謀略 ④

 フォルトリウ伯はいつになく不機嫌だった。


 執務室を苛立ちながら歩きまわり、時にカーテンや机に置かれた本に八つ当たりをしている。ヘンリーのことだ。たかが海賊上がりの私掠船の船長が、わざわざ貴族から晩餐会の誘いを受けたというのに無碍に断った。


 しかも秘書の報告では仲間を引き連れて下々が食い散らかす餌場に向かったというではないか。顔に泥を塗られた怒りは並大抵ではなく、彼は如何にして不埒な輩に思い知らせてやろうか考えていた。


 しかし彼が持ち帰った銀の山がフォルトリウ伯の心を惑わせる。


 ここで手討ちにすれば自分自身の収入が減る。

 それでは意味が無い。


 かといって中途半端な嫌がらせでヘンリーを本気で怒らせれば、一味を引き連れて乗り込んでくるかもしれない。


 元が海賊だ。帝国の法などまるで眼中にない。こちらがヘンリーを蔑むように、向こうも自分を蔑んでいるはずだと、彼は憤慨しつつも妙に冷静だった。


 そもそも初対面のときからヘンリーはフォルトリウ伯を忌み嫌っていたし、フォルトリウ伯自身も海賊というものが気に入らなかった。


 財宝の山を抱えて館に乗り込んできたときも今日と同じように悩んだ。悩んだ末に、私掠免状を与えて利用することにした。


 後から聞いた報告では、ヘンリーが免状の交渉をしている間、港では彼が以前に使用していた海賊船の砲がこの館に向けられていたという。免状を断ったりヘンリーに手を出せば館ごと木っ端微塵にしようと企んでいたのだ。ヘンリーはそれが出来る男だ。故に貴族といえども手出しを躊躇う。自身を危険に晒すことだけはなんとしても避けたい。


 そういう臆病なところがフォルトリウ伯の長所であり短所だった。


「何か……何か上手い手はないものか……」


 呟きながら席に着いた彼のもとへ秘書が訪れる。


「失礼致します。閣下、本土から使いの者が館を訪れました。是非閣下にお会いしたいと」


「そんな話は聞いていないぞ」


「どうやら極秘事項のようで」


「ふん、通しなさい」


 苛立っている時に限って客が来るもので、しかし本土からの使節となれば粗相な程度を見せるわけにもいかず、乱れていた髪に櫛を入れ、襟を整えて虚栄の伯爵たる威厳を保った。


 ドアがノックされ、執務室に入ってきたのは帽子を深々と被った黒尽くめの男だった。


 男は帽子を取って帝国式のお辞儀をしてフォルトリウ伯の機嫌を伺う。


「突然の来訪で失礼致します。何分、緊急の案件ですので無礼はお許し願いたい」


「許すか許さぬかは、案件次第といったところだね。まあ、かけなさい。紅茶でも如何かね? それともワインがお好みかな?」


「いえ結構。案件というのは、次期女帝ルーネフェルト・キャロライン・ブレトワルダ皇女殿下についてですか」


「緊急の案件でフルネームでお呼びすることもなかろう」


 鬱陶しそうに用件を急かすフォルトリウ伯に男が耳打ちすると、彼はサッと顔色を青ざめた。


 おそらくは彼の人生の中で最も衝撃的な事件であったろう。

 皇帝の崩御を聞いたときのほうが余程冷静に受け止められた。

 老いた皇帝の先は短いと見込んでいた上に、自分の身の振り方も考えていたからだ。


 しかし今回は違う。あまりにも唐突。

 しかも直接我が身に災いが降りかかってくる非常事態。


 皇女ルーネの行方不明。


 キングポート近海、海賊による襲撃の可能性大。

 そしてキングポート近海の海賊取り締まりの責任者こそが、このフォルトリウ伯だった。


「な、何かの間違いではないのかね?」


「いえ。殿下が座乗されていた船が中継地点に到着していない報せが本土へ届けられました。また、それらしき船を目撃した船乗りもおりません。ただ一人を除いて」


「それは誰か!」


 机を叩くフォルトリウ伯に、男は諭すような声色で呟く。


「覚えておられるはず。ちょうど殿下の船がこの近海へ達する頃、この港を出た船を」


「まさか……いや、しかし。あ奴は帝国の私掠船。それに証拠も動機もない」


「証拠ならばありますとも。今回彼が閣下に献上した銀塊は、南方の諸国へ贈呈するものと一致しております。また彼が皇女暗殺を企む輩と契約を交わしたことも突き止めております。無論、その首謀者は既に捕らえ、証言を得ております」


 理路整然と説く男にフォルトリウ伯はすっかり動揺してしまい、手が小刻みに震えている。


 もはや虚勢は崩れ、ただ自分の身を案じてしかいなかった。


 出港の許可を出してしまった以上、皇女暗殺に関与したと本土で噂されれば終わりだ。


 爵位は剥奪、下手をすれば何もかもを失いかねない。


 いまや彼は目の前にいる男だけが頼りであり、目の前にいる男に己の全てを握られていた。


「私はどうすればいい?」


「簡単なこと。彼の逮捕に協力していただきたい。勿論、協力していただければ、貴方に責任がいかぬように便宜致しましょう」


 男の笑みはまさに悪魔のそれだった。握手は悪魔の契約だった。


 男が執務室から出て行った後もフォルトリウ伯は暫しそこから動くことが出来ず、心配した秘書が駆け寄ると、糸が切れた人形のように脱力して笑い声をあげた。


「ははは……何をやっているんだ、私は……」


「閣下、お疲れのご様子ですし、今日はもう休まれたほうが」


「うるさい! 私に指図するな! 私は伯爵だぞ!」


 喚き散らすフォルトリウ伯は執務室から秘書を追い出し、自慢のワインを浴びるように飲み続けた。芳醇な香りも味も感じられず、ただ酔いたいがために、ただ目の前の現実から逃げ出したいために。


 そこには伯爵という肩書でしか生きることが出来ない、哀れで無力な男しかいなかった……。

 

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