第10話
「新庄さん……。失礼します。坂井です。起きていますか?」
廊下では大声で呼んでいたけど、部屋の中に入ると、何故かついつい小声になってしまう。
部屋の中は、少し薄暗かった。カーテンは閉まっているし、電気も消えているので当然だが。
「電気、つけますね」
僕の次に部屋に入ってきた森高さんが、電気のスイッチを押した。部屋の中が明るくなると、僕はベッドの方を見た。
「なんだ、やっぱり寝ているんじゃないですか」
僕は、少しほっとした。
新庄さんは、布団を頭まですっぽりと被って、眠っているみたいだ。
「新庄さん、暑くないですか?」
いくら冷房がついているからといっても、これでは暑いんじゃないか?
「尚輝さん、めくりますよ」
森高さんが、掛け布団を、そっとめくった。
「尚輝さん、朝ですよ」
と、森高さんが、優しく言った。
その後ろからは、明日菜ちゃんがビデオカメラを回している。
「新庄さん?」
僕は、新庄さんの顔を、じっと見つめた。
うん? 何か、おかしい――
これは、まさか――
「森高さん、待ってください。めくらない方が――」
と、僕が言うと同時に、森高さんが掛け布団を完全にめくった。
「キャーッ!!」
「森高さん! しっかりしてください!」
森高さんは、そのまま気を失ってしまった。
「明宏君!」
明日香さんが、部屋に飛び込んできた。
「明日香さん! 新庄さんが……」
新庄さんは、左胸から血を流して死んでいた。
そして、その左胸には、包丁が刺さったままだった。
「明日菜! 高田さんと一緒に、森高さんを部屋に連れていって」
「う、うん……。分かった」
幸いにも、森高さんはすぐに意識を回復し、高田さんと明日菜ちゃんに支えられながら、森高さんの部屋に連れていかれた。
「明日香さん。殺人――ですよね?」
「そうね。自殺には、見えないわね。自殺なんてするような人には、見えないし」
新庄さんの左胸には、包丁がかなり深くまで刺さっていた。まさか明日菜ちゃんの不安が、現実のものになるなんて。
「明宏君、これを見て」
と、明日香さんが、テレビの横を指差した。
「これは?」
「たぶん、この部屋の鍵よ」
「ということは、密室殺人ですか?」
「明宏君、警察に電話を」
「は、はい」
僕は携帯電話を取り出すと、110番に電話を掛けた。
「明日香さん! 大変です!」
「どうしたの?」
「それが――途中の山道で土砂崩れがあって、車が通れずに、すぐには来れないと。この天気では、ヘリコプターも飛ばせないそうです」
「そう、仕方がないわね」
明日香さんは、こんなときでも冷静沈着だ。
「――左利きかしら?」
と、明日香さんが、突然呟いた。
「えっ?」
「新庄さんを、刺した人物よ」
と、明日香さんは、新庄さんの左胸に刺さった包丁を見ながら言った。
「どうしてですか?」
「包丁の、刺さっている角度よ」
「角度ですか?」
僕は改めて、新庄さんの左胸に刺さった包丁を見てみた。確かに、包丁の柄の部分は、体の真ん中から心臓の方に向かって、斜めになっている。新庄さんの正面から、左手で刺したということか。
「明日香さん、何をしているんですか?」
明日香さんは、テーブルの上に置かれたパソコンを見ている。
「明日香さん、まずいですよ。まだ、警察が調べていないのに」
「分かっているわよ。電源が入っているか、確認しただけよ」
本当に、確認しただけか分からないが、明日香さんは、自分の指紋が付着しないように、ハンカチ越しにマウスを動かしている。
「入っていたんですか?」
「いいえ。入っていないわ」
と、明日香さんは首を横に振った。
「寝ているところを、襲われたのかしら?」
「でも、いったい誰が、新庄さんを殺害したんでしょうか?」
「そんなの、決まっているでしょう。毒島っていう人よ」
と、明日菜ちゃんが言いながら、部屋に入ってきた。高田さんも、一緒だ。
「まさか……」
と、高田さんが言った。
「だって、それ以外、考えられないわよ」
はたして、本当にそうなんだろうか?
「明日菜、森高さんは?」
と、明日香さんが聞いた。
「私が本多さんを地下に呼びに行って、今、森高さんの部屋で見てくれてる」
そこへ、高梨さんも入ってきた。
「あ、あの……。新庄が、死んでいるって本当ですか?」
と、高梨さんが聞いた。そういえば、さっき高梨さんはいなかったな。
「ええ、残念ですけど、亡くなっています」
と、明日香さんが言った。
「どうして、尚輝が……」
明日香さんは、新庄さんの遺体に布団を掛けながら、「皆さん。とりあえず、ここを出ましょう」と、全員に部屋から出るように促した。
僕たちが新庄さんの部屋から出ると、本多さんが森高さんの部屋から出てきた。
「本多さん、森高さんは?」
と、僕は聞いた。
「今は、だいぶん落ち着かれて、ベッドで休んでおられます」
「そうですか。それは、よかったです」
「坂井様。社長が殺害されたというのは、本当でしょうか?」
「残念ながら、本当です」
「そうですか……」
僕の思い過ごしかもしれないけど、本多さんが少しほっとしているような気がした。そういえば、本多さんは新庄さんに借金があるようだが――
「実は、今朝から、調理場にあった包丁が、一本見当たらないんです」
「そうですか。凶器は、その包丁かもしれませんね。ちょっと、確認していただけますか?」
と、明日香さんが言った。
明日香さんと本多さんが、新庄さんの部屋から戻ってきた。
「明宏君。やっぱり、調理場にあった包丁だそうよ」
と、明日香さんが言った。
犯人は、調理場から包丁を持ち出したのか。凶器を用意していなかったということは、計画的ではなかったのか。それとも、最初から調理場の包丁を使おうと決めていたのか――
「本多さん。新庄さんの部屋の鍵と、このスペアキーの束ですが、警察が来るまで、私に預からせていただけませんか?」
と、明日香さんが言った。
「鍵――ですか?」
「はい。もちろん皆さんの部屋に、勝手に入るようなことかしませんので」
「皆様がよろしければ、構いませんが」
と、本多さんは言いながら、高梨さんと高田さんを見た。
「僕も、構いませんよ」
と、高田さんが頷いた。
「俺も、異論はないですよ」
と、高梨さんが言った。
「それでは、お預かりいたします」
と、明日香さんは微笑んだ。
「ねえねえ、お姉ちゃん。そろそろ、朝ごはん食べない?」
と、明日菜ちゃんが言った。
そういえば、まだ朝食を食べていなかった。時刻は、もう午前8時だ。
「そうね。新庄さんには申し訳ないけど、生きている私たちは、食事をしないとね。朝食の後で、皆さんのお話もお聞きしたいわ」
と、明日香さんは言った。
「朝食の準備は出来ていますが、冷めてしまっているので、今すぐ温めなおします」
と、本多さんが言った。
「本多さん。私も、お手伝いしますわ」
と、森高さんが、部屋から出てきた。
「森高さん。大丈夫ですか?」
と、僕は聞いた。
「はい。大丈夫です。尚輝さんがいないんですから――私がちゃんと、おもてなししないと」
森高さん――あなたは、なんて健気な人なんだ……。自分の恋人が、殺害されたというのに――
僕は感動のあまり、涙が出そうになった。
僕は涙を隠そうと、後ろを振り向いた。
すると、明日香さんが、明日菜ちゃんに何か耳打ちしているのが目に入った。
何を、言っているのだろうか? 明日菜ちゃんは、「うんうん」と、頷いている。
「それじゃあ、行きましょうか」
本多さんに促されて、僕たちは食堂に向かうことにした。
森高さんは、大丈夫だとは言っていたが、やっぱり精神的なショックは大きいようで、右側を本多さんに、そして左側を高梨さんに支えられながら歩いていた。
「高梨さん、すみません」
「いえいえ。全然大丈夫ですよ」
と、高梨さんは微笑んだ。
そのままエレベーターのところまで進んで来ると、僕はエレベーターのボタンを押そうとした。
「ああ、大丈夫ですよ」
と、高梨さんは僕を制して、森高さんを支えたまま右手を伸ばして、エレベーターのボタンを押した。
エレベーターは、相変わらずゆっくりと下りてきて、一階で止まった。
扉が開くと、森高さん、本多さん、高梨さんが乗り込んだ。
「僕も、乗ります」
と、高田さんもエレベーターに乗って、地下に下りていった。
僕が振り向くと、明日菜ちゃんがビデオカメラを構えていた。
「明日菜ちゃん、撮影していたの?」
「うん。お姉ちゃんが、みんなの様子を、撮影しておいてって」
なるほど。さっき、二人で話していたのは、そのことか。
「あれ? 明日香さんは?」
明日香さんの姿が、見当たらない。
「知らないよ」
いったい、どこに行ったんだ?
そのとき、廊下の角を曲がって、明日香さんがやって来た。
「明日香さん、どこにいたんですか?」
「新庄さんの部屋の、冷房を強くしておいたの。暑くなると、大変なことになりそうだからね」
確かに、暑い中に遺体を放置しておいたら――
いや、それ以上考えるのは、やめておこう。早く、警察が来れますように。
僕は左手を伸ばして、エレベーターのボタンを押した。
エレベーターは、ゆっくりと一階に上がってきた。
「本当に、このエレベーターゆっくりだね。さっき、二階から下りてくるときも、ゆっくりだったし」
と、明日菜ちゃんが言った。
エレベーターが一階で止まり、僕と明日菜ちゃんは乗り込んだ。
「明日香さん。どうしたんですか? 行きますよ」
何故か、明日香さんがエレベーターに乗ってこない。
「お姉ちゃん?」
「明日菜、今、なんて言った?」
「えっ? お姉ちゃんって」
「違うわよ。エレベーターに、乗る前よ」
「えっと……。このエレベーター、ゆっくりだね――」
「その後よ」
「さっき、二階から下りてくるときも、ゆっくりだったし」
「それよ!」
「えっ? どれ?」
「明宏君! エレベーターは、地下から上がってきたんじゃなくて、二階から下りてきたのね?」
「そうですけど――それが、何か?」
さっきから明日香さんは、何が言いたいのだろうか?
「おかしいじゃない。どうして、エレベーターが二階から下りてくるの?」
「お姉ちゃん、何もおかしくないでしょ? エレベーターは、上がったり下りたりするんだから」
明日菜ちゃんは、首を傾げている。
「そうか! 分かりました、明日香さん。エレベーターが二階から下りてきたっていうことは、誰かが二階に上がったっていうことですね!」
「そういうことよ。明日菜と本多さんが地下から上がってきた後に、誰かが二階に上がったのよ」
「でも、いったい誰が? 僕たち全員が、一階にいましたよね?」
確か、僕は明日香さんと新庄さんの部屋にいた。
明日菜ちゃんと高田さんもやって来て、すぐに高梨さんもやって来た。
そして、森高さんと本多さんは、森高さんの部屋にいたはずだ。
「ちょっと、二階に行ってみましょうか」
と、明日香さんは言うと、エレベーターに乗り込んだ。
そして左手を伸ばして、二階のボタンを押したのだった――
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