謀略 ③

 日付が変わり、昼食を済ませた頃になると、ヘンリーが覗きこむ望遠鏡のレンズにキングポートの入り口である灯台が見え始めた。水夫たちも入港用意の配置につき、甲板に慌ただしい足音が響き渡る。

 グレイウルフの他にもキングポートに立ち寄る商船や同業者が同じ航路を進んでおり、中には隣に並んで気さくに声をかけてくる同業の私掠船もいた。


「よお、ヘンリー! 今日もたんまり稼いできたのか?」


「まあな! お前にも一杯奢ってやるよ!」


「そりゃいい! 忘れるなよ!」


 獲物を追っている間は稼ぎを争うライバルだが、いざ母港へ帰るとなれば同じ船乗り仲間として盃を交わし合う。他国の商船は彼らを忌み嫌って近づこうとしないが、帝国の商船に乗っている商人は笑顔で手を振ってくる。

 多少値をぼったくっても気前よく金貨を払ってくれるならこれほど美味い儲け話もない。やがて港から小舟が近づき、水先案内人パイロットが乗り込んできた。


 水先案内人とは港の出入りや海峡などの難所を案内する船乗りで、キングポートの決まりで慣れた船も必ず乗せるようになっている。ウィンドラスが不満なのはその費用だった。


 大して難しくもない航路で通常の三倍の金額を分捕っていくのだから。


 船の指揮も水先案内人が務める。大抵は嘗て船長であったベテランなので、船の特性もすぐに理解し、滞りなく岸壁に船を寄せていった。岸壁には出港時と同じように獲物を待ちわびる商会の連中や船乗りたちを歓迎する娼婦たちが集っている。


 もやい綱が港の作業員に投げ渡され、グレイウルフ号は無事に母港へ帰還した。


 早速略奪した交易品が港に卸され、商人たちがしきりに算盤を弾いてより高く買おうとする競りが始まった。ヘンリーが持ち帰る品はいつも質が高いので良い値がつくと商会からも概ね好評で、続いてフォルトリウ伯の女性秘書が相も変わらない冷たい笑みを浮かべて近づいてきた。


「レイディン船長、無事の帰港をお祝い申し上げますわ」


 途端にヘンリーが嫌な顔をした。フォルトリウ伯の白粉顔も十分に嫌っているが、この氷のような女も何を考えているのかまるで分からない。


 なまじ見た目が麗しいだけに質が悪かった。


 どうせ用件も上納する一割の話に決まっている。

 苦虫を噛み潰したような顔でヘンリーは握手に応じた。


「どうかしましたか? 顔色が優れないようですが」


「いや、なに。むさ苦しい野郎の顔ばっかり見ていたからよ、あんたの綺麗な顔が眩しくてね」


「あらお上手ですわね」


「世辞は言わん方だぜ?」


「皮肉が、です」


「そりゃどうも。約束の一割なら好きに持っていけ。今回は銀がよく手に入った」


「国家へのご奉仕に感謝致しますわ。つきましてはフォルトリウ伯が慰労の晩餐会を催したいと仰られています。船長も是非ご出席頂きたく」


 冗談ではないとヘンリーは内心で毒づいた。


 挨拶に行くだけでも虫酸が走るというのに、其の上晩飯まで一緒にするなど気が滅入る。帰港した日の夕飯は仲間たちを引き連れて、馴染みの食堂で派手に騒ぐのがヘンリーなりの慰労だった。部下たちもそれを楽しみにしている。


 部下を置いて一人だけ貴族の飯を食べるわけにもいかず、第一、あのフォルトリウ伯がどんな話題を振ってくるのか考えるだけでも反吐が出そうだった。極上のワインと料理は魅力的ではあるが、それでもそこいらの安酒を皆と飲んだほうがよほどいい。


「せっかくのお誘いで申し訳ないが、色々と仕事が残っているものでね。それに俺のような見窄らしい奴が貴族様の夕食に同席するなど恐れ多いことだ。悪いが、そういうことで」


「そうですか。残念です。では失礼致しますわ」


 彼女は一切表情を崩すこともなく立ち去った。

 氷というよりは、人形のようだ。


 身震いをするヘンリーは作業の指揮に戻った。


 商会との商談はウィンドラスに任せている。

 銭勘定は几帳面な彼の本領といえた。

 場所は岸壁の近くにあるコーヒーショップを兼ねた商館。

 持ち帰った織物や香辛料などは全て金貨に替えられ、商談も円滑に事が運び、商人たちも良い取引が出来たと満足げに頬を緩めていた。


「いやぁ、さすがはレイディン船長だ。次回も頼みますよ」


「ええ。互いの利益の為にも」


「しかし、ウィンドラス殿。あなたもかつては帝国の商船団を率いていた身。また独立して自分の船を持とうとは思わないのですかな? 我々も出資にやぶさかではないのですが」


 するとウィンドラスは少々自虐的に微笑んだ。


「私は、長として相応しくない人間です。ヘンリーの方が余程その器に適している。私も彼に魅了された一人なのですから」


「ほう。敬虔な聖教徒である貴方が? よく意見をぶつけ合うと噂になっておりますが」


「神の怒りを畏れるからこそ、神の怒りを恐れない男が眩しく見えるのですよ。それに、嵐によって船が沈み、海原を漂っていた私を拾い上げてくれた恩もあります。残りの人生を全て投げ打ってでも返さないといけないのですよ。それに私も彼に似て、借りは作りたくない方なので」


 商館から船に戻ったウィンドラスは今回の収益を船長に報告し、粗方作業が落ち着いたところで待ちに待った給料の支給が行われた。役職毎に、船長は水夫の2倍、航海士は1.5倍、甲板長や船医などは1.25倍。


 そして水夫や見習いは平等に金貨が配当された。


 見習いでさえちょっとした家が買えるほどの金額だ。

 捕虜から仲間に加わった者たちも、今までの賃金との差に狂喜乱舞している。中には夢ではないかと頬を抓るものや、本物の金貨か確かめるものまでいた。


 ルーネも麻袋一杯の金貨が与えられ、その黄金の輝きに胸を踊らせた。


 金など宮殿を彩る装飾くらいにしか思っていなかったが、こうして働いた見返りとして手に取る金は別格だ。


 時刻も夕方に差し掛かっており、夕焼けに照らされた酒場も賭場も娼館も客を受け入れ始めている。


 騒ぐ部下たちを眺めるヘンリーにウィンドラスが耳打ちをした。


「例の男、現れましたか?」


「まだだ。しかし俺達が帰ってきたことは街中の話題になっている。そのうち向こうから来るだろうよ。まずは飲みに行こうぜ。お前も来るだろう?」


「嫌だと言っても付き合わせるのでしょう? お伴しますよ」


 満足気に頷いたヘンリーは給料袋を両手に抱えるタックとルーネのもとへ近づいた。


「ふたりともご苦労だったな。どうだ、一緒に飯でも食いに行こうぜ」


「やったぁ! ルーネも行くよね?」


「え、ええ……」


 未だに決めかねている彼女は顔に陰を落としながら同意し、夜を迎えたところでヘンリーは船の幹部を引き連れて繁華街へ繰り出した。メンバーは先の四人に加えて、黒豹やハリヤード、そしてルーネが恐れるドクター・ジブも同行していた。


「ヒヒヒ、新しく調合した胃薬もあるから、食べ過ぎたときは言ってくれたまえよ?」


 すっかり彼に怯えたルーネはヘンリーの陰に隠れつつも、生まれて初めて見る港の繁華街は驚きの連続だった。町並みは帝都に比べてドブ川のように汚らしいが、軒を並べる酒場では船乗りたちが大いに騒ぎ、道を歩いていると派手に着飾った娼婦たちがしきりに声をかけてくる。


「ヘンリー! 寄っていってよぉ、寂しかったんだからぁ」


 娼婦たちに手を振って応えるヘンリーにルーネが唇を尖らせる。


「モテるのね、船長」


「あいつらも商売でやってることだ。お前さんもあと4、5年もすりゃいい女になるだろうよ」


「もぅ、タックみたいにいやらしいこと言わないでよ」


「えぇ!? オイラ!? あれはちゃんと謝ったじゃないかぁ!」


「しーらないっ」


 ぷいとそっぽを向かれたタックは酷く落胆して黒豹たちの笑いの種となってしまい、やがて一同はキングポートで一番大きな外食店の戸を押し開けた。


ピアノとヴァイオリンの軽快な演奏が響く店内には円卓が幾つも並べられ、客は食事をしながら歌い、騒ぎ、あるいは踊り、メイド服のウェイトレスが忙しそうに注文を聞いて回り、料理を運んでいる。今しがた店に入ったヘンリーの姿を見たウェイトレスは店の奥に向かって元気よく声をあげた。


「店長! レイディン一家のご来店でーす!」


 すると店の奥から白いシャツに赤い蝶ネクタイを締めた男が揉み手をしながら飛んできた。


「これはこれはレイディン船長、ようこそ当店に。いつもの席を用意しております」


「おう、皆に最高の飯と飲み物を頼むぜ」


「かしこまりましたぁ!」


 店の中でも特にいい場所にある大きなテーブルに案内され、次々に豪勢な料理や酒の瓶が運ばれてきた。ジョッキに泡立つビールが注がれ、未成年にはオレンジジュースのグラスが配られ、ヘンリーが音頭を取る。


「聞け! レディース&野郎ども! 今回も大いに奪い、無事に港へ戻ってこれた! 今日は無礼講だ! うんと食ってうんと飲んで、次の略奪に備えてくれ! 乾杯!」


「船長バンザイ!」

 

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