見習い ③

「おーい! 料理長!」


「おーう。どうしたぃ、タック」


 振り返った料理長は立派な口髭を蓄えた四十代ほどの白い肌の男性で、真っ白なコック服に紅いバンダナを頭に巻いていた。


「紹介するよ、こちら新入りの見習いで、ルーネ」


「よろしくおねがいします」


「おお、よろしく。噂は聞いているよ。うちの船に密航したそうだな? 度胸のある子だ。僕はハリヤード。栄養管理を任されている。キミ、野菜は好きかな?」


「ええ。特に嫌いではないです」


「それは良かった。海の上で野菜や果物が嫌いな者はすぐに死んでしまうからな」


「あぁ、料理長。挨拶はこのくらいにしてさ、彼女腹減ってるみたいだから、何か食べさせてやってよ」


「今は残り物しかないが、それでいいなら」


 ハリヤードは朝食で余った料理を適当に器に盛り付けてルーネに供した。

 といっても彼女が今まで口にしてきたような料理とは程遠い、キャベツのスープに硬いビスケットと塩漬け肉といった具合だったが、ルーネはスプーンを持つや否や慣習としている神への祈りも忘れて器に飛びつき、音を立ててスープを飲み干し、肉を千切っては口に放り込んでいく。


 テーブルマナーも何もあったものではない。

 故にタックもハリヤードも彼女が帝国の継承者であることなど気づくはずもなく、彼女の胃袋が満たされていく様を微笑ましく見守っていた。

 三日ぶりの食事を存分に堪能したルーネは思い出したようにナプキンで口周りを丁寧に拭き、食後の熱い紅茶で一息吐く。


「はふぅ……とても美味しいお料理でした」


「お気に召したようで何よりだ。これから毎食味わうことになるがね」


「へへへ、料理長の飯が気に入るなんて、ルーネもあんまりいい生活してなかったみたいだな?」


「ほぉ、俺の飯が気に入らないなら明日からお前はスープだけだ!」


 ごちんと拳骨を食らったタックが頭を抱えていると、厨房の伝声管から声が響いた。


〈ハリヤード! コーヒーを頼む!〉


 声の主がヘンリーであることを察した彼は苦笑しながら伝声管に向かって叫ぶ。


「はい、ただいま! タックに持って行かせます!」


 ハリヤードは棚からコーヒーの豆を取り出して湯を沸かし、手際よくドリップさせてカップに蓋をした。香ばしいコーヒーの匂いが珍しいルーネは何度も小さな鼻を利かし、銀のトレイにカップを載せたタックと一緒に船長室へ向かうこととなった。


 他国の船を略奪する船の長とは如何なる人物なのか、恐ろしくもあり、好奇心も唆られる彼女はタックに尋ねる。


「船長ってどんな人?」


「どんな人って聞かれても、一言じゃ答えられないよ。あの人は。会えばわかるさ」


 揺れる船の中を歩くタックはトレイを少しも傾けることもなく、船長室のドアをノックした。


「船長、コーヒー持ってきたよ。あと例の子も連れてきた」


「ご苦労さん。入んな」


 船長室は船の最後尾に位置し、数ある船室の中で最も広く、それでいて殺風景な他の部屋と違って窓枠やカーテンなどに種々の装飾が施されていた。部屋の中央には無造作に海図が広げられた大きな円卓があり、ベッドやソファ、本棚など、ルーネから見れば辛うじて人間が住む部屋の条件を満たしていた。特に眼を引いたのが額縁に収められた、敵国船拿捕許可状……いわゆる私掠免状だ。


 先の皇帝、ルーネの父のサインと、フォルトリウ伯の名が連署されている。


 あの一枚で海賊は国家公認の私掠船となる。

 たとえ中身が同じであろうとも、あの免状がある限り、この船は帝国軍から追われることはないのだ。

 尤も、略奪の標的となる他国からすれば立派な海賊であるし、軍も発見次第討伐してくるので、やはりルーネには違いがよく分からなかった。

 が、目の前のソファに腰掛けるヘンリーに睨まれた途端、そんな考えも吹き飛んだ。


「はい、コーヒー。いつもどおりブラックだよ」


「ん。砂糖なんぞ入れなかっただろうな?」


「入れてないよ。船長も贅沢だねぇ。ルーネも聞いた? 砂糖なんぞ、だってさぁ。高級品だよ?」


「知るか。お前みたいなガキと違ってな、あの甘ったるさは苦手なんだよ」


 などと言いながらコーヒーを啜ったヘンリーは、立ち尽くすルーネをジッと見つめていた。


 優しい視線だが眼は笑っていない。


 眼帯も恐ろしげで、まるで獲物を観察する肉食獣のような、相手を緊張させる力が彼の眼に宿っていた。


「タック……下がれ。暫く二人で話がしたい」


「え~……船長ってそういう趣味があったの?」


「やかましい! とっとと出て行かねえとグーでビンタするぞ!」


「それパンチっていうかピストル取り出さないで! 失礼しました!」


 脅されたタックは慌てて部屋から飛び出し、残されたルーネがごくりと生唾を呑む間にもヘンリーは熱いコーヒーを飲み干して彼女を手招く。恐る恐る円卓へ近づいた彼女の目の前に一枚の羊皮紙が滑り来た。


「これは?」


「誓約書だ。お前さんは俺の船に乗りたいと言った。そこに書いてある掟を遵守出来るなら、サインしろ。ペンとインクもそこに置いてある」


「もし、書かなかったら?」


「密航者として処分するまでだ」


 処分と聞いた彼女はすぐに誓約書に書かれた掟を黙読していく。


一、如何なることがあっても船を裏切らないこと。

一、如何なることがあっても船員の持ち物を盗まぬこと。

一、如何なることがあっても乗員を殺傷せぬこと。

一、如何なることがあっても船長の許可無く勝手に船を降りぬこと。

一、略奪品を横領せぬこと。

一、船長、及び各部の長に従うこと。


 等など、他にも船を運用する上で必要な掟がくどく続いていた。


 またそれらに違反した場合には、無人島への流刑や、最悪の場合、銃殺するとも書かれている。


「自由を謳う割にルールが細かいのね……」


「当たり前だ。ただでさえどいつもこいつも好き勝手に動きやがるのだから。お前さんだって密航していたじゃねえか。密航も立派な罪だぜ? 陸の掟ならな。だが此処では俺が法だ。貴族だろうが奴隷だろうが、この俺の船に乗る以上は従ってもらう。その分、この世の快楽も存分に味わわせてやるさ。さあ、決めろ」


 サインをするべきか否か。名を書けば、正式にこの荒くれたちの一員として働かなければならなくなる。次の港までと思っていても帝位を継ぐべき身の上で海賊行為に加担して良いものなのかと葛藤すべきところであったのだが、テーブルの上に置かれたピストルが視界に入り込んだとき、彼の思惑が何となく察することが出来た。


 サインしなければ撃たれる。


 彼はそれが出来る。相手が男だろうと女だろうと関係ない。自分にとって敵か味方か、そういう、ある意味で平等な見方をするのだと彼女の直感が告げていた。


 故に彼女はペンを走らせた。


 思い出すのもうんざりするほどの書類にサインをしてきたが、その全てが自分の意思とは関係ない、ただ皇女の許しが出たという形式だけのもの。だが目の前にある羊皮紙は違う。


 決めるのは自分の意思。

 書けば、皇女ではなく見習い水夫としてのルーネが産まれる。


「……書いたわ」


「ルーネか。ようこそ、この血と財宝に飢えた灰色狼(グレイウルフ)へ。乗船を許可する。船長の、ヘンリー・レイディンだ。以後、よろしく。見習いさんよ」


「待って。これで終わりなの? 私、密航していたんだよ? 普通は尋問とかするのではないの?」


「してほしいのか? ベッドならそこにあるぜ?」


「じょ、冗談じゃないわ!」


「ハッ、お前さんみたいな小娘を尋問したところで何の利益にもなりゃしねえ。第一、お前さんからは潮気がまるで匂ってこない。大方、今まで陸で暮らしていたんだろうよ。ここには事情の言えん得体の知れない連中ばかりが乗っている。理由はどうでもいい。俺にとって必要なのは、船の役に立つかどうかだ。敵船に喰らいつき、積み荷を略奪出来る根性と度胸のあるやつだ」


 生き延びたい一心からとんでもないことを口にしてしまったと心中で悔いた彼女であったが、一度サインをしてしまった以上、次の港まで何としても耐えなければならない。


 港にさえ入ってしまえば駐屯している軍や治めている貴族のもとへ駆け込めばいい。


 それまでの辛抱だ……。


「で、お前さんの部署なんだがな、暫くはタックに付き添って雑務でもしてろ。飯炊き、洗濯、その他色々とやってもらう仕事は多いぜ?」


「は、はい。あの、私も、戦わないとダメですか?」


「自分の命は自分で守れ。それだけだ。まずは海に慣れて貰わんと話にならんのだよ」

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