第一章:ふたりの朝

 ——……それから、月日が流れて。

 桜がもう一度咲き、散った。梅雨明けを境に気温も湿気も増してきて、外に出るのもちょっと億劫になってくる時期。

 だけど、それでも平日は学校に行かなければいけない。しかも早朝から。

 ……せめて、あと一時間、登校時間が遅くなればいいのに!


「お兄ちゃん、なんで起こしてくれなかったのー!?」


 私は制服のネクタイを結びながら、軽く足踏みする。高校に入ってから肩までの長さに切った髪が揺れているのが、目の前の鏡で見える。


「起こしたよ! 沙羅が起きなかったんだろ……ほら、トーストだけでも食べて」


「うう……わかったよお」


 呆れたように眉を下げるお兄ちゃんの手から、トーストを咥え取る。うん、バターのいい匂い。


「車に気をつけなよ。行ってらっしゃい!」


 玄関のドアに飛びつくと、お兄ちゃんの声が追いかけてきた。


「うん、いってきます」


 お兄ちゃんのほうを振り向いてから、駆け出す。眩しい日差しに包まれて、一瞬目がキュッと痛んだ。



 家から自転車で三十分程度、隣町との境目近く。そこに建つ高校へ通いはじめて、二年目に突入する。

 私が中学を卒業したとき高校生だったお兄ちゃんは、今や大学生。文学部で、文芸サークル所属。忙しそうだけど、でも楽しそうに過ごしている。

 一方私は、中学のときと変わらず美術部所属。もちろん、あの子も一緒。


「璃桜ーっ! ごめーん、寝坊した!」


 近所のコンビニ前に佇む、ふわふわのおさげに向かって叫んだ。


「あっ、沙羅ちゃん、おはよう〜!」


 昔から変わらない、柔らかい微笑みが私のほうを向く。

 璃桜。小学五年生のときから、ずっと仲良しな親友。


「おはようっ!」


 さっき叫んだ拍子に落ちかけたトーストを、一旦片手で支える。目の前で、璃桜がくすくす笑った。


「沙羅ちゃん、朝ごはん食べる暇なかったんだね」


「だって、起きたらもう出発五分前だったし……」


 ありのままを白状すると、途端に璃桜の笑い声が大きくなる。


「ちょっ、笑いすぎだよー!」


「ごめ……あはは、沙羅ちゃんってば、相変わらずだね〜」


 ……遠足やら修学旅行やらで、彼女は昔から私の寝起きの悪さを知っている。何も言い返せない。

 とりあえず、さくさくとトーストを小さくしていく。


「パン、食べきってから行く?」


「ううん。それだと遅刻しそう。もう行こ」


 だいぶ縮んだトーストをもう一度咥えて、自転車のハンドルをまっすぐ握る。

 頷いた璃桜も、自転車の向きを変えて——その前輪の数センチ先に、急に車が割り込んできた。


「わっ……!!」


 璃桜の体と自転車が小さく跳ねる。車は何事もなかったかのように通り過ぎていった。


「危な……っ! 大丈夫、璃桜!?」


「うん、平気……びっくりしたね。邪魔だったかな?」


 おどおどと辺りを見回す彼女につられて、私も周りを確認する。

 確かに車道の側ではあるけど……横断歩道も目の前にあるし、いちゃいけない場所ではないはず。

 最近、こういうの多いなあ……車が怖くなってきちゃう。


「別に、大丈夫だと思うんだけどな……。でも、とにかくぶつからなくてよかったね」


「そうだね。朝から事故とか、大変。行こっか、沙羅ちゃん」


 彼女の言葉に頷いて、ペダルに足をかけ直す。

 時間、やばい。うん、急ぎめで行こう。

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