何者でもない。


 尤もヘンリーの場合は私掠船になる以前から海賊として近辺を荒らしまわっていたし、事実今現在も純粋な海賊に逆戻りしていた。


 長年港を管理し、また訪れる船乗りたちからその悪名ぶりを聞いていた故に、目の前にいる男の機嫌を損ねればどんな目にあうか分かったものではない。


 一方のヘンリーは半ば拍子抜けをしていた。リンジー島が取るに足らない港だということは知っていたが、まさかここまであっさりと上陸出来るとは思ってもみなかった。


 また島民たちが一切抵抗することもなく膝をついているのも張り合いがない。吹けば消えてしまいそうな蝋燭のように意気消沈しているではないか。


 これでは立退きを言い渡す際に心が痛むと、ヘンリーは口の端を釣り上げた。


「突然押しかけてすまんな。ちょいと船の補給と修理に協力して貰いたいんだが」


「は、はい……我々に出来ることならば、なんなりと」


「それは大いに助かる。では食料と修理に必要な資材を明け渡して貰おうか」


「どうぞ。お好きなだけお使いください……」


「それともう一つ頼みがあるんだがな。暫く此処で休息を取りたいと思っている。だが海賊を受け入れてしまったとなっちゃぁ、あんたたちも本国からお叱りを受けるだろう。巷では海賊への協力は世界共通の罪というではないか」


 一体ヘンリーが何を言いたいのか分からず、島民たちが互いに顔を見合わせていたとき、ヘンリーは長老にピストルを向けた。


「リンジー島は必死の抵抗も虚しく海賊たちに占拠されてしまった……これであんたらの面目も立つし、胸張って安心して死ねるだろうよ」


 無慈悲に放たれた弾丸が長老の額を貫き、血の中に斃れた長を前に島民たちが逃げ惑う。だがヘンリーが指をパチンと鳴らすのと同時にグレイウルフの水夫たちが襲いかかり、町は一瞬にして殺戮の舞台へ変貌していった。


 船に残されたウィンドラスは望遠鏡で事の顛末を見守っていたが、惨劇に耐え切れずに見るのを止めた。彼は十字を切って神に許しを請い、同じく留守番を命じられたタックは同行出来なかったことを悔しがった。


 島民の立退きはすぐに終わった。それだけでなく停泊していた船やその乗員も攻撃の標的となり、すっかり人気の無くなった港を占拠したヘンリーたちは早速町の店などに押し入って食料や必要な物品を頂戴していく。


 死体は纏めてジャングルに埋められた。申し訳程度に立てられた木製の墓標には『勇敢なるリンジー島の住民一同、ここに眠る』と刻まれていた。


 船の修復も船大工のキールを先頭に進められ、またジャングルへ狩りに出かけた黒豹たちが猪や子鹿を捕らえ、ハリヤードの手によって解体された後に保存が効くように燻された。


 また酒場から大量の酒樽が持ちだされ、乗組員たちはキングポートでの休暇を取り戻すべく、岸壁にて盛大な宴が催された。出来立ての燻製肉や略奪した酒を飲み、家主がいなくなった民家で久方ぶりの柔らかなベッドに横たわる。更には風呂を沸かして汗と返り血を洗い流す者もいた。


 略奪を終えて部下たちが楽しむ様を見届けたヘンリーは船に戻り、ルーネが幽閉されている船倉へ足を運ぶ。


「ヘンリーだ。入るぞ?」


 ノックをして呼びかけると、ルーネの声が返ってきた。


「船長? どうぞ……」


 ドアが開かれ、ヘンリーは船倉の床に腰を下ろす。


「済まないな。窮屈な思いをさせちまって。さっき港に入ったところだ。これから皆で宴をするからお前も来い」


「……いいの? 私が出歩いていても。船長だって気づいているんでしょ? 私のこと」


「ああ。皇女様なんだってなぁ」


「……ごめんなさい。私、皆のことを騙してた。皇女であることが知られたら殺されるかもしれないと思って、嘘をついたの。あのときは助かりたくて何も考えられなかったけど、今にしてみれば、あのとき船と一緒に沈んでいたほうが良かったんじゃないかって思うの。船長だって迷惑でしょ? 私みたいなのがいるから、こんなことに巻き込まれて」


「まあ、そうさな。おかげで私掠免状も取り消されたし、俺の人生計画も大いに狂った。帰るべき港も無くなって、正直メチャクチャ参ってる」


 頬杖をつき、指先で帽子をくるくると回す彼の口調は少々軽かった。

 俯き、小刻みに震えながら唇を噛むルーネを前にしたヘンリーは回していた帽子を彼女の頭に無理やり被せる。


「うわっ! な、何するの?」


 抗議する彼女の頬をヘンリーの指が摘む。


「生憎と俺は陸の法律だとか制度だとか、そんなものは端から眼中にないんだ。言ったはずだぜ? 俺の船に乗るからには貴族だろうが奴隷だろうが関係ない。たとえそれが皇女だろうが皇帝だろうが、だ。お前は俺の船に乗っている限りは見習いの小娘だ。お前さんは生き残った。生き残ったからには生きなきゃならん。それともここで船を降りて国に帰るか? それもお前さんの自由だ。このまま俺たちと一緒に海を彷徨うのも自由だ。俺も人間、お前も人間。人間なら自分の生き方は自分で決めろ」


「……私は――」


 生き方の選択など無いものだと思っていた。自由な世界など夢物語。皇女として産まれたからには一生宮殿の中か、あるいは玉座に君臨するのが逃れられない運命だと疑わなかった。


 そんな彼女の常識が彼の言葉によって音を立てて崩れていく。


 己は自由というものを勘違いしていたのではないか。自由とは気ままに、好き勝手に生きることではない。自由とは選択すること。羅針盤で進路を定めるように、自分の生き方を自分で決める。選択なき自由はあてもなく海原を彷徨うに等しい。


 人生の漂流だ。

 ただ潮の流れに任せ、惰性に溺れることもまた人生の漂流だ。


 故に自らの手で舵を切り、方角を定め、流れに逆らってでも前に進まねばならない。


 遂に彼女は違和感の正体を探り当てた。


 綺羅びやかな宮殿と貴族たちの自由と、薄汚れた船と海賊たちの自由の違いを。


 全身が震えた。心が躍動した。

 ルーネは俯いていた顔をあげ、ヘンリーに笑いかける。

 その目は今までになく輝き、生気に満ち溢れていた。


「私、まだ答えは出せない。でも、きっと自分の生き方を決めてみせる。それまではどうか船長の見習いとして船に乗せてほしい。今はそれが私の選択」


「上等だ。それでこそ俺の船の見習いだぜ。さあ、こんな陰気なところからはさっさと出て、キングポートの続きといこうぜ」


「待って。一つだけお願いがあるの」


 彼女がヘンリーに願いでたこと。

 それは彼を驚かせるのに十分だった。


「本当にいいのか? 覚悟はあるんだろうな?」


「うん。もう皆に、自分に嘘をつきたくないの」


「……いいさ。自分が信じることをやればいい」


 ルーネが船長に連れられて船倉から甲板に出ると、港では水夫たちが傍若無人に大騒ぎしていた。小さいが港町もある。しかし住民の姿は一向に見当たらない。


「ねえ、町の人たちは?」


「知りたいか?」


「ああ、いい。もう分かったから」


 大まかな成り行きを察した彼女はそれ以上考えるのを止め、皆のもとへ向かう。


 閉じ込められていた彼女が出されたことは水夫たちにとっても喜ばしいことで、ジョッキを掲げて見習いを出迎えてくれた。特にタックはルーネの顔を見た途端に駆け出した。


「ルーネ! 出してもらえたんだね!」


「うん。ごめんね、心配かけて。皆もありがとう。そして、ごめんなさい。私、皆に言わなくちゃいけないことがあるの!」


 彼女の声を聞いた水夫たちが集まってくる。料理の手を止めたハリヤードも、風呂で体を洗った黒豹も、船の修理を中断したキールも、怪しげな薬草をたんまり摘み取ったジブも、皆が彼女の言葉を固唾を呑んで待った。緊張で上手く言いたいことが纏まらない彼女の背をヘンリーがぽんと叩き、目立つように酒樽の上へ立たせた。


「わ、私は……」


 深呼吸をして気持ちを整えた彼女は静かに、しかし力強く己が名を告げる。


「私は、ルーネフェルト・ブレトワルダ。それが本当の名前。先の皇帝、エグバート・ブレトワルダの娘です!」


 キングポートでの騒動、そして明かされぬ理由による幽閉。


 学び舎を出ていない末端の水夫でさえ彼女が只者ではないと気づいてはいたが、いざ目の前に立つ見習いが皇帝の娘だと聞かされても実感が沸かず、皆ぽかんと口を開けたまま硬直していた。


 しかし年老いたキールだけは違った。


 酒に侵された身を屈め、膝を地につけて頭を垂れる。


「おいおい爺さん、戻すなら向こうでやってくれよ」


「……バカタレ。そんなんじゃないわい。儂はのぉ、その昔は宮殿お抱えの船大工だったんじゃ。先代様には目をかけていただいたけぇ、その娘様に頭を下げるのは当然じゃ。皇女殿下は母様にそっくりじゃぁ」


 しみじみと遠い昔を思い出すキールはいつになく饒舌で、樽から飛び降りたルーネが彼の肩を支えて立ち上がらせる。


「いつしか私を見つめていたのは、母の面影を感じていたからだったのね?」


「そうじゃ。あんたの蒼い目が母様にそっくりじゃ。しかしあんた、何でこんなところにおる?」


 乗員共通の疑問をキールが問いただし、ルーネは今までの経緯を包み隠さず語った。


 先の航海で襲撃した船に乗っていたこと、他国へ外遊しようとしていたこと、また女帝即位に反対する貴族たちがいること。それらを鑑みて、一連の流れが彼女の暗殺であることをヘンリーが結論付けた。


 彼女は改めて皆に頭を深々と下げる。


「ごめんなさい! こんなことに皆を巻き込んでしまって」


 私掠免状の剥奪もフォルトリウ伯と黒尽くめの刺客による謀略だったと聞いた水夫たちは、専ら自分たちを利用してルーネに手をかけようとした連中に怒りの声を上げた。ルーネ自身への批難は、驚くべきことに、ひとつもなかった。


「ルーネちゃんは悪くねぇ!」


「そうだ! ルーネはうちの仲間だ!」


「こりゃ飲み直さないと腹の虫がおさまらないぜ! なあ、野郎ども!」


 皆内心驚いているだろうに、誰もが愉快に笑い飛ばしていた。


 ヘンリーと同じように彼らも小難しい政治の話は分からないし興味もない。


 誰もが暗い過去を抱えている。故に仲間の過去を特別に気にすることもないし、仲間の身分に気遣うこともない。彼らにとってルーネとは見習いの女の子。皇女だろうが何だろうがこれだけは変わらない。むしろ、宮殿で豪勢な暮らしをしている皇女が、こんな汚らしい船乗りの下っ端になっているというのが堪らなく痛快であった。彼らにとって忠誠を誓うべき相手とは皇帝や帝国ではなく、他ならぬ船長のヘンリーその人だけなのだから。


「ケッ、どいつもこいつも脳天気なもんだ。これで満足したか? ルーネ」


「うん……みんな、ありがとう」


 滲む涙を指で拭った彼女の手をタックが取る。


「ルーネ、一緒にご馳走食べよう!」


「うん!」


 友人と一緒に駆けていく見習いを見送ったヘンリーもまた、幹部たちのテーブルへ腰を下ろす。表では平気な顔をしていても事態は深刻だ。


 なにせ帝国の継承者を乗せているのだから。


 暗殺を目論む連中がどんな手段に出るか分からない上に、彼女が生きているとなれば必ず奪還するために軍が動き出す。早急に生き残る道を模索せねばならなかった。

 

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