第6話
午後5時50分――
「明宏君。そろそろ、行きましょうか」
と、部屋に置かれた時計を見ながら、明日香さんが言った。
「少し早いですけど、そうしましょうか」
と、僕は頷いた。
遅れるよりは、少し早いくらいの方がいいだろう。外は相変わらず凄い雨で、雷も鳴り続けている。
「ほら、明日菜も行くわよ」
「うん。ねえ、お姉ちゃん。停電とか、しないよね」
と、明日菜ちゃんは、雷の音に怯えながら呟いた。
「そんなに心配しなくても、大丈夫よ。さあ、行きましょう」
明日香さんは、優しく妹を抱きしめると、部屋の外へ促した。
僕は、その様子を見ながら、僕も、明日香さんを抱きしめたいと思った――
しかし、明日香さんは、そこまで雷を怖がってはいないのだった――
僕たちは、廊下に出てきた。廊下は冷房がないので、部屋の中と比べると、少しだけ暑かった。
玄関のところには、森高さんが既に来ていた。他の人たちは、まだ来ていないみたいだ。
「ねえねえ、明宏さん」
と、明日菜ちゃんが、僕の耳元で囁いた。
「えっ? 何?」
「森高さんに、さっきのこと聞いてみる?」
「さっきのことって?」
「忘れたの? 森高さんと、本多さんのことに決まっているでしょ」
と、明日菜ちゃんは、ビデオカメラを森高さんの方に向けた。
「ちょっと、明日菜。いくらなんでも、そんなこと聞けるわけないでしょう……」
と、明日香さんが言った。
いくらなんでも、『森高さん。あなた、浮気しているんですか?』などとは、聞けるわけがないだろう。
しかも、ビデオカメラを構えながらなんて。
「それじゃあ、私が聞いてみようか?」
と、明日菜ちゃんは言うと――
「森高さん。ちょっと、聞きたいんですけど――」
と、森高さんの方に向かって、嬉しそうに駆け出した。
「ちょっ、明日菜ちゃん!」
さっきまで雷に怯えていたのは、なんだったんだ?
そのときだった――
突然、106号室のドアが開いて、中から一人の男性が現れた。
そして、明日菜ちゃんは、その男性とぶつかって見事に転んだのであった――
「大丈夫ですか?」
と、その男性が、心配そうに明日菜ちゃんを覗き込んだ。
「痛たた……。大丈夫です――カメラも大丈夫だ、よかった。壊したら、スタッフさんに怒られちゃう」
僕は、明日菜ちゃんの手を取り、助け起こした。
「明宏さん。ありがとう」
「もう。明日菜ったら、本当に子供なんだから」
と、明日香さんは呆れている。
「お二人とも、お怪我はありませんか?」
と、森高さんが聞いた。
「あ、僕は大丈夫です」
と、男性が言った。
「私も、大丈夫です」
と、明日菜ちゃんも言った。
よくよく見ればこの男性は、僕よりも小柄だ。ということは、明日菜ちゃんよりも小柄ということである。
「どうも、すみませんでした」
と、明日菜ちゃんが、男性に謝った。
「いえいえ。全然、大丈夫です――っていうか、どこかで見たことがあるような……」
と、男性は、明日菜ちゃんの顔を、じっと見ている。
「一応、テレビとか出させてもらっているので」
「テレビ? もしかして――モデルの、アスナですか?」
「はい、そうです」
「やっぱり。僕、結構ファンなんです。あの、握手してください」
「はい、いいですよ」
「あっ、申し遅れました。僕は、高田弘幸といいます。この別荘の持ち主の尚輝の、小学校、中学校、大学の同級生です」
高田さんは、両手でしっかりと、明日菜ちゃんと握手をした。
「いやぁ、嬉しいです。友達に、自慢できます。後で、サインももらえますか? ついでに、写真もいいですか?」
高田さんは、なかなか図々しいな。
「もちろん、いいですよ。今、写真撮りましょうか?」
と、明日菜ちゃんは、そんな図々しいお願いにも笑顔でこたえた。ファンを大切にする、さすが明日菜ちゃんだ。
「はい、チーズ」
僕は、高田さんの携帯電話で写真を撮ると、高田さんに携帯電話を返した。
「ありがとうございます。ちゃんと、撮れてますね」
高田さんは、満足そうに写真を確認すると、携帯電話をズボンの左前のポケットにしまった。
「いやぁ、まさか、こんなところで芸能人に会えるとは思いませんでした。あなたは、マネージャーさんですか? どうして、こんなところに? 何か、ロケでもあるんですか?」
「い、いえ。僕は、マネージャーでは――」
「ま、まさか! アスナの彼氏ですか?」
「違います。僕は、探偵助手の、坂井明宏といいます」
「探偵助手?」
「はい。こちらが、探偵の、桜井明日香さん。明日菜ちゃんの、お姉さんです」
と、僕は、自分の左隣に立つ明日香さんを紹介した。
「探偵さんですか――どうして探偵さんが、尚輝の別荘に? 何か、あったんですか?」
「それが、僕たちも、よく分からないんですよ。ただ、新庄さんに来てくれと言われただけで。勝手に依頼料を振り込んで、新幹線のチケットまで送られてきて」
「そうですか。まあ、尚輝なら、やりそうですね。あいつは、誰でも自分の言うことを聞くのは当たり前だと、そう思っているところがありますからね」
と、高田さんは笑った。
笑い事ではない。こっちは、いい迷惑だ。
――しかし、さっきから思っていたのだが、さっき僕は、自分の左隣に明日香さんが立っていると説明したのだが、その明日香さんの左隣には明日菜ちゃんが立っている。
高田さんは、僕の目の前に立っているのだが、顔を明日菜ちゃんの方に向けながら、僕と話している。
一応、目は僕の方を見ている。
何故、そんな不自然な――そうか、明日菜ちゃんの方を見たいけど、恥ずかしくて見れないということか。
僕も、最初に明日香さんに会った頃は、恥ずかしくてなかなか見れなかったなぁ……。
「あの、私に聞きたいことって、なんでしょうか?」
と、森高さんが、明日菜ちゃんに聞いた。
「あっ、そうだ。忘れてた」
と、明日菜ちゃんは、ビデオカメラを森高さんに向けた。
「もしかして、森高さんって――」
「あーっ! そうだ! 森高さん! 今日の夕食のメニューは、なんでしょうか?」
僕は、必死で、明日菜ちゃんと森高さんの間に割って入った。そして、明日香さんが、明日菜ちゃんからビデオカメラを取り上げた。
「ちょっと、お姉ちゃん。返してよ!」
「夕食のメニューですか?」
「ええ。もう、お腹がすいちゃって。今にも、お腹と背中がくっつきそうなんですよ。アハハ……」
と、僕は大げさに、お腹をさすってみせた。
「まあ、そうなんですか。坂井さんって、意外と食いしん坊なんですね」
と、森高さんは微笑んだ。
「え、ええ……。実は、そうなんです……。もう、食べることに生きがいを感じていまして……。もはや、人生それしかないというか……」
これで僕は、明日菜ちゃんのせいで、森高さんの中では、食べ物に目がない食いしん坊キャラになってしまった……。
後ろの方では、明日菜ちゃんが、「私だって、そんなにストレートには聞かないよ」
と、明日香さんと揉めている。
「今日の夕食のメインメニューは、ステーキです」
「ステーキですか? 最高ですね!」
これは、キャラとか関係なく、嬉しいメニューだ。
「ステーキですか。尚輝のことだから、きっと高級な肉を使っているんでしょうね」
と、高田さんが言った。
「はい。東北でも最高級のものを、用意しています」
「森高さんが、調理をされているんですか? それとも、他にも専門のスタッフが?」
と、僕は聞いた。
「いえ、調理の方は、ほとんど本多さんがやっています。恥ずかしながら、私は、あまり料理が得意な方ではなくて」
本多さんは、料理までできるのか。
僕も、料理でもできたら、明日香さんを振り向かせることが、できるだろうか?
「そうだ。高田さんは、昨日からいるんですよね? 昨日は、なんだったんですか?」
「昨日は、客が僕一人だけだったから、そんなにたいした料理じゃない――なんて言ったら、怒られますね。とても美味しい、パスタでしたよ」
「私も、パスタが食べたいなぁ」
と、明日菜ちゃんが呟いた。
どうやら、明日香さんからビデオカメラを取り戻すことは、諦めたみたいだ。
「そうですか。それでは、どこかでパスタが出せるように、本多さんに話しておきますね」
と、森高さんは微笑んだ。
「新庄さんには、言わなくても大丈夫なんですか?」
と、僕は聞いた。
「ええ。尚輝さんは、特にメニューには口を出さないので」
「もう、6時を過ぎましたね。そろそろ行きませんか?」
と、高田さんが言った。
「まだ、新庄さんと高梨さんが来てないわ」
と、明日香さんが言った。
「本当ですね。どうしたんでしょう?」
と、僕は言った。
「尚輝さんは、『まだ仕事が忙しいから、後で行く』と、言っていました」
と、森高さんが言った。
「高梨さんは、確か仮眠するとか言っていたわね。まだ、寝ているのかしら?」
と、明日香さんが言った。
「ちょっと、ドアをノックしてみましょうか」
僕は、高梨さんの部屋のドアをノックした。
「高梨さん! 起きていますか? 夕食の時間ですよ!」
しかし、中から返事はなかった。
「よっぽど、ぐっすり眠っているんでしょうか?」
「高梨さん! ステーキが、冷めますよ!」
と、僕は、もう一度ドアをノックした。
「も、もしかして――」
と、明日菜ちゃんが呟いた。
「明日菜ちゃん、どうかした?」
「さっきのニュースで言っていた、殺人犯がやって来て、高梨さんを――」
明日菜ちゃんは、そこまで言うと、明日香さんの手をギュッと握った。
「そんなわけないでしょ」
と、明日香さんが言った。
「なんですか、殺人犯って?」
と、高田さんが聞いた。
僕は、さっきのニュースのことを、高田さんに話した。
「そういえば、さっき言っていましたね。それにしても、テレビで見る通りのアスナですね。想像力が、ぶっ飛んでいる」
「東北地方といっても広いですし、ここには車がないと、なかなか来られませんよ」
と、森高さんが、真面目にこたえた。
「すみません。妹の言うことは、気にしないでください。明宏君。あなたの部屋から、高梨さんの部屋に入れるんじゃない?」
と、明日香さんが、僕の部屋を指差した。
そうだ、僕の部屋は、明日香さんたちの部屋と、高梨さんの部屋に繋がっている。
「森高さん。予備のカギは、ないんですか?」
と、高田さんが聞いた。
「それなら、尚輝さんが持っていますけど。借りてきましょうか?」
「いや、僕の部屋から入った方が早いですよ」
と、僕が、部屋に戻ろうとしたときだった――
高梨さんの部屋のドアが、ゆっくりと開いたのだった――
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