第六章:待ち合わせ

 ——二十三日は、あっという間にやってきた。

 待ち合わせ場所は、いつもの駅前。約束の時間は午後一時半。

 だったけれど。



 すっかり日の落ちた外から、雨粒の音がする。

 夜空を写して昼間よりも真っ黒になった地面を、建ち並ぶ屋根を、道行く人のカラフルな傘を、雫が叩いている。

 だいぶ、強くなってきたなあ。

 璃桜、大丈夫かなあ。


「——……沙羅」


 不意に呼ばれて、顔を上げる。

 お兄ちゃんが、いつの間にか立っていた。右手に傘をさして、左手には私の傘を持って。


「雨、朝まで止まないって予報だったから。迎えに来た」


 差し出された左手の傘を受け取る。


「もう八時になるよ。ほら、帰ろう」


 雨のせいかな。お兄ちゃんの声が、ちょっと聞き取りづらい。

 でも、帰ろうって言ってたのは、聞こえた。


 ——だめ。

 まだ、帰れない。

 だって。


「……璃桜が」


「ん?」


「璃桜が……来ないの」


 自分の口から流れる言葉が、耳を通して、胸に刺さっていく。

 来ない。来なかった。

 どうして、だろう。


「なんでかな……すごく、嫌な予感がするんだ。だって、璃桜は……私との約束、破ったことないんだもん」


 そう。こんなこと、一度もなかった。

 なんで、だろう。

 いつも、一緒にいるのに。


「何か、あったのかな……心配だなあ」


 胸が、冷えるように、苦しくて。

 でも、目元はじわじわと熱を帯びていく。

 鼻の奥がつんとして、視界がぼやけた。


「……沙羅。もう、やめようよ」


 お兄ちゃんの、声がした。



 ……えっ?



「やめる……? 何を?」


 顔を上げる。瞬きをした瞬間、視界がクリアになった。代わりに、頬を雫が滑っていく。


「もう、ここに来るの、やめよう」


 お兄ちゃんの言ってること、はっきり聞こえるようになった。


「……もう、来ないんだよ。璃桜ちゃんは」


 璃桜は。

 あの子は、もう、来ない。

 お兄ちゃんは、そう言ったの?


「な……なんで? お兄ちゃん、なんで璃桜が来ないか、知ってるの?」


「沙羅」


 お兄ちゃんの左手が、私の肩を掴んだ。

 なんだか、すごく、苦しそうな顔だ。


「目を覚まして、沙羅。ほんとは、沙羅もわかってるだろ?」


 私が? わかってる?

 そんなわけない。私は、知らない。

 知らない。わからない。——覚えて、ない。


「璃桜ちゃんは、一年前に……」


 やめて。やめて。お願い。聞きたくない。

 それ以上、その先を言わないで。


「……死んじゃっただろ。交通事故に、巻き込まれて」



 ——……雨の音が、聞こえる。

 テレビの砂嵐みたい。ラジオのノイズみたい。

 思考が、止まって、動かない。


「璃桜ちゃんが事故に遭った日も、沙羅はここに来てたじゃないか」


 お兄ちゃんの声は、まだはっきり聞こえる。

 でも、上手く、理解できない。


「……それから、いないはずの璃桜ちゃんと遊んだり、話したり……この駅前にも、毎月、二十三日になると、必ず来る」


 二十三日。

 そうだよ、だって、約束したもん。

 七月の、二十三日に。

 一緒に海まで行こう、って。


「もう、あの子はいないんだよ……沙羅。もう、やめよう」


 いない。あの子は、いない。

 そうだ。あの子は。



 どこにも、いない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る