救いの血/5



 「この辺りか」


 彼は薄暗い路地に入り、形り損ないがいない事を確認する。

 その影はなく、同時に銃を使ったであろう人間の姿も確認する事は出来なかった。



 銃声の響いた路地に辿り着くまでにサインは幾らかの形り損ないを屠り、血に濡れていた。先程戦った群れとは違い、路地に蔓延っているのはまだ辛うじて人の形を保っている者が多かった。


 「確かに匂いを感じる、血の匂いの中に微かに硝煙の匂いがある……何者かは知らんが、ここで確かに戦っていた」


 路地にあるのは形り損ないの死体と硝煙の匂い、加えて夥しい量の血溜まり。


 暗い路地に足を踏み入れ、銃声の主の痕跡を探し出した。

 だがやはり死体ばかりが重なるこの路地は、痕跡こそ掻き消されてしまっているがその死体はどう見ても新しいものだとサインに感じさせた。


 彼は無言のまま周囲を見渡し、この辺りで灯りの点いている家屋を探す。


 路地の壁を形成する建築物のいくつかには灯りがまだ生きているようだったが、しかし人の気配などありはしなかった。大半がその入り口を固く閉ざしており、扉には何枚もの板が打ち付けられ、その侵入を強く拒んでいる。


 しかし、そうして防護を形作っている扉も張られた板ごと破壊され、その中は酷く荒らされており、家主の死体が無惨に転がっているのが僅かに覗けていた。


 「……新しいな。狂い始めたのはそう前の事じゃなさそうだな」


 壁に散った血液はまだ紅く、乾ききっていない。そこでサインは先程、噴水広場で殺した〈形り損ない〉どもの事を思い出す。

 奴らの肢体、血の滴る変容したヒトの姿。獣になりきれず崩壊した姿を。形り損ないどもは、あの噴水広場でサインと対峙しながら、その姿を痩身の人狼に変えていた。


 「そういうことか──」


 そう言ってサインは街の中心部である大昇降塔を見やる。早いうちにここを離れるべき、その判断がサインの足を動かそうとした。その時。


 「ま、待ってくださいっ」


 まだ若い、男の縋る様な声がサインの足を止めた。その声はサインの背後、崩れた建造物の瓦礫の中から漏れ出している。サインは声の方を僅かに振り向く。すると瓦礫ががらがらと砂埃を舞上げ、その隙間からは白い細腕が伸び現れた。


 その腕は瓦礫を退かそうとしているのか、のたうっているが積み重なった瓦礫は細腕に対しびくともしていない。瓦礫から生えている腕、という奇妙な様相にサインは近づくこともせず、様子を伺っている。


 「あの……手伝ってもらってもいいですか?」隙間からくぐもった声が漏れる。


 声に対しサインは視線を外すと、再び中心地に向かって歩き出そうとする。腕は響く靴音が遠くなっていくのに気付いたのか、慌てて大きな声で叫び出した。


 「お願いします! ここから出してもらえれば〈協会〉までは自分で行きますから!」


 「〈きょうかい〉だと?」サインは呟いて止まる。


 腕が言う協会はここ螺旋街に住まう厄狩り達を統率する組織の事であり、サインの追っている〈教会〉とは違うものである。だが〈きょうかい〉という響きが彼の足を止めた。彼は瓦礫に近付き、声を掛けた。


 「お前、〈きょうかい〉の場所を知っているのか?」


 「……ええ! あそこまで行ければきっとこの事態も何とかなる筈です。しかし、あの……」瓦礫の中で男の声は戸惑いを帯び始めた。


 「なんだ? いや、まずはそこから出ろ。手を貸してやる」


 サインは瓦礫の隙間に指を入れると、軽々とその塊を退かす。その内には綺麗に瓦礫同士の隙間に収まっている小柄の黒髪の男が居た。男は細身だった。身なりは貴族階級でもなく貧民にも見えない。つまりは平民であるわけなのだが、サインにはこの男はこの街の陰気な空気を持ち合わせて居ない事が不思議だった。


 「いや。助かりました。あの人狼みたいな怪物はなんなのでしょうか? 厄狩りの貴方は何かご存知ですか?」男は砂埃を払いながら、サインの方を見る。


 問われたサインは色々と言いたい事はあるが、それは些事であると割り切ると口を開いた。


 「どうでもいい事だ。それより〈きょうかい〉について教えろ」


 青白い目が小柄の男にじろりと向けられる。男はそれに対しまるで物怖じせず、せっかちな人だ、と返し言葉を続けた。


 「〈協会〉はこの街に棲まう厄狩り達を取り仕切る組織の事ですよ。螺旋街から少し外れた外周区にその拠点をおいてあります。とは言えそれはほんの支部でしか無いとか……まぁ私の様な平民にはその実情までは知り得ませんがね」


 自らを平民と語る男は先程までの滑稽な姿とは思えぬ飄々とした様子で、話をしていた。異様に落ち着いた雰囲気がまた、サインに違和感を与える。


 「月教会とは違うものなのか?」


 「え? 違いますよ。あそこは何だか知らない神様を崇拝してるところだと聞きましたが……そこに用がおありで?」男はハンチング帽をはたき黒髪の上に被せる。


 「ああ。だが、ゲブラーの橋は封鎖されてる。下層にはまだ上層に上がる方法があると聞いてな。しかし、お前はあんな所で何をしていたんだ」


 「私ですか? ああ、私は養老院での仕事を終えた帰りだったのですが、帰るなり家の中に人狼みたいな怪物がいましてね。慌てて飛び出たところ、壁を突き破ってきたその怪物が建物を崩した事で……まぁ今に至るわけです。ちなみに下に行きたいなら、やはり協会には行った方が良いかと思いますよ。ここ数年は開かれていない下層の門扉

ですから、許可なく開ければ彼らとの対立は避けられないでしょうし」

 

 苦笑いした男は僅かに、目線をサインから外す。


 「さっき言い淀んでいたのはなんだ」男の仕草に違和感を感じながらも、サインは先程男が言いかけていたことについて問う。


 「えぇ、さきほどなんですがね。私が瓦礫の中にいる間に銃声がしましてね。どうもその方は厄狩りみたいだったんで貴方の仲間かと思ったんですよ」


 男の語る話を聞き、サインはその厄狩りは自身が聞いた銃声の主かと理解する。だがそいつはどうにも先を急いでいる様に思える。街の異常のみならず、厄狩り達の間でも

何か起きているのか。

 どちらにせよ下に行くには向かわねばならない事には変わりない。


 「ならいい。お前の言う協会に向かうぞ」


 サインが外周区に向け歩を進ませると、男はその後ろを付いて歩き出した。


 「道案内はお前がしろ。俺は怪物がでたら戦う」


 「任せて下さい。協会まではさほど遠くはありませんが、なにぶんこの状況です、古大種だかいう怪物もさぞ蔓延っているでしょうしね」


 「碌でもない事を言うな」

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