第3話
「電車の中を探検って――本当に子供ね。だいたい、探検するほど広くもないでしょう」
と、明日香さんは呆れている。
「そうですね。たった、三両ですからね」
たった三両とはいっても、僕の地元では一両や二両が珍しくないけれど。
「何十分も、いったい何をやっているのかしら? 他のお客さんに、迷惑を掛けてないかしら?」
うーん……。明日菜ちゃんなら、あり得るな。
「ちょっと、僕が見てきましょうか? もうすぐ、降りる駅ですから」
「お願い」
僕が席を立とうとすると、当の明日菜ちゃんが戻ってきた。
「あっ、噂をすればで、明日菜ちゃんが戻ってきましたよ」
「お姉ちゃん、明宏さん、ただいまぁ」
と、明日菜ちゃんは、ニコニコしながら、右手でビデオカメラを構えている。
「『ただいまぁ』じゃないわよ、明日菜。あなた、今までいったい何をしていたのよ」
と、明日香さんが言った。
「ちょっと、電車の中も撮影しておこうかなと思って。あっちの車両まで、行ってみたの」
「そんなに撮影していたら、バッテリーがなくなるわよ」
「大丈夫だよ。ちゃんと、予備があるから」
と、明日菜ちゃんは、カバンを指差した。
「明日菜ちゃん、どうしたのそれ?」
と、僕は明日菜ちゃんの左手に握られた物を指差した。
「これ? 焼きいもだよ。明宏さん、知らないの? さつまいもを、焼いたものだよ」
「い、いや、それは知ってるよ。どうして、焼きいもを持っているの?」
「さっき、もらったの」
「もらったって、誰に?」
「三両目に乗っていた、お婆ちゃんたちと仲良くなっちゃって。それで、焼きいもをくれたの。私は食べたから、お姉ちゃん食べる?」
と、明日菜ちゃんは、明日香さんに焼きいもを差し出した。
「私は、いらないわよ。明宏君にでも、あげなさいよ」
「えっ? 僕ですか……。まだ、焼きいもの季節には早くないですか?」
「大丈夫だよ。もう、冷めてるから」
まあ、熱かったら、片手で握っていられないだろう。焼きいもの熱さは、半端ないからな。
「それじゃあ、いただきます」
僕は、焼きいもを受け取った。
「明日菜ちゃん。お婆ちゃんたちと仲良くなったって言っていたけど、いったい何をしていたの?」
と、僕は焼きいもの皮をむきながら聞いた。
「えっとね……。一番後ろの車両に行ったら、三人組のお婆ちゃんに話し掛けられたの。『お嬢ちゃん、かわいいわね。焼きいも食べる?』って」
「それで、もらってきたの? むやみに、知らない人から物をもらうんじゃないわよ」
と、明日香さんは、まるで子供にでも注意をするかのように言った。
「私も断ろうかと思ったんだけど、凄い勢いで勧められたから。それに、お婆ちゃんたちの向かい側に座っていた男の人ももらっていたし」
「男の人?」
と、僕は聞いた。
「うん。確か……、
「いや、別にいいよ」
男の名前とか、正直どうでもいい。
「そういえば、その高梨さんも、どこか別荘に行くんだって。もしかして、私たちと同じ別荘だったりして」
まさか、そんな偶然はないだろう――
「明日香さん、降りる駅ですよ」
僕たちは、電車から降りた。
「結構、山の中まで来たわね」
と、明日香さんが言った。
「風があって、少し涼しいね」
と、明日菜ちゃんが言った。
空を見上げると、だいぶん暗くなってきて、今にも雨が降りだしそうだ。
「さあ、行きましょうか」
僕たちは、ホームから改札へ向かった。どうやら、ここは無人駅のようだ。
「私、無人駅なんて初めて」
と、明日菜ちゃんが、楽しそうに言った。
「そうなんだ。僕の地元では、無人駅なんて珍しくないけどね」
「ふーん。明宏さんの地元って、山の中なの?」
「いや、山の中ではないけど」
僕たちは、駅の待合室を抜けて、外に出てきた。
「見事に、何もないわね」
と、明日香さんが言った。
確かに、何もなかった。
タクシー乗り場もなければ、バス乗り場もない。そして、民家らしき建物も見当たらない。もちろん、お店などもなかった。
ただ一つだけ、かなり古そうな飲み物の自動販売機があった。
一応、売られているのは、普通にコンビニやスーパーで売られているものと同じもののようだ。ちゃんと、補充はされているのだろう。
「ねえねえ、明宏さん。ここから別荘まで、どうやって行くの? まさか、歩いていくわけじゃないよね」
と、明日菜ちゃんが聞いた。
その明日菜ちゃんの一言に、僕と明日香さんは、顔を見合わせた。
うーん……。いつ見ても、明日香さんはかわいいな――って、それどころではない。
「明日香さん。ここから、どうするんですっけ?」
「私は、知らないわよ。明宏君、聞いていないの?」
「えっ? 聞いていないですよ。僕は、てっきり明日香さんが電話で聞いているだろうと思って――」
っていうか、明日菜ちゃんに聞かれるまで、そんなことは考えていなかった。
「ちょっと明宏君、しっかりしてよ」
と、明日香さんは呆れたように言った。
「えっ!? 僕の、せいですか?」
「本当に、気のきかない助手ね」
と、明日香さんに、冷たく言われてしまった。
なんか、納得がいかない……。
「ちょっと、明日菜! こんなところ、撮影しなくてもいいわよ!」
気が付けば、明日菜ちゃんが、僕たちにビデオカメラを向けている。
「まあまあ、お姉ちゃんも明宏さんも、痴話喧嘩はやめようよ」
と、明日菜ちゃんが、ビデオカメラをこちらに向けたまま、ニコニコしながら言った。
「な、何よ……。痴話喧嘩なんかじゃないわよ。明日菜、変なことを言わないでよ」
と、明日香さんは、何故か動揺している。
「そ、そんなことよりも、明宏君。新庄さんに、電話をしてみてよ」
と、明日香さんが言った。
「はい。出てくれれば、いいですけど――」
僕が電話を書けようとしたとき、後ろから声が聞こえた。
「すみません。今、おっしゃった新庄とは、もしかして新庄尚輝のことでしょうか?」
僕に話し掛けてきたのは、身長190センチ以上あるんじゃないかという、30歳くらいの大柄な男性だった。
「はい。そうですけど――」
「あっ!」
突然、明日菜ちゃんが男性を指差して、大きな声を上げた。
「明日菜、人を指差さないの」
と、明日香さんが言った。
「おや。先ほどの」
と、男性が、明日菜ちゃんを見て言った。
「お姉ちゃん。さっき話した、高梨さんっていう人だよ」
「ええ、高梨です。もしかして、別荘に行かれるというのは、新庄尚輝の別荘でしょうか?」
「はい。そうです」
と、僕は言った。
「やっぱり、そうでしたか。俺も、さっきの電車に乗っていて、そちらのお嬢さんとお話させてもらったんですが、別荘に行かれると聞いて、もしかしたら新庄の別荘なんじゃないかと思っていたんですよ。この辺りに、他に別荘なんてほとんどないですから」
「それじゃあ、高梨さんが行かれるのも――」
「はい。新庄の別荘ですよ」
「実は僕たち、ここからどうやって行けばいいのか分からなくて、困っていたんです」
「それなら、新庄の秘書が、もうすぐ車で迎えに来るはずですよ。一緒に、行きましょう」
「本当ですか? 助かります」
そして、数分後――
黒い乗用車が、僕たちの方に向かって来た。
こんな山の中には不釣り合いな、何とも高級そうな車だ。
明日香さんの軽自動車とは――比べるまでもないな。
「あれが、新庄の車ですよ」
と、高梨さんが言った。
その黒い高級車は、静かに僕たちの前に停まった。そして、高級車から、僕と同じくらいの年齢の男性が降りてきた。
「すみません、お待たせしました。高梨様と桜井様に坂井様ですね?」
「はい」
「私、新庄の秘書の、
僕たちは、荷物をトランクに乗せると、高級車に乗り込んだ。
「ええ、俺は、新庄とは高校の同級生なんですよ」
と、助手席に座った、高梨さんが言った。
「そうなんですね。僕は、坂井明宏、探偵助手です」
「――探偵助手?」
と、高梨さんは、驚いて聞き返した。
「はい」
「へぇ、珍しいですね。でも、探偵ではないんですね」
「探偵は、こちらです」
と、僕は、明日香さんの方を向いた。
ちなみに、後部座席の右側に明日香さん、左側に明日菜ちゃんが座っている。
明日菜ちゃんが、「明宏さん、お姉ちゃんの隣に座らせてあげる」と言って、僕は、二人の間に小さく挟まれていた。
「探偵の、桜井明日香です」
と、明日香さんは、軽く頭を下げて、名刺を渡した。
「これは、ご丁寧にどうも。俺は、普通のサラリーマンで、名刺なんて持ってないです。そうですか――女性探偵ですか」
と、高梨さんは、明日香さんを見つめながら言った。
ま、まさか――
高梨さん、明日香さんに気があるんじゃないだろうな?
この僅かな時間で、明日香さんに惚れてしまったのでは――
「先ほどは、あまり詳しくは聞けなかったんですが、そちらのお嬢さんは――」「ああ、明日菜ちゃんは、明日香さんの妹ですよ」
「もしかして、妹さんも探偵を?」
「明日菜ちゃんは、モデルですよ」
「モデルですか? 凄いですね。――そういえば、テレビで見たことがあるような。もしかして、一昨日のクイズ番組に出てましたか?」
「あっ、見てくれたんですか? ありがとうございます」
と、明日菜ちゃんが、嬉しそうに言った。
「ええ。とても、斬新な解答をする人だなと思っていましたよ。俺なんかじゃ、思いも付かない」
と、高梨さんは笑った。
「えー、そうですか? 嬉しいです」
と、明日菜ちゃんは、ニコニコしている。
しかし、今のは褒められたというよりも、ソフトにバカにされたように感じたのは、僕だけだろうか?
「お話の途中すみませんが、ちょっとよろしいでしょうか?」
と、本多さんが、運転をしながら言った。
「はい」
「新庄の話では、桜井様と坂井様は、お二人連れだと聞いていたのですが――」
「本多さん、すみません。妹が、どうしても自分も行きたいって言うもので。連絡をしようと思ったんですけど、時間がギリギリだったもので」
と、明日香さんが謝った。
「そうでしたか。まあ、お一人くらい増えても、大丈夫だと思いますよ。食材も、用意してありますし。ただ、お部屋の方が、もしかしたら姉妹で一部屋ということになるかもしれませんが、よろしいでしょうか?」
「もちろん、構いません。無理なお願いをしているのは、私たちの方ですから。明日菜、あなたもお礼を言っておきなさい」
「ありがとうございます」
と、明日菜ちゃんが、頭を下げた。
「大丈夫ですよ。まさか新庄も、帰れとは言いませんよ」
と、本多さんは微笑んだ。
そうだといいけど。僕の知っている新庄さんからすると、平気で帰れとか言いそうだけど。
「おや。雨が、降りだしましたね」
と、本多さんが言った。
小雨が、車のフロントガラスを叩き始めた。
「天気予報では、大雨になるかもしれないと言っていましたから心配ですね」
と、高梨さんが言った。
僕は、窓の外を見つめながら、なんだか嫌な予感がした。
何か、よくないことが起きるのではないかと――
そんなとき、明日菜ちゃんが、そっと僕に耳打ちをした。
「明宏さんが、お姉ちゃんと一緒の部屋がいいんじゃない?」
「えっ?」
僕は、何か、いいことが起こりそうな予感が――
「い、いや、明日菜ちゃん。それは、駄目だよ……」
と、僕は呟いた。
「何が駄目なの?」
と、明日香さんが、不思議そうに聞いたのだった――
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