襲撃 ②

 胸に十字架のネックレスを吊るし、甲板で聖典を読み耽る数え年三十程の長身の男性。

 整ったオールバックの金髪、一点の曇りもないメガネ、そしてピシッとアイロンがけされた衣服が彼の性格を如実に表していた。

 略奪者の一味でありながら敬虔な聖教徒でもあり、スマートで隙のない紳士的な立ち振舞からは、およそ海の荒くれたちを直接指揮している立場とは思えない。



「ウィンドラス! ちょいと話しがある」


「ああ、船長。おかえりなさい。仕事ですか?」


「察しがいいな。さすがはうちの航海士だ」


 船長が船の心臓であるなら、彼は船の頭脳だった。


 航海士アレキサンダー・ウィンドラスは聖典を閉じて軽くため息を吐く。


「あなたが活き活きとするのは出港の目処が立ったときと決まっていますからね。今度もキングポートの領主様からの依頼で?」


「いや、違うな。名前も素性も明かさない男からの、個人的な依頼だ。報酬も分割払いだとさ。前金に金貨500枚で成功報酬に500枚ときた。面白いだろ?」


 途端にウィンドラスの顔が怪訝になる。


「まともな取引相手とは思えませんね。仕事の内容は?」


「商船を襲撃して乗員を皆殺し。荷は好きにしてもいいとよ」


「嗚呼……荷はともかく、なんの罪もない乗員を皆殺しにするなど、なんと罪深いことでしょう」


 指で十字を切る彼にヘンリーは呆れた視線を送る。


「おいおい今更何を言ってやがる。それと、俺の前で神に祈るなと前々から言ったはずだ」


「あなたが何故そこまで神を嫌うのか私には分からない。しかし、罪を重ねて審判を受けるのは他ならぬ我々なのです」


 凄んだ声色で忠告するウィンドラスをヘンリーは一笑に付す。


「そいつは結構なことだ。俺は居るかどうかも分からん神なんぞに祈って長く生きるくらいなら、あらん限りの悪徳と罪業と快楽を貪って図太く短く生きるほうを選ぶね。陸で粛々と祈りながら安い賃金貰うためにあせくせ働くなんざ阿呆のやることよ。出港は明後日の夜明け前だ。諸々の手配、頼んだぜ」


 出港の準備をウィンドラスに一任したヘンリーは、再びキングポートの喧騒の中へ戻っていった。

 喧騒に包まれた港町とマストの森を見下ろせる小高い丘の上に、キングポートを治める領主の館が佇んでいる。

 木造の家屋が立ち並ぶ下々の住処と違って、絢爛けんらんな装飾が施された石造りの三階建てと外壁はさながら宮殿のようであり、あるいは正門の鉄格子が牢獄を連想させるとのたまう者も少なからずいた。

 果たしてヘンリーにはどのように映っているのか定かではないが、兎も角も彼はマスケット銃を持つ衛兵に守られた領主の館へ赴いた。


 キングポートを母港としている以上、商船も私掠船も出港の際は領主に一言挨拶するのが慣習となっている。

 特に私掠船の場合は領主に略奪品の一割を献上せねばならず、建前では帝国の国庫に加えられているというが、実際はどのように使われているのか分かったものではない。

 此処の領主とて海賊から賄賂をせしめればすぐにでも私掠免状を与えるあたり、やはり碌な人物ではなかった。尤も、こんな離れ小島の管理を任されるなど左遷もいいところ。


 大方帝国中央でも厄介者扱いされていたに違いない。


 などと内心であざ笑いながら門番に話を通し、使用人の少女に案内されて、ヘンリーは領主であるフォルトリウ伯の書斎へ乗り込んだ。

 館の主らしく綺羅びやかな金糸の装飾が目立つ蒼いベストに白粉の化粧と、細い指にルビーやサファイアといった宝石の指輪をいくつもはめている。

 その殆どが、いつの頃だったかヘンリーが持ち帰った略奪品であった。

 軽い吐き気を催しながらも軽くお辞儀をしたヘンリーが出港する旨を淡々と報告していく。

 型通りの挨拶なのでフォルトリウ伯もお気に入りの宝石を磨きながら適当に聞き流しているが、いざ退席しようとするヘンリーを妙に甘ったるい猫撫で声で呼び止めた。


「船長……個人的な依頼とはいえ、約束の一割は出して貰わねば困るぞぉ? しがない海賊であった君は縛り首が妥当なところを、帝国と他ならぬ私の慈悲によって私掠免状を与えられているのだからねぇ。感謝し給え? うふふふ」


「っ……分かってますよ」


「今舌打ちをしなかったかね?」


「気のせいでしょう」


「ふん、極上のワインでもどうかね? 安っぽいラムばかりでは舌が馬鹿になるぞ?」


「生憎と俺はしがない私掠船長でしてね、そういう貴族様が嗜まれる高貴な味は肌に合わないんでさぁ。では出港の準備があるので、ごきげんよう」


 と、さりげない皮肉を飛ばした彼は恭しく一礼した後、急ぎ足で部屋を後にした。


「フン、卑しい海賊上がりめ」


 吐き捨てるように呟いたフォルトリウ伯の傍らに立つ、冷たい微笑を浮かべる女性秘書が尋ねる。


「少々彼に肩入れが過ぎるのでは?」


「あれが持ち帰る財宝は捨て置けん。使えるうちは可愛がってやるさ。道具としてな。金は、いくらあっても困るものではないよ」


 ニタリ、と口の端を釣り上げたフォルトリウ伯は宝石磨きに勤しんだ。


 ヘンリーは早々に館の敷地から出た。

 見た目にはキングポートの繁華街がこの世の吹き溜まりに映るであろうが、ヘンリーからすれば、この絢爛な館に渦巻く歪な欲望のほうが余程おぞましく思えた。

 悪魔が住み着くならば、ああいう場所を好むのだろう。


 それに比べて海はいい。

 どんな綺麗事も、どんな汚れも、ただ力があれば全てが許される世界だ。

 海こそが人間を自然の姿に戻してくれる唯一の世界だ。

 陸の上で一生を過ごすなど真っ平ゴメンだ。

 国の狗だろうが何だろうが、とにかく海に出られるならばそれでいい。


 人間は誰しも海に憧れを抱く。

 彼もその内の一人だった。

 街を歩いていると、ちらほらとグレイウルフ号の乗組員たちの姿を見かける。

 どいつもこいつも金に眼のない野郎ばかりで、そのくせ持ち帰った富を殊勝にも貯蓄しようとする者はいない。

 いつも女や博打で使い果たしては一文無しで船に戻ってくる。

 中には身ぐるみを剥がされ、素っ裸で戻ってきた者もいた。


 だが、誰も彼も海が好きだった。

 金持ちになりたい、美しい女を抱きたい、あるいは冒険をしてみたい。

 船に乗る理由は様々だが、いずれにせよ、海の掟を守って略奪に役立つならばどんな者でも受け入れる。

 それがヘンリーのやり方であり、彼が定めた掟だった。

 歩いていると嫌らしい笑みを浮かべる領主の顔を思い出し、無性に飲み直したくなって贔屓にしている宿へ向かい、寝酒にラムを飲んでその日は床についた。

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