謀略 ⑤

 テーブルに並べられた種々の料理と飲み物が皆の心を踊らせ、久方ぶりの新鮮な食材に夢中になった。

 山盛りの脂滴る骨付き肉、活きが良い魚介類、マッシュポテト、ゆで野菜、濃厚なチーズに瑞々しいフルーツの数々。

 エールもラムもワインも飲み放題で、すっかり船乗りの食卓になれていたルーネも取り皿に料理を盛り付けては口に運んでいた。


 とくに甘酸っぱいフルーツが嬉しかった。

 肉も嫌いではないが、豪快に焼かれたそれはルーネの小さな口では食べにくかった。

 逆にタックは口の周りを脂でベタベタにしながら肉に喰らいつき、黒豹から野菜も食べろと弟のように嗜まれている。

 ハリヤードは店の料理に一々点数をつけていた。


「この魚はスパイスが足りないな。俺ならもっとこう……」


「気に入らんなら俺が食ってやってもいいんだぜ?」


「おっと船長、乗組員の取り分を盗むのは流刑ですぞ?」


「ヒヒヒ。スパイスが足りんのならこの粉末をだねぇ」


「隣の席の皿に盛っちまいな! オレたちを実験台にするんじゃないよ」


 騒ぎ立てる面々を傍目に見るウィンドラスはワインを舐めるように味わいながら、ゆで野菜やポテトにフォークを伸ばしていた。とても上品で音を立てない食べ方に、宮殿でテーブルマナーを仕込まれてきたルーネも舌を巻く。段々と自分の食べ方が恥ずかしく思えたが、しかし周囲の空気がテーブルマナーとは程遠かったので気にせず食事を続けた。


 元々音楽や歌で騒々しい店内だったが、ヘンリーたちの宴は特別席も相まってかなり他の客から目立つらしく、はじめてキングポートに立ち寄った船乗りたちは不満げだった。


「なんだ彼奴等、えらそうに。何者だ」


 強面の船乗りに尋ねられたウェイトレスは苦笑いを浮かべた。


「ああ、やめておきなさい。レイディン一家よ」


「うげっ! レイディンって、あの?」


「ええ。前にも喧嘩をふっかけて返り討ちにあったお客さん、沢山いるんだから」


 他国の商船乗りからすれば名前を聞くだけで逃げ出す。時に腕に自信がある猛者が挑むこともあるが、十中八九は這々の体で店から出て行くのが常だった。といっても喧嘩などこの街では日常茶飯事。まるで踊りの続きと言わんばかりに、そこいらの酒場や踊り場で誰かが気絶して病院送りにされる。ほろよい気分になったヘンリーも黒豹も、どこかに良い相手はいないかと探し始めていた。


「ウィンドラス! たまにはオレと踊らないかい?」


「謹んで遠慮させて貰うよ。喧嘩に巻き込まれるのはゴメンだからね」


「あぁん? それでも海の男かぁ! 女の誘いを断るなんてぇ、だらしないぞぉ」


 黒豹の絡み酒にウィンドラスが適当に対応している間、ルーネとタックも会話に花を咲かせていた。


「オイラ、どうにも魚って苦手なんだよなぁ」


「そう? 美味しいのに」


「味は好きなんだけどさ、骨が鬱陶しくて。オイラ、ナイフとフォークが上手く使えないんだ」


「じゃあ教えてあげる。お魚はね、こうやって……」


 巧みに魚の身を剥がしていくルーネにタックはすっかり見惚れてしまい、ルーネはルーネで今まで学んできたことを活かせて嬉しく思っていた。腹が満たされれば身体を動かしたくなるもので、ハリヤードと黒豹がこぞって皆が踊る中へ飛び込んでいく。


 店内に流れる演奏もより軽快な音楽へとかわり、かき鳴らされるギターやヴァイオリン、カスタネットに合わせ、見知らぬ相手の手を取り合って自由に踊りまわる。


「ルーネ! タック! お前らも一丁踊ってこい!」


 背後からヘンリーに襟を掴まれた二人はそのままダンスの渦中へ放り投げられた。


 危うく床に鼻を打ちそうになったルーネはヘンリーに抗議の視線を送るが、タックに手を取られて踊りの輪に加わった。宮中の舞踏会とはまるで違う賑やかで愉快な踊りに、ルーネも次第に夢中になっていく。黒豹たちも身体を動かせば動かすほどに酒が回り、時に隣で踊る誰かの足を踏みつけることも多々あった。


「いってぇな、このアマぁ!」


「あははは! ごめんねぇ」


 怒りが収まらない男が黒豹のシャツを掴み上げる。


「ははぁん、てめえヘンリーのところの女だな!」


「だったら何だってのさぁ!」


 男が黒豹の膨らみを鷲掴みにすると、次の瞬間には黒豹の鉄拳が男の腹筋にねじ込まれてた。


「オレの胸を揉もうなんて百年早いってのぉ! さあ、オレと踊りたいやつはかかってきな! 勝ったやつには一晩でも二晩でも抱かせてやるよ!」


 肌が褐色とはいえ、黒豹の引き締まったスタイルは女に飢えた男たちにとって堪らなく魅力的に思えたのか、その一言で次なる宴のゴングとなった。血気盛んな男たちと一部の女たちによる大乱闘。タックとルーネは踏みつけられないようにその場から脱し、ヘンリーのもとへ駆け戻る。


「どうだ! 楽しいだろう!」


「もうメチャクチャだよ! でも、楽しい!」


「はっはっは! そうだろう! 覚えておけ! 俺達船乗りは明日にも海の底に沈むかもしれん。だから生きている間は、こうやってバカみてぇに目一杯楽しむのさ!」


「あんまりやりすぎたら捕まっちゃうかもしれないよ!」


「上等だ! 俺はな、楽しく短く図太く生きるがモットーなんだよ! さて、ちょいと俺もひと暴れして……」


 と、諌めるルーネの言葉をさらりと受け流したヘンリーが乱闘の中へ飛び込もうとしたとき、その右目が近づいてくる黒尽くめの男を捉えた。ヘンリーに襲撃を依頼し、フォルトリウ伯の館から今しがたこの食堂に辿り着いた、帝国本土からの密使。


 だがそんなことを知る由もないヘンリーは帽子を掲げて男を歓迎する。


「よぉ、旦那。とんずらされたのかとヒヤヒヤしていたところだ」


「レイディン船長。依頼の件は、滞り無く達成してくれたらしいな」


「ああ。楽な仕事だったぜ。おかげで俺たちは、こうやって馬鹿騒ぎ出来る。しかしあんたも頼むことがえげつないねぇ。乗員の皆殺しとは、そんなに自分たちの商売敵を潰したかったのかい?」


「まあ、そんなところだ。邪魔者は排除するに限る……っ!?」


 男の視界にルーネの姿が映ったとき、カッと眼が見開かれた。


 額に冷や汗が滲み出し、平静を装っているが明らかに動揺している風だった。


 ルーネもその男の刺すような視線に気づき、咄嗟にヘンリーの背後に隠れる。


「船長……乗員は、確かに、全員始末したのだな?」


「勿論だとも」


「その死体の中に少女はいなかったか! 長い金髪にサファイアのように青い目の、綺羅びやかなドレスを身にまとっていた少女が! そう、ちょうどあの娘のような!」


 男の真意を測りかねたヘンリーは肩をすくめた。


「さあな。船は爆破しちまって、一々死体の確認なんてしてないぜ。こいつはうちの見習いだ。襲撃の後にうちの船に隠れていたのを見つけてな。中々度胸のある奴だ。なあ、ルーネ」


「……」


 ルーネは答えない。

 この男から放たれる視線には異様な空気が混じっている。

 殺気……そう、明確な殺意を含んだ冷酷な視線にルーネの背筋が寒くなる。


「ルーネ……という名なのか?」


「そ、そうよ」


「それは本名か? 本名は、ルーネフェルトではないのか?」


 瞬間、ルーネの周囲に流れていた時間が停止した。


 この男は自分の正体を知っている。


 そして皇女が乗っていることを知っていながら、ヘンリーに襲撃させ、乗員を皆殺しにしようとした。否、乗員ではない。皇女を、帝国の継承者を、ルーネフェルトという少女をこの男は殺そうとしていた。驚愕のあまり否定の言葉が浮かばない。あれほど賑やかだった店内の音楽も乱闘の怒声もルーネの耳には届かず、ただ、目の前の男が図星をつかれて固まる少女に向かって歩み寄り、袖の下に仕込んでいたナイフを取り出し――。


「おい、うちの見習いに何しようとした?」


 男の喉元にヘンリーのピストルの銃口が押し付けられた。


 氷水のように冷たい男の殺気も、獰猛な狼の一瞥によって消え失せている。


 だが男はあくまで平静を装っていた。


「この娘を引き渡して貰いたい」


「そいつは出来ん相談だな。失せろ。今なら見逃してやる」


「それはこちらの台詞だ。この娘から一切の手を引け。今なら見逃してやろう」


 パチンと男が指を鳴らすと喧騒の中に紛れていた、黒いフードコートに身を包む刺客が一斉にナイフやピストルを取り出して特別席を包囲した。ウェイトレスたちが叫び、周囲の客たちも何事かと乱闘を止めてそちらを凝視する。ウィンドラスやタックも銃を構えて威嚇するが、刺客はざっと数えて十人。


 男が勝ち誇ったように笑みをこぼす。


「悪いことは言わん。大人しくその娘を引き渡すだけでいい」


「なるほど。俺に依頼したのは、その娘を始末させようって腹だったわけだ」


「少々予定が狂ったが、あとはこちらで処分させて貰おう。さあ、銃を下ろしたま――」


 男が全てを言い終わらないうちに、ヘンリーの銃口から発砲炎が噴き出し、鉛球が男の喉を貫いた。口から血を吹いた男がルーネに向かってナイフを投げようとするが、腕をヘンリーに捻り上げられてナイフが宙を舞い、それを掴んだヘンリーは刺客の一人に飛びかかって喉笛を切り裂く。


 一瞬のうちに二人を仕留めた彼の手際に刺客たちも咄嗟に動くことが出来ず、さらに騒ぎを見た黒豹が刺客の背後から襲いかかり、ハリヤードも酒瓶を振り下ろして刺客を気絶させた。


 ジブはジブで、嬉々としながら試験薬をメスに塗って刺客を斬りつけ、薬を注入していた。


 神経が麻痺して崩れ落ちながらジブの腕を掴む刺客の頬を、ジブの手がなで上げる。


「さて問題。今お前さんに投与したのは薬か毒か、残念、毒だぁ! ヒィッヒッヒッヒ! あの世でもお大事にぃ!」


 タックはルーネの手を引いて店の外へ駆け出し、ウィンドラスは二人を援護してピストルを放つ。店の外では突然の銃声に驚いた人々が野次馬となり、その中にはグレイウルフの水夫たちの姿もあった。


「ウィンドラスさん! どうしたんですかい?」


「ルーネが狙われている! 船長と黒豹の加勢に行ってくれ!」


 聞くやいなや水夫たちは腰の剣や斧を引っ提げて店内に押し寄せ、怯えきったルーネが窓から見える店内を伺うと、カットラスを抜いたヘンリーがさらに一人を斬り伏せ、持ち替えた二丁のピストルを撃ちまくっている様が見えた。やがて十人いた刺客を始末したヘンリーや黒豹、そしてハリヤードたちが店から出てきた。


「船に戻るぞ! 今すぐに!」


 街路を駆けるヘンリーたちの頭上、宿の二階の窓ガラスが割れ、そこから弾丸が何発も打ち込まれた。水夫の何人かが犠牲になりつつも繁華街から脱した彼らの前に、マスケット銃を構える私兵部隊を引き連れたフォルトリウ伯が立ちはだかった。


「ヘンリー・レイディン! 皇女暗殺の罪により、私掠免状の剥奪、及び法廷への出頭を命ずる! 大人しく投降したまえ! 従わぬ場合はこの場で処罰する!」


「てめえ! 顔だけじゃなく頭まで真っ白になっちまったのか! どけ!」


「領主への侮辱罪も加え、処刑を執行! 撃ち方用意!」


 三十名の兵士たちが皆を取り囲み、銃剣つきのマスケットをヘンリーたちに向ける。


 背後からは残りの刺客も迫っていた。


 タックと黒豹に見を守られているルーネは自責の念に駆られた。


 いっそのこと、ここで出て行って皆の助命を乞うた方がいいのではないか。


 たとえ謀略の刃に命を落とすことになっても、一時とはいえ、一人のルーネという少女に自由を与えてくれた仲間を道連れになどしたくない。


 皇女というしがらみから解放されるのならば……。


 そんな風に考えていたルーネに、タックが声を震わせながらも笑いかける。


「大丈夫だよ……オイラが、絶対守るから」


 ハッと思考が切れて顔を上げたとき、眠るように沈黙していたグレイウルフから突如として砲声が轟き、ヘンリーたちがいる広場に三発着弾した。土煙が巻き上がり、砲弾の衝撃が兵士たちをひるませた。


「今だ! 畳んじまえ!」


 号令一下、包囲していた兵士たちは対処出来ないまま斬り伏せられ、背後の刺客たちも砲撃によって足止めを食らっている。癇癪を起こして喚き散らすフォルトリウ伯のすぐ目の前にヘンリーが迫った。


「ま、待て! 落ち着け船長! これは、その、違うんだ!」


「へえ、そうかい! 実は前々からあんたに言っておきたいことがあったんだよ!」


「な、なんだ! なんでも言ってみたまえ!」


「死ね、バーカ!」


 ヘンリーの拳がフォルトリウ伯の白粉顔にめり込み、鼻から血を垂れ流しながら彼は石畳に沈んだ。


 幸いにもグレイウルフ号に兵士たちはおらず、フォルトリウ伯の詰めの甘さに感謝しつつ甲板へ躍り出ると、船大工のキールが甲板砲に腰掛けてラムの瓶をラッパ飲みしていた。


「爺さんが撃ったのか! おかげで助かったぜ!」


「……逃げるなら早くせんか、バカタレ」


 すぐにヘンリーが出航命令を出し、黒豹に率いられた水夫たちがマストへ登り、係留索は斧で切断された。兵士たちも岸壁に殺到してしきりに射撃しているが中々命中せず、船からの砲撃によってすっかり戦意を失っていた。


 各マストの帆が展開して港の外へ向かう中、ウィンドラスが進言する。


「我々は私掠免状を失いました。すぐに追手が来るはずです。今のうちに幾らか沈めておきましょう」


「ウィンドラスにしては大胆な意見だな! よし、港内の軍船に狙いを定めろ!」


 グレイウルフ号のカノン砲が一斉に発射され、停泊していた軍船のほとんどが大破、または着底し、夜の闇に紛れた狼は母港を後にした。何とか外海に逃れた一同はホッと作業を一段落させるが、ヘンリーは黒豹を呼び出して命令を下す。


「ルーネを部屋に閉じ込めておけ。一歩も外へ出すな」


「幽閉するってのかい? 酷いことするんじゃないだろうね?」


「今はウロチョロされるわけにはいかん。俺も、考える時間が欲しい」


「……わかったよ」


 ルーネは甲板に座り込んでいた。両手で足を抱えて俯き、タックが心配そうに声をかけても反応せず、ただ塞ぎこんでいる。そこへ黒豹が近づいてルーネを無理やり起こした。


「悪いけど、船長命令であんたを部屋に閉じ込めないといけなくなった」


「……分かっています。私のせいだもの……すぐに船から降りていたら……あのとき、海賊になりたいなんて言わなければ……こんなことにならなかったのにっ」


 黒豹の平手打ちがルーネの頬を赤く染めた。

 鈍い痛みに涙が滲むが、黒豹に胸ぐらを掴まれて顔を引き寄せられる。


「何言ってんだい! あんたらしくもない! オレはそんな弱い子を妹分にした覚えなんてないよ! あんたが何処の何者だろうが関係ない! あんたはオレたちの仲間だ! 家族だ! だから守った! ヘンリーだって同じ気持ちのはずだ! ゆるさないよ。如何なることがあっても仲間を裏切らないこと、それがうちらの掟だ! オレたちの気持ちを裏切ることなんて絶対にゆるさないからね!」


 ルーネの眼から熱い涙が溢れだした。打たれた頬が痛いからではない。

 心が、痛かった。皆の優しさと温もりが心に刺さった。

 そして自分の浅はかな考えを悔やんだ。嗚咽し、黒豹の胸元に顔を埋めてルーネは泣きじゃくる。


 黒豹もまたルーネの弱々しい背を力強く抱きしめ、彼女を空になった船倉の一室へ幽閉した……。

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