第7話

「皆さん、お揃いですね。いやぁ、申し訳ない。すっかり、寝過ごしてしまいました」

 と、部屋から、高梨さんが眠そうな顔で出てきた。

「うん? 皆さん、どうかしましたか? 俺の顔に、何か付いていますか? 一応、顔は洗ったんだけどなぁ」

 ただならぬ僕たちの様子を感じて、高梨さんが聞いた。

「いえ、アスナちゃんが、殺人犯がどうこう言うもんで――」

 と、高田さんが言った。

「さ、殺人犯? いったい、何の話ですか?」

 高梨さんは、高田さんの予想外の言葉に、眠気も一気に吹き飛んだようだ。

「だって……。テレビで、殺人事件があって、犯人が逃げてるって言っていたから――」

 と、明日菜ちゃんが言った。

「いくら犯人が東北出身だからって、こんなところに来るわけありませんよ。東北といっても、広いですからね。それに、ここに来るには、車が必要だし」

 と、高梨さんは笑った。

「でも、俺を心配してくれたんですね。ありがとうございます。単純に、朝が早かったから、眠かっただけですから」

 と、高梨さんは笑った。

「明日菜。だから、言ったでしょ。そんなこと、あるわけないじゃない」

 と、明日香さんは、呆れている。

「まあ、何事もなかったんですから、食事に行きましょうよ」

 と、高田さんが言った。

「今夜は、ステーキだそうですよ」

 と、僕は言った。

「ステーキですか、いいですね。もう、お腹ペコペコですよ」

 と、高梨さんは微笑んだ。


「それじゃあ皆さん、こちらへどうぞ。食堂は、地下にありますので」

 と、森高さんが言った。

「地下室が、あるんですか?」

 と、僕は聞いた。

「はい。地下に、食堂とキッチン、それと、本多さんの部屋も地下にあります」

 本多さんという言葉に、明日菜ちゃんが反応したが、あのことについては何も聞かずに、「地下にキッチンって、換気扇とかどうするんだろう?」

 と、言った。

「ご心配いりませんわ。ちゃんと、地上に繋がっていますから」

 と、森高さんは、笑顔で言った。


 僕たちは、森高さんに促されてエレベーターに向かった。玄関側から見て左側の廊下の奥が、エレベーターだ。

 ちなみに、明日菜ちゃんは、明日香さんにビデオカメラを返してもらって、撮影をしている。

 森高さんが、左手でエレベーターのボタンを押した。

 あれっ?

 エレベーターのボタンが、左側に付いている。

 普通、右側じゃないっけ? 僕の、記憶違いかな?

 エレベーターは、森高さんが乗ってきたばかりのようで、すぐに扉が開いた。

「申し訳ありません。エレベーターが、四人しか乗れないので、二回に分けてお願いします」

「それじゃあ、森高さんと高梨さんと高田さんが、先に行ってください。私たちは、後で行きますから」

 と、明日香さんが言った。

「そうですか。分かりました」

 こういう時は、お互いに譲り合うよりも、誰かがパッと決めてしまった方が早いのだ。


 エレベーターが一度地下に下りると、再びゆっくりと上がってきた。古いエレベーターのようで、動きがゆっくりだ。

 僕たちは、エレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターの中も、ボタンは左側に付いている。ボタンの下の方に、バードエレベーターと書いてある。このエレベーターを、設置した会社の名前だろうか? 聞いたことがない会社だな。

 僕は、左手で閉まるボタンを押して、B1のボタンを押した。

 エレベーターの扉がゆっくりと閉まると、ゆっくりと地下に向かって動き出した。

「明日香さん。エレベーターのボタンって、右側にありませんでしたっけ?」

 と、僕は聞いた。

「そうね。別荘の持ち主が、左利きだったんじゃないかしら」

 そういうことか。確かに、左利きの人には便利なのか。

「でも、新庄さんが、以前、右手で携帯電話を操作しているところを、見たような気が――」

「新庄さんの、お父さんよ」

 なるほど。そういえば、高梨さんが、新庄さんの父親が若い頃に建てた別荘だって言っていたな。

 エレベーターが地下に着くと、ゆっくりと扉が開いた。

「このエレベーター、こんなにゆっくりで大丈夫かなぁ……。次に乗ったとき、途中で止まったりしないよね?」

 と、明日菜ちゃんが不安そうに言った。


 エレベーターから降りると、森高さんが待っていてくれた。

 僕たちは、森高さんに案内されて、食堂に入った。

 食堂に入ると、高田さんが僕たちに手を振った。高梨さんと高田さんは、すでに席に着いていた。十人くらい座れそうな、大きなテーブルだ。

 一番右端に高田さん、その隣に高梨さんが座っている。

 テーブルには、水の入ったコップが置かれているだけで、まだ料理は並んでいなかった。

「いやぁ、皆さんが遅いから、二人で食べてしまいましたよ」

 と、高田さんが、お腹を叩きながら言った。

「えぇ!? そんなぁ……。私の、ステーキが……」

 と、明日菜ちゃんが、まるでこの世の終わりかのように、ガックリとうなだれた。

「とても、美味しかったですよ」

 と、高梨さんも、お腹をポンと叩いた。

「…………」

 明日菜ちゃんは、ショックを隠しきれない。

 まさか、僕以上に、明日菜ちゃんが、こんなにもステーキを楽しみにしていたとは――

 僕も、まだまだだな――

 と、僕は遠くを見つめた(って、何の話だ)。

「明日菜。冗談に、決まってるでしょ」

 と、明日香さんが、冷静に言った。

「えっ? そうなの?」

「当たり前でしょ。あんな短時間で、二人で食べきれるわけがないでしょう」

「さすが、探偵ですね。素晴らしい、推理ですね」

 と、高田さんが笑った。

 まあ、こんなのは推理というほどのことではないが。

「本多さんが、『全員揃ってから、お出しします』と、言っていましたよ」

 と、高梨さんが言った。

「あぁ、よかった」

 と、明日菜ちゃんは、嬉しそうだ。

「私たちも、席に着きましょう」

 と、明日香さんが言った。


 僕は、高田さんの正面の席に座った。明日香さんは僕の隣に、その隣に明日菜ちゃんが座った。

「それでは、本多さんに料理を出してもらうように、言ってきますね」

 と、森高さんは食堂の奥の部屋に入っていった。

 おそらく、あそこがキッチンなのだろう。

 そのとき、誰かの携帯電話が鳴った。

「あっ、僕ですね」

 と、高田さんが携帯電話を取り出した。どうやら、メールのようだ。

 高田さんは、右手で水の入ったコップを掴むと、水を一口飲んだ。

 高田さんは、コップを持ったまま、メールを打ち始めた。

 ちなみに、高田さんの携帯電話は、スマートフォンではなく、昔ながらの折り畳みの携帯電話だ。

「そういえば、ずっと気になっていたんですけど。アスナちゃんは、どうしてビデオカメラで撮影しているんですか?」

 と、高梨さんが聞いた。

「ああ、これは、テレビ番組用で」

 と、明日菜ちゃんが言った。

「テレビ番組?」

「はい。誰の夏休みが一番よかったかを、審査するんです」

「ということは、テレビで放送されるんですか?」

「はい、そうです」

「――そうですか」

 一瞬、高梨さんが、嫌そうな顔をした。

「高梨さん。テレビに映ると、何かまずいことでも?」

 と、明日香さんが聞いた。

「いやぁ……。うちの会社的に、そういうのはちょっと――」

 会社的に?

 そういえば、高梨さんの職業って、なんだろう?

 そのとき、高田さんの携帯電話が再び鳴った。

「もしもし、高田です」

 今度は、電話のようだ。

 高田さんは、相変わらず右手にコップを持ったままだ――置けばいいのに。

 そんな高田さんを見ながら、高梨さんが、「そうだ! 俺も、仕事の電話を掛けないといけないところがあったんだ。すみません。俺は、一度部屋に戻ります。携帯電話を、部屋に置きっぱなしだったんで。俺は、後で食べるので、森高さんに言っておいてください」と、言うと席を立って、高田さんの方をチラッと見ながら、食堂を出ていってしまった。

「ちょっと、待ってくださいね――すみません。誰か、紙とペンを持っていませんか?」

 と、高田さんが言った。

「私、持ってるよ」

 と、明日菜ちゃんがカバンから、メモ帳とボールペンを取り出して、メモ帳を一枚破って、高田さんに渡した。

 高田さんは、コップをボールペンに持ち替えると、「ありがとうございます――もしもし、お待たせしました。はい――来週の金曜日の、午後7時ですね。分かりました」

 と、時間をメモしている。どうやら、何かの約束のようだ。

「それでは、失礼します」

 と、高田さんは、電話を切った。


「あれ? 高梨さんは?」

 と、高田さんが、空席になった隣の席を見ながら聞いた。

「なんか、仕事の電話を掛けないといけないのを忘れていたから、部屋に戻るって。食事は、後で食べるって言っていましたよ」

 と、僕は言った。

「そうですか。高梨さんって、何をやられてる方なんですか?」

「さあ。僕も、そこまでは――」

 どうでもいいことだが、ここでも高田さんは、顔を明日菜ちゃんの方に向けながら、目だけ僕の方に向けている。

「皆様、お待たせいたしました」

 そこへ、本多さんと森高さんが料理を運んできた。

「高梨さんは、どうしたのかしら?」

 と、森高さんが、高梨さんの座っていた席を見ながら言った。

「高梨さんは――」

 僕は、高田さんに言ったことを、森高さんにも話した。

「そうですか。分かりました」

 と、森高さんは頷いた。

「それでは、皆様。熱いうちに、お召し上がりください」

 と、本多さんが言った。


「あぁ、美味しかった」

 と、明日菜ちゃんが言った。

 僕たちは、食事を終えて、食後のコーヒーを飲んでいた。

 ステーキは、とっても美味しかった。今まで食べたことがないような、分厚い肉だった。

 一見、固いのかな? と、思ったけど、とてもやわらかい肉だった。

 一口噛むと、口の中に肉汁が溢れ出す。

 あぁ……。もう一度、食べたい。

 もちろん、ステーキだけではなく、ご飯やスープやサラダも美味しかった。

 やっぱり、金持ちは違うな。こんな料理が、毎日食べられるんだから。

「結局、高梨さん来なかったわね」

 と、明日香さんが言った。

「そうですね。それに、新庄さんは、どうしたんでしょうね?」

 と、僕は言った。

「尚輝さんは、まだ仕事中だと思いますよ」

 と、森高さんが言った。

「別荘に来てまで、仕事なんですね」

「――はい。お忙しい方なので」

「ま、まさか!」

 僕と森高さんの会話を聞いていた明日菜ちゃんが、突然、声を上げた。

 また、始まったぞ。

「殺人犯が、社長さんを――」

 やっぱり、またか……。

「20分くらい前に、本多さんがコーヒーを持って行かれましたから、そんなことは――」

 と、森高さんが言った。

「ちょっと、鞘師警部に電話をして、事件のことを聞いてみるよ」

 と、僕は携帯電話を取り出して、鞘師警部に電話を掛けた。

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