VOYAGE 4

漂流 ①

 キングポートから遥か北方、切り立った断崖絶壁に挟まれた海峡の奥に広い湾があり、その辺りに純白の宮殿が佇む帝国の都が自らの栄光を誇示していた。


 この海峡は潮の流れが複雑で舵の効きも悪く、現在わかっている海域の中でも特に難所と言われていた。


 さらに断崖絶壁の上には無数の砲台が設けられ、外敵の侵入を一切許さない。


 その天然の要害に守られた帝都は勃興以来400年の平和を保ち続けており、豊かな文化と綺羅びやかな町並みが臣民の自慢だった。

 岸壁から家屋に至るまで全て純白の石材で組み立てられ、赤いレンガ通りは常に清潔に保たれており、市場に並ぶ品々も各地から運ばれてきた交易品や装飾品がところ狭しと並べられていた。


 また、都の一角には巨大なテントが張られており、中に入れば猛獣使いや曲芸師による盛大なサーカスが催され、また奴隷たちが剣闘士として血で血を洗う競技と、それに伴う賭け事が臣民たちの心を沸き立たせていた。


 何よりもこの白き都を訪れた旅人の眼を引くのが、帝国の象徴である巨大な宮殿であった。


 都を見下ろす丘の上に設けられた絢爛豪華な意匠が際立つ六階建ての宮殿には赤や黄のバラが中庭を彩り、シャンデリアに照らされた廊下は黄金や琥珀がこれでもかというほどに用いられ、帝国の紋章である薔薇の王冠を被った獅子が描かれた絨毯も異国で編まれたものである。


 しかしその綺羅びやかさと相反するように、宮殿内の空気は不穏そのものだった。


 先の皇帝の崩御によるところも大きいのだが、外遊に出かけた皇女ルーネフェルトの失踪は混乱する宮中に痛烈な衝撃をもたらした。帝国にとって最優先事項は他国を占領することではなく、帝国が帝国たる所以であるところの、帝位の継承だ。


 特に先帝は世継ぎになり得る赤子を多く作ることが出来なかった。


 故に一人娘のルーネフェルトに帝位が回ってきたのだが、女帝であることへの不安も相まっていたところにこの報せである。宮中の混乱は極まり、慌てふためく貴族たちをまとめ上げていたのが、先帝の弟にしてルーネフェルトの叔父にあたる大公ジョルジュ・ブレトワルダだった。


 先帝の弟という立場は求心力を自然と生み出し、座すべき君主がいない玉座の間にて開かれた会議ではジョルジュ公が最も上座であった。臨席するのは帝国の内政を預かる宰相や陸海軍大臣、そして帝国各方面を統治する貴族の当主たちによって構成されていた。


 貴族といっても必ずしも皇帝の血族ではなく、建国に伴って資金的、または軍事的に協力した末端の市民たちの末裔である。領地を如何に治めるかも余程の有事がない限りは貴族に一任していた。彼らに求めるものは唯一つ、帝国と、帝国の長たるブレトワルダ家への忠誠だけ。


 今回の議題は無論のこと、皇女ルーネフェルトの失踪に関してである。


 特にジョルジュ公は深刻に考えていた。なにせ外遊を勧めたのは他ならぬ手前なのだから。


 尤も、勧めたのは皇女と二人きりのときであったし、貴族たちはあれこれと実のない話や悲嘆にくれるばかりで一向に対策が見いだせない。


「諸侯、どうか冷静に議論して頂きたい。我々が右往左往していては、亡き陛下もお嘆きであろうぞ。皇女殿下は必ずやご存命であると信じるのは無論のことであるが、万が一の事態にも備えねばならぬ。即ち帝位を誰が継ぐか、ということだ」


「それは当然、亡き先帝の弟君であらせられる、大公以外にはありえますまい!」


 一人の貴族が声をあげた。しかしジョルジュは頭を振る。


「確かに吾輩は恐れ多くも先帝の弟であるが、齢五十を過ぎ、跡継ぎもおらぬ。これでは一時的には玉座を埋められるだろうが、その後に同じ問題を繰り返すことになろう。まずは皇女の捜索に全力を挙げ、皇女暗殺を企てた不埒者を征伐せねばならん」


 皇女暗殺という言葉にその場がざわめいた。


「大公殿下、今しがた聞き捨てならぬ言葉が聞こえましたぞ。皇女が、暗殺されたと」


「如何にも申し上げた。憚りながら我が姪は年端もいかぬうちに女帝の地位を約束された。それを疎む輩も多かろう。古来より帝位とは男児が継ぐもの。また、帝国が占領した土地の民は元々異国の人間。帝室への恨みも深かろう。殿下が座乗されていた船が行方不明となったのは我が国の領海、細かく申せば、南方のキングポートなる小島の近海と信頼できる筋から情報を得ておる」


 すると多くの者たちが憤りと共に大公へ詰め寄った。


「大公殿下、我らを疑っておいでか! 我が祖先は卑しくも皇祖と共に轡を並べ、この国を盛り立てた。帝国への忠誠、些かも疑いなし」


「勿論諸侯が忠義の士であることは重々承知しておる。また、不埒者の見当も既についておる」


「その不埒者とは!」


 皆を落ち着かせたジョルジュ公は咳払いの後に告げた。


「ヘンリー・レイディン……海賊あがりの私掠船の長。キングポートを治めるフォルトリウ伯爵から先日通報があった。その、レイディンなる賊が持ち帰った銀が、殿下が座乗されていた船に積まれていたものと合致すると」


「なんと! あの近辺の取り締まりはフォルトリウ伯の責務であったはず!」


「うむ。しかも伯は聞くところによると、本土への通達なく私掠免状を発行していたと専らの噂。かなり私腹を肥やしていたようだ」


「俗物めが! あろうことか殿下が賊の手にかかるのを見過ごすとは! 大公、如何に処分されるおつもりか?」


「フォルトリウ伯は爵位剥奪の上、領地没収。これに異議のあるものは?」


「異議なし!」


 全員一致でフォルトリウ伯の破滅が確定した。


 場の空気は一挙にフォルトリウ伯の失態への怒りと海賊征伐の流れへと切り替わった。


 皇女の生存が絶望的であることを皆が悟ったのである。また、口には出さずとも、女帝への即位は誰もが不満だった。先程は保身のために詰め寄ってみせたが、女帝を疎む輩と聞いたときはほぼ全員の顔色が変わったことを、ジョルジュ公は見逃さなかった。


 彼に帝位を勧めたのもその表れといえよう。


 さて海賊征伐は当然の如く海軍の管轄である。

 ジョルジュ公は海軍大臣に所見を求めた。


「誰がその任に相応しいか?」


「我が第一艦隊に、適切なものがおります。こと海賊退治に関してはどの将兵よりも情熱があり、任務を完璧に遂行する実力もあります。また、若くして騎士(ナイト)に叙されており、必ずや殿下のご無念を晴らしてくれましょう」


「では人選は大臣に一任する。これにて閉会とする」


 会議の閉会と共に大臣から艦隊司令官に対してヘンリー・レイディン追討の命令が下され、さらに大臣が推薦した艦長が海軍本部へ招致され、そこで任命式が執り行われた。


 大臣直々に任命書と黄金のサーベルが授与された艦長は流麗な手さばきでサーベルを抜き、刃を顔の前に立てて騎士の礼を取る。

 凛とした顔立ちは薔薇の如く、背まで伸びた銀色の髪、ルビーのように紅い瞳、華奢な体に纏う金糸で装飾された青い肋骨服に、肩章の他多数の勲章が付けられ、腰まで伸びた真紅のオーバーコートがよく似合っている。


 また、純白のズボンを締める革のベルトには、海軍将校が誇りとする恩賜の短剣が吊るされていた。


「海軍勅任艦長ローズ・ドゥムノニア士爵。海賊ヘンリー・レイディン討伐を命ず」


「我が命に替えましても、必ずや賊を征伐してご覧に入れます」


 麗しき女性艦長の評判は艦隊内でも高く、命令を拝したローズは直ちに帝都を出港する。


 ロイヤルハウンド号――全長204フィート(62メートル)、排水量2000トン、二層の砲列甲板を備え、砲門数は48門に達する帝国きっての大型の猟犬フリゲート


 その巨大な船体が海峡の渦をものともせずに外洋へ進出し、海の狼を追って波間を駆ける。多くの海軍水兵たちが規律正しく動き回る中、ローズは艦長室にて女性従兵に自慢の髪を櫛で梳かせながら紅茶を嗜む。


 その優雅な顔には絶対的な自信と同時に、海賊に対する怒りの炎が宿っていた。


 目指す先は南方に広がるマーメリア海。

 灰色狼の縄張りへ向け、猟犬は海原を征く……。


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