第8話
「――出ないですね。きっと、殺人事件の捜査で忙しいんでしょうね」
今の時刻は、午後8時くらいだ。
殺人事件の捜査ともなると、その忙しさは半端ないだろう。
留守電になる前に電話を切ろうとすると、「もしもし」と、聞き慣れた鞘師警部のクールな声が、電話から聞こえてきた。
「鞘師警部、お疲れ様です。坂井です」
「明宏君か。すまないね、今、捜査が忙しくてね」
「殺人事件ですよね? テレビに、鞘師警部が映っていましたよ」
「ああ。今朝、アパートで、一人暮らしの男性が殺害されているのが見つかってね」
「鞘師警部、今、話していて大丈夫ですか?」
「ああ、今、夕食のカップ麺にお湯を入れたところだ。3分なら、大丈夫だよ」
と、鞘師警部は、冗談っぽく言った。
「カップ麺ですか。大変ですね」
とても、僕はステーキを食べましたとは言えないなと、僕が思った瞬間――
明日菜ちゃんが、僕の横にやって来て、「鞘師さん! 私たちは、ステーキだったよ!」
と、電話に向かって叫んだ。
「ちょっと、明日菜ちゃん!」
僕は慌てて、電話の通話口を指で押さえた。
「今のは、明日菜ちゃんか? ステーキとは、豪華だな。うらやましいよ」
と、鞘師警部は笑った。
「明宏君、どこにいるんだい?」
「今、東北の方にいるんです」
「なんだって? 東北だって?」
「はい。実は――」
僕は、東北に行くことになった経緯を、鞘師警部に話した。
「そうか、それは奇遇だな。今、私が調べている事件も、もしかしたら東北に関係があるかもしれないんだ」
「テレビでは、犯人が東北の出身だって言っていました」
「そうなんだ。それで、もしかしたら、犯人が地元の方に逃げ込んだかもしれない」
「毒島太郎という、男ですよね?」
「そうだ。毒島の故郷は――」
「そうなんですか? 実は僕たちも、その村にいるんですよ。山奥の、別荘ですけど。意外と、近いところかもしれませんね」
「そうか。実は、今後の捜査の状況次第では、私もそっちに行くことになるかもしれない」
「本当ですか?」
「ああ。もしかしたら、そっちで会うなんてことも、あるかもしれないな」
「そうですね」
とは、言ったものの、こっちで会うなんていうことは、まずあり得ないだろう。
「そうだ、鞘師警部。こっちは、凄い雨ですよ。まさに、雷雨っていう感じで」
「そうか。東京は、いい天気だぞ。暑くて、たまらないよ」
その後、少し世間話をして、「それでは、これで失礼します」と、僕は電話を切った。結局、3分以上話してしまった。
僕は、明日香さんたちに、電話の内容を話した。
「ほら! やっぱり、ここに殺人犯が来るのよ!」
と、明日菜ちゃんが叫んだ。
「明日菜、ただ犯人が、この辺りの出身っていうだけよ。わざわざ、こんな山奥まで来ないわよ」
と、明日香さんが言った。
「でも――」
明日菜ちゃんは、かなり怯えているみたいだな。
よし! ここは男らしく、『大丈夫だよ』と、僕が言ってあげよう。
明日香さんも、『明宏君、素敵!』とか、思ってくれるかもしれない(まあ、そんなことはないだろうけど)。
「明日菜ちゃん――」
「でも――ここに殺人犯が来て、お姉ちゃんが捕まえてくれたら、絶対に私が優勝できるわ。決定的瞬間を、逃さないようにしなくちゃ」
と、明日菜ちゃんは、ビデオカメラを構えた。
「明日菜ちゃん……」
「それにしても、高梨さんも、尚輝も何をやってるんだ?」
と、高田さんが言った。
そういえば、二人とも、まだ来ないな。夕食を、食べないつもりだろうか?
「私が、どうしたって?」
突然、キッチンの方から声が聞こえて、新庄さんがやって来た。
えっ? 僕は驚いて、明日香さんと顔を見合わせた。いつの間に、食堂を抜けてキッチンに?
食堂に入ってきたことにすら、まったく気が付かなかった。森高さんも、驚いているみたいだ。
「まさか、アスナちゃんの言う通り、何かあったなんてことは……」
と、高田さんが言った。
いやいや、この人は、新庄さんの声が聞こえていないのか?
「何かって、何だ?」
と、新庄さんが、後ろから、高田さんの右肩を叩いた。
「うわっ! びっくりした!」
高田さんが、驚いて叫び声を上げた。
「なんだよ、尚輝。お前、いつの間に来たんだよ? びっくりするじゃないか」
「お前の声の方が、びっくりだろう」
と、新庄さんが言った。
「恵里菜。私にも、食事を」
「は、はい。本多さんに、伝えてきます」
と、森高さんは、キッチンに入っていった。
「新庄さん、お久しぶりです。桜井です」
と、明日香さんが言った。
「ああ、あんたたちか。本当に、来たんだな」
本当に、来たんだなって――あなたが、来いって言ったんじゃないか。
「妹まで勝手について来てしまって、申し訳ありません」
「別に、一人や二人増えたところで関係ない。私が、何かするわけではないからな」
確かに、お世話をしてくれるのは、本多さんと森高さんだからな。
「社長。お待たせいたしました」
本多さんが、料理を持ってやって来た。
「本多、遅いぞ! もっと、早く持ってこい!」
「申し訳ございません」
と、本多さんは、頭を下げた。
「恵里菜に言われなくても、すぐに用意するのが、お前の仕事だろう」
「申し訳ございません」
本多さんは、再び頭を下げた。
なんて、横暴な人だろう。だから、僕も明日香さんも、この人が苦手なのだ。
「それと、さっさと貸した金を返せよ。今月中に返さないと――分かっているな」
「は、はい……。分かっています」
本多さんは、顔が少し青ざめている。
本多さんは、新庄さんに借金があるのか。しかし、新庄さんも僕たちがいる場で、そんな話をしなくてもいいのではないか。
「もう一人は、どうした?」
と、新庄さんは、僕たちの方を、じろじろ見ながら聞いた。
「高梨さんなら、仕事の電話を掛けるとかで、部屋に戻りましたけど」
と、僕は言った。
「仕事? あいつが、仕事ね――嘘だろう。自分の名前と一緒で、遊び呆けているやつが」
名前と一緒? どういう意味だろう? そういえば、高梨さんの下の名前を知らないな。
「なんだ、あんたたち。人が食事をしているところを、じろじろ見てるんじゃない。食べ終わったんなら、さっさと部屋に戻れ」
無理やり呼んでおいて、本当に失礼な人だ。自分だって、僕たちをじろじろ見ていたじゃないか。
「新庄さん。僕たちを、ここに呼んだ理由は、なんですか?」
と、僕は聞いた。
「後で話すから、さっさと部屋に帰ってくれ」
と、新庄さんは、チラッと本多さんの方を見ながら言った。
「明宏君、行きましょう」
明日香さんの目は、『これ以上、聞いても無駄よ』と、言っているようだった。
僕たちは、食堂を後にした。
明日菜ちゃんは、ビデオカメラを新庄さんの方に向けながら、後ろ向きに食堂から出てきた。
「明日菜ちゃん。見付かったら、怒鳴られるよ」
と、僕は言った。
僕たちは、エレベーターに乗って、一階に戻ってきた。もちろん、高田さんも一緒だ。
「高田さんは、昔から新庄さんのことを知っているんですよね? 昔から、あんな感じなんですか?」
と、僕は聞いた。
「うーん……。そうだね。尚輝は、子供の頃から、父親に溺愛されて育てられてね。周りの大人たちも、社長の大事な息子ということで、なんでも言うことを聞くものだから、それが当たり前になっちゃったんだろうな」
「そうですか」
「まあ、でも――そこまで、悪い奴ではないよ。そうじゃなきゃ、森高さんみたいな、あんなかわいい彼女はできないでしょう。いつから付き合っているのかは、知らないけど」
と、高田さんは笑った。
「高田さんは、どうして新庄さんと友達になったんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「そんなに、大した理由じゃないですよ。たまたま、小学校一年生の一番最初に、席が隣だっただけで。別に、尚輝が金持ちだからって、近付いたわけじゃないですよ。小一の僕には、お金持ちなんて、よく分かっていないですからね」
と、高田さんは笑った。
「新庄さんのお父さんって、何をやられていた方なんですか?」
と、僕は聞いた。
「建築関係の仕事ですよ。もう、亡くなられていますけど。この別荘も、自分のところで建てたんじゃないかな?」
「それじゃあ、新庄さんは後を継いだんですね?」
「いえ。尚輝は、すでに自分で会社を興していたので、後は継がなかったですね。もっとも、尚輝のお父さんは、病気で先が長くないと分かった時点で、会社を閉じてしまったらしいですけど」
「ちなみに、新庄さんって、どんな仕事をされているんですか?」
「あれ? 知らないんですか?」
「ええ。教えてくれなかったので」
以前、依頼を受けたときも、『会社の経営者だ。私の仕事内容など、関係ないだろう!』と、押し切られてしまった。
まあ、確かに関係ないのだが……。
「なんでも、海外から色々な物を輸入して、東京都内の店で売っているらしいですよ。それと、インターネットでも売っているみたいですよ」
「そうなんですね。売れているんですか?」
「売れていなければ、あんな豪華な食事は出せないですよ」
と、高田さんは笑った。
確かに。
「それじゃあ、僕はこれで。おやすみなさい――って言っても、まだ寝ないですけどね」
と、高田さんは言うと、部屋に戻っていった。
「明日香さん。本多さんの借金って、なんでしょうね?」
と、僕は聞いた。
「さあ、そんなこと、私たちには関係ないわ」
「そうですよね」
とはいっても、何か気になる。
「私たちも、戻りましょう。シャワーを、浴びたいわ」
「明宏さん、後で部屋に来る?」
と、明日菜ちゃんが聞いた。
「えっ?」
「お姉ちゃんが、シャワーから出てくるタイミングで、呼んであげようか?」
と、明日菜ちゃんが、僕にそっと耳打ちした。
「あ、明日香さんが、シャワーから――」
さっき、ハプニング的に、下着は見てしまったが、シャワーということは――
あ、あ、あ、明日香さんが……、ぜ、ぜ、ぜ、全裸で――
「ちょっと、何を二人でこそこそやっているのよ?」
はっ――
僕は、明日香さんの声で、我に返った。シャワーを終えてから、そのまま全裸で出てくるわけがないか……。
「い、いえ……。そ、そんな、想像なんてしていません!」
おもいっきり、したけど。
「創造? 何か、つくるの?」
「い、いえ」
どうやら明日香さんは、想像と創造を勘違いしているみたいだ。
日本語って、難しいね。同じ読み方でも、色々な漢字があるし。
僕も、坂井と酒井を間違えられたことがあるし――まあ、そんなことは、どうでもいいのだが……。
そのとき、高梨さんが部屋から出てきた。
「おや、皆さん、戻られたところですか」
と、高梨さんが言った。
「高梨さん。今まで、電話をされていたんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「えっ? ええ、まあ、そんなところです」
と、高梨さんは曖昧な感じで言った。
「ステーキ、とっても美味しかったですよ」
と、明日菜ちゃんが言いながら、ビデオカメラを高梨さんに向けた。
「そうですか。それじゃあ、俺も食べてきます」
高梨さんは、そう言うと、さっさと歩いて行ってしまった。
「ちょっと明日菜、何をしているのよ!」
僕は、明日香さんの声で振り返った。
明日菜ちゃんが、こっそりと廊下の角からビデオカメラを出して、エレベーターの方を撮影していた。
僕も、こっそりとエレベーターの方を覗いてみた。ちょうど高梨さんが、左手でエレベーターのボタンを押したところだった。
「何を、隠し撮りみたいなことをしているのよ! 怒られるわよ」
隠し撮りみたいというか、完全な隠し撮りだろう。
「だって、あの人、撮られるのを嫌がるから」
「嫌がる人を、無理やり撮らなくてもいいでしょう」
「はぁい。それじゃあ、明宏さん。また後でね」
明日菜ちゃんはそう言うと、明日香さんと部屋に入った。
僕もカギを開けると、部屋に入った。
その瞬間――
ドーン!! と、今までで一番大きな、雷の音が響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます