第2話
遡ること、今から数時間前――
僕たちは、明日香さんの探偵事務所にいた。
この、築20年くらいの三階建ての小さな白いビルが、明日香さんの探偵事務所だ。築年数のわりには綺麗だし、耐震性もしっかりとしている。
一階は駐車場になっていて、明日香さんの白い軽自動車が停まっている。
そして、二階が探偵事務所で、三階に明日香さんの住んでいる部屋がある。
このビルは、不動産業の明日香さんの父親の所有するビルで、かなりの格安(ほぼ、無料みたいなもの)で借りているそうだ。
「明日香さん、準備はオーケーですか?」
と、僕は聞いた。
明日香さんは、探偵事務所の椅子に座ってコーヒーを飲んでいる。
「準備なんて、昨日のうちに終わっているわよ」
と、明日香さんは当然のように言った。
まあ、そんなことは僕も分かっているのだが、他に話すことが思い付かなかったので、一応聞いてみただけだ。
「東北は天気が悪くなるみたいですけど、傘は持っていった方がいいですかね?」
「さあ……。好きにすれば」
と、明日香さんは素っ気ない。
「明日香さん。いい加減に、諦めてくださいよ。もう、行くしかないんですから」
「言われなくても、分かっているわよ」
と、明日香さんは、ため息を付きながら言った。
僕たちは、これから東北に行くことになっている。旅行などではなく、とある人物に呼ばれたのだ。
何故、明日香さんが、あまり乗り気ではないのかというと――
「私、あの人、苦手なのよ……」
と、明日香さんは呟いた。
「それは、分かりますけど。新幹線のチケットも送られてきてるし、何よりも依頼料も振り込まれているんですから」
「今からでも、キャンセルできないかしら?」
「無理ですよ。だって、全然連絡が付かないんですから」
「無断で、キャンセルしようかしら」
と、明日香さんは呟いたが、明日香さんは、そんなことをするような人ではない。なんだかんだ文句を言いつつも、ちゃんと行くのである。
どうして明日香さんが、こんなことを言っているのかというと――
今から数日前に、
この新庄さんという人は、30歳の会社社長で、数ヶ月前にちょっとした事件を明日香さんに依頼してきたのだ。
もちろん、事件は、明日香さんが見事に解決したのだが――
その新庄さんから、急に東北にある別荘に来てくれと連絡があったのだ。どうして、明日香さんが行くのを嫌がっているのかというと――
この新庄さんという人は、とにかく態度が大きいのである。
自分が一番でないと気に入らないようで、秘書を怒鳴り付けたり、とにかく嫌な人なのだ。僕たちに対しても、上から目線でいろいろと言ってくるので、やりにくくて仕方がなかった。
そんな新庄さんから、何故か別荘に来てくれと言われたのだ。
明日香さんは、仕事が忙しいからと一度は断ったのだが、「どうせ、そんなに依頼なんて来ていないだろう?」と、言われてしまった。
まあ、確かにその通りなのだが……。
それでも、明日香さんは断ったのだが、「じゃあ、探偵の仕事として依頼しよう」と、言われて、一方的に依頼料を振り込まれて、新幹線のチケットまで送られてきたのである。
その後も、何度か連絡をしようと試みたのだが、秘書の男性には連絡が取れたのだが、新庄さんには連絡が付かず、秘書の人にも、「自分には、分からない」と、言われてしまった。
そして、今日の日を迎えたのである。
「それにしても、新庄さんは、いったい僕たちに何の用があるんでしょうね?」
と、僕は明日香さんに聞いた。
「知らないわよ。私は、新庄さんじゃないんだから」
と、明日香さんは、少し不機嫌そうに言った。
まあ、それもそうだ。新庄さん自身は、「君たちが、来てから話す」と、言っていた。いったい、どんな用件があるのだろうか?
おそらく、また何か無理難題を言ってくるんじゃないかとは思うけど、明日香さんには言っていないけど、僕は少し楽しみにしているところもある。
なんといっても、お金持ちの別荘に、明日香さんと二人で泊まれるのである。
もしかしたら、あんなことや、こんなことがなんて――
「明宏君。何を、ニヤニヤしているのよ? 気持ち悪いわね。何か、変なものでも食べたの?」
「い、いえ……。何でもないです」
と、僕は慌てて、首を横に振った。
「そうね。気持ち悪いのは、いつものことか」
「あはは! そうですね」
と、僕は、大げさに笑った。
「…………」
明日香さんは、無言で僕の顔を見ている。
あっ、目をそらした。こ、これは、ごまかせたのかどうか分からない……。
気まずい沈黙が――
そんなとき、一人の若い女性の明るい声が、沈黙を破った。
「お姉ちゃん、明宏さん、おはよう!」
「あ、明日菜ちゃん、おはよう」
探偵事務所にやって来たのは、明日香さんの妹の明日菜ちゃんだった。
「あれ? お姉ちゃん、顔が赤いんじゃない? どうかしたの?」
と、明日菜ちゃんは、明日香さんの顔を見ながら言った。
「べ、別に、赤くなんかないわよ! 太陽の光が、当たっているだけよ!」
と、明日香さんは、急に大きな声を出した。
「今日は、曇ってるけど?」
と、明日菜ちゃんは、窓の外を見ながら首をかしげた。
明日菜ちゃんは21歳で、身長は僕よりも5センチも高い174センチもある(うらやましい)。
アスナというカタカナの芸名で、モデルとして活動をしている。最近では、テレビのクイズ番組での、おバカな解答や発言がかわいいと話題になり、バラエティー番組にも引っ張りだこだ。
明日香さんは、そんな明日菜ちゃんの発言を、「恥ずかしい」と、言っているけど、本当は誰よりも明日菜ちゃんを応援しているのである。
明日菜ちゃんも、姉の明日香さんを尊敬していて、探偵事務所にもたびたびやって来るのだ。
「明日菜、そんなことよりも、こんな時間から何をしに来たのよ」
と、明日香さんが聞いた。
「うん。ちょっとね。お姉ちゃんと明宏さんに、お願いがあって」
と、明日菜ちゃんは、微笑んだ。
「なによ、お願いって」
「あれ? 明日菜ちゃん、何を持っているの?」
と、僕は聞いた。
明日菜ちゃんは、右手にビデオカメラのような物を持っている。
「これ? ビデオカメラだよ」
「明日菜、どうしてビデオカメラなんて持っているのよ?」
と、明日香さんは、不思議そうに聞いた。
「実は、これがお願いなんだけど」
と、明日菜ちゃんは、満面の笑みを見せた。
「あのね。テレビ番組の企画なんだけど、夏休みの様子をこのビデオカメラで撮影しないといけないの。それで、誰の映像が一番よかったとかを決めるんだけど」
「ふーん。よくありそうな企画ね。それで、私たちにお願いってなんなの?」
と、明日香さんが聞いた。
「うん。他の出演者の人は、海外旅行とか避暑地の別荘とかに行く人もいるらしいんだけど。そういう人には、なかなか勝てないと思うの」
「それで?」
「そこで、相談なんだけど。お姉ちゃんと明宏さんに密着させてもらって、事件解決の決定的瞬間を撮影させてほしいの。これなら、きっと勝てると思うのよ!」
と、明日菜ちゃんは、力強く言った。
「えっ? ちょっと、待ってよ。そんなの無理よ」
と、明日香さんは、首を横に振った。
「どうして?」
「どうしてって、何があるか分からないのに、そんな危険なところに明日菜を連れて行けないわよ。それに、その映像をテレビで流すなんて、駄目に決まっているでしょ」
確かに、明日香さんの言う通りだ。どんな危険があるか分からないし、テレビでとなると、依頼者の許可とか、その他いろいろと面倒だ。
「私なら、大丈夫よ。ちょっと離れた場所から撮影するから」
「そういう問題じゃないから」
と、明日香さんは、呆れている。
「明宏さん、駄目?」
明日菜ちゃんは、明日香さんの説得は諦めて、僕に聞いてきた。
「うーん……。やっぱり、難しいと思うよ」
明日香さんが駄目だと言っているのに、僕が許可をするわけにはいかない。
「そう……。昨日、
鞘師さんとは、僕たちの知り合いの警視庁の鞘師警部のことだ。
鞘師警部は、明日香さんのお父さんの大学時代の後輩の息子さんで、僕たちの調査にもいろいろと協力をしてくる。身長185センチの、独身イケメン警部だ。
「明日菜ちゃん。さすがに、警察は無理だよ。それに、僕たち、これから東北の方に行かないといけないから」
「東北? 何か、事件の調査?」
「いや、調査というか、僕たちもよく分からないんだけど。ある人の別荘に呼ばれているんだ」
「別荘――」
明日菜ちゃんは、なにやら少し考え込んでいる。
僕は、なんだか嫌な予感がしたが――
「そうだ! ねえ、明宏さん。私も、一緒に連れて行ってよ!」
と、明日菜ちゃんは、言い出した。
「ええ!? そんなこと、急に言われても――」
僕は、嫌な予感が当たり、戸惑ってしまった。
「いいでしょ?」
いいでしょと言われても、僕にそんな権限はない。
「明日菜、駄目よ。そんな急に、迷惑だわ。それに、新幹線のチケットは、二枚しか送られてこなかったんだから」
と、明日香さんが言った。
「新幹線のチケットまで送ってくる別荘を持っている人なら、相当なお金持ちでしょ? 一人くらい増えたって、どうってことないわよ。新幹線のチケットなら、これから駅に行って取るわよ」
まあ、相当かどうかは分からないけど、お金持ちであることは間違いない。
「明日香さん、どうしますか? 新庄さんに、電話を掛けてみますか?」
「いいわよ。どうせ、連絡つかないわよ」
「じゃあ、一緒に行っていいの?」
「仕方がないわね。まあ、いくら新庄さんでも、帰れとは言わないでしょう。でも、明日菜、着替えはあるの?」
「お姉ちゃんの部屋に置いているのを持っていくから、カバンを貸して」
「もう時間がないから、早くしなさいよ」
「何泊するの?」
「分からないわ」
明日香さんと明日菜ちゃんは、探偵事務所を出て、明日香さんの部屋に向かった。
駅で新幹線のチケットも取れ、こうして明日菜ちゃんを含めた三人で、新庄さんの別荘に向かうことになったのである――
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