謀略 ②

 戦利品に加えて水や食料を運び込んだ後、フリュート船は焼き払われ、海中に没した。


 当初の目標に達する略奪品を得たグレイウルフ号はヘンリーとウィンドラスが協議した末にキングポートへ帰港することが決定し、水夫たちは大いに沸き立った。

 帰港すれば給料がたんまりと貰える。その後は美味い酒を浴びるように飲み、美しい女を飽きるまで抱き、博打でさらに一山当ててやると皆が意気込んでいた。


 タックもそのうちの一人だ。

 まるで親からお小遣いを貰えるようにはしゃいでいる。

 正直に言えば金銭を与えられるという感覚はよく分からない。

 何分、金銭に全く不自由しない生活をしていたためだが、一生懸命働いた見返りがあるというのは悪くない気分だった。


「タックはなにか欲しいものとかあるの?」


 汚れたシーツや水夫のシャツを甲板で洗いながら、彼女はタックに尋ねた。


「オイラかい? そうだなぁ、一杯ありすぎて迷っちゃうよ。新しい服や靴も欲しいし、自分のピストルだって買いたいもん! ルーネは?」


「私は……まだ、決まってない。でも、市場には行ってみたいかな」


「じゃ、じゃあさ。オイラが案内してやるよ。キングポートは庭みたいなもんだからさ!」


「本当? タックと一緒なら楽しみ!」


「へへへ、任せておきなって」


 どんと胸を叩く少年はどこか頼もしく思え、ルーネも久々の陸地に淡い期待を寄せた。


「と、ところでさ……一つお願いがあるんだけど……」


 唐突に遠慮がちな口調でタックが切り出した。


「なに? 私に出来ることならいいんだけど」


「あの、その……」


 頬を赤らめ、もじもじと指を弄った後、タックは自棄っぱちになったように、あるいは腹を括ったように両手で床を強く叩き、土下座して叫んだ。


「おっぱい、見せてっ!」


 刹那、ルーネの平手打ちが哀れな勇者の頬に赤い紅葉を描いた……。


 一方で船尾の指揮所に立つヘンリーとウィンドラスもまた他愛のない雑談に興じていた。

 パイプを咥え、美味そうに煙を喫むヘンリーは手下たちの働く様子を面白げに眺めつつ、仏頂面で収益の計算をするウィンドラスを茶化した。


「あんまり仕事熱心だと老けちまうぜ?」


「約束の金貨500枚、本当に支払われるでしょうか?」


「払わせるさ。こちとら仲間を何人か失ったんだ。まあ、お前の心配もわかる。ありゃ何か腹に一物抱えた男だ。ただの密輸業者とも思えんが、とにかく戻ってみないことにはな。前金を払っただけでも誠意と見ておこうや」


「だといいのですが。それと、彼女のことも腑に落ちない点が」


「ルーネのことか?」


「ええ。確かに出航前の点検では彼女の姿はどこにもありませんでした。まるで、何処からとも無く沸き出たようで……彼女が発見されたのは、件の依頼をこなした後です。あるいは、生き残りという可能性も。それに彼女は身なりに比べて品がありすぎる。学もあり、金銭的な欲求もまるで伺えない。よほど裕福な家で育たねばああいう空気は出せません」


 ウィンドラスの憶測と分析を聞いたヘンリーは、乗りかかっていた手すりを指先で叩いた。

 確かに腑に落ちない点は多い。

 黒豹のような理由でもない限り、ただの女が、しかも年端もいかない少女が海賊になどなりたいものだろうか。

 しかし同時に、他人の過去は詮索しないというのがこの世界の暗黙の了解だった。

 ならず者や社会の落ちこぼれが集う場所だ。

 人に言えない素性の一つや二つあっても何らおかしくはない。


「お前は心配事が過ぎる。生き残りだろうが密航者だろうが、今はうちの見習いだ。それでいいじゃねえか」


 ウィンドラスの肩を叩いたヘンリーは指揮所から階段を下りていく。


「どちらへ?」


「暇だからよ、たまには新人の教育でもな」


 そう答えたヘンリーが今しがた洗濯を終えてシャツを干すルーネとタックに近づくと、赤々と腫れ上がったキャビンボーイの頬を見て首をかしげた。


「おいおい、早速喧嘩か?」


「あら船長。何か御用?」


 明らかにルーネの機嫌が悪い。タックの方に視線をやると、彼はうるうると眼に涙を貯めて打たれた頬を擦っていた。よほど彼女の逆鱗に触れるようなことを言ったのだろうとヘンリーは笑いながらタックの痛む頬を摘み、悶える彼を他所にルーネの肩を叩いた。


「高いところは平気か?」


「ええ、一応は」


「登ってみるか?」


 親指で黒豹たちが作業をしているメインマストの見張り台を指したヘンリーに、ルーネは顔を輝かせた。船のマストは何故だか冒険心をかきたてられる。あの高い見張り台から眺める景色はどれほどのものかと、ルーネの好奇心に灯った火が赤々と燃え盛った。


 航海中の船は常に風向きによって大なり小なり傾いているため、傾斜の緩い風上側の縄梯子シュラウドに取り付く。甲板から見張り台まで高さ30メートルほど。落下を防ぐ命綱もない。

 軽やかに登っていく船長に続いて、ルーネもゆっくりと手足を動かしていく。


「せ、船長! 落ちたらどうするの?」


「落ちないようにしろ」


 意地悪く笑う彼にルーネは頬をふくらませた。


「もう、本当に悪党なんだからぁ!」


「最高の褒め言葉だ。大丈夫、片手と両足の三点で支えりゃ落ちることはねえよ。ほら、とっととついてこい」


 上から差し出された手を握ると、力強く引っ張られて彼のすぐ側まで登ることが出来た。


 しかし高さが増すほどに吹く風も強くなり、揺れも相まって登りづらく、ようやくの思いで見張り台に辿り着いたときにはかなり疲れてしまった。肩で息をする見習いを軽く小突いたヘンリーが目の前に広がる世界を指さす。


「ほら、見てみろ。これが俺たちの世界だ」


「え? うわぁ! 綺麗!」


 空の青を映したかのような紺碧の世界。水平線の彼方が微かに円を描き、時折波間からイルカの群れが飛び跳ね、島に近づくに連れて白い海鳥たちが船の周囲に集まってくる。


「見た目には広いが、こんなものは世界のほんの一部に過ぎん」


 見張り台の手すりに座って懐からワインの小瓶を取り出したヘンリーに、ルーネは尋ねる。


「世界の果て……どんなところなんだろう?」


「さあな。まだ誰も見ちゃいない。だが俺は、ひょっとするとな、この世界は実はでっかいボールみたいになってるんじゃねえかって思ってる。見ろ、あの丸い水平線を。俺達は、とてつもなくでかいボールの上でちまちまと生きてるんじゃないか、てな。難しいことは分からんが」


「世界の果ては、大きな滝になってるとも聞いたわ」


「そうかもしれん。だがな、あの海の彼方には俺たちが見たこともない土地や海が必ずあるはずだ。莫大な財宝、美しい女、あるって思いたいじゃねえか」


「うん……私も、そう思いたい。それに、船長ならいつかやり遂げそうだもの」


「こいつぅ、見習いのくせに知ったふうなこと言いやがってぇ」


 ぐりぐりとルーネの頬を弄るヘンリーは、どことなく、嬉しそうだった。

 しかし彼は急に真面目な顔つきでルーネの顔を覗き込む。


「別に無理に答えることなんか無えんだがな……お前さん、どっから来た?」


「え? あの……どうしてそんなことを?」


「いやな。ふと気になってな。お前さん、海賊になりたいと言う割には大人しいからよ。まあ割りとガッツもあるところが気に入ってるんだが……答えたくないか?」


「……ごめんなさい」


「いいさ。人に言えないことなんか幾らでもあるだろうよ。もうすぐ港に入るわけだが、お前どうする? 降りるか? それとも、また俺たちと海へ出るか?」


 その問に答えられるだけの結論を見出していないルーネは、暫く風に吹かれながら海の彼方を眺めた。


 いつしか見た夢のように、広大な海原を両手に抱きしめられそうな開放感はある種の快感だった。


 この自由な世界から離れたく無い。


 ここには皇女という肩書に媚びへつらう貴族も、皇女という器を求める臣下もいない。


 ただ一人の人間としてのルーネを見てくれる。


 我儘だという自覚はある。

 港に着けば逃げ出そうと考えていた。


 だが、都に帰れば二度とこの世界へ戻ることは叶わないだろう。


 彼女の葛藤は飛沫をあげる波を見れば見るほどに深まり、気がつけば、自然と眼から涙が溢れだしていた。自分が一体何者なのかすら考えたくなくなっていた。


 船から降りたくない……。


 海は自分自身を映し出す鏡のようで、ヘンリーも彼女が何かしら思い悩んでいることを察してか、黙ってワインの瓶を傾けていた。


 そこへ黒豹も近づいてきた。


 船の揺れをものともせず、足場の悪さも彼女にとって何ら苦になっていない。帝都の劇場にいるサーカス団に入っても十分にやっていけるのではないかと、ルーネは口にこそ出さなかったが心中で呟いた。


「ちょっとちょっとヘンリー、オレの可愛い妹分を泣かせるとはどういうことだい?」


「別に俺が泣かせたわけじゃねえよ。お前こそ手を出してないだろうな?」


「失礼だねぇ。まだ身体を拭いただけさ。ふふ、可愛かったよ」


「まだ!?」


 反射的にルーネの肩がビクッと跳ねた。冗談だと思いたかったが、黒豹がルーネを見つめる眼はお気に入りのぬいぐるみを愛でる少女の其れとよく似ていた。あるいは仕留めた獲物を舐めまわすような視線だった。いずれにしても今宵の就寝が不安でたまらなくなった。


 やがて太陽も西の彼方へ傾き、無事に目標の略奪品が得られた褒美として、夕食後に船長の許可の下で皆にエールやラムが支給された。ルーネとタックにはハリヤードから甘いプティングがプレゼントされ、甲板では水夫たちがギターやアコーディオンに合わせて歌い、ちょっとした宴会となっていた。


夜は更け、昨夜と同じように黒豹に愛でられたルーネは、ハンモックの中で再び思考の迷路を彷徨う。


 降りるべきか、残るべきか……。


 片や皇女としての責務、片やルーネとしての願い。


 天秤にかければ吊り合ってしまうほどに、二つの思いが彼女の胸に同居していた。


 そんな彼女の悩みを他所に、灰色狼は帆を進めていく。


 黒い陰が揺らめく悪徳の港に向けて……。

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