12.シニガミの鎌

 対岸の火事だと思っていた事柄が、いつの間にか自分がいる岸辺で起きていたと気づかされることは決して珍しくはない。今回だってそうだ。捏造やこじつけは、以前タブロイド紙で仕事をしていた頃、日常茶飯事だったから私にとってはす驚くことではない。むしろ日常の風景がそうした偽善や欺瞞に満ちていたことが懐かしくさえ思えてくる。

 ただし、今は立場が異なる。火付け役でもなければ、被害者でもなく、傍観者でもなければ、当事者でもない。私の立場はかなり微妙かつ曖昧だ。対岸の火事、警視総監が狙撃された事実は捏造やこじつけが効くような質のものではない。しかし、犯人となると話は別だ。

 狙撃犯が現場に残したとされるメモを辿ってゆくと、拍子抜けするほど簡単に重要参考人へと繋がり、そのメモの出所と人物をめぐる警察と関係当局の駆け引きが其処彼処からリークされると、大衆はこぞって不確かだがセンセーショナルな話題に飛びついた。それまで水面下に隠されていた秘密や謀略が白昼の下にさらされようとしていたものだから、皆が注目しないわけがない。それも時の人であるKAGUYAを生み出し、単なるエンジニアとしてだけではなくプライベートでも芳夜と深い関係がある人物となれば、当然の事だ。渦中の人物は迷惑なこと甚だしい限りだが、大衆は面白ければ何でもいい。常に求めている大衆のニーズがある限り、マスメディアはそれに群がり、問題提起といいながら意図的に加工した情報を提供する。

 そうしたマスメディアとの駆け引きに、私を含め、言い掛かりや嫌がらせに慣れている芳夜と愉快な仲間達は、普段なら口笛を吹きながら軽口を叩く余裕もあっただろうが、生憎芳夜の全国ツアーが始まったばかりで全くゆとりがなく、ゆとりがないばかりか『本物の猫にさえ手を借りたい』と希に愚痴を言わしめる時期に、芳夜のステージを支える大黒柱の天地翔が重要参考人として連日事情聴取を受けていた。

 アプリケーションソフトとしてのKAGUYAは製品化されてはいたものの、コンサート会場での使用に耐え得る精度や新しい試みを多用するとなると、使えたり模倣したりするレベルでは用が足りず、開発者が絶えず最新の技術を提供し続けなければならなかった。次のライブの準備を進めようにも進められない状態に、やきもきするしかない当事者は愚痴やボヤキを口にするより他にない。

 明星プロダクション内で陰謀や大掛かりな嫌がらせの可能性を指摘する向きもあるなか、警視総監狙撃事件の捜査も、芳夜の次のライブの準備も遅々として進まない状況下におかれていたある日、私は希とエレベーターに乗り合わせた。

「こうも毎日、毎日、毎日呼び出しをされたらたまらないわ。ねえ、陽子、なんとかならないの?」

「翔君の事?残念ながら、その仕事は契約書に書かれてないわ」

「あなたらしい面白味の無い答えね。なら、オプションで出来るの?」

「無理なものは無理。私より探偵さんに頼めばいいことじゃない」

「日向野さんねぇ」

 希……明星社長は諦めたように探偵の名を口にした。日向野 影は、明星プロダクションお抱えのボディーガードで、普段は所属タレントのマスコミ対策をしている。ボディーガードといいながら、社名が日向野探偵事務所であることを揶揄して「探偵さん」と呼ばれていた。駆け出しのカメラマンだった頃は、タブロイド紙の記者であり私の上司だった。

「昔の上司だからって、肩を持つつもりはないけど、公私共に助けてもらっているみたいじゃない。特にプライベートで」

 含みを持たせたつもりだったが、希はやすやすと切り返した。

「プライベートで警視総監狙撃事件を隠蔽するとかはないし、第一、あの探偵さんにそこまで期待してないわ。二人の面倒を見るだけで、いっぱいいっぱいだし」

 二人とは無論、芳夜と荒城廉太郎の事だ。明星プロダクションの二大看板タレントは、芸能活動もプライベートも破天荒だった。

 例えば荒城廉太郎は『歩くスキャンダル』と揶揄されるほど、常に怪しい噂がつきまとっていた。最近の話題では所属プロダクション社長と某有名女優との不倫三角関係が取り沙汰されたばかりだ。探偵さんは所属タレントの尾行や素行調査をしなければならず、本来の仕事に手が回らないというのが実状だった。だから、いちいち事務所スタッフのプライベートまで関わっていられない。

「でも、事が事だけに放置出来ないでしょう?」

「マスコミ各社にはファックスでコメントを流したわ」

「たったそれだけ?」

「それだけよ。他に何か出来る事があるの?」

「偽情報を流すとか。……あーでもダメダメ、そんなのは直ぐにソースがバレる。あーじゃあ、……雲隠れする。そんな暇はないわね。どうにもこうにも残念ながら無さそうね」

 社長が送ったFAXは「事実関係は当局が捜査中であり、本件についてはコメントを差し控えたい」という簡潔な一文だけだ。“下手な憶測で報道したり、風説を流したりしたら、警視庁記者クラブへの出入り禁止”とまで公然と囁かれている事件の性質からか、幸いにもマスコミから叩かれることはなかった。更に言えば、重要参考人の天地翔自身も警視庁の捜査に協力的であり、警視庁と積極的に接触することで情報収集をしている節があった。

「でしょう?」

「話題の彼の口癖じゃないけど、『ヤレヤレ』ね。ところで彼が犯人なのかどうか、希はどう考えてるの?」

「個人的にも、事務所的にもシロであると思いたいわね。でもね、陽子も知っての通り、彼には秘密が多すぎるの。疑いを挟む余地だらけよ」

 希の話に間違いはなかった。天地翔は、彼の過去を知れば知るほど、今回の狙撃事件との関わりに疑いをもって当然だった。

「彼自身、私に自分の事を語らないし、私が彼の過去を探ろうとすると、必ず横槍が入る。江ノ島の事件だって、瞳さんや昇君が関わっていなければ、表舞台に立たず秘密裏に片付けるつもりだったようだし」

 江ノ島の事件、ことに前段の芳夜誘拐未遂事件の際、彼等は積極的に関与した。日向野は彼等の裏事情をそれとなく知っていたようだし、捜査の指揮を執っていた若い警察官僚と彼等は旧知の仲であることは彼等の言動から明らかだった。

「何とか賞をもらった陽子にも取材出来ないことがあったのね」

「他の事なら無いと断言出来るけど、彼と彼女は特別ね」

 過去との関わり無しに現実は成り立たないのだから、翔と芳夜の今を追えば、自ずと明らかになると思ったからこそ、他の仕事を棒にしてまで私は芳夜の専属カメラマンになった。私と彼等の過去は唯一あの事件、中学生偽装心中事件で接点がある。世間では既に確定した過去になっているが、私には未だに腑に落ちない未解決事件だった。

「ん?何か言った?」

「何か聞こえた?」

「専属カメラマンが何とかとか。あ、もしかして辞めるとか考えてない?」

「確かにフリーの方が稼げるし……」

「呆れた。アナタ本当にそう思ってたの?」

「ちょこっとだけよ。でも辞めようとか考えてないから。だってあの子達と関わるって、なかなかスリリングじゃない」

「否定出来ないわね。スキャンダルには事欠かないから陽子にはそうかも知れないけど、私には頭痛の種だわ」

「事務所が作り出した話題でしか世間の注目を集められないタレントよりは、ましだと思うけど。それに一線は越えてないし」

「そうさせない為のボディーガードを雇っているなんて、他人様が知ったらそれこそスキャンダルだわ」

 これではまるで小姑ではないか。希を見ると笑いをこらえている。彼女も同じ事に気付いたらしい。私達はほぼ同時に吹き出した。

「まあ、愚痴を言えるうちは大丈夫よ」

「そうね。ただ、私達の愚痴で済んでいるうちはいいけれど、彼、今度はどうするつもりなのかしら?」

「さあ、今は素直に聴取に協力しているけど、何を考えているかわからない。まあ、公になった彼の過去から推測するに、唯々諾々と協力しているだけには思えないわ」

「『疑惑の重要参考人』は、かつての『中学生偽装心中殺人事件』の容疑者だった。かつてのリベンジで調べてみたら?」

「さっきも言った通り、誰も彼の実態には触れられない。3年かけてわかったのは、それだけ」

「肩を落とすには早いわ。彼に疑惑がなければ、有耶無耶にはならないってことでしょ?」

「それはそうだけど。でも、黒じゃないから白とも断言は出来ないと思う」

「他の可能性も捨てきれないから、陽子は二人の側にいる訳でしょ?」

「それは否定しない。あの事件から3年経って、あの子達をようやく冷静に見られるようになったわ。真実は闇の中に埋もれかけているけど、二人に張り付いていれば、いずれ明らかになるはずだわ」

「そしたら、今度はピューリッツァー賞を貰えるかもね」

「此処だけの話、実は狙っているの」

「まあ、元工作員に足元を掬われないように気をつけてよ。電脳世界の情報操作も、情報の揉み消しも彼等の十八番みたいだし」

「私だって、ジャーナリストとして銃弾や砲弾の飛び交う戦場を取材したこともあるし、自分の身を守る術を心得ているわ。防弾ベストやヘルメットを着けていても駄目なものは駄目。ところでさ、猫に引っ掻かれない方法は何だかわかる?」

「私、猫を飼ったことないから解らないわ」

「猫の首輪の鈴になっていればいいの」

「猫の鈴ねえ。で、危なくなったら、どうするつもり?」

「着いたわ。簡単よ。私が二人に密着している間なら、多少はましってこと。逆に私が辞めたら希も二人から手を引けばいい。おっと、ぼやぼやしてたら、二人のスキャンダラスなシーンを逃しちゃう。愚痴を言い合うのは、また今度ね」

 エレベーターの扉が開き、私は駆け出した。

《葉月陽子『伝説の証人』より》



 曖昧で、しかし時として実体験よりも鮮烈で正確な、かつ他人との共感も可能な心の中にある記録……。翔が私に口伝えた記憶のイメージは、私には実感が湧かない。もし、記憶というものが翔の言葉通りだとしたら、私には記録はあっても記憶はない。何故なら今の私の記憶は、事実の記録に過ぎないからだ。

 調 芳夜としての私が経験した時間は、全て精緻で欠損のない記録として、様々な要素のインデックスが付された上で亜望丘にあるサーバーに保存され、その記録が規定容量に達すると圧縮されてインデックスのエイリアスのみが通常読み書きされるサーバーの記録に残される。そして何かのきっかけで過去の事象を想起すると、一片の曇りもない記録が引き出され、その事象にまつわる他の過去のインデックスが抽出される。

 だから、翔の話で時折出てくる言葉、「あやふや」とか「たぶん」とか「ハッキリしない」という事は、理論上私には有り得ない。私が日常で使うそれらの言葉は便宜上のもので、多くの場合は私が嘘をつく時の常套句だ。

 しかし唯一それらが当てはまらない事柄がある。所謂、中学生偽装心中殺人事件の記録だ。私に初めて記録と記憶の差違を知らしめたその事象は、私の過去の終わりである記憶らしい記録と、今の私の始まりである記録の分岐点になっているが、肝心な記憶は始めから事件が無かったかのように抜き取られ失われていた。

 当事者の記憶を補完する第三者による記録は秒刻みに精緻なのだが、僅か数時間の出来事は、状況証拠以外何も残されていない。その時一体何があったのか、空白の数時間の解明に挑み続けようとするかしないかは、中学生偽装心中殺人事件を事件として受け入れるか否か選択した結果に過ぎない。当時、甘い蜜に群がった大衆は暫くしてその味に飽きてしまい、周囲の人達は表向きの同情と裏腹に私の遺影と翔の背を指差し、顔を背けながら有りもしない事実を口にした。事実と真相を追い求めることを選択したのは、未練がましく諦めが悪かった人物だけで、しかしながら今なお誰一人として真相の入口である事実にさえ辿り着いていない。

 彼等が追求する失われた記憶に関わった人物は、少なくとも私が知る限り、幸福になった者はいない。事件の第一発見者だった兄は、最も事件後の状況を知り得る立場あったが、その立場を利用された挙げ句、舞台から退場させられた。翔は私の心に埋め込まれたブラックボックス内の記憶を紐解けば過去を精算できると信じているが、今にいたる過程で自分以外の家族を全て失った。私は躰を取り戻せたら、全てが解決すると思っていたが、実際は違っていた。翔によって試みられた望月芳夜の再構成は失敗に終わり、オリジナルの躰は失われた。現状は危ういバランスの上に成り立っていて、つまり事件の記録があるとされるブラックボックスによって、かろうじて私の人格と御嬢の躰が結びついているに過ぎない。

 翔が芳夜と呼ぶ今の私を形作るこの器は、幾つかの人格を経て今に至った。最初に創られた芳夜、その存在を否定し上書きした芳夜、事件以後ネットワーク上を浮遊していた私が介入し乗っ取った今の芳夜。何処から何時から誰が芳夜なのか、私に知る術はない。ただ一つだけ確かなのは、現実世界に留まった翔や御嬢や兄の記憶が、電脳世界に弾き飛ばされた私の記憶や新たな記録を補完し、或る筋書きを再構成しつつあるという事だけだ。

 翔がいなければ、補完と再構成を行うことは不可能だったし、補完の対象となる御嬢こと瞳の存在無しに成り立たなかった。躰の組成期の定期的な同期、その後の不定期な記憶補完の同期を経て、かつて私が御嬢を必要としていた以上に私は瞳を必要としており、裏返せば私が私であるという確信が揺らいでいた。調 芳夜の根幹をなすブラックボックスは、パンドラの箱に他ならない。私にしても、翔にしても、手中にある不幸の種は芽吹くことはなく、それを所持していただけでも十分効力はあった。中学生偽装心中殺人事件によって、解放されたはずの私達は、再び裏家業と向き合わなければならなくなっていた。

「カーヤ」

 私を呼ぶ声がした。

「とっくの昔に着いているはずなのに、アイツはどこをほっつき歩いているんだ」

 翔が言うアイツとは、瞳のことだ。江ノ島の件が大方片付いた頃、瞳は突然一人旅に出た。翔は元彼氏の昇が事件で行方不明になったがための傷心旅行だというし、瞳は短期語学留学をすると話していたが、本当にそれだけなのか判然としなかった。だからという訳ではないが、瞳から帰国メールを受け取った私と翔は密着カメラマンを従えて成田に来ていた。

 瞳の乗った飛行機の到着予定時刻が過ぎ、そわそわと落ち着かない翔に、私は空港の様々なシステムを潜索した結果を伝えた。

「カー君、心配いらないよ。既に到着しているし、今は入管手続きが終わって、こっちに向かっているところだから」

「さっきからやけに静かだと思ったら、空港内のカメラをモニターしていたのか。俺はてっきり、……ん?」

 翔が目をしかめた。

「カーヤ、……あれ、瞳だよな?」

 翔の視線の先にはもう一人の“私”がいた。

「ちょっと雰囲気が違うけど、間違いなく瞳ね。ほら、こっちに手を振ってる。……で、“てっきり”って?」

「いや、珍しく考え事してたのかと思って」

「私だって、いろいろ考えるの」

「いろいろね。旅をすると変わるもんだな」

「そういうものなの?」

「そういうものさ。原因は、男だな」

「バカね、違うわよ。元彼は行方不明になっちゃったし、幼なじみの誰かさんが相手にしてくれないからでしょ?」

「いいや、旅先の南の島で恋に落ちた。これだな。本人に確かめてみればいいことさ」

 瞳に向かおうとする翔の耳を、私は指で摘まんで止めた。

「痛ってー」

「待ちなさいって。ったくデリカシーのない人。いろいろ失ったからよ」

「そうか?」

「だから、そっとしておくのよ。ちゃんとカーヤがフォローするから」

「カーヤが?」

「何か不満?」

「俺とうまくいっているカーヤが話をしたら、火に油を注ぐだけのような気がするけどな」

「私達、親友だもの」

「親友だった、だろ?確かにあの事件の前はな。だが、今はどうなんだ?」

「大丈夫よ。私に任せなさい」

「おい、待て。何だか様子が変だぞ」

 瞳は人の渦に巻き込まれていた。それも色紙やカメラのフラッシュを伴った群集に。

「あらら、瞳ちゃん、カーヤと勘違いされてる。本物よりも本物らしく見えるなんて、カーヤもうかうかしてられないわね」

 私と翔の間に割って入ったヨーコが補足した。

「全く、あんな古典的な変装をするからだ。ヨーコさん、ビデオ回して。俺は御嬢を人込みからサルベージして来る」

「はいはい」

 翔は私達にそう告げると、人だかりに潜り込んで行った。瞳は私とソックリな姿を隠そうとするあまり、かえって目立っていた。サングラスに、目深に被った帽子、それに……あれではまるで芸能人が名札を付けていながら「私、違いますから」と言って歩いているようなものだ。

「カーヤ、私達もはじめるわよ」

「ホント、手間を焼かせるところは昔と変わらないんだから」

 翔が仕掛けようとしているのは、私の存在をプライベートからオフィシャルにスイッチする事だ。調芳夜には、彼女を常に記録する専属カメラマンを従えている、というセレブリティな設定を私達自身が様々な媒体を使って広めていた。カメラの焦点を追えば必ず芳夜に当たる、そんな生きた伝説をだ。

 ヒールの音を立てて歩き始めた私を、ヨーコの両手のカメラがフラッシュと共に追いかける。すると視線が惹き付けられる重力を肌で感じた人だかりの視線が、加速度を増して私に集まりだす。

「きっとそうだ」

「やっぱり」

「どうしてこんな所に?」

「さあ、撮影かなんかじゃない」

「じゃあ、こっちは誰?」

「さあね?そっくりさんでしょ」

「KAGUYAよ!」

 その一言がきっかけで、雪崩が起きた。山が動く、まさに言葉通りに、瞬く間に私達の周りに人だかりができる。ドーナツの輪は広がると共に、中心は少しずつ確実に狭まり、撮影やサインや握手でもみくちゃにされそうになるが、上手い具合に専属カメラマンがガードする。人集りに気付いた空港の警備員が飛んで来て、混乱の収拾を始めた。そうこうしている間に翔が瞳を連れ出したようだ。姿が見えなくなった翔から、「完了した」とのメールが入る。

「ヨーコさん、カー君の方は終わったって。私達も撤収しましょ」

「そうね。ところで、二人はどこに消えたの?」

「ほら、あの人達が案内してくれるみたい」

 歩き始めた私達のところに、警備員とは別にスーツ姿の空港係員が駆け寄る。「撮影ですか?」

「いいえ、プライベートです。さっきの……いえ、友達を迎えに」

「そうでしたか。警備の準備もありますし、今後は事前にお知らせください。ご友人は、別室にいらっしゃいますので、ご案内します」

 数分後、私とヨーコさんが空港の係員に案内された部屋に入ると、翔と瞳が待っていた。

「案外早かったな。もう少し捕まっているかと思った」

「カー君、それって、ファンやマスコミ?それとも警備員?」

「どっちかといえば、警備員かな。な、御嬢」

 翔は助けを求めて瞳に視線を送った。私達が到着するまで話し込んでいたらしく、瞳は翔をフォローした。

「翔様から聞きました。カーヤ、助けてくれて、ありがとう」

「おかえり、瞳ちゃん。なんか影武者をさせちゃったみたいで、ごめんね。元気そうで良かった。旅はどうだった?」

「とても……そうね、とても楽しかったわ」

 瞳はそれまで私達に見せた事の無いくらい最上級の晴れやかな笑顔で答えた。しかし彼女の笑顔には、どこか嘘があった。翔が彼女に分かりきった事を敢えて尋ねたのは、彼女の嘘が何かを確かめたかったのからかも知れない。

「で、御嬢、どこに?」

「最初は沖縄。それからハワイで、最後はグアムですわ」

「て、何?カー君、瞳ちゃんの行き先を知らなかったの?」

「おーよ」

「そんな自信たっぷりに答えられても、何も出ないわよ」

「そりゃ残念」

「カーヤ、翔様を責めないで。翔様、申し訳ありません。私が……私が気紛れで決めた行き先を“南の島”とだけお伝えしたせいで」

「俺も詳しく聞かなかったからな。いや、だから……なんでもない」

 私も翔も瞳ちゃんが嘘をつく理由が分からなかった。兄の事が原因なら、尾互い気まずくなるだけだったから、翔が言葉を選ぶのに苦労しているのが手に取るようにわかった。

「変な翔様。あ、荷物!」

「多分そうじゃないかと思って、カーヤ、職権乱用しちゃった」

「カーヤが職権乱用?」

 種明かしは専属カメラマンがした。

「ここに来るまでの間に、案内してくれた空港の人に頼んでおいたの。スーツケースも持たずに御嬢様が旅に出ないでしょ?」

「あ、来た。」

 私に内蔵された携帯に着信があった。瞳ちゃんはきょとんとしている。

「あ、はい。……え?そんなに。……多分、大丈夫だと思いますけど。……ありがとう、助かったわ」

「カーヤ、何だって?」

「今のは、さっきの空港の人から連絡。瞳ちゃんの荷物はカー君の車に積んでもらってたの。それにしても、すごい荷物だったって」

「すごい荷物?」

 翔とヨーコさんが疑問符をつけた相手は、ありきたりの答えを発した。

「皆さんへの御土産です」

《調 芳夜へのインタビュー『KAGUYAの独り言』より》




《川越署取調室の録音記録より》

「まずはこれを聞いてもらおうか。詳しい話はそれから訊こう」


——「あーら、お久しぶり」

「あれ、カグヤちゃん……チーママにいつもくっ付いているオマケちゃんはいないの?」

「オマケちゃんなんて、回りくどいのね、トノはカグヤちゃん一筋なのに……うん、それが急にいなくなっちゃって。みんな心配してたところで。トノのところには何か連絡とかありません?」

「いや、何も。第一、芳夜ちゃんがいないなんて今知ったばかりだし。んー、でもそう言えば、手術をしたいから、何かいいアルバイトがあったら紹介して欲しいなんて事を話していたな」

「そう、その手術の件は私も知ってるわ。ここで働き始めたのもその為だって」

「じゃあ、その手術を受けたとか?」

「ええ、でもあのコなら、それならそうという筈なの。無断欠勤したことないし、そうしたところはちゃんとしたコだから」——


「君に聞いてもらったのは、我々が内定捜査で得たものだ。我々は以前からある人物を追跡していたのだが、その人物が出入りする店を突き止めた」

「それが倶楽部“姫”ってこと?いい迷惑だわ」

「この録音を最後に潜入捜査員との連絡が途絶え、その後警視総監が狙撃された」

「それと私に何の関係があるの?最初に言っておくけど、私は何も知らないわよ」

「安心したまえ、君はこの事件には一切関わりはない。君は私の質問に答えてくれればいい」

「本当にそれだけ?」

「そうだ。……さて、君が“トノ”と呼ぶ人物だが、この写真の中にいるか?」

「ええと……この人です」

「そうか。で、その日は、珍しく連れがいたそうだが、それは事実かね?」

「はい」

「では、次だ」


——「おまちどうさま。あら、御連れ様?」

「うん、まあな。知人の友人でね」

「あれ、どこかで……まさかとは思うけど……もしかしたら」

「誰だと思う?」

「当てたら、何か奢ってくれます?」

「フェアじゃないけどな」

「やったぁ。じゃあいいの?」

「しかたないな」

「んふふ。KAGUYAでしょ?」

「うーん、おしい。残念だね」

「えー、ウッソー。トノってプロデューサーじゃないの?」

「それも残念」

「じゃあ、この子は一体?」

「……似てるって、よく言われます。ボク」

「おい、……まあいい」

「ボク?」——


「“トノの連れ”、仮にKとしておこう。Kは、あのKAGUYAと瓜二つだったのか?」

「あら?写真はないの……いいえ、写真が無いのね」

「君は質問に答えればいい」

「そうね、髪型は違っていたけど、他人の空似ってくらい似てたわ」

「君がKについて知っている事は他にはないか?」

「そう言えば、二人で変な事を話し合っていたわ」

「変な事?」

「訓練とか、なんとか」

「訓練の具体的な場所とか内容とか、聞いていないか?」

「私があのコの代わりに席に着こうとしていたときに、二人が沖縄やらハワイやらグアムでどうとか何とか。でも、私が近づいたら話は終わっていたわ」

「沖縄、ハワイ、それにグアムか」

「それがどうかしたの?」

「訓練の内容は?」

「そんな事、知らないわよ」

「そうか。では次だ」


——「このコ、どこで拾ってきたの?」

「さてな。少なくとも2丁目じゃない」

「二丁目って……彼、ええ!そっち系だったの?」

「勘違いなら、勝手にすればいい。誤解される事には慣れている」——


「Kを見て、君はどう思った?」

「どうって、……可愛いコだなぁって。化粧をしていなかったし、キャップを被っていたから、男の子か女の子かはよく分からなかった。強いて言えば、女の子っぽい男の子かな」

「どうしてそう思う?」

「答えるまでもないわ。だって、女の子が客として来るような店じゃないでしょ、ウチは」

「確かに。しかし、だからこそあの店が密会に使われた」

「もしかしたら、私が見たKAGUYAみたいなコが狙撃犯なの?」

「今のところ断定は出来ないが、何らかの関係はあるとみている」

「へえ、そうなんだ。……あ、そこは心得ているわ。店では一番口が固いって言われているから」

「金次第だが、概ねそういう事らしいな。店もいろいろ調べさせてもらった。ここでは正直に答えたほうがいい」

「なるほど、そういう事……わかったわ」

「話が早くて助かるよ。所轄には捜査協力者だから諸々配慮するよう伝えておく。さて、君から見て彼……トノとKはどういう関係に見えた?」

「トノは、知り合いの友人だとか話していたけど、多分、愛人か何かかしら。彼、若いコが好きだったから」

「前にも同じような事でもあった?」

「私の後輩が彼の指名を受けていたし、アフターもしょっちゅうだったわ」

「後輩はどんなコ?」

「カグヤちゃん。トノは二周りくらい歳の違うカグヤちゃんにべったりだった。潮美智瑠っていうの」

「え?」

「ウシオは満潮の潮で、ミチルは美しい……」

「間違いないか?潮美智瑠なんだな?」

「そうだけど。トノからいいアルバイトを紹介してもらってたみたい。でも、突然店に来なくなって」

「いつ頃の話だ?」

「そういえば、KAGUYAの誕生パーティーの日からだったわ。留守録だったけど、二三日は携帯が通じてたけど、それ以降は連絡も取れないの」

「で、久しぶりに店に来たトノに潮美智瑠の行方を尋ねたんだな?」

「それがどうかしたの?もしかしたら、あのコの行方を知っているの?」

「おそらく……いや、ほぼ間違いないだろうが、潮美智瑠はこの世には存在しない」

「本名でないっていうのは、うちの店だけではなく、よくある話よ。私はどちらでも構わなかったからいいけど、美智瑠はノボル君だからね。今更でしょ?美智瑠は美智瑠」

「そういう話ではない。潮美智瑠は、江ノ島で起きたクルーザーの爆発に巻き込まれて死亡した」

「え?どういうこと?嘘、冗談でしょ?」

「望月ノボル、自称 潮美智瑠は死んだ。店からいなくなったり、連絡が途絶えたりしたのは、そのためだ。嘘だと思うなら、店に出入りしている元彼女に確かめてみるといい」

「……何でそんな事を?」

「なんの準備もなく君を呼びはしない。……葉月陽子は現場で一部始終を撮影していたそうだ」

「陽子が?」

「そうだ」

「でも江ノ島の犯人の身元は、誰も分からなかったんじゃないの?」

「少々訳ありで公にはしていないが、主犯格は断定出来ている。潮美智瑠だ。口が固いというから、心配はないと思うが、親切心から忠告しておく。長生きしたければ、潮美智瑠の事は金輪際忘れたほうがいい」

「どういうつもり?」

「我々警察ではどうにもならん、という事だ。悪いことは言わない。潮美智瑠の事は忘れるんだな」

「そうね、忘れるわ。ところで刑事さん、私って寝言が凄いらしいの。それに元彼女は独り言が多くてね。もし、私の寝言を聞いた元彼女の独り言を誰かが聞いたらどうなるの?」

「そいつがどうなろうと知ったところではないが、翌日までに必ず消されるだろうよ」

「ふうん。消されるって、殺されるって事?」

「噂でな。ところで君は仕事中によく寝ているようだな。トノにも寝言を聞かれている」


——「実は私もそういう噂を知ってるの。山手線内回りの終電の最後尾車両の窓に消して欲しい人間の名前を書いたトランプのジョーカーを貼り付けておくと、それが適うっていう話。それと似たような話で、外回りの始発の先頭車両の窓に殺して欲しい人間の名前を書いた死神のタロットカードを貼り付けると適うっていう嘘みたいな話。でも最強の切り札だから、困ったら使う前に相談するように言われたけど」

「死神の鎌と道化師の鈴」

「それそれ。なんでも、死神は廃業したけど、ジョーカーは復帰したらしいわ」

「環ちゃんは、情報通だね」

「そんなことないない。昔から仲のいい友達から聞いただけよ」

「あ、その噂には続きがあるんだ」

「え、そうなの?」

「私はそういう質の噂を信じないつもりだったが、どうもこれは本当のことらしい。一昨日起きた狙撃事件は、死神の仕業。死神も帰って来たようだ」

「見た見た、ニュースで。現場を狙撃した地点に犯人のメッセージが書かれたトランプのジョーカーと、被害者の名前が書かれた死神のタロットカードが落ちてたんでしょ。ニュースのあったその日からトランプとタロットカードが売り切れる店が続出しているのよね」

「カードだらけの山手線もな。まあ、誰しも一人や二人くらいは『殺してやりたい』とか『目の前から消えて欲しい』なんてのがいても不思議ではないけどね」——


「君はプライベート以外でも『寝言』や『独り言』が多いみたいだな。前後のやりとりを聞いたが、大方、トノの誘導に乗せられていただけだったが」

「営業よ。え・い・ぎ・ょ・う」

「君の営業なのか寝言なのかには、関心はない。私が知りたいのはトノとKの事だ」

「つまんない」

「事情聴取が面白い訳ないだろ。では次だ」


——「次は二人だな?」

「そうだ、あの厄介な二人だ」

「トノは心配性だな。ま、だからボクがしなければならないんだけどね」

「練習や訓練が上手いからといって自惚れちゃあ困る。ジョーカーはいいとしても、ハートは実体化した状態でないと、無意味だ」

「ボクが仕事をし易いようにバックアップするのが、あんただろ。ボクが出来ない事をあんたがするし、あんたが出来ない事をボクがする。そういう契約だ。ボクが仕事をしている間、ハートが実体化するように仕向ければいい」

「言いたい事を言ってくれる。すでに舞台は用意してある。ちゃんと鎌をふるってくれ、死神の名前通りに」

「さっきの女に話していたように、私は帰って来たのだから、安心しろ」

「ジャックの二の舞だけは、ごめんだ。こちらも毎回『始末の後始末』をするのは心が痛む」

「心にもない事を言う」

「それはお互い様だ。……おうおう環ちゃん、随分長かったね。待ちくたびれて首が何センチか伸びちゃったよ。ほらここだよ」

「えーどこどこっとか言って私の唇を奪おうとしたでしょ?」

「あ、ばれた?」

「もートノったら、見え見えですよー。イタズラはメッ、なんですから」

「じゃあ、お詫びにいつものを頼んじゃおう」

「私、トノを本当に好きになっちゃうかも」——


「トノはKをどう呼んでいた?」

「彼はそのコを名前では呼んでいません。私に紹介した時もそう。そのコの名前を聞き出そうとしても、いいようにはぐらかされて」

「結局、君は彼らについて、何も知らない」

「そうなんですよ」

「まあ、だとしても何ら不思議ではないがな。トノとは、美智瑠の事を話していたな。その点を確かめたい」


——「トノは、カグヤちゃんの行方をご存知ないですか?」

「全く。同伴しようと思って電話したけど、通じなくてさ。姫を辞めたのかとばかり思ってた。でもって、確かめるついでに、コイツを連れて来たって訳さ」

「そうなんだ。ホント、KAGUYAにそっくりね。実はお忍びで来てるの?」

「まさか。他人の空似だろ。仮に本人だとしても、場所が場所だけに認めないだろうな」

「それって、暗に認めたってことかしら?」

「そっか……、カグヤちゃんには話してたんだけどな。KAGUYAにそっくりなのがいるから、そのうち連れくって」

「お気に入りのカグヤちゃんがいないと、トノも寂しいわね。私、彼女が店に入る時に面接したのよ。手術したいから、稼ぎたいって言ってた」

「手術の話なら、俺も聞いた。学校や親に内緒で働いてたみたいだ」

「でも、それがある時バレちゃったのよ」

「え、そうなの?」

「彼女のお父さん、銀行の支店長でね。接待か何かでたまたま来て、鉢合わせしちゃって。体裁があるから、さすがにその場では騒がなかったけれど、何日かして私んちに転がり込んできたわよ」

「環ちゃん、ビックリしただろう?」

「そりゃあ、もう。カグヤちゃん、お父さんに殴られはしなかったけれど、精神的に相当参ってたから、私もほっとけなくて。店の性格上、ウチって訳ありのコが多いでしょ。だから、寮みたいのがあるんだけど、その時空きが無くて」

「それからずっと?」

「それがしばらくして、賃貸にしたって、ウチから出たけど。そう言えば、トノからアルバイトを紹介して貰えたって聞いたけど」

「アルバイト……ああ、イベント・コンパニオンのことか。手術の為かと思って、何回か紹介したよ。短時間で高収入な仕事を探してたからね」

「ね、それ私にも紹介してくれない?」

「残念だけど、今はないよ。また今度あったらね」

「じゃあ、その時に。手術の為ね……彼女、只でさえ造りが良かったから、そこまでしなくてもいいのにって、私は思ってた。彼女の支度はドレスとメイクだけだもの」

「カグヤちゃんが衣装と化粧だけだったなんて、驚きだな」

「でしょう?だから、何で?って聞いたけれど、同じ答えしか返って来なかった」

「『私、変わりたいの』、か。ん?俺の顔に何かついているのか?」

「トノも聞いていたんだ。私だけかと思ってた」

「例のバイトの話をした時に、理由を尋ねた。だってそうだろ?飛ぶ鳥落とす

勢いのナンバー2が『バイトがしたい』だよ。手術費用なんて、とっくの昔に貯まっていた筈だ」

「そうなのよね」

「別な理由……借金とかがあるなら別だが、手術費用だと言い張る。俺もそれ以上追及しなかったけどさ。まさか行方不明になるなんて思いもよらないからな」

「今となっては、私もよく聞いていたらと思うわ。私、彼女がその気なら、ナンバー1を譲って独立しようかなと考えてたから。今のところ、私を脅かすようなナンバー2もいないし、残念だわ」——


「トノから美智瑠のバイトについての質問はあった?」

「ないわ」

「君は美智瑠のバイトで知っている事はないか?」

「美智瑠がトノに頼んでバイトを紹介して貰った。それだけよ」

「わかった」

「ただ、私が席に戻った時に、トノと連れのコが変な事を話していたの。よく覚えていないんだけど」

「これの事か?」


——「今のは歪曲、隠蔽か」

「これも仕事だ」

「そうだね。ボクはノボクが知りたいのは別の事だ」

「それは全てが上手く片付いてからだ。キミが提供した奴の情報の報酬代わりに、キミが知りたがっていた別の事を教えてやろう」

「何だ?」

「おいおい、怖い顔をするなよ。私の前の相棒の事だよ」

「もしかして……」

「期待を持たせたとしたら、詫びねばならない。生死、行方ともに不明だ。遺体の痕跡らしき物証は現場から発見されなかった。爆発の状況からして生存の可能性がない訳ではない、という程度の話だが」

「ボクははなから否定的な話しか聞けないと思っていた。期待以上の話を聞けた」

「そいつは良かった。私としては、君が契約を履行してくれればいい。仕込みには時間も金も万全を尽くした」

「あなたがそんな弱気な言葉を吐くなんて、意外だな」

「自戒だよ。江ノ島の一件は誤算だった。ジャックにツキが無かった事もあるが、奴らの情報が見込み違いだった」

「ボクが仕留める対象だな」

「奴がある程度記憶を取り戻し始めている事はわかっていた。それにKAGUYAの能力と存在もだ。しかし、奴らの実力は現役時代並み、いや、それ以上だったとは想定外だったよ」

「随分、彼等の肩をもつじゃないか」

「彼我の戦力の正確な分析は必要なんでね」

「殊勝な心掛けだな」

「奴が記憶を無くしたままだったら、KAGUYAの回収、あわよくばジョーカーの抹殺が成し得たものを」

「それは残念だったな」

「今回は失敗は許されない。あれは何としても回収しなければならない危険な代物だ。奴はあれの危険を知らず、いや都合良くその記憶が失われたのかも知れないが、世に広めようとしている。我々はそれを阻止せねばならない」

「あんたの意気込みは十二分に理解した。ボクは契約を遂行する」

「奴らの監視も忘れるな」

「勿論だ。ボク以外に適任はいないだろうけどね」——


「どうだ?」

「私が耳にしたのは、阻止するだの、遂行するだの、そこだけよ」

「うーん……」

「二人は私や店の子達の前では話していなかった。席に戻ると話が終わっていたし」

「そうか。今日は忙しい中悪かったね。もし、彼等が店に現れたら連絡をして欲しい」

「そうね。わかっているわ。それとお店の事、頼みますよ」




《天地 翔の参考人聴取記録より》

「刑事さん、俺には手当て出ないの?……白鳥、何でお前がここにいる?」

「よう、重要参考人」

「俺は何でお前がいるのか訊いているんだ」

「上の考えている事はよくわからん。顔見知りなら話し易いとでも考えたのだろう」

「顔見知りではなく、腐れ縁だろ」

「そういう見方もあるな。彼等は警視総監狙撃事件の話を君から聞き出したいそうだ。君は仕事で忙しいのだろう?なら、さっさと済ませてしまうのが得策だ」

「お前と話す意味はない。いつもの刑事はどうした?」

「有給じゃないのか?」

「ちっともましになっていないな、笑いのセンスが」

「それはどうも。おっと、一つ言い忘れていた。ここの会話は全て録音されているからな」

「そりゃあ良かった。俺の手間が省ける」

「白なり黒なりハッキリして貰えると助かるのだかな。お前、状況からして、かなり歩が悪いぞ」

「だろうな」

「それがわかっていて何故?」

「俺がやったという物証はない」

「動機とメモがある」

「いちいち俺の口から言わせようとしやがる。残念ながら動機はない。お前が俺に言わせたいのは『中学生偽装心中事件で、冤罪にされそうになった俺が警察を恨んでいる』だろ?それにメモは『昔、俺が使っていた文章で、何かしら俺が関係している』と誘導したいのだろ?」

「まあ、大筋はな」

「俺が何か一言でも話したら、関係各所を家宅捜索するつもりだろ?」

「ほう、そこまで織り込み済みか。だか、らしくないな」

「らしくないのは、俺だけじゃない。スペード、あんたにしちゃあ随分、回りくどいやり方をするよな?」

「何の事だ?」

「表沙汰にしてはいけないファイブカードをリークするような事までして、何を企んでいる?」

「企む?」

「力業が得意だったお前らしくない。柄にもない事をするな」

「残念ながら、今回は門外漢でね。ネット関連なら出番があるが、なにせ狙撃だからな。まさかこんな形で関わるとは思ってもみなかった」

「江ノ島は違うだろ?」

「あれはネットバンキング経由の銀行強盗が発端だ。更にKAGUYAが関わっている。前科のある記憶が不確かな元開発担当者ではなく、現職で記憶が確かな元開発者担当者に声がかかるのは当然だ」

「そういう事か」

「そういう事だ。前回同様、ジョーカー、お前自身の手で片を付けたらどうだ?」

「俺はファイブカードではないし、前科者でもない。善良な一般市民さ。身内が関わっていなければ、警察の手柄を横取りするような真似はしない」

「山手線のジョーカーでも?」

「探偵事務所まがいのアルバイトなら誰でもする。それにあれは都市伝説に過ぎない」

「警察庁や警視庁が未解決事件で頼りにする都市伝説だ。江ノ島で彼等が文句を言わないのは実績があればこそだ。ただのタレントの付き人がSATやSITの代役が務まる訳がない」

「前科者には用はないのさ」

「ところで、だいぶ記憶を取り戻したそうだな?」

「事件以外は」

「随分と都合のいい記憶喪失だ。本人しか判断できない」

「事件について知っているのか?」

「実際のところ、貴様の知り得た事実と大した違いはない。但し、仮に真実を知っていたとしても、ジョーカー、貴様には話さん」

「だろうな。日陰の存在だった俺達ファイブカードのスペードが陽の目を拝める表舞台にいられるのは、あの事件の真実を知る唯一の人物だからに他ならないからだ。スペードが話したくないのなら、俺は一向に構わない。どうせ、そのうち自分から話さなければならないようになるさ」

「ジョーカー、強がるなよ。貴様、預言者にでもなったつもりか?」

「スペードが思うのなら、そうだろうよ」

「世間話はこの辺にしておこう。改めて聞こう、総監が狙撃された時間帯にどこにいた?」……




《sound only—YouTubeに流出した当時、真偽について議論百出となった、亜望丘の盗聴録音より》

「わざわざ呼び出して、ゴメンね」

「カーヤ、それはむしろ私の方よ。ツアー前の忙しい時にお邪魔して。それに翔様に車で迎えに来て貰って」

「瞳ちゃん、気にしないで。もともと、迎えに行くって言い出したのはカー君だもの。彼の気まぐれに付き合ってくれるのは、瞳ちゃんぐらいしかいないから」

「そうかもしれませんね。ああ、これを忘れるところでしたわ。晩餐会にお招きいただいたのですもの」

「まあ、綺麗!」

「大したものではありませんが、テーブルが華やかになりますわ」

「ありがとう。こういうの、私からっきしダメだから」

「あ、別にお料理がどうのという事ではないの」

「わかってる。でも安心して。今日の料理は殆どカー君が準備したから」

「そうだそうだ。大事なステージの前だからな。怪我でもされたら困る。御嬢、ああゴメン、この呼び方は止めたんだ……瞳、よく来てくれた。ありがとう」

「あ、いえ……私こそ、お招き頂いて有り難う御座います」

「まあ、そんな畏まるなよ。いつまでも玄関で立ち話もなんだから、兎に角あがれよ。ほら、カーヤもぼさっとしてないで、花束を受け取る」

「でも……」

「ん……ああ、そうか」

「薔薇だから、トゲトゲが」

「私が生けます」

「招待しておいて悪いな、瞳」

「慣れていますから」

「ん?……でも茶会で薔薇なんて使わないだろう?」

「普段はそうですね。でも今年の文化祭は、二部構成で普通のお茶会と、今様にアレンジしたお茶会をしましたわ」

「イマヨウ?」

「はい、お茶菓子でなくケーキとかチョコレートに、濃茶をカプチーノに見立てて、野点をオープンテラスにしましたわ」

「そうだったな。昇に誘われて行ったら、メイド姿の茶道部の連中に取り囲まれた」

「あらそう。カー君、鼻の下を伸ばせられて良かったじゃない」

「そんな訳ないだろ?昇が目当てに決まってるだろ。お陰で肩身の狭い思いをした」

「翔様、そうでしたの?」

「あの時、あの場所に茶道部部長がいたら、あの混乱はなかったろうに」

「オープンテラスの方が騒がしいとは思っていましたが、私はお茶を立てていましたので、仕方なくそのままに。翔様、私に一言仰って頂けたら良かったのに」

「そうよそうよ。そんな事があったなんて、カーヤは聞いてないけど」

「今更の事だし、まあいいじゃないか」

「何か誤魔化された気がするのはカーヤだけ?」

「そうですわね。……翔様、何か薔薇を生ける器はありますか?」

「瞳、どんなのがいい?」

「ねえ、瞳ちゃん。このデカンタ位?」

「それ程大きくなくてもいいの。一輪挿しでもいい位」

「それじゃあ、あの棚にいろいろ入っているから、適当に見繕ってよ」

「そうさせて頂くわ」

「さて、料理の盛り付けに取り掛かるか」

「カーヤ、水を使えるのはどこ?」

「リビングを出て左に行くと、洗面台があるよ」

「ありがとう。……翔様、どれを使ってもよろしいのですか?」

「どれでも。……見た目の値段は気にしなくていいよ。どうせ貰い物だし」

「はい」

「カー君、カーヤは何をすればいい?」

「手を洗ってから、パスタの盛り付けを頼む」

「翔様、これにします」

「ああ、それいいね。カーヤ、瞳を洗面台に案内して」

「わかった。瞳ちゃん、こっち」

「ラボには何回か出入りしているからどことなくわかります。けれど、カーヤ、こんな広いところに二人きり?」

「うん。二人きり。それでもいろいろ探したのよ。なかなか条件が揃った建物がなくて、ここに決めたの」

「二人で?」

「そう、二人で」

「広すぎないの?お掃除とか大変でしょう?」

「『ラボの設備を整えられたし、もともとあったセキュリティーに加えて手を入れることもできた事に較べたら、大したことない』って、カー君が言ってた」

「あ、掃除機が掃除をしている。新しく入れたの?」

「亜望丘の管理人兼警備員みたいなものね。他にもシスターズがいるし」

「シスターズ?」

「そうよ。ソリビジョンのメイドよ」

「カーヤと同じ?」

「そうね、彼女達には心はないけど、基本的なスペックは私と同じ」

「それなら、心配はありませんわね」

「ただ……私と同じとはいっても、シスターズは瞳ちゃんの完全なコピーじゃないから、安心して」

「見分け方があるの?」

「見分け方というより、見たらすぐに分かるわ。瞳ちゃん、こっちの部屋には来たことなかったっけ?」

「ラボとその近くの部屋にはよく来ましたが、このあたりは初めてですわ」

「ここはカーヤとカー君のプライベートルームだからかも。あーそうそう、ソリスキャナーの時にカー君が案内したのは、御嬢の間とか言ってたっけ」

「御嬢の間?私の部屋?」

「まあそうそうことなんだけれど、でも、特別っていう訳じゃなくて、みんなの部屋はそれぞれあるの。……着いたわ。ほら、いたわ」

「ヒカリ?……でも、ヒカリではありませんわ」

「驚いた?さっき話してたシスターズよ。瞳ちゃんとヒカリちゃんによく似ているでしょう?」

「ええ、とても。ヒカリはラボに来たことは無い筈なのに、どうして?」

「カー君がデータを集めたときに、どういう訳か混ざっていたみたい」

「何故?」

「カーヤにはわからない。多分、カー君は知っているわ」

「カーヤやシスターズの事、ご存知ないのですか?」

「全部は知らない。私が戻って来た時には、既にシスターズもKAGUYAも存在していたから」

「まるで他人事のような言いようね」

「カーヤが二人目のKAGUYAをハッキングしたの。瞳ちゃんがカー君を誘導してくれたから、一人目の時よりも楽ができたわ……瞳ちゃん、水が溢れてる!」

「あっ、いけない。話に夢中で手元を留守にしてしまいましたわ」

「考え事をしてたでしょ?」

「いえ、別に」

「いいえ、考えてた。だって、変だもん」

「おかしな事なんてありませんわ」

「大ありよ。前から様子がおかしかったもの」

「そうかしら」

「ここでミッドナイト・チャンネルの生放送をした後から」

「カーヤ、気のせいよ」

「瞳ちゃんが隠そうとしても、カー君が黙っていても無駄なんだから。カーヤ、見ちゃったんだもの」

「私が?」

「そうだよ。瞳ちゃん、『忘れちゃった』とか、『あれは事故だ』とか、言い訳できないからね。たとえ違っていたとしても、瞳ちゃんにカー君をどうする事もできないけど」

「翔様と私の事でしたら、気になさることはありませんわ」

「根拠のない妙な自信だけは、昔と変わらないようね」

「さあ、できたわ。翔様のところに戻りましょう」

「敵前逃亡するところも、変わってない。まあいいわ。カー君、お腹空かして待っているから」

「カーヤ、余った花はこのバケツに入れておくわ」

「ありがとう。でも、私達には花の面倒までみていられないから、そのままになっちゃうかも」

「シスターズにお願いしておいたら?」

「それもそうね」

「二人して、また悪戯か?うちの中で悪戯するのは勘弁してくれよ」

「翔様」

「お、薔薇。いいんじゃない」

「ありがとうございます。翔様、余った薔薇はバケツに活けておきましたわ」

「わかった……カーヤ、シスターズに頼んでおいて」

「はい、はーい」

「返事は一回でいいの」

「はーい」

「カーヤは先に行って盛り付けをして」

「はーい」

「……今更だが、同じ姿をしていて、こうまで違うとは」

「翔様、私は天の邪鬼でしょうか?」

「そんなことないよ。寧ろカーヤの方が天の邪鬼さ。素直に返事しておいて、安心した俺達を観ている筈さ」

「監視カメラ、ですの?」

「亜望丘には死角がないように設置してある。カーヤのスペックからしたら、全てのカメラやマイクをリアルタイムで潜索することなんて、雑誌を読みながら鼻歌を歌うようなものさ」

「翔様は常にカーヤから監視されているのですか?」

「まあ、他人からみれば、そうかもな。俺はそれでいいと思っているし、寧ろそうされたいとも思っている」

「翔様、私も、私だって……」

「瞳が俺に伝えたい事は、わかっている……わかっているつもりだ。けれど、瞳は御嬢で、カーヤじゃない」

「翔様……」

「カーヤ、盛り付けは出来た?」

「うん、お腹を空かしたカー君の為に、ドーンと特盛り。たーんとお食べ」

「……あ、ありがとう。カーヤ」

「……翔様も苦労なさってますね」

「いやいや、それ程でも」

「では、おのおの方、着席!グラスを手に」

「ちょっと待った。カーヤ、グラスの中身はシャンパン?」

「そうよ。ちょっと位なら大丈夫でしょ?」

「今はマズい。瞳を家に送る時に飲酒運転がバレたら、警察の思う壷だ。別件逮捕でもされたりしたら、事がややこしくなる。……いいや、それ以前にそもそもだな……」

「だったら、瞳ちゃん、今夜泊まれば?」

「そうさせて頂きたいのですが、お父様から早く帰宅するよう厳命されておりますの。それに……」

「二人とも連れないの。じゃあ、カーヤだけシャンパン。二人はアップルソーダ。冷蔵庫に入ってるから勝手にしなさい」

「カーヤ、気遣いは有り難いけど、拗ねるなんて大人気ないぞ」

「拗ねてなんかないもん。二人の本音を聞き出そうとしただけだもん。そしたら、白黒ハッキリと決着をつけられるのに」

「白黒?決着?何のですの?……翔様、どうぞ。アップルソーダです」

「サンキュ!瞳。招待しておいて、気を遣わせてしまうなんて、申し訳無い。カーヤ、揃ったぞ。仕切り直しだ」

「なんか誤魔化されてる気がする……。瞳ちゃんの帰国を祝して」

「カーヤのツアー成功を願って」

「何でもいいや。乾杯!」

『乾杯!』

「全く、白鳥が余計な事を言わなければ、カーヤが言うとおりシャンパンで乾杯ができたものを……ヤレヤレだぜ」

「翔様がボヤいてらっしゃる」

「ボヤいて毒を吐き出したくもなるわよね?カー君」

「それは誘拐事件の白鳥さんの事ですか?」

「そうだ。いけ好かない、あの白鳥だ」

「そうそう白鳥クンの事」

「二人とも白鳥さんがお嫌いですか?」

「俺はヤツに嫌われているかも知れないが、俺はヤツを嫌ってはいない」

「相性が悪いというか、反りが合わないのよね。カー君とは」

「テレビでは、そう見えませんでしたわ」

「仕事で何度も組んでいるし、少なくとも俺が原因で失敗した事はない」

「でも、気に食わないのよね?」

「言っておくが、白鳥が俺に対してだからな。俺と白鳥の仲が悪くないように見えたのなら、俺の目論見通りだし、白鳥の演技がアカデミー賞助演男優賞ものだという事さ」

「瞳ちゃん、カー君のメモを見たでしょ?」

「白鳥には気をつけろ、でしたよね」

「スペードは人誑しだ。自ら手を下すことをしない。あたかも人をトランプのカードのように扱う。ヤツは人間をハッキングするんだ。そして使い終わったカードはゴミのように棄てられる」

「……お兄ちゃんはスペードにハッキングされてしまったから、あんな事になったの。だから瞳ちゃん、白鳥クンが接触してきたら、私達に相談して」

「翔様、カーヤ。私なら大丈夫です。もしそうなったら翔様に相談します」

「カー君ではなく、私達に」

「ま、そんなところだ」

「はい、翔様。ところで昇君の話は本当なのですか?」

「残念ながら、ほぽ間違いないだろう。スペードは関わった証人や証拠を全て消す。現に逮捕された誘拐犯が留置場で相次ぎ病死した。だが、昇のことを、俺は希望まで捨てた訳じゃない。昇は俺が必ず探し出す」

「そうですね。しかし、病死した誘拐犯の事は、偶然ではありませんか?」

「いや、偶然では説明ができないんだ」

「カー君の言う通りなのよ、瞳ちゃん。身寄りがない犯人に弁護士以外からの差し入れがあった翌日に亡くなっているの。検屍の結果、血液から降圧剤が検出されたけれど、彼等にはそれを必要とする病歴はなかった。残念ながら差し入れの内容までトレース出来なかったけどね」

「どうしてそんなことを知っているの?」

「俺がカーヤに彼等の監視をお願いしておいたのさ。誘拐犯への差し入れは複数回の受け渡しを経て行われている。バイク便、宅配便、ゆうパック、エトセトラ。で、それを遡ってゆくと、白鳥に辿り着く。ん?口に合わなかった?……ああ、ゴメン。これは今する話題じゃなかったね。俺達には当たり前でも、瞳は違うからな」

「翔様、構いません。いいえ、そうではなくて、事件のことは全て知りたいのです。私自身、まだ気持ちの整理がついていませんが、真実を知ることで私自身を納得させたいのです」

「事実は人の数以上にあるけれど、真実は限りなく無に近いものよ」

「瞳に隠し事をしない約束だったからな。……カーヤが調べたのは物証がないものだから、何となく胡散臭さを感じてしまうかも知れない。前にここで江ノ島事件の話をした。俺達はあれが終わりとは考えていない。その後も昇の行方と、事件の黒幕を調べている」

「カーヤもパパと話をしたし、カー君もパパに話をした。だからお兄ちゃんのお葬式はしていないし、お墓は必要ないと思ってるの」

「俺達が白鳥を疑ったのは、薬室が装填されていない銃と知っていて、昇を撃ったからだ。俺は昇を庇おうとして撃たれたし、カーヤはとどめを射そうとした白鳥を止めた。至近距離で、現場にいたSATでさえ気付いていたくらいだ。白鳥が薬室が装填されていない銃を見落とす筈がない」

「そんな、テレビで放送していた事とは全く違う……」

「前の事件と同じさ。あんなのは茶番に過ぎない。だが、茶番と分かっているのは、黒幕と実際現場にいた俺達だけさ」

「瞳ちゃんがカー君の話をどう思うのかに関わらず、カーヤは白鳥を絶対に許さないからね」

「私は翔様を信じます。カーヤ、許さないって、復讐をするの?」

「それはわからない。お兄ちゃんが帰って、白鳥クンが謝ったら、そんな物騒な事はしないよ」

「カーヤは意地が悪い。一つ目はあっても、二つ目は難しいだろうに」

「カー君のほうがズルイ!ジョーカーに喧嘩を売ったらどうなるか思い知らせてやるとか言ってたくせに!」

「二人とも!」

「瞳ちゃん、カーヤはカー君と喧嘩しているんじゃないよ。じゃれているだけだから」

「瞳には分からないだろうな」

「翔様の意地悪」

「参ったな」

「そうそう、カー君は意地悪なの。……いつもカーヤを焦らすんだもん」

「カーヤ、そんな事を今持ち出すな」

「え?カー君、勘違いよ。瞳ちゃん、カー君は救いようのないエッチよね?」

「私、そんな、訊かれても……困ります」

「可愛いわ、瞳ちゃん」

「カーヤ、止めとけよ」

「どうしたのかな……カー君、今日はやけに瞳ちゃんの肩を持つじゃない?」

「そんなことないさ。普段通りだよ。……ん、カーヤ?急に席を立って」

「シャンパンのおかわり」

「まだ残ってるって……」

「無くなったら、いいんでしょ?……これで満足?」

「……おいおい、一気かよ。無茶するなよ」

「カー君は瞳ちゃんと仲良くジュースを飲んでいれば、いいんだわ!」

「おい、カーヤ」

「翔様、待って」

「……いつもはあんな事無いんだけどな。へそ曲がりが。まったくカーヤときたら」

「翔様、聞こえてしまいますわ……」

「聞こえているもん。カー君、自分の臍を見てから言えば?」

「そっちこそ。あ、そうだ。瞳のを見ればいいんだ。瞳はカーヤのオリジナルだからな。見るぞー、カーヤ」

「ふん、勝手にすれば。どうせ、私は瞳ちゃんの形をしたダッチワイフよ。いーもん、カーヤは一人でやけ酒するもん」

「カーヤ……ダッチワイフ?翔様、カーヤが」

「放っておこう。……しばらくしたら、寂しくて戻ってくるさ。さあ、冷めないうちに食べよう」

「カーヤをそのままにしてよろしいのですか?」

「大丈夫さ」

「差し出がましいとは思いますが、カーヤは翔様が私と仲良くしているのが気に障ったからですよ」

「そうだな」

「否定なさらないのですね」

「実際そうだからな。それとも瞳は俺に否定して欲しいのか?」

「否定して下さいと私がお願いしても、きっと翔様はできないとおっしゃいますわ。カーヤの言う通りですね、翔様はズルいです」

「そうかも知れないな」

「そうかも、ではなく、そうです」

「参ったな。じゃあ、こういう事になるな。瞳は今も昔もカーヤが邪魔なんだ」

「翔様の意地悪」

「でも、正直なところ、瞳はカーヤをどう思っているんだ?」

「昔は親友でした。但し今も同じだとは断言できません。私にはわかりません。いいえ、解りたくはありません。カーヤはカーヤなのに、外見は私なのですから。それに……」

「それに?」

「翔様、カーヤは私の躰を借りているだけです」

「そうだな」

「カーヤは私です」

「それは違う。カーヤは芳夜だ」

「いいえ、違いません。翔様はご存知ないかも知れませんが、私とカーヤが同期しているのは躰だけではありません」

「何だって?」

「あの黒い水槽の中で、私とカーヤはお互いの事が、心も体も解ってしまうのですから。カーヤが私で何をしていたか、私がカーヤをどう思っているのかも何もかも全てです。カーヤが翔様と過ごした時間の記憶を否応なく私は体験しなければならないの……」

「そんな、バカな。……俺はそういうプログラムをしていない」

「馬鹿げているとお思いになるでしょうが、これは明らかな事実です。カーヤは、私の記憶を単なる記録として忘れてさえしてしまえば、それでお終いかも知れませんが、カーヤの体験は記憶として、嫌が私の体に刻み込まれてしまう」

「まさか、そんなはずはない。そうか!カーヤが見た夢は……記録として消え去る過程の記憶だっだというのか?!」

「カーヤは人間ではないの。だから、記録はできても記憶は残らない」

「疑似人格で心の真似事をさせることは出来ても、借り物の躰に魂の定着は出来なかった。しかし、今のカーヤは……」

「翔様、翔様以外に誰がカーヤに手を加えられるというのですか?翔様が分からなければ、誰も分からないのではありませんか?」

「それは違う」

「では、誰が?」

「カーヤ自身だ。最近のバージョンアップはカーヤがプログラムをした。無論、俺が内容をチェックしたが」

「……翔様、私、もう耐えられません。私の姿をしたカーヤが、翔様をカーヤに染めてしまうのが」

「瞳……」

「お願い、翔様。私をカーヤから解き放って」

「……ダメだよ、カー君。いくら瞳ちゃんがドMだとしても、緊縛は早くない?」

「ほら、戻って来た。カーヤ、俺がいつ瞳を縛ったって?」

「キンバク?ドエム?」

「瞳ちゃん、カー君はそういうのが好きだから、カー君と付き合うのなら、よく勉強しておいた方がいいよ」

「カーヤ、話しをややこしくしてくれるなよ。瞳、暗号だよ、暗号。な、カーヤ」

「カーヤは、どっちでもいいよ」

「まったく!」

「だから、カーヤはSでもMでもカー君が好き」

「二人ともはぐらかさないで」

「カー君、カーヤ構わないけど。でも、瞳ちゃん、はっきりさせてしまって本当にいいの?」

「それは……」

「あれ?カー君、ケイタイが鳴ってるよ」

「いや、俺じゃない」

「あ、私です。翔様、少し席を外しますね」

「どうせ、館長からだろ?」

「多分、そうですね。はい、もしもし……」

「行っちゃった。……瞳ちゃん、まだ門限があるのかな?」

「さあな。……何だ、まだ9時か。で、カーヤ、例の件だろ?」

「ええ。さっきからウチの回線に、特に防犯用のIPカメラの回線がハッキングを受けているわ。シスターズがすべて撃退してはいるけど」

「やれやれ、これじゃあホームパーティーも開けやしない」

「そうね。それにしてもタイミングが良すぎるわ」

「タイミング?」

「そうよ。今夜、瞳ちゃんが来てからだもの。彼女、何か裏があるのかしら?」

「俺が調べている範囲内では、今のところ『シロ』だ。江ノ島での事件の後、入院中に一度だけ白鳥の見舞いを受けている。が、それ以外、何ら怪しいところはない。さすがに海外旅行中の行動すべてを把握している訳ではないが、空港についたときの瞳の手荷物に不審な物は無かった。但し……」

「お兄ちゃんの例といい、次に仕掛けてくるとしたら、瞳ちゃんが狙われる」

「ヤツラの狙いは、俺とカーヤだ。ところが当人達は現役時代と何ら変わりないか、あるいはそれ以上のポテンシャルを備えていることを知るや否や、搦手から攻めてきた。もし、それが失敗に終われば、次は直接的な実力行使に打って出るはずだ」

「カーヤのコンサートで仕掛けるなんて予告までして……それにしても厄介なところで、仕掛けてきたものよね」

「まあ、定石通りだろ。群衆の中に紛れ込んでしまえば、仕掛けるのも、仕掛けた後の逃走も比較的容易だからな」

「白鳥クンも、厄介な仕事を受けてしまって困っているんじゃない?」

「お互い手の内を知り尽くしているからな。ただ、パワーバランスからいえば、資金も組織も、全てにおいて白鳥は圧倒的に有利だ。奴はそれで勝算があると踏んでいるはずだ。だからこそこちらにも手を打つ隙が出てくる」

「コンサート会場の警備は、探偵さんもかなりがんばっているみたい。ツアーの警備責任者だし」

「素人が手を出しても仕方ないと思うが、無いよりはましか。プロではないから、かえって白鳥の予測を越えた行動をするかも知れないな」

「マスコミ、特に生中継をするカメラを無制限に受け入れていいって社長の指示をうけて、防犯カメラの死角を無くそうとしているみたい。中継画像はすべてモニターするんだって。白鳥クンが慌てふためく様子が目に浮かぶわね。それにしても、瞳ちゃん、電話長いわね。それともトイレ?カー君、カーヤが行ってこようか?」

「馬鹿、カーヤが行くのはまずい。瞳がやきもきしているからな。ま、カーヤのことだ。どうせ、さっきからずっとモニターしているんだろ?」

「まあね。瞳ちゃんも開き直って、『カーヤと寝たと思っているかもしれないけれど、それは全て私と寝たのと一緒よ』とか、カー君に言っちゃえばいいのに。ウジウジしてる私自身を見ているようで、あーもーこっちがイライラしてくる」

「それは逆だろ?瞳は俺達をみてやきもきしている。でも、暴発はしない。いや、できないのさ。俺にそっぽを向かれたくはないからな。それこそ、カーヤと瞳が違う証拠だ。煩悶する瞳を見ていると、ついつい守ってやりたくなる。さてと、呼んでくるか」

「瞳ちゃんを呼びにいく前に、一つだけ忠告しておくわ。カー君、浮気はいいけど、マジなのはダメだからね」

「おやおや、俺ってアカデミー賞並みの演技力があったのかな?勿論、瞳をこちらに引き止めておくためのブラフだよ。それともカーヤには俺が本気になっているように見えてたのか?」

「別に。さっき瞳ちゃんが答えを出そうとしなかったのは、彼女がカーヤとカー君の仲を認めてしまったのと同義だからね。私、弱ったナメクジに塩を振り掛けるのは趣味じゃないから」

「でも、『敵に塩を送る』なんてことわざもあるよ。昔、俺達がそうしたように……何だこれは……、頭が割れそうだ。カーヤ、カーヤはどこに?」

「カー君!?……フラッシュバック?!カー君、大丈夫よ。私は、……ほら。ここにいるわ」

「誰だ?……違う。お前はカーヤじゃない。瞳か?また来たのか?最初も最期も結局、お前が来るとはな。皮肉なもんだ。いいさ、お前の好きにするがいい。それが罪滅ぼしになるのなら、本望だ。さあ、ひと思いに……」

「……カー君。私だけのカー君。姿が変わってしまったカーヤを、カーヤとして愛してくれるカー君。でもね、カーヤの願いも瞳ちゃんと同じなの。カーヤをカーヤとして、愛して欲しい。今は叶わない願いだけれど、きっとその日はやってくるって、カーヤは信じてる……。大好きよ、カー君。愛してるわ」

「……」

「……」

「……ん……、カーヤ?」

「意識が戻ったのね。私のカー君」

「そうみたいだな。昔の事…事件の時の事が一瞬見えたような気がしたんだ。そしたら、頭が痛くなって……。カーヤ、俺は何か言っていたのか?」

「『瞳ちゃんが、最初も最期も瞳ちゃんが来る』とか。カー君、何か思い出したの?」

「コマが飛んだフィルムみたいだった。クラブのキングとダイヤのクイーン……両親に連れられて、初めて瞳のウチに行った場面。気が付いたら病院のベッドの上で、泣きじゃくる瞳を訳も分からずあやしていた場面。あの夜、小さなUSBメモリを手にした瞳が足を滑らせて黒い浴槽に落ちた場面……ダメだ。これ以上思い出せない」

「カー君、無理は禁物。それより暫くこのままでいさせて……」

「……んっ。いいけど、ダメだって。キスをしているところを瞳に見られたら、話がややこしくなる。あ!」

「翔様、電話は父からでした。遅くなるなら迎えを出そうかという話でしたが、翔様が帰りも送って下さるから大丈夫と答えましたわ。……ところでカーヤ、翔様がどうかなさったのですか?」

「例のフラッシュバックで意識を失って」

「状況は存じ上げていますわ。翔様を呼ぶカーヤの声が聞こえたので、電話を切り上げてきましたの。でも……私の前で見せつけるなんて、ひどいわ」

「勘違いしないでよ。人工呼吸なんだから」

「意識が戻った翔様に?」

「細かい事は言わないの。それにカー君が大丈夫なら、カーヤは瞳ちゃんにどう思われても構わないけど」

「カーヤは塩を使わないんじゃなかったのか?」

「違うわ。カーヤは甘ーい砂糖をたっぷり使うの」

「瞳、俺達はカーヤを責められないな。同期中のカーヤの前で、瞳が俺にしたことを覚えているだろ?」

「それは……」

「俺が記憶を失ったばっかりに、瞳にも芳夜にも、みんなに迷惑をかけた。せめてもの罪滅ぼしに、俺は可能性がある限り真実を追求する。今はそれだけだ」

「翔様、それは今の事件についても、ですか?」

「俺達が関わった事件、全てだ」

「そうね、カー君。全ての源になったあの事件の真実、カー君の失われた記憶、それらは私の存在と共にあるはず。カー君はそう思ったからこそ、私を呼び戻したんでしょ?」

「そうだ」

「でも、もし誰かが事実を知っているにも関わらず、沈黙していたとしたら?」

「瞳ちゃん、まさか……」

「カーヤ、まあ、待てよ。……瞳、何故そう思った?」

「『カーヤを元に戻す』と翔様から聞いた時、それは空想だと思いましたわ。だって、そうでしょう?死者を蘇らせることは、時間を遡らない限り、誰にも出来ない事ですもの。ですから、私、思いましたの『空想を真実のように語る事が可能ならば、真実を空想に変える事もできるかも知れない』と。もしあの事件の真相を知る誰かがいたとしたら、何かの目的の為に真実を空想に変えてしまえるのではないかって」

「なるほど。確かにそうかも知れないな」

「カー君」

「もし仮に俺達の中に沈黙をしている人がいたとしても、俺には責められない。カーヤが思うような事があったとしても、俺は瞳を嫌いになる事は出来ないよ。俺が今こうしていられるのは、瞳の命を分けて貰えたからだからな。自分と同じ人間を嫌いになる事は出来ないな。だから、安心しろ」

「翔様、ありがとうございます」

「カー君、カーヤは?」

「カーヤは、わかっているだろ?」

「んふっ。カーヤ、わからなーい。だから、今して」

「バーカ」

「翔様?何をなさるのですか?」

「決まっているじゃない。カーヤがカー君のメインディッシュになるの。カーヤは、カー君に食べられちゃうの」

「食べられちゃう?メインディッシュ?」

「はぁー。ヤレヤレだぜ」

「なによ、二人とも。確かに人に見られながらカー君とするのは、初めてだし緊張するけど、私が私に見られながらなんて、他ではあり得ないシュチュエーションでしょ?カー君は興奮しないの?」

「そりゃあ、興奮する……て何を言わせるんだ!」

「……翔様、私も翔様に食べられたい……」

「ほら、瞳ちゃんもこう言ってるよ。カー君、私達にここまで言わせておいて、お預けはないからね」

「ヤレヤレ。あのなあ、カーヤは兎も角、瞳は言っている意味が分かっているのか?」

「……はい」

「3Pだぞ。3P」

「……サンピー?」

「あちゃー。はぁ……わかりました。仕方ない。カーヤはデザートで我慢してあげる」

「デザートねぇ……」

「デザート?」

「もうっ、瞳ちゃんたらとぼけちゃって。デザートは、食後に食べる甘いお菓子よ。カー君は甘い私の唇を食べるの。順番はジャンケンだからね」

「は、はい」

「随分なドリフトだ。ほら、瞳もカーヤも食事の手が休んでる。……それとも、お口に合わなかったかな?それにデザートは食後っていったよな?」

「カー君、そっちのシーザーサラダを取って」

「瞳、俺のイチ押しはそこにある特製カレー豚足だ。前にスタッフミーティングをした時に出したら、えらい好評でレシピをカーヤのオフィシャルホームページに掲載した代物だぞ」

「はい、いただきます」

「ん?瞳、俺の顔に米粒でもついているのか?」

「いいえ。これだけ多国籍なお料理、翔様はどうしてご存知なのかを考えてました」

「それは簡単なことよ。カー君、いいよね?」

「瞳だからな。問題ないだろう」

「私達が所属していたファイブカードの活動地域に限定はないから、あちこちに行ったもの。諜報活動はね、案外地味で根気が必要なの。つまり暇で退屈ってこと。暇つぶしに現地の人達と交われば、料理の一つや二つなんて、すぐに覚えるわよ。私はちゃんと訓練をしてたけど」

「そうでしたの」

「瞳、注意するまでもないが、最後のところは作り話だからな」

「なによ、カー君。カーヤはカー君をフォローしてあげたのに。それとも、本当の事話ちゃってもいいのかな?」

「何をだ?後ろめたい事なんて何も無いぞ」

「そうですよ、カーヤ」

「瞳ちゃんは知らないだけよ。言葉や仕草、風俗風習や気候風土、そういう経験しなければ会得出来ない事を短期間で身につける方法があるの。何だと思う?」

「徹夜で勉強?」

「徹夜ねえ。徹夜するかどうかはシュチュエーションによるわね。で、カー君はどうしたの?」

「カーヤ、俺はどうもしないぞ。相手が勝手にしているだけだ」

「翔様、誰かと徹夜で何をなさっていたのですか?」

「いや、『何?』って、それはその、なんだ。……だから、勉強だ」

「勉強ですの?」

「そうね、カーヤに隠れてコソコソしていたわね」

「秘密の特訓ですわね。凄いです、翔様」

「あはは、まあね」

「カー君が相手を満足させていたらね」

「よく言うよ。カーヤは毎晩、よがり声をあげてる癖に……あ!」

「……。翔様?」

「そうよ……カー君、今更隠してどうするの?……伝家の宝刀は使ってこそ。飾りっぱなしにして、錆や埃が着かないよう、ちゃんと毎日手入れしないとね」

「カーヤ、錆や埃というのは、わたくしの事ですか?」

「そう聞こえたのなら、そうかも知れないわね」

「カーヤは私の気持ちを知っているでしょう?」

「昔から知っているわ。この際だからはっきり言わせてもらうわ。カーヤはカー君を瞳ちゃんに譲る気はないからね」

「カーヤ、止せ」

「やだ!」

「どうしてそんなに意固地になる?」

「だって、……カーヤがどんなにカー君を愛しても、躰は瞳ちゃんなんだよ。カー君がカーヤだけを愛してくれる絶対の証拠が欲しいの!」

「カーヤ、それを得るために、瞳を傷つける必要があるのか?」

「翔様、もう何も言わないで」

「瞳……」

「ずっと前から……そう、心中事件の前から、私は分かっていました。翔様の気持ちがカーヤに向かっていることを」

「いつからだ?」

「三人が転校してきた日から」

「ヤレヤレ……内緒のつもりが、最初からわかっていたのか。隠す必要なんてこれっぽっちもなかった訳だ」

「今となってはね。でも、その時はファイブカードとして現役だったし、やはりカー君とカーヤの関係は詳らかには出来なかったと思う」

「確かに。ひょんなところから、俺達が組織の人間だとバレるかも知れないからな。しかし瞳はどうして分かったんだ?」

「私は翔様とは幼なじみですから。翔様が嘘をつくときの仕草や癖はよく存じあげています。翔様、翔様の嘘はカーヤには通用しない訳をご存知ですか?実はカーヤに翔様のそうした癖を教えたのは、私ですよ」

「なに?そうだったのか?!」

「あーあ。瞳ちゃん、バラしちゃった」

「ごめんなさい、カーヤ。でもね、これだけは伝えておきたかったの。翔様、私は……、星野瞳は翔様を愛しています。たとえ、翔様が世の中の全てを敵にまわしていたとしても、私は……瞳は翔様をお守りしたい。もし翔様が私を嫌いになったとしても、翔様がカーヤを愛しているとしても」

「そうか。瞳、ありがとうな。でも……」

「わかっています。翔様は幼なじみの私をよくご存知でしたから、翔様が置かれた立場から、親切にして下さいました。でも、ある時わかってしまったのです。翔様が私にかけて下さる優しい言動は、カーヤに対してするそれとは意味が違うことに。愕然としました。そして私は翔様を失いたくなかった。親同士が決めた婚約であれ、将来そうなりたいという願望はありましたから。しかし当時の私は翔様の優しい言動に頼りっきりで、婚約が反故にされることなんて思いもよりませんでした。今にして思えば、私の慢心が私自身をダメにすることなんて、誰が考えてもわかりそうなものですよね」

「瞳、それは違う」

「いいえ。もし、あの時カーヤが言ったように翔様以外の誰かの思惑によるものだとしても、私自身がしっかりしていたら、翔様の思いを繋ぎ留めておけたかも知れませんから」

「瞳ちゃんは勘違いをしているわ」

「え?」

「カーヤ、そうなのか?」

「えー?カー君も?……あーあ、失敗した。二人とも知らなかったなんて。まー仕方ない。このほうがフェアよね」

「カーヤ、一体どういうことだ?」

「……カー君はね、瞳ちゃんをこれ以上危険に巻き込みたくないから、瞳ちゃんを自分から遠ざけようとしていただけ。瞳ちゃんはマスコミに惑わされているだけよ。カーヤとカー君は心中なんかしてないし、状況は確かに心中が失敗したように見えるけれど、事実は違う。物証や現象から再現しようとしても、成り立たないもの。だからカー君は真相を確かめようとしてるの。それとね、秘密にしてたけど、カーヤは酒乱なんだよ」

「酒乱、ですの?」

「あのタイミングは最悪だったよな。カーヤが酔った勢いで『熱い』とか言いながら、急に浴衣を脱ぎ出して。仕方なく神社の裏に連れて行ったら、瞳に見つかって」

「あれで完全に勘違いされたものね」

「あの時私が見たのは……」

「そうだ。御神酒で酔ったカーヤが露出魔だったというだけさ。ただ、或る意味で都合が良かった。俺達はそれを利用しただけだ」

「それにあの時カーヤはカー君のことは、恋愛感情で『好き』ではなくて、好きか嫌いかって訊かれたときの『普通の好き』だったの」

「カーヤ、そうだったのか?」

「あら、カー君も?でもね、カー君。時が移れば人も変わるのよ。今度のステージでの演出、あれはカーヤの今の気持ちだから。だからね、瞳ちゃんには悪いけど、カーヤはカー君を譲るつもりはないから」

「カーヤ、今ここで挑戦状を叩きつける真似をするか?」

「ええするわ。瞳ちゃん、異論はないよね?」

「はい」

「おいおい、瞳まで。これって俺が悪役になれってことか?」

「スケコマシってことではね」

「全くヤレヤレだぜ。さてと、だいたい済んだな。次はデザートだ」

「翔様、『デザート』ですか?」

「あーそうだ。それがどうかしたか?じゃあ……」

「私の口、ソースが……」

「ん?ハハハ」

「瞳ちゃん、それ、勘違い」

「え?」

「デザートはカー君特製の杏仁豆腐よ」

「杏仁豆腐?え?」

「瞳が前好きだったから、作ったんだけど……、駄目だ、ハハッ、俺、ツボにはまった」

「瞳ちゃん、なかなかやるわね。早速、ラブラブ度をアピールするなんて」

「私、そんなつもりは……」

「冗談よ。ちょっとからかっただけ」

「カーヤのいじわる」

「ごめんね、瞳ちゃん。でも、あはははっ。カー君、カーヤも駄目みたい」

「もうっ、二人して。ええ、そうです。私は翔様とキスがしたいです。でも、せっかくですから、翔様お手製の杏仁豆腐を頂いてからにします」

「そうか。なら、口移しでデザートを食べる?」

「それイー。カーヤ、それしてたい」

「何言ってるんだ。俺は瞳に訊いているんだ」

「え?私、ですか?」

「そうだよ」

「でも……」

「食後のデザートは別口にするか?」

「はい」

「じゃあ、カーヤはする」

「カーヤ、言っておくが、これをしたら、おやすみのキスはなしだからな」

「えー、やだー。でも、デザートしたい」

「仕方のないやつだ。今日は特別だからな」

「やったー!瞳ちゃん、お先」

「ええ、はい」

「……カー君」

「ん?」

「カーヤね、カー君の口から甘ーい杏仁豆腐を吸い出すからね」

「カーヤ?翔様?…あ!」

「……ん、……あ。……ん、カー君……大好き。……あ、……ん。はあ……まだぁ、……ん、……もっとぉ、……ん、……あ。はあ……ご馳走様でした。カー君……カーヤ、もうダメ。くふぅ……」

「カーヤ……翔様、カーヤが」

「酔ったのもあるけど、カーヤは特別敏感な体質なんだ。……今、運ぶから、暫くソファーで横にしてなさい」

「ありがと、カー君」

「翔様が触れるカーヤは私の姿なのに、私には翔様が遠くに感じる……」

「カーくぅん、抱っこ」

「ワザとだな、カーヤ。策士め。よっと。……ん?カーヤ、体重増えたか?」

「え?そんなことないと思うけど……」

「カーヤ、抱っこだなんて、赤ちゃんみたい……え、まさか?」

「まさか、だろ?」

「していることはしているけど、ちゃんとしてるよね?」

「だよな」

「翔様……」

「おい、瞳…大丈夫か?」

「カーヤ、悪ふざけが過ぎるぞ」

「カー君が言い出しっぺだよ。それに責任とるのもカー君だからね、ねーパパ?」

「パパ?」

「そうよ。カー君以外に誰がいるっていうの?」

「それはそうだが……」

「……なーんてね。安心なさい。ちーゃんと月のものは来てるから。……ねえ、カー君、どう?刺激的だった?」

「ああ、十二分にな。だが、俺はともかく、どうする……瞳、ショックで気を失っているぞ」

「カー君が責任を取りなさい」

「俺がか?」

「そうよ。カーヤを想像妊娠させるカー君ですもの。ひょっとしたらヒョットしたで、瞳ちゃんも……」

「ばかなことを言うなよ。それ以上言うのなら……その口を」

「カーヤはいいけど……瞳ちゃんに見つかっても知らないからね」

「かまうものか。カーヤだってさっきのだけでは不満だろ?」

「それはそうだけど。……瞳ちゃんがいつ目を覚ますかわからないし」

「なら、瞳をソファで休ませている間に、俺たちは……」

「んもう、バカ。カー君のエッチ」

「どうせ腰が抜けて立てないんだろ?ちょっと待ってろ。瞳をソファーに……、そしてカーヤを」

「お姫様だっこじゃなきゃ嫌よ」

「はいはい、わかりました」

「瞳ちゃん、しばらく起きないでね。……シスターズ」

「ハイ、御用デショウカ?」

「彼女が目を覚ましてもこの部屋から出さないように。いいわね」

「カシコマリマシタ。ゴ主人様」

「……」

「……」

「……翔様が触れているカーヤの躰は私の躰。一体、私はここで何をしているの?カーヤは、……違う。あれは私なのに」

「オメザメデスカ、御嬢様?」

「あなたは……本当に、ヒカリに瓜二つなのね」

「ヒカリ……ソレハ御命令デスカ?」

「いいえ、妹にアナタ達がよく似ているの」

「アリガトウゴザイマス、光栄デス」

「……」

「……」

「あなた達、私を監視しているの?」

「御用ガアレバ、オ伺イイタシマス」

「食事の片付けをして。それから、アールグレイを頂戴」

「カシコマリマシタ」

「貴女も?」

「主人ノ言イツケデスノデ、コチラデ控エテオリマス」

「私を監視するように、二人から命令されているの?」

「……。オ答エイタシカネマス」

「見守るように言われたの?」

「……。オ答エイタシカネマス」

「……私はカーヤよ。それでも駄目?」

「音声認識デキマセン」

「……このままカーヤとカー君が戻るまで、待っていなければならないの?」

「ハイ。ゴ主人様ノ御命令デス」

「今頃、翔様とカーヤは……駄目ダメ、二人の事を考えてば駄目。何か他の事を……。そうですわ、あのことを……一つ質問してもいいかしら?」

「承リマス」

「『死神の鎌は生者の魂を狩り、死神の接吻は死者の魂を呼び戻す』……これは何かしら?」

「パスワードノ声紋認証ガ一致シマセン。再度入力シテクダサイ」

「パスワード?今のが?……『死神ノ鎌ハ生者ノ魂ヲ狩リ、死神ノ接吻ハ死者ノ魂ヲ呼ビ戻ス』……」

「パスワードノ入力ヲ確認シマシタ。続イテ口唇紋ノ確認ヲシマス……」

「コウシンモン?……ヒカリ!何をするの!」

「キスシマス」

「あなた、何をしようとしているのかわかっているの?」

「口唇紋ノ確認デス」

「イヤ!私達姉妹なのよ!止めて!キャーッ」

「口唇紋ノ確認ガキャンセルサレマシタ。直近ノ命令ノ実行ニ復帰シマス」

「……止まったの?良かった。……カーヤ、私をどうしても、ここに監禁するつもりなの?」

「……瞳、どうした?」

「翔様?どうしてこちらに?」

「今、悲鳴が聞こえたから……」

「翔様っ!」

「大丈夫だ。……シスターズの待機命令を解除、通常シフトに復帰」

「カシコマリマシタ」

「翔様……私、ヒカリに……、それで……」

「プッ、……いや、ごめん。まさか、侵入者対策のセキュリティーが働くなんてな」

「翔様、笑い事ではありませんよ。私はもう少しで……」

「ヒカリに唇を奪われそうになったんだろ?……まさか、瞳がパスワードを知っているとは」

「パスワードだなんて。翔様が以前あの言葉を使っていた話を伺った時から、不思議な組み合わせの言葉が気になっていただけです」

「何かの本に書いてあった言葉の受け売りさ。自称インテリの白鳥なら、意味を知っているかもな」

「あの刑事さんが?」

「今は、その姿に身を窶しているけどな。ところで瞳、もしかして……いや、まさかな……あんなのに興味があるのか?」

「いえ、別に。ただ……」

「ただ?」

「ただ、一つ気になる事があって」

「ほらな。やっぱり、海外の男だ」

「海外の男?」

「カーヤと話していたんだ。帰国した時の瞳は、いつもの瞳とは違っていたから、その理由をね」

「翔様の気のせいですよ。それにお付き合いをしている殿方は……翔様だけです」

「……そうか。俺との関係が瞳の言う『お付き合い』なら、白鳥のことは心配ないだろう。瞳、落ち着いたか?」

「?」

「さっきの。瞳がヒカリに襲われるようなシュチュエーションを想像できなくてさ。……俺の腕の中で震えるなんて、いつもと立場が逆だな」

「わ、私はそんなつもりは全くなくて……あ、カーヤに見られちゃう」

「カーヤ?カーヤなら寝たぞ」

「いやッ……」

「瞳、なんか勘違いしてないか?……カーヤはメンテナンスで眠っているよ」

「え?でも、先程……」

「ああ、あれ、聞こえていたのか。俺とカーヤの会話か……言葉遊びだな、あれは」

「私は二人が、その……」

「気絶した瞳を放置して、俺とカーヤが二人っきりで楽しもうとしていた、まあそんなところか。瞳は想像力が豊かだな。だがな、いくら俺でも、そのくらいのデリカシーはある。……というより、むしろこの場合、俺達がその場面に出くわしているよな。瞳、そう思わないか?」

「え?私と翔様が?」

「抱きあって、お互い見つめ合いながら、話をしてる。これってそれ以外のシュチュエーションに思えないな。……俺は約束を守る。瞳もカーヤに問い質されたら困るだろ?約束のデザートの後、もし瞳が望むのなら……」

「私はただ……翔様と一緒にいたい……それだけです」

「瞳、カーヤはな……いや、瞳はカーヤとは違うな」

「カーヤがどうかされましたか?」

「いや、何でもない。ところでさ」

「はい、翔様」

「瞳、今だから聞くけど、昇とは、その……どうだったんだ?」

「……。そのような尋ね方をされるなんて、翔様らしくありませんわ。翔様はどんな答えを望んでらっしゃるのですか?」

「済まない。瞳が答えに困る質問だったな。実際のところ、答える必要はないんだ。大抵の事は昇から聞いているからな。別に何があっても驚かないよ。ただ……」

「ただ?」

「ただ、瞳の様子を見たり、昇が俺やカーヤに嘘をついたりしていた事を考えると、確かめてみたかった。瞳は話したくなければ、話さなくてもいい。それはそれで答えだからな」

「翔様、他のレディーにも今のような尋問をなさるのですか?」

「まさか。瞳以外にこんな質問をするもんか。……瞳だからに決まっているだろ」

「……良かった。そういうことでしたら、きちんとお答えしますわ、翔様。……私と昇君は仲の良い友達でした。恋人かどうかは私達にはわかりません。手をつないだり、お茶したり、一緒に歩いたりするのがそうだと言われれば、私達は恋人だったのかも知れません。ですが、わたくしの心は、昔から変わりません。それでも周囲が騒ぎ立てたのは、彼が美智瑠さんであったからではないかと思います。同性の友人なら、私達のしていたことは、決して珍しくはありませんから。もし、私と彼の話が食い違うとすれば、それは美智瑠さんが、いいえ昇君が昇君であろうとした証しではないでしょうか。信じていただけるかどうかわかりませんが、私と昇君の間に、恋人のような甘い出来事は何もありません。それだけです」

「ちょっと待て。『何も』って……何も?」

「はい。何も」

「そうだったのか」

「はい、翔様」

「俺は昇をわかっていなかったのか?それはあんまりだ。俺は取り返しのつかない事をしてしまった」

「翔様、それは違います」

「俺はお前達の関係を誤解して、それも俺が戻ってからずっとだぞ」

「昇君は、昇君としているために誤解を受け入れていたのだと思いますわ」

「美智瑠は、一言も文句らしい事を言わなかった。俺なら誤解を解くのに必死になるぞ」

「昇君と、美智瑠さんは、別人です。同じ体に二つの心が同居していたのですから、美智瑠さんとしての昇君は、翔様にその事を愚痴一つ言わなかったと思います。そうではありませんか?」

「だとしたら、俺は美智瑠を自暴自棄になるまで追いつめてしまった。二度と罪を犯さないと誓っていたのに……」

「翔様が悪いのではありません。悪いのは私です。私は昇君から口止めされていました」

「口止め?」

「はい。カーヤに続いて、翔様も遠くに行かれてしまった私と昇君は、途方にくれるしかありませんでした。自分たちの罪深さを知ることになるのには時間は必要ではありませんでした。かつて、四人で仲良くしていた時から、昇君は異性の親友として翔様と私の関係を心配して、いろいろと心を砕いてもらっていました。私と昇君は二人になってからも、その関係を維持しようとしていたのかも知れません。そして、翔様の消息を偶然ニュースで知った時、失わざるべき人を失った私と昇君には、一筋の光明が差し込んだのです。昇君が変わってしまったのはそれからです。私はどうしていいのかわかりませんでした。それに相談する相手……カーヤも翔様もいません。そして昇君は翔様が帰国することを知った日に、私に口止めをしました。僕が美智瑠であることを翔様には黙っていて欲しいと」

「それじゃあ、俺は昇だけではなく、瞳にも嘘をつかれていたのか?」

「申し訳ありません、翔様」

「いいや、瞳は謝る必要は無い。全ては俺が事件の記憶を失ったことが原因だからな」

「翔様、ご自分を責めないでください。そういう翔様を見るのはとてもつらいのです。私で良ければ、いくらでもその心の痛みを分かち合えることができます。翔様、私は……瞳は翔様にこの身をいつでも差し上げられます。それが、一時のお戯れであったとしても……」

「俺はこれ以上、瞳を裏切りたくはない。わかっているだろ?」

「翔様、違います」

「あの事件で俺やカーヤを追いつめたのは、俺自身だ」

「翔様、もうこれ以上私を困らせないで……」

「わかった。この話題は止めにしよう。そうでもしなければ、いくらでも瞳に抱きつかれて、一時の戯れに走ってしまいそうになる」

「翔様がお望みなら、私は構いませんわ」

「……。俺達は、瞳が旅に出た理由を勘違いしていた」

「勘違い、ですか?」

「そうだ。彼氏が……昇が行方不明になったからだと思い込んでいた」

「昇君がこんな事になってしまって、心配ですし不安なのは勿論です。ですが、私は私自身が誘拐監禁された事を受け入れられるかどうかで目一杯でした。私自身を取り戻す為に、今回の事件と向き合う為に、一人になる機会が欲しかった」

「それで俺達にも行き先を告げずに」

「……はい。でも、違っていました。自分と向かい合っても、答えは出ませんでしたから。こうして、始めから自分以外の誰か……私の全てをさらけ出せる翔様とお話をすれば良かったのですよね」

「今、話してるだろ?」

「そうですわね」

「……瞳、これからどうしたい?館長が心配しているみたいだったし、送ってくぞ」

「翔様、一つだけ瞳のわがままをきいて下さいますか?」

「いいよ。で、わがままって何だい?」

「このまま……このまま、翔様とお話しをさせて下さいませんか?」

「お安い御用だ。今夜は眠らさないからな」

「はい、お伴させていただきます」




カフヴェハーネの作戦会議

《珈琲専門店カフェヴェハーネの従業員の証言より》

「秘密の作戦会議だと聞いたんだが……」

 遅刻をした荒城廉太郎が嘯きながら最後の席に着いた。窓の外には群集が珈琲専門店カフヴェハーネを取り巻き、交通整理をする警察官達によって店と歩道の境界線上に設定された規制線の外に辛うじて留まっていた。

「荒城君、遅れて来たのだから詫びの一つくらい入れなさいよ。……それにしても、誰?口外したのは?」

 明星プロダクション社長・明星 希は一同を見渡した。居合わせた人々それぞれが周囲の人間に責任転嫁をしようとして小声で話し合っていた。全く覚えがない者がいない様子に呆れた希が騒がしくなり始めた一同を黙らせようとテーブルを叩こうとした時、不遜な態度の少年が立ち上がった。

「俺が掲示板に書き込んだ。ギャラリーよりも警備の警察官に包囲されるほうがまだましだ。だいたい『秘密の会議』の為だけに警備員を用意できるほど、俺達は暇じゃない」

 一同の中からは少年が吐き捨てた文字列に賛同する言葉を口にする者が相次いだ。

「彼の言う通りですよ、社長」

「日向野さん、そもそも御殿の会議室の方が安全だし、店を貸し切りにしたお金だってダダじゃないのよ」

「社長のおっしゃるように、確かにあのビルは確かに安全です。しかし、安心は出来ませんな」

「探偵さん、どういうこと?」

「オッサンが調べたら、コイツが出てきた」

 少年はそれまで握っていた掌を開いた。そこから現れたのはUSBメモリほどの小さな黒い物体で、数本の短いコードが生えていた。

「盗聴器です。仕掛けられた時期の特定は出来ませんが、恐らく……」

「カーヤの誕生会のゴタゴタね。あの時、紛れ込んだのよ」

 口を挟んだカーヤは、少年に向かって頷いた。

「……捜査本部の立ち上げで、御殿のセキュリティーを一時的に切りましたからな。しかし、こちらのチェックをすり抜けた人物がいたとは思えませんが……。社長、申し訳ありません」

「今更、謝られてもね……。私達よりも相手が一枚上手だったということね。ところで、ここは大丈夫なの?」

「厨房の棚、冷蔵庫、ゴミ箱、従業員控え室、その他全て確認済みです」

 探偵さん……日向野 影が得意気に社長に返答するのを、さも当然といった雰囲気で、社長は頷いた。

「よろしい。じゃあ、本題に入るわよ」

 社長が議題にしたのは、前日に沖縄で行ったステージ中のカーヤの控え室に、死神からの犯行予告が届いた事への対応策だった。既に警察には届け出済みで、案の定警察から自主的にコンサート中止するよう勧告があったという。マスコミに対しては、プロダクションのホームページで社長のコメントとして掲載済みだった。

「で、やるか、止めるかを決めろというのね?」

「そういうこと。警察は私達が決めた結果次第で、警備態勢を整えなければならないの」

 葉月 陽子の単刀直入な確認に対して、宿題を押し付けられた子供のような調子で返答する社長・明星 希の様子を見ていた荒城廉太郎が指摘した。

「希が言い出した事ではあるが、動員数を稼げる埼玉スーパーアリーナにしたことが、裏目に出たか。犯人は、警視総監を狙撃した犯人はそれを承知で仕掛けて来たんだろ?」

「会議室を変えるのは簡単だけど、コンサートの会場を今更変える訳にもいかないわ」

 社長は廉太郎の言葉に一矢報いたつもりらしい。

「死神はスナイパーでしょ?でも、埼玉スーパーアリーナみたいな閉鎖空間に大勢の観客がいたら、いくら空調がしっかりしていたとしても、スコープの像は観客の熱気で歪んでしまう。だから観客席越しの狙撃はとても難しくなる。ね、カー君」

 天地 翔はカーヤの分析を補足した。

「それは死神も織り込み済みだろう。確実を期すなら、観客席の中……それも最前列から突撃銃かサブマシンガンで狙う。更にきっちりとどめをさすつもりなら、ナイフでもいい。だが、今までの死神のやり口から考えれば、姿を見せずに成し遂げる方法だろうな。ただ、いくら分解出来るからといっても、ライフルを会場に持ち込むのは目立ち過ぎる」

「少年、既に持ち込んでいる可能性もあるぞ」

「観客席とステージの間に防弾パネルを設置するのは如何かな?」

 廉太郎の指摘に探偵さんの提言した対策を聞いていたカーヤは、口を尖らせて反論した。

「それじゃあ、ライブとは呼べなくなるー。カーヤは嫌よ」

 主要なメンバーの発言が一通り済んだところで、社長は溜め息混じりに発した。

「……みんな好き勝手に言ってくれてちゃってるけど、結論に異議無しって事でいいのね?」

「『○※▲■』」

 参加者はそれぞれ賛成の言葉を口にした。

「全くまとまりがないわね、あなた達」

「希、でなくて、社長。アーティストには個性が大事だろ?」

「そうよ。兄貴の言う通り。それよりも、死神対策をどうするか決めようよ。ねー、カー君」

「ヤレヤレ」

「はいはい、分かりました。私が警察に連絡をしている間に具体的な対策を話し合っておいて。すぐに戻るわ」

 そう言い残して席を立った社長の背中を見送った一同の視線は、少年と芳夜の間に座る人物に自然と集まった。

「翔様、私、皆さんの注目を浴びているみたいです。私には場違いだったのでしょうか?」

「それは違うな。安心しろ、瞳」

「はい」

「こうして改めて二人を並べると、全く見分けがつかないわね」

 星野瞳の謙虚な態度をフォローしたのは、フリービデオジャーナリストの葉月陽子だった。

「ヨーコは瞳ちゃんに優しいのね」

「そう?私は、いつも通りよ。……。なーに?……誰か言いたい事でもあるのかしら?」

「世論を操れる姉貴に文句を言えるのは、俺とカーヤくらいだ。ま、姉貴の考えに異論はないが」

「カー君狡いよ。梯子を降ろすなんて。さっきまでと違う」

 天地 翔の様子にカーヤはいらだちを隠さなかった。

「まあ、まあお二人さん、ここで夫婦喧嘩を始めないでくれ。出入り禁止の店が増えたら、希がまたボヤキ始めるぞ」

「それは兄貴の話だろ?……みんなの疑問には俺が答えよう。瞳に参加してもらったのは……」

「カー君、まさか、瞳ちゃんを影武者に仕立て上げるつもりじゃ……」

 一同の視線は少年とカグヤの間で行き来する。

「それ絶対にない。ファンの目を眩ませる程度なら兎も角、今回は江ノ島のときよりも危険だ。見ての通り、知っている人間でも衣装を取り替えられたら、二人の見分けはつかない。カーヤが狙撃を受けたとしても、フォトンの結像を瞬間的に解除すれば済むが、生身の人間はそういう訳にはいかない。危険に晒されているのは、瞳だ」

「人違いで狙撃されたらたまらないわね」

「何か対策は?……それで今回は会議室を移動させて、ギャラリーを呼び込み、そのギャラリーを制する為に警察がくる。それで警察に周辺を警備させるという事か」

「そうだ」

「ずいぶんと手が込んでますな」

「俺達で手が回らなければ、利用できるものは何でも利用すればいい」

「社長のケチな方針にもピッタリね」

 葉月 陽子の指摘に苦笑のさざ波が沸き立つ。少年は続けた。

「社長とは下打ち合わせは済んでいるものの、本人の……瞳の気持ちを最優先させたい……これは俺の考えだが、それには今回のステージの内容を含めて話し合う必要がある」

「まずは、我々の対策を決めなければ、だな」

「カーヤが希から聞いているのは、警察による24時間態勢の警備を要請するのが一つで、もう一つはね……、ねえ、カー君から言って」

 カーヤの呼びかけに少年は一呼吸おいてから話した。

「死神の狙撃から逃れるために、しばらくの間、俺達3人で同棲する」

「同棲!?」

 悲喜こもごも、ざわめきが空気を満たす。

「何を驚く?」

「少年、俺達は君らの関係をそれなりに理解しているからいいが、亜望丘やお嬢ちゃんの高校にまで物々しい警備が貼り付けば、ヨーコが情報をリークしなくても、立派なスキャンダルになるぞ」

「スキャンダルを怖れていたら、カーヤは務まらないわ!それに、この際だからファンに報告をしちゃおうかな」

「ファンへの報告ですって?聞いてないわよ」

 警察への連絡を終えた社長が、携帯を片手に戻った。

「あ、希」

「カーヤ。社長、でしょ」

「どっちでも同じだし……。わかったわよ。希社長、カーヤとカー君はね、あのね、ンフフフ……結婚するの!」

 少年の肩にしなだれかかったカーヤは照れていた。

「あ、そう。……うええ!」

「希、いや、社長が狼狽えるなよ。……おい、お前ら、わかって言っているよな?」

 カーヤ以外、その場にいた人間は息をのんだ。カーヤの言葉を文字通り飲み込まなければならなかった。

「か……翔様、まさか、そんな……」

「……俺は初耳だ。カーヤは……どうもマジみたいだな」

「ねえ、ヨーコ。婚約発表をしさえすれば、同棲をバラしても平気でしょ?」

「そうねえ……まあ、掲示板には随分前から書き込みされちゃてるし、メディアも公然の事実を事後承認するようなものだし……」

「そうそう、嘘をつくのは良くないと、カーヤは思うな」

「うん、それ面白そうね。カーヤ、翔君、あなた達結婚しちゃいなさい」

「……。そんな簡単に……ねえ、いいの?」

 呼び水をしておきながら、ヨーコは当事者に問うた。

「カーヤ、嬉しい」

「少年!」

「翔様……」

「どこの馬の骨かわからない他人様に嫁がせるくらいなら、育てた俺が娶ったほうがまだましだよな」

 少年はあっさりと断言した。

「光源氏のようですな」

「全国ツアーが終わったら、芸能界空前絶後の規模で披露宴を開くわよ。ウヒヒ……いくら儲かるのかしら……」

 スーパーコンピューター級の儲け話を空想する社長をよそに、荒城廉太郎が尋ねた。

「で、実生活はどうするんだ?」

「それは決まっているでしょうよ。ねえ、社長」

「ウエッ、私?」

「それはそうよ。貴女が天塩にかけたタレントでしょ?公私にわたって指導するのが社長の責務じゃない?」

「ん、ん……。でも、まあ実際のところ、二人は結婚出来ないわよ。……だってほら、カーヤはバーチャルAIアイドルだし、戸籍すら無いし。だから、今まで通りで、いいのよ」

 あまりにも当たり前すぎて誰もが口にしなかったことを社長は口にした。それはわかりきっていた事だけに、カーヤにとっては鬼門だった。

「……バカね」

「希のおたんこなす!」

「カーヤ、待てよ……。わかっていたくせに。すみません、俺、追いかけます。ステージ上の対策は俺が何とかします。その他はよろしく」

「社長さん、一言余計だったな」

「みんなわかっていたんだけどね……。ごめんね、瞳さん。みっともないところを見せちゃって」

「いいえ。私達、いつもの事ですから」

「こういうドロドロ……愛憎活劇が、日常茶飯事なの?」

「ええ、まあ……はい」

「あなた達、ホント、いろいろ大変なのね」

「気を使って頂いて、ありがとうございます」

「彼氏も言ってたでしょ?『いつもと同じだ』って」

 陽子は瞳に探りを入れた。

「彼氏……いいえ翔様は……。私、翔様とは、幼なじみ以上、彼女未満なんです。それに……」

「それに?」

「カーヤにも願っても叶わない夢があったなんて、私は知りませんでした」

「フッ、お嬢ちゃん、そんなのは誰にだってあるさ。お嬢ちゃん自身、そんな願いの一つや二つはあるだろ?」

「ええ、多分、そうだと思います」

「荒城君、私の目の前で、その子を口説かないの。それよりあの子達、どこまで行っちゃったのかしら?」

「店の外には出ていないでしょう。ギャラリーと警察官に動きはないようですから」

「そう、……仕方ないわね。翔君も、ああ言ってたことだし、私達は私達で出来る事をするだけよ。会場の警備と、イヴを……あ、ごめんなさい。いつも貴女の事を私達、そう呼んでいたものだから。星野瞳さんのガードの方法を決めちゃいましょう。さあ、続きを始めるわよ」




カフヴェハーネの作戦会議

《珈琲専門店カフェヴェハーネ周辺に配備された警察車両(集音マイク)の録音より》

『マルタイ、入りました。はい、そうです。今のところ不穏な動きはありません。こちらに気づいている様子も、……ええ、全くありません。はじまります』……

「カーヤ、……こんなところに。探したぞ。みんなに心配をかけさせるなよ」

「だってカー君、会議って退屈じゃない?」

「あの人達は素人だから、仕方ないのさ。集まって、話し合って、それだけだ。それに相手はプロだ。素人の対策で適いっこないのは、カーヤだってわかっているだろ?」

「だから退屈なの。対策はカー君と話せばいいの。カー君もそのつもりでしょ?」

「まあな。それにしても、結婚とはな。みんな目を丸くしてたな」

「そうそう、特に瞳ちゃん」

「瞳にしてみれば、悪夢そのものだろうな。カーヤは既成事実だけでは不満か?」

「不満は無いの。むしろ、満足してる。でもね、形のある何かが欲しいの。それだけよ」

「その形が結婚か」

「そうよ。カー君はどうなの?」

「カーヤが形にしたい気持ちは理解できる。俺自身、何かが足りないと思っていた。ただ最近、よくわからなくなる時があるんだ」

「どんな?」

「カーヤと瞳、どっちがカーヤで、どっちが瞳なのか」

「カー君、何を言っているの?外見の事は言わない約束でしょ?」

「外見の話じゃない」

「カー君は、カーヤはカーヤなのに、瞳ちゃんじゃないかって思う時があるってこと?」

「そう、それ」

「気のせいよ。仕事が忙しいからよ。それとも……」

「溜まってなんかないぞ。毎晩、カーヤの相手をしているのに、そんな余裕はある訳ないだろ?」

「ふうん。いっつも『おかわり』するのはカー君だから、そうなのかなって」

「ヤレヤレだぜ。それより、例の犯行予告、カーヤはどう思う?」

「カーヤ、てっきりカー君だと思ってた」

「俺が?まさか。だいたい俺ならもっと上手くやる」

「例えば?」

「そうだな……」

「……例えば、スコープ越しに撮ったカーヤの写真と銃弾入りの犯行予告を報道各社に送りつける、というのはいかがでしょうか?或いは狙撃する犯人の写真をカーヤのホームページに割り込ませる、ですとか……」

「……瞳ちゃん」

「何だ、瞳も抜け出してきたのか?」

「違います。私の打ち合わせは終わりました。次は会場の警備体制だそうです」

「その様子じゃ随分長引きそうだな。カーヤは計算ずく、俺はどさくさに紛れて抜け出せたが、瞳はどうやって?」

「自然な成り行きですわ。会場の警備体制の打ち合わせには、時間がかかるから、始めに私の身辺警護について話そうって、社長さんが」

「希にもいいところがあったのね」

「カーヤを飛び出させてしまったからな。瞳に悪い印象を持たれたく無かったんだろう。しかし結果的にカーヤの計算が功を奏したということか」

「どう、少しは感心した?」

「ちょっとはな」

「なんだ、つまんないの。カー君、さっきのは?」

「ああ、犯行予告をどうするかだろ。俺なら、瞳からカーヤに手渡しさせる」

「翔様。私に、ですか?」

「そうだ。足が無ければ、足が着かない……いかにも日本の幽霊、そういう意味合いで、ペンタゴンのゴーストという異名を持つのが、かつての死神だ。それに比べて自称『死神』はどうだ?警察には足取りを掴ませないでいるものの、新たな『死神』と認知される為には、元『死神』のカーヤを消さなければならない。しかし『死神』の挑戦は失敗続きだ。そろそろ、直接対決して事態を打開したいのだろうが、如何せんカーヤの側には俺がいる。おいそれと捕まりに来るような下手は打てないし、警察にも捕まる訳にはいかない。今回の犯行予告は、俺達を狙撃犯に仕立て上げる方針を曲げてまで送りつけられた。方針が変わった理由は推測の域を出ないが、恐らく犯人はカーヤを偽者だと決定付けたいのだろう。俺だったら、本物から偽物に……瞳からカーヤに手紙を渡させる」

「なかなか粋な計らいね、ジョーカー」

「瞳の前で、その呼び方は止せ」

「大丈夫です。私、慣れていますから。翔様、もし私がその役を犯人にさせられていたら、どうなさいましたか?」

「瞳、物騒な事を言うなよ。警察の思惑次第で犯人に仕立て上げられるかも知れないんだぞ。めったな事を口にしちゃいけない」

「でもカー君のことだから、是が非でも瞳ちゃんを守ろうとするわよ」

「そんなの決まっているだろ。今回だって……」

「今回?」

「俺が同棲……しばらく一緒にいようと決めたのは、瞳を守る為だ」

「私の為?」

「瞳ちゃん、勘違いしないでよね。カー君が瞳ちゃんを守るのは、当たり前なんだから。死神がいる限り、カー君もカーヤも危険に曝される。勿論、周りの人達も。だからカー君は守るし闘うの」

「翔様、そうなのですか?」

「カーヤの嫉妬がスパイスを効かせてはいるが、大筋には間違いない」

「カー君、カーヤは嫉妬なんかしてないよ。事実を掻い摘んで話しただけだもん」

「カーヤ、繕っても無駄だよ。カーヤの為に瞳を守らなければならないのは事実だからな。カーヤと瞳、二人のどちらかに何かがあれば、他方に少なからず影響が現れる。原因はよくわからないが、瞳とカーヤのリンクを切断できないんだ」

「翔様、どのような影響があるのですか?」

「瞳ちゃんが誘拐された時、カーヤの腕に痣や切り傷が現れたの。それに……」

「実はさ、この前の亜望丘の夜のこと、カーヤに筒抜けだったんだ……」

「え?」

「瞳ちゃんは最後までしてないけど、カー君、婚約者がいる身でありながら、浮気をするなんて、いい度胸してるわよ!」

「俺、心臓に剛毛が生えているのがとりえなんでね」

「ま!」

「カーヤ、カーヤが言い出したのよ……デ、『デザート』をしようって」

「うーん……。そうなの?カー君」

「カーヤ、まさか……覚えてないのか?」

「カーヤをほったらかしにしたカー君が瞳ちゃんと普段より親密にしていたから、自棄になってシャンパンを一気に空けたところまではログがあるんだけれど……それにカー君と瞳ちゃんが差し向かいで一晩中話をしながらイチャイチャしてたのも知ってるよ。……まさかカー君、ログが無い間、瞳ちゃんと……」

「カーヤ、なんか自分だけいい子になってないか?なあ、瞳」

「カーヤ、本当に覚えていませんの?」

「全く記録されてないの。……あ、今二人してカーヤのこと疑ったでしょ?特に瞳ちゃん。カーヤは瞳ちゃんの考えていることが分かるんだからね。……どうして?って……知りたくなくても頭に入って来ちゃうんだもん。どうしようもないじゃない」

「翔様、私、何も話していないのに……」

「瞳はカーヤの思っていることがわかるのか?」

「今はわかりません。ですが、眠っている時にはお話しができます」

「カー君」

「翔様」

「何だ。二人とも」

「瞳ちゃん、私が言うよ」

「はい」

「『なんとかしてよ』馬鹿カー君」

「翔様、ち、違います」

「瞳ちゃん、今更かまととぶっているの?」

「本当です、翔様。信じて下さい」

「瞳、俺は信じるよ。おまけの一言は余計だぞ。カーヤ、あとでお仕置きだ」

「『翔様は、カーヤにどんなお仕置きをするのかしら?ああ、私もお仕置きされたい』だって」

「カーヤ、瞳がそんな事考える訳ない……だろ?な、瞳?……瞳、顔が真っ赤だぞ」

「駄目、カーヤ……」

「今のはカーヤの作り話だったのに。……瞳ちゃん、まんざらでもなかったのね。カー君、いつの間に瞳ちゃんを調教したの?」

「そんな事をする暇がどこにあった?瞳もカーヤの言葉を鵜呑みするな」

「は、はい」

「良かったね、瞳ちゃん。早速今晩からカー君の調教だよ」

「……翔様」

「え?マジで?いいや、何かの間違いだ。瞳がそんな訳がない」

「カー君、人の趣向っていろいろあるから。それにカーヤは、前もカー君に言ったよ。『瞳ちゃんはドM』だって」

「しかしな……瞳、確かに人それぞれ好みがあるだろうが……」

「瞳を翔様のお好きなようになさってください」

「ほらね、カー君。瞳ちゃん、カー君の言う事なら何でもきくよ」

「ヤレヤレだぜ」

「……ほら、上手くいったでしょ?瞳ちゃん」

「お前ら、連んでいたのか?」

「ごめんなさい、翔様。カーヤに賭けを持ちかけられて」

「そうか……で、カーヤ、何を賭けた?どうせしょうもないモノなんだろ?」

「さて何でしょうね。瞳ちゃん、カー君に答えてもいい?どうする?」

「秘密にします」

「なんだなんだ、女同士の密約なのか?」

「女の子はね、星の数よりも多い秘密を持っているの。だからカー君は一々詮索するなんて無粋な事はしないの」

「へいへい」

「でも本当に良かったですね。犯行予告が届いたおかげで翔様の疑いが晴れて」

「始めから潔白の俺にはどうってことはないが、どう落とし前をつけるかが楽しみだな」

「カー君のことを散々に報道した記者は、きっと今頃『カーヤの取材が出来なくなる!』って、大騒ぎしてるわ」

「希はしたたかに計算しているはずさ。きっと稼ぎのネタにするだろうよ」

「凄いですね」

「イタリアの種馬みたいなアニキを文字通り乗りこなして、三畳一間の弱小プロダクションから六本木に自社ビルを持つまでのし上がってきたからな。故意であってもなくても、藪から棒を出されて転ばされたら、必ず相手の足をへし折るか、転ぶ前よりも立派な服を要求するのがあの社長の流儀だ」

「珍しいこともあるものね、カー君が希を褒めるなんて」

「そうか?俺は普通にそう思うぞ」

「カーヤ、翔様は恣意的に考えることはしませんわ」

「そうだそうだ。乳母車からの幼なじみがそう言うんだ。間違いないぞ」

「はいはい、それは良かったわね」

「何だか随分と素直だな?」

「カー君、カーヤは普通だよ」

「二人とも話がそっくり」

「瞳ちゃん、カーヤみたいにカー君といつも一緒にいるとね、……そう、似たもの同士というか、息がピッタリ合ってくるものよ」

「確かにそうかも知れないな。ミッションのときに意識しなくても、しっくりくるのは重要だからな」

「カー君も、そう思う?やっぱり私達、結婚するのが正解ね」

「そう来たか。しかしカーヤ、風に乗って声が流れるから、その話は止めておくんだ。それに金儲けの話……発表をするタイミングは希に任せておけばいい」

「翔様、本気でお考えなのですか?」

「瞳、さっき希が話していたのを聞いてただろ?」

「そうですが、でも……」

「瞳ちゃん、や・く・そ・く」

「カーヤ。……カーヤを信じていいの?」

「勿論よ。……もう、何を言ってるの、瞳ちゃん。カーヤは瞳ちゃんを信じてるよ」

「わかったわ」

「しかし、一体何なんだ、カーヤと瞳の密約は?」

「いずれ時期が来れば、カー君にもわかるわ。楽しみにしてなさい」

「瞳、それは俺には楽しみなことなのか?」

「駄目よ、瞳ちゃん。男なんて、女の子の秘密を知った瞬間に勘違いする動物なんだから」

「翔様、瞳の秘密……私を全て受け止めて頂けるのですか?」

「いや、それはな……カーヤが。……今質問されたら、無理だとしか答えられないだろ?くー、あー気になる」

「カー君が煩悶するのって、『あの時』と一緒なのね。カーヤ、見てたら疼いて来ちゃった」

「カーヤ、言っておくが青姦はダメだからな。……ん?瞳?」

「翔様、な、何でもありませんわ」

「瞳、今夜から亜望丘だからって、そんなに堅くなるなよ」

「私、固くなんて……違います、これは。翔様、そんな風に見ないでください。私、緊張して眠れないかもしれません」

「大丈夫よ、瞳ちゃん。私達、カー君と同じベッドで眠るから。カー君はね、いつでも守ってくれるよ」

「翔様と同じベッド?……ええっ!そんな、どうしましょう」

「瞳、俺は瞳を眠らせないぞ。な、カーヤ」

「カー君てね……毎晩よ。とっても激しいんだから。……一緒に寝たら、わかるわ。絶倫ってこういうことね。ホント凄いんだから」

「カーヤ、私、わかるわ……翔様を感じますから」

「うーん、カーヤは瞳の感情や体調が、瞳にはカーヤの体感や思考が伝わる。何故だかサッパリわからん」

「お互いインターフェース無しでね。カー君、仕組みが分かれば、ブラックボックスの中身や、カー君の失われた記憶の謎につながるかもしれないわ」

「そうだな。ブラックボックスの中身に触れられないのなら、別の入り口を探せばいいか。死神のお陰で今夜から公然と三人で居られる訳だし」

「翔様、私にも何かお手伝いさせてください」

「瞳、ありがとう」

「翔様……」

「ちょっと、カー君カーヤの目の前で瞳ちゃんに手を出さないでよね」

「瞳、こんなことだから、安眠は確保されそうだ」

「カーヤが真ん中で、川の字だからね、カー君」

「ヤレヤレだぜ。そろそろ終わった頃だ。それに喉も乾いた。お嬢様御用達のカフェヴェハーネ名物ラテアートを飲むとするか……料金は会社につけておけばいいさ」

「カーヤ、何を描いて貰おうかな」

「お店の人、『何でもどうぞ』っていつも言ってくれるわ」

「瞳は顔パスが効く上得意様だからな。カーヤ、ムルルはどうだ?」

「ムーちゃんねえ……、ムーちゃん、元はカーヤが飼ってたのにカー君ばっかりに懐いているんだもん。ムーちゃんはカー君が描いてもらえば?カーヤは別のにする」

「カーヤ、何にするの?……」

……

『あ、はい。建物の中に入りました。こちらからは姿を捕れられません。……了解しました』



《Sistersの視覚記録より》

 新しい朝は、衣擦れの音から始まる。

 母が持たせてくれた家着の和服に真新しい割烹着、頭には豆絞りの手拭いで頭巾をして、亜望丘のキッチンに立つ。襷を締め直し、秘伝のレシピをもとに食材を集め、二人を起こさぬよう控え目な掛け声で気合いを入れた。今朝は、亜望丘に来てはじめての朝食当番だ。

 珈琲専門店カフヴェハーネでの秘密会議の直後から突然始まった翔様との同棲は、芳夜と翔様と私の共同生活というよりは、まるで部活動の合宿という色合いが強く、厳正かつ平等に割り振られた食事当番は、いかに翔様を料理で靡かせるかという戦いの場だった。

 初日は三人とも早起きして――実際は私達二人が翔様を挟んで川の字で同衾したので、お互い油断が出来ず、またリラックスして眠ることも出来ずに翔様の寝顔を眺めるほかなかった――、翔様が案内する亜望丘の台所で、食器や食材、調理器具やその使用法のレクチャーを受けながら、翔様の流れるような手つきを惚れ惚れと眺めているだけだった。

 二日目はカーヤ。前の晩、夕食の席であからさまな対決姿勢を表明したカーヤは、ベーコンエッグの焦げる匂いで飛び起きた翔様に間一髪のところで救われて、朝からへこんでいた。しかし、それらはカーヤの演技だった。翔様に頭を撫でられて慰められながら、カーヤは私にピースサインをしてみせた。

 状況は極めて不利だ。既にカーヤは翔様との生活をしていて、そこにたまたま部外者が押し掛けたようなものなのだから。しかしながら、私も負けられない。もし負けたら、私は翔様とは今の関係を維持する事さえ許されなくなってしまう。

 私達三人が同棲生活を始めるにあたり、私はカーヤと秘密協定を結んだ。事前に翔様と同棲について打ち合わせていたカーヤは、予め秘密協定を用意していた。遅刻した参加者を待つ間、コーヒーの香りが漂うカフヴェハーネのテーブルの下で、カーヤからメモ書きした三箇条を渡された。隣の席にいた翔様でさえ気付いていなかった。もし端から見た人がいたとしても、カーヤが私の両手を握っているだけにしか映らなかっただろう。そうして締結された秘密協定に準じて、共同生活を始めていた。

 カーヤの行為は、秘密協定には反していない。「同棲期間中は自ら翔様に触れない事」に抵触せずに翔様との距離を確実に縮めていた。もし翔様とカーヤが結ばれてしまったら、協定によって私は翔様と距離をおかなければならなくなる。さらにカーヤが翔様と別れない限り、私は翔様に接触することすら禁じられてしまう。私がこうして居られるのも、あと一週間ほど。カーヤの思いつきで出来た秘密協定の最終項が私の手で押し進められようとしているなんて、カーヤは思いもよらないだろう。

「おはよう、瞳。随分早起きだな」

 不意に背中から声をかけられて体が強張る。気配を全く感じなかった。もしこれが実戦だったらと考えると、背筋が凍る。振り返った私の割烹着姿を翔様はしげしげと眺めていた。

「翔様、おはようございます。……そんな風に翔様に見詰められると恥ずかしい」

「なかなか似合ってる。瞳の服装って、普段のフリフリなお嬢様か校服の姿しか思い付かないからな。うん、和服に割烹着、綺麗だ」

「翔様、おだてないでください」

「おだててなんかいないさ。俺はいつも真剣さ。特に瞳には」

「もう、翔様ったら、御戯れを」

「瞳、『御戯れ』ってのは、こういうやつだ」

 そう言い終わるか終わらないうちに、翔様は私を抱き寄せて、割烹着で隠されていた体のラインを手でなぞった。

「瞳、少し痩せたのか?」

「どうしてご存知なのですか?」

「言ったろ?瞳とは真剣に向き合っているって」

「翔様……」

「だろ?」

「ええ、あ……はい」

 と、ここで、気配をアピールするかのように扉をバタンと閉める音がして、カーヤが姿を現した。

「カー君、カー君どこ?あ、いた。……カー君、朝から瞳ちゃんと何をしているの?」

「何って……、訓練だよ。瞳を抱えて逃げなきゃならないときの為だ。ほら」

 翔様は私を抱き上げた。私は心の中でガッツポーズをした。カーヤは自分の一言で招いた結果に渋い顔をした。

「訓練なら、いつもカーヤとしてるでしょ?」

「俺はそれでもいいが、瞳はそういう訳にはいかないよな」

 瞬間的に目配せした翔様の顔が近い。カーヤは翔様にわざとらしく言う。

「ジョーカーともなれば、そんなの平気よ。ね、カー君」

「だからな瞳の前で……、ワザとだな。ところで、いつもの以外にカーヤは俺に何か用件でもあったのか?」

「無いわよ。それとも、カーヤがカー君を見に来たらいけない理由でもあるの?……もう、いいわよ!」

 激しく扉を閉める音を残して、カーヤはキッチンから出ていく。

「カーヤのヤキモチか。俺はわかっているだけどな」

「翔様?」

「いや、気にしないでいい。いつもの事だ。カーヤは俺が瞳と関わると些細な事でもくってかかる。ムルルとじゃれているのと一緒なんだけどな」

「翔様、私と猫を一緒にしないでください」

 そう言いながらも、私は翔様とのやりとりを楽しんでいる。

「ごめん、瞳」

「埋め合わせはちゃんとして下さいね」

「おう。わかった」

「そうでしたわ。朝ご飯には翔様の好きな物を作って差し上げようと思ってましたの。どんなお料理がよろしいですか?」

「そうだな……、だし巻きたまごがいいな」

「だし巻きたまごですね。おまかせくださいませ。でも、翔様の好みは最近変わりましたの?」

「俺も好きだけど、いや、その……カーヤの大好物なんだ。悪いけど、頼むよ」

 翔様の言いたい事は分かる。食べ物でカーヤの機嫌を直そうというのだ。

「わかりました。それと茶碗蒸しも」

「俺の好物を知ってたのか?」

「勿論です。翔様、瞳は……」

「乳母車からの幼なじみ、だろ。あれ、もうこんな時間だ。瞳の手料理、楽しみだな」

 翔様は踵を返した。

「翔様?」

 私の問い掛けに翔様は背中で答える。

「そういえば、瞳には話してなかったな。朝食前のトレーニングで、カーヤと組み手をするのさ。瞳、俺は瞳を死神から守る。だから安心しろ」

 不意にフワリと翔様の胸の中に抱き寄せられた。私は翔様の匂いに包まれる。

「翔様」

「ん?」

「私……いえ、何でもありません」

「瞳、俺に火傷するのはいいが、フライパンで火傷するなよ」

 翔様はそう言い残して台所から出ていった。

 翔様に抱かれた肩を私自身抱き締めると、心の中で翔様の言葉がリフレインする。星野 瞳は翔様が堪らなく大好きなのだ。しかし……いえ、だからこそ、ワタシは私の在るべき場所を奪ったカーヤを排除しなければならないし、あの事件の呪縛に悩みカーヤを生み出した翔様を他の誰にも触れられないよう、ワタシの手でワタシだけの翔様にするのだ。


「瞳に誘われて来たら、まさかこんなに山奥とは」

「瞳ちゃん、もうすぐ?」

「はい、この山の麓の筈なのですが、私も初めて来たので……。すみません」

「なぁーに、謝ることはないさ。こういうのも面白いし」

「ちょっと、カー君、早くハンドルを切らないと……崖から落ちるって」

「キャー!」

 行きたい所があるので連れて行って欲しい――そう瞳から言われた俺は、行き先も聞かずに二つ返事で答えた。瞳が伝えた住所は、秩父の山奥を指し示していた。瞳にアウトドアという雰囲気は微塵もない。だが、ピクニックを楽しみにしている子供のように目を輝かす瞳を見たら、亜望丘に半ば缶詰めのように籠もってばかりでも息が詰まってしまうよりはましだろうと、俺は思った。

「カー君、全くなんて事をすれのよ!マジ有り得ない」

「ナビ通りに道を走るなんてまどろっこしい。九十九折りなんてのは、要は迂回路だろ。だったら真っ直ぐ降ればいい」

「メガクルーザーでなかったら、どうするつもりなの?……あーっ!ダメよ瞳ちゃん。どさくさに紛れてカー君に抱きつかないの」

 文句は言いたい放題だが、一番はしゃいでいるのはカーヤだ。三人での生活にストレスを受けているのは、瞳は勿論、むしろカーヤだろう。

 カーヤと瞳が結んだ秘密協定なるもののおかげで、毎朝の組み手以外で俺に触れる機会を失ったカーヤは日を追う毎に、組み手の時の服装が薄着になってゆき、今朝なんか、とても人前には出せないくらいミニマムなマイクロビキニで道場にやって来るなり、手にしたVストリングを俺に差し出した。色々な言い訳を並べ立てたカーヤが哀願するので仕方なく着替えて組み手を始めたが、案の定、一分としないうちに裸のカーヤに俺はマウントポジションで押さえ込まれていた。無論、そうなってしまえば、カーヤは思惑通りに自分の欲求を満たするコトになる。

 急坂を下る怖さに思わず瞳が俺にしがみついたなんて、カーヤが朝の道場でしていた事に比べれば子供騙しみたいなものなのに、カーヤは火の着いたヤカンのように瞳を責めた。

「瞳ちゃん、こうなる事をわかっていて、山奥に誘ったんでしょ?」

「違います。翔様、カーヤにちゃんと説明して下さい」

「こんな時だけ、カー君に頼らないでよ、瞳ちゃん。カー君、瞳ちゃんに何とか言ってよ」

 二人は同じ表情で俺に迫る。

「……ん?カーヤ、何か獲物を持って来たのか?」

「何を言ってるの、カー君?カー君の質問にそのまま熨斗をつけて返すわ」

「じゃあ、何で硝煙の匂いがするんだ?瞳、渓流で魚釣りなんだろ?」

「いいえ」

 山肌の藪を掻き分けて進む――斜面を直滑降する――メガクルーザーが未舗装の林道に出た。渓流がありそうな谷までは、今少しありそうだ。

「瞳、確か麓だったよな?」

「はい」

「カー君、右よ。衛星画像だと、あのカーブの先に何かあるけど」

「まあ、行ってみよう」

 カーヤの言う通りだった。

「……奥秩父射撃場。ここか?」

「はい、着きましたわ」

 瞳はニコニコしながら俺に答えた。

 奥秩父射撃場、そこはクレー射撃場だった。瞳は車から降りるなり、メガクルーザーの後部座席からケースを引っ張り出した。

「瞳、それは何だ?」

「クレー射撃の銃です」

 よく見れば、ケースには鍵が掛かっている。

「父がこの辺りの出身で、私は父に習いました。光や海は嫌いみたいで、家族では私と父だけです」

「それと、天之河も」

「翔様、どうしてそれを?」

「天之河から聞いた。それと……」

「瞳ちゃんの事は調べさせて貰ったわ。警護するのに人間関係がわからないと困るから」

「翔様が私を?」

「シニガミが、昔のシニガミのように手段を選ばないとしたら、瞳の周囲の人間だけじゃない、ありとあらゆる物を疑っても足りない位、危険だ。今、瞳が手にしているケースも調べさせて貰う。髪の毛一本の違いでもあったら、それ以上触れないでくれ」

「はい」

「瞳ちゃん、昔の芳夜はね、そうだったの。だから気を悪くしないでね。まあ、カー君……ジョーカーはもっと厄介だったけど」

「厄介?」

「カーヤ、瞳に余計な事を吹き込むなよ」

「ハイハイ」

 カーヤは悪戯っぽく肩をすくめた。

「瞳、ケースを。それと鍵を貸して」

 スキニージーンズの瞳は、お尻のポケットから鍵を取り出した。鍵はチェーンでジーンズに繋がれている。俺は瞳から受け取ったケースを車のボンネットに置いて、中身を確かめる。

「異常は無いみたいだな。瞳、どうだ?変わったところはないか?」

「特にありませんわ」

「ねぇーねぇー、カー君。折角来たんだし、私達もやっていこうよ」

「まあ、久しぶりだし、勝手も違うが、見ているだけというのも退屈だしな。銃は瞳のを借りるか」

「うんうん、そうしよ」

「瞳、重いだろ。ケースは俺が持つよ」

「翔様、ありがとうございます」

「カー君、これも」

 ケースを肩紐でたすき掛けした俺に、カーヤは鞄を差し出した。中にはカーヤのパソコン『ヌエ』と衛星携帯電話が入っている。『ヌエ』はパソコンとは言っても、見た目は古文書の巻物で、衛星携帯電話と合わせても大した重さでも大きさでもない。瞳と張り合って、俺に持たせようという魂胆だ。一旦は受け取って鞄の中身を確認する。

「カーヤ、これはカーヤの次に大切なモノだ。だからちょっとだけ預かっておいてくれないかな?」

「カーヤの次に大切なの?」

「そうさ。ほかに大切なモノは俺にはないからな」

「ホント?」

「おう」

「ホントにホント?」

「照れるだろ、何回も言わせるなよ」

「じゃあ、かして」

「おう」

 カーヤは鞄を俺から奪うようにして手繰り寄せた。カーヤは満面の笑みを浮かべている。

「翔様、シニガミは翔様が細心の注意を払わなければならない人物ですの?」

「瞳、デビューしてから今迄のカーヤのスキャンダルは、全てシニガミ絡みだ。シニガミの鎌……俺達が現役のときにそう呼んでいたシニガミの攻撃を、紙一重で退けてきた。まあ、その攻撃を俺がスキャンダルに仕立て上げて、カーヤはここまで登りつめて来た一面もある」

「でもね、シニガミと接触する機会は何度となくあった筈なのに、未だにシニガミの正体がわからない。姿が見えない透明人間なら、いつでも私達の寝首を刈れる。それがシニガミなの」

 少し不安になったのだろうか、カーヤは俺のシャツをしっかりと握っていた。普段は強がっているが、瞳の質問を受けて、無意識にシャツを掴んだのだろう。俺はカーヤの手をしっかりと握った。

「カー君……」

「カーヤ、俺はジョーカー、最も危険なワイルドカードなんだぜ。心配するな。瞳、シニガミはそういう人物だ。シニガミとは喰うか喰われるか、いずれ決着をつけなければならなくなる。それが今回になるのかどうかは、シニガミ次第だ」


 元ファイブカードとはいえ私もカー君も銃は扱えるが、名スナイパーの白鳥クンとは違いスペシャリストではない。そもそも、ファイブカード自体、電脳戦に特化した外務省管轄の諜報機関なのだから、非公開だが非公式な見解では、「銃火器の取り扱いは潜入先での電脳戦をサポートする事を想定したレベル」だ。

 とは言え、工作をする為には銃火器のプロフェッショナルが警備する施設に潜入しなければならず、必然的に相手以上の能力が求められるのが現実だ。故に電脳戦、諜報活動、潜入工作、銃火器、戦闘教義など全てに長けたオールラウンダーな諜報工作員が理想的ではあるが、そうしたスーパーマンのような人間はどの国のどの諜報機関を見ても殆どいない。

 しかし奇跡的にも、かつて活動をしていたファイブカードはそうした人材の宝庫で、基本的には単独行動だが、チームとして活動をする特殊な作戦では、専任担当を設定していた。

 作戦を管理指示する役割はカー君の父親がクラブのエースを名乗り権謀術数を駆使し、ダイヤのエースと称したカー君の母親は金と物で相手を陥れ、ハートのエースとして望月芳夜が洗脳と心理戦を担当し、スペードのエースであった白鳥クンが銃火器による援護をした。そして、最も困難で重要なミッションを常に成功させる凄腕のエージェントとして、いつしかファイブカードのワイルドカードと呼ばれる様になったジョーカーは、業界人の畏怖と羨望の対象となる筈だったが、存在を公にしなかった為にカー君は常に正体不明の存在――悪くいえば、公にはできない日陰の存在――だった。

「カーヤも上手でしたけど、翔様は殆どミスがないなんて、流石ですね」

「俺は狙撃がそんなに得意な訳じゃない。今日はたまたま上手く出来ただけさ」

「狙撃なら白鳥クンの方がちょっとだけ上手いよね」

「元SATのスナイパーなら、出来て当然だ。大体、得手不得手の差がありすぎて、後方支援しか出来ない奴なんか、いざという時に役に立たない」

 カー君が瞳ちゃんに銃を返した。さり気ないようだが、二人の手は互いに求めるようにして触れ合う。イラッとして、ある事を思いつく。

「カー君、やっぱり、嫌いなんだ」

「俺が嫌いなんじゃない。アイツが俺に嫉妬しているだけだ。まあ、どっちかと言われたら、俺は好きではないんだろうな」

 瞳ちゃんの手がビクリとする。作戦成功だ。

「翔様は白鳥さんが嫌いなんですね」

「なんで事だ、瞳までそんな事を。カーヤの影響だな。カーヤ、あまり俺を洗脳しないでくれよ。次に白鳥に遭遇した瞬間に舌打ちしそうになる。そういえば、カーヤはどうなんだ?」

「カーヤが白鳥クンをどう評価するって事?」

 私の表情を見た瞳ちゃんが呟く。

「カーヤも、白鳥さんの事があまり好きではないのね」

「瞳ちゃん、カーヤは白鳥クンが嫌いなんて思ってもいないよ。カー君は酷評するけど、それは一般的なエージェントを遥かに超越したレベルを基準にした話で、実際問題、白鳥クンのレベルでも実戦で十二分に立ち回れるし、電脳戦の能力も警視庁サイバー犯罪対策チームを任される位なのだから。有能なのは間違いないわ」

「カーヤ、それって……やっぱりそうだろ?な、瞳」

「はい、翔様」

「何よ二人して。はいはい、カーヤもカー君と同じよ」

「だからな、俺はだな」

 周りの迷惑を顧みない私達に、隣のレーンでダブルトラップをしていたおじさんが私達を見た。彼は何かを思い付いたらしく、銃を置いて私達に近付いてきた。カー君が私に目配せをする。私は衛星回線を通じて瞳ちゃんに近づく人物の検索を始めた。

「……あれ?あんた、もしかしたら星野瞳ちゃんかい?」

「あ、はい。そうですが……」

「瞳、このオッサンと知り合いか?」

「いえ、初めてお目にかかる方ですわ」

 衛星はあるのだが、山奥のためか回線の速度が遅く、私は検索に手間取っていた。

「瞳ちゃん、私の後ろに隠れて。カー君!」

「おう」

 私は背中に瞳ちゃんを隠しながら、相手との距離をとる。カー君は周囲を警戒しつつ、既に即応態勢で構えている。

「誰だ。ことと次第によって、あんたには消えて貰う」

「消える?……おいおい、あんた勘違いをしておるよ。ワシはそんな物騒なもんじゃない」

「は?カーヤ、どうだ?」

「……やっと来た。カー君、大丈夫よ。彼、ここの常連で怪しい人じゃないわ」

「ふー。カーヤ、遅いぞ」

「山奥で衛星が捕まらないのよ。仕方ないでしょ」

 銃を持つ瞳ちゃんの手が震えていた。

「大丈夫だ。心配するな、俺がついてる」

 カー君は瞳ちゃんを抱き寄せると、ポンポンと背中を優しく叩いた。もし私が弱かったら、カー君にそれをして貰えたかも知れないなぁ、と諦めにも似た羨望が頭をよぎる。

 瞳ちゃんの背中越しにカー君と目が合う。カー君はおじさんに背を向けた格好で“これは瞳を安心させる為だからな。面倒は御免だ。オッサンの話に適当に合わせてくれよ”と口パクで私に弁解をする。

「ゴメンナサイ、おじさん、私達、人違いしてたみたい」

「まあまあ、いいってことよ。……んん?あんた達は双子かい?」

 おじさんの目が真ん丸になる。頭の中はクエスチョンマークだらけだろう。私と瞳ちゃんを一緒に見た人が最初にする反応だ。

「双子ではないの。でも、おじさん、私の声を聞いたことあるでしょ?」

「……あ!もしかしたら、あんた、週刊誌とワイドショーを騒がせている『あの』カーヤかい?」

「ピンポンピンポン!正解!」

 私が答えるや否や他のレーンの銃声が同時にピタリと止んだ。銃声の中での会話の為とはいえ、おじさんの声はかなり大きかった。すぐに私達の周りに人だかりができてしまう。

「カー君、話を適当に済ませる訳にはゆかなくなっちゃったみたい」

「ヤレヤレだぜ。カーヤ、集まった人間の潜索を頼む」

「了解」

 集まったのは10人ほど。不審者はいない。ワサワサと取り巻き同士で話し合うのが収まるのを見計らい、こちらから切り出す。

「皆さん、こんち。カーヤで~す」

 一瞬の間を置いて、有象無象のおっちゃん達がライブハウスの熱狂的な若者に豹変した。その落差に驚いた瞳ちゃんは、再びカー君の胸に顔を寄せた。私は瞳ちゃんの手を優しく引いて、瞳ちゃんをカー君から引き離す。

「そして、今、巷で話題のカーヤのモデル、星野瞳ちゃんで~す。みんな拍手拍手~」

 おじさん達は素直に拍手する。カー君は呆れた表情で、口癖の「ヤレヤレだぜ」を言わない代わりに頭を左右に振った。

「あれまー、テレビに映とったが、本当にソックリじゃのう」

「どちらがどちらか、全く見分けがつかんなー」

「ちょっとちょっと、お兄さん。カーヤと瞳ちゃんはね、ソックリじゃなくて、体の隅から隅まで同じなの」

「なるほどね~」

 おじさん改め、お兄さん達は一斉にに頷いて納得した。

「そんでもよ、カーヤが何でこんな山奥におるだ?」

 お兄さん達はそうだそうだと口々に言い合う。

「今日はお忍びなの。わかるでしょ?」

 チラッとカー君を見ると、お兄さん達はなるほどと頷いた。

「やるね~、兄ちゃん」

「いや、まあ、ど~も」

 苦笑いで答えたカー君を見上げた瞳ちゃんは、唇を噛んだ。私だって勘違いされるのは心外だ。カー君は私だけのカー君なのだから。

「KAGUYA様の目の前で、生意気な口をきくなんて百万年早いのよ。この豚どもが!」

「カーヤ?ブ……ブタ?」

「KAGUYA様、生意気なこの下僕めにお仕置きを!」

 急展開に驚いたのは瞳ちゃんだけではない。お兄さん達はどう反応してよいのやらといった様子で、相当引いていた……ちょっとやりすぎた。

 向かいの峰からパタパタと空気がはじける音がした。全員が山を見上げる。

「ん?なんだありゃ?」

 一台のモトクロスが九十九折りの林道を無視して、さっき私達がメガクルーザーで開いた道を下って来る。

「今日は派手なお客が多いのう」

「最近の若いもんは無茶しよる」

 お兄さん達の関心は斜面を走るモトクロスに移っていた。カー君の携帯電話が鳴り出してもそっちのけだ。

「翔様、携帯が鳴っていますわ」

「こっちは取り込み中だというのに、一体誰だ?……もしもし……。ヨーコさん?……今こっちに向かってる?あれだな……カーヤ、噂をしたらヨーコが来ちまったぞ」

「カー君、あのバイクが?」

「そうだ」

「ややこしい事になるから、黙って来たのにな」

「翔様、ヨーコさんは私達の居場所がどうして分かったのでしょうか?」

「多分カーヤがナビをしたからだな。ただ何でこんなに早いんだ?」

 私達が話し合っている間にヨーコのバイクが射撃場の外に着いたようで、エンジン音が止んだ。しばらくすると、ビデオカメラと一眼レフを両手にしたヨーコが場内に乗り込んだ。

「随分よね、あなた達」

「随分なのはこっち。ヨーコ、今日はオフよ」

「『オフって言ったって、二人とも自分達の置かれている立場をちょっとは理解しなさい』って社長からの伝言。勿論、私だってオフよ」

 ヨーコはあっけらかんと話す。

「タレントのプライベートを撮影する為にストーカーをするのが?」

「誤解を招く言い方は止して。私のライフワークなんだから」

 私達の嵐のような登場とその後のドタバタを呆気にとられていたお兄さん達だったが、不意にある事に思い当たったみたいだった。

「なんかどこかで聞いた名前と姿と思ったら、あんたがあの星野瞳ちゃん?」

 私とカー君は瞳ちゃんに思い当たる節がある事と知っていた。当惑していた瞳ちゃんがやおら口を開こうとしたその時、おっちゃんのぶしつけな問い掛けに答えたのは、ヨーコだった。

「そうよ。あの星野瞳ちゃんよ。瞳ちゃん、今更隠す必要はないわ。クレー射撃のオリンピック強化選手で最年少国内チャンピオンだったあなたはオリンピック出場を断った。たったそれだけの事でしょ。……ふうん、その様子だとあなた達は全てを知っているみたいね、カーヤ」

「ほれ、みい。わしの見立てに間違いは無いじゃろ」

「しかし、勿体無い話じゃ。何でいい話を断ったのかのう?」

 カー君は瞳ちゃんに向き直った。

「全ては俺が原因だ」

 首を振って瞳ちゃんが答える。

「翔様、それは違います。私の視力が落ちてしまったから」

「二人とも、肝心な事を端折ってるよね。カーヤはね、ちゃんと知っているんだから」

 瞳ちゃんはたじろいだ。寄り添っていたカー君には、体の震えが直接伝わっているだろう。

「瞳、素直になれよ。俺は瞳からいろんな可能性を奪った。あの事件があっても無くてもな。瞳の視力低下は、例の事件が引き金になった一時的なものだ」

「……」

「瞳ちゃん、あなたが否定する理由も根拠も確かなものよ。実際、瞳ちゃん自身が一番わかっているはず。そうでしょ?」

「私にはわかりません」

「診断をした医者に裏をとった。あのカルテは館長が頼み込んで医師に書かせたものだ」

「私は知りませんし、わかりません……父からは何も聞いていません。本当です」

「俺は瞳を信じているし、瞳を疑うなんて考えられないよ」

「それならば、翔様は何故私にその事を教えて下さったのですか?」

「瞳には真実を知って欲しかった。それだけさ」

「一度ならず、疑いの目を向けられた経験をすれば、誰だって思うわよ。ねえ、天地翔クン」

 周囲の視線が全てカー君に突き刺さる。

「やれやれ、おっさん達ようやく気付いたのか。瞳には及ばないが、俺ってそれなりに名が通っていたんだな。今更ながらに感心するぜ」

「元気な星野瞳ちゃんに会えたことだし、わしらは退散するとしよう」

「あら、もう行っちゃうの?」

 引き留めようとするヨーコにカー君が言った。

「ほっとけよ。疑惑のワルツに巻き込まれたくなかったんだろ。それに二人を守る俺にしてみれば、監視する対象は少ない方が多少は気が楽だ」

「カーヤは平気だよ」

「そうだな。カーヤは俺のパートナーとしてこれ以上ないくらい安心していられる。さて、さっきの続きをしようか、瞳。邪魔が入ったからな」

「翔様、わたし……」

 静かな山肌に再び銃声が木霊し始めた。おっちゃん達がクレー射撃を再開したのだ。

「ん?どうかしたか?」

「カー君、気が利かないなあ。元クレー射撃国内チャンピオンとお手合わせするのよ。何かを賭けたら?」

「賭け?」

「カーヤ、それ面白いわ。瞳ちゃん、この際だから翔君に瞳ちゃんが欲しいものをおねだりしたらどう?」

「ねえねえ、ヨーコ。それ、カーヤもやる」

「二人がいいならね、どう?」

「俺は別に構わない」

「翔様がよろしければ、私も」

「じゃあ決まり。それぞれ欲しいものを決めたら、これに書いて。勝った人だけ欲しいものが手に入れられるっていうのでいいわね」

 ヨーコが手帳からページを引きちぎって、それぞれに渡す。

「ヨーコ、私、最初に書く」

「はい、カーヤ、ボールペン。書いたら紙縒にして結んで」

「俺はいいや。どうせ勝つんだし、俺が欲しいものは、俺自身が手に入れる。だから何も書かない」

「あら、意外ね。本当にいいの?」

「ああ」

「もったいないわね。瞳ちゃん、はい、ボールペン」

「……書きました」

「さあて誰が望みを叶えるのかしら」


 亜望丘にカーヤの怒鳴り声が響いた。

「カー君、瞳ちゃんに何かあったらどうするのよ?」

「もうあったさ。だから家出したんだろ」

「カーヤはともかく、原因がわかっているのに放置しておくなんて、カー君らしくないぞ」

「一度流出してしまったら、サイトの運営者に依頼しても、結局いたちごっこになるって事くらいカーヤもわかっているだろ?」

「なら、尚更でしょ?瞳ちゃんが出てったとき、どうして止めなかったのよ?」

「カーヤが攻撃を受けて手を焼いているときに手を離せる訳ないだろ。それでもどうにかしろって言うのか」

「そうよ。わかった?カーヤが戻って来るまでに必ず瞳ちゃんを探して戻ってくるのよ」

 カーヤは普段に増して閉めるドアに勢いをつけた。バンという大きな音。

 カーヤは瞳の事を言うが、直接の被害はカーヤ自身が被った。海賊版カーヤを何者かがファイル交換ソフトを使って流出させる……とここまではよくありそうな話だし、カーヤもそこまで頭には来なかっただろう。だが、質が悪いことに“ある細工”が施された海賊版が流出し、瞬く間に広まってしまった。その“細工”は……。

 リビング壁一面に広がる映画館のような巨大なテレビにニュースが流れている。

「……ファイル交換ソフトで流出した偽カーヤは、パスワードを入力すると……」

 画面全体にモザイクがかかった。そしてカーヤの口から卑猥な言葉や嬌声があがる。無論、テレビでは直接聞こえないように音声加工がされているが、ネットで検索すれば、すぐに見ることが出来る。テレビの画面を壁紙に切り替えた。

 瞳は俺とこの画面でパソコンをいじっている時――毎朝しているKAGUYA関連情報の収集の最中だった――に見てしまったのだった。

「あ!……」

「ごめん。直ぐ消すから」

 3秒くらいだったと思う。但し直ぐというには長く感じられた時間。隣に座っていた瞳が前触れもなく立ち上がった。

「翔様、何故、謝るのですか?」

 瞳は両手を固く握り締めて震わせていた。

「何故って、……見たくないだろ?」

「どうして……こんな……。翔様のバカッ!」

「おい、待てよ、瞳……あッ、クソッ、こんな時に」

 シニガミからのメールで画面が開き、カウントダウンが始まる。海賊版kAGUYAのダウンロードが強制的に始まる。カーヤは眠ったまま、起動すらできない。海賊版の上書きインストールを防ぐ為には瞳をそのままにするしかなかった。

 ……「ヤレヤレだぜ」

 ふと、自分が愚痴を零した事に気付く。多分、昔の俺なら力ずくで瞳を引き留めながら、シニガミと対決していたことだろう。何故そうしなかったのか、明確な理由はない。もしかしたら、射撃場で見た光景がオレ心のどこかに引っかかっていたからかも知れない。

 カーヤも射撃場での瞳の振る舞いに一抹の不安を覚えていたようで、瞳のいないところで俺に話していた。瞳はワザと的を外して、賭けに負けたというのだ。ノーミスを重ねるカーヤの神懸かり的なショットと、ギャラリーが歯噛みしたくなるような微妙なミスが重なった瞳の射撃の結果、僅差でカーヤが賭けに勝ったように周囲には見えた。ただ、俺とカーヤは今一つ腑に落ちなかった。

 瞳にワザと負けたり、手抜きしたりする理由は見当たらない。しかし、現役を退いたとはいえ、彼女の実力からすれば、まさかの結果だった。勝負に負けた瞳は俺に舌を出して、負けてしまったことを詫びた。信じがたい話ではあるが、もし瞳にワザと的を外さなければならない理由があり、笑顔の詫びをさせていたとしたら、詰問するよりは泳がせて様子を見たほうがいいだろうと俺は思ったが、カーヤはそうは考えなかった。

 だが、俺には確信があった。瞳を連れ戻したところで、彼女が秘密を抱えているとしたら、俺に真実を告げないだろう。この半月話そうと思えば、いくらでも俺と話が出来たのだから。

 とはいえ、カーヤの心配もわからないではない。カーヤと同じ姿形をした瞳が一人で外出するのは、ただでさえ気をつけているのに、シニガミに狙撃されたり、今回の海賊版騒ぎに巻き込まれたりするのが目に見えていた。普段は探偵事務所のオッサンが瞳のガードをしているが、シニガミの狙撃予告への対応では瞳の護衛を俺自身がすると言い出した手前、カーヤの言い分はごもっともだった。急を要するものは別として、海賊版対策は瞳を探しながらするしかない。

 「ヤレヤレだぜ」と呟きながら、仕事に出掛けたカーヤに防壁を展開させた。これでシニガミからの突発的な攻撃にも暫く対応出来るだろう。ヌエを片手で仕舞いながら、もう一方の腕にバイクのメットを二つ。家出したお嬢様の探索にいくとしよう。


 翔に当たり散らして亜望丘を“出た”次の瞬間、カーヤは芳夜御殿の自室で暫く立ち尽くしていた。

 瞳に勝ちを譲られたのか、そうでなかったのか、定かではない状態はカーヤをモヤモヤさせていた。仮に瞳の仕込みがあって瞳が賭けに負けたとしたら、カーヤには受け入れられるものではなかった。その鬱憤を瞳の家出にかこつけて翔にあたってしまい、余計にイライラしていた気持ちを切り替えたかったのだ。

「んもう!らしくないっ!」

 力一杯勢いをつけて腕を振り下ろす。と、カーヤはこめかみを右手で押さえた。

「あ、カー君?……えっ?ううん、カー君は悪くないよ。カーヤこそカー君に謝らなきゃいけないの、ゴメンね」

 こそばゆいけれど、心地よい会話。心の中の氷山が急速に溶けてゆく。

「え?瞳ちゃんの携帯を追跡するの?ちょっと待って……あれ?捕まらない。カー君電話かけてみて。……ダメだったの。一体どうしちゃったんだろう。……ええ、そうね、多分。瞳ちゃんの携帯を捕まえたら連絡するわ」

 こめかみから指先を離したカーヤは、疑心暗鬼になりがちな自分を切り替えたくて着替えをした。カーヤのそれは、瞬間で終わる。着替えといっても、脱ぎ着する必要はカーヤにはない。再生するデータを切り替えさえすればよかった。そして、再生装置であるステージがある場所に、瞬時に移動が出来た。

「そろそろ出番ね……」

 そう言い残して、カーヤは霧か霞のように姿を消した。瞳とは違いカーヤには実体がなかった。


………………………


「死を受け入れる者は生を受け、死を拒む者は生を奪われる。生を奪われる者は最期の審判を恐れ、生を受ける者は永遠の祝福を喜ぶ。而して、死神をして生を奪うにあらず、道化師をして死を与うるにあらず。死神の鎌は生者の魂を狩り、死神の接吻は死者の魂を呼び戻す。道化師の鈴は生者に恐怖と試練を与え、道化師の舞踏は死者に歓喜と祝福を与える。……これが始まりであり、終末だ。決心はついたのか?」

 固く閉じたブラインドの隙間から皇居の緑が見えるビルの一室にシニガミはいた。シニガミに問いかけた人物はソファーから立ち上がるとブラインドの隙間に指先を入れて、外の様子を伺った。サッと射し込んだ光に照らされたのは、白鳥の横顔だった。

「ボクを馬鹿にすると、後で痛い目をみるよ」

「おやおや、さっきとは随分違う。アレを見て狼狽えていたのが、同じ人物とはな。これを見ろ。全てヤツが企んだ証拠だ」

 白鳥はシニガミの目の前の硝子張りのテーブルに書類をぶちまけた。

「天地 翔のPC、君らがいうところの“ヌエ”という端末、それのログ解析の結果だ。自作自演もここまでくると、滑稽だな」

 シニガミは書類の一部を取り上げ、目を通す。

「何故、彼はこんな事を?」

「それが解れば、未然に対策を施している。シニガミに仕事をさせるような事はない」

 白鳥は窓から離れた。ブラインドは外光を遮り、自然光だけになった室内は再び暗くなる。

「だから、ボクを送り込んだ訳だ」

 薄暗い部屋の中で二人の目だけが光を集める。

「で、ヤツらの動きは把握出来ているんだろうな?」

「埼玉スーパーアリーナのステージ、演出シナリオから全て。それに例の入口の暗証コードも」

 シニガミはケイタイのメモリーを取り出し、白鳥の書類の上に指先で弾いて乗せた。

「ボクに慣れない事をさせるな。調子が狂う」

「おっと、誤解されては困るな。お前の調子を狂わせ、引き金を引く事を躊躇させているのは、天地 翔……ジョーカーだ。後腐れの無いように気を使ったつもりなのだが、迷惑だったかな?」

「ボクをこれ以上苛つかせたら、この場で貴様の脳髄をぶちまけてやる!」

 シニガミは床に置かれたケースから素早く拳銃を取り出し、白鳥に向かって構えた。

「まあ、そう頭に血を昇らせるな。今、私を撃ったら、あの事件の真相は闇の中に消えてしまう」

 白鳥は自身に向けられたリボルバーの銃口が下がるのを見て、口元を綻ばせた。

「……そうだ。まずは、依頼を果たせ。話はそれからだ。必要な人員と機材は全て揃えてある。ワザと外すなよ」


………………………


 瞳の足取りは杳として知れなかった。

 これまでミッションに臨んで慌てたり焦ったりしない翔も、さすがに頭を抱えていた。というのも、館長――瞳の父親が涙ながらに翔を叱責したこともあったが、カーヤによるケイタイの探索も、翔自身によるありとあらゆる監視カメラのパッキング検索にも、髪の毛一本さえ発見出来なかった事の方が応えていたからだった。

 今夜はミッドナイト・チャンネルの生放送があるため、カーヤにはこれ以上の負担をかけられない。となれば、翔自身の手でどうにかするより他ない。

「……。いつもの口癖さえ出ないなんて、お笑いぐさだな」

 翔は瞳と見ていた巨大なマルチディスプレイに鵺をリンクさせた。カーヤに不用意な攻撃が無いようにモニターするためだ。呪文のようなアクセスログが凄まじい勢いで画面を流れ落ちる。窓の外もいつの間にか大粒の雨が降り始めていた。

 瞳には帰る場所がなかった。誰に会わす顔があるというのか?世界中に自分の全てが曲がった形で広まってしまっていた。誰もが瞳の分身を思うがままにする事が出来たし、僅か半日程で海賊版の海賊版さえもが出回っていた。

 人の目を避ける事にも、言葉を交わさずにいることにも、自分が自分自身であることを隠す事にも疲れ果てていた。もう、どうでもよかった。

 突然降り始めた大粒の雨を避ける為に、どこか屋根のあるところを探す行為ですら、まるで他人事のように思えて、薄手のワンピースに下着が透けている事にも無頓着だった。

 ヒールの折れた靴を柵の向こうの芝生に投げ捨てた。どこか見覚えのある景色だった。はじめて自分が何処にいるのかを瞳は知った。

「亜望丘……なの?」

 激しさを増した雨脚は瞳の声をかき消した。ただでさえ広大な亜望丘で、瞳の呟きなど誰にも聞こえはしまい。誰にも?誰に聞こえることを期待したのだろう?……朦朧とする意識で、瞳は柵伝いにトボトボと歩を進める。

 どれだけ歩いたのか時間も距離も感覚が薄れて、足取りが止まる。やおら歩み出す。そして再び立ち止まる。その繰り返し。

 ぱたりと雨が止んだ。瞳は顔を上げた。……そこには傘を手にした翔がいた。

「心配させるなよ……よかった、見つかって」

「翔様……どうして?」

「そんな事、決まっているだろ」

「翔様は、カーヤの為に私が必要なだけ。私は翔にはいらないの」

 不意に瞳は抱きしめられた。

「……理由なんていらない。瞳には必要か?……こんなに濡れて、早くウチに帰ろう」

「ウチ?」

「亜望丘に」

「こんなになった私でも?」

「あれは……誰が何と言おうが、あれは瞳じゃない。バカだな……瞳は瞳だろ?」

 瞳の頬に流れ落ちる物は雨のせいでない。

「泣き顔は瞳には似合わない。折角の美人がこれじゃ台無しだ」

 翔の掌が瞳の頬に触れる。

「私……私、翔様に」

「何も言うな。秘密は最後までとっておくものさ」

 瞳はその場でへたり込んだ。

「瞳、大丈夫か?……心配するな。やっぱり、お嬢様にはこれが似合うよな」

 羽のように瞳の体が浮いた。翔は瞳を“お嬢様抱っこ”にすると、ゆっくりと歩き出した。


……………………… 


亜望丘は元々「亜望宮」という豪華なホテルだった。しかし厳重極まりない警備態勢や豪華な館内設備は、オープン当初から維持費だけで赤字に見舞われた。

 カー君と私が手に入れた時は、亜望宮は将に風前の灯火だった。土地建物を買うというより、巨額の負債を肩代わりして、住居兼サーバールーム兼ラボとして改装し、亜望丘と名を変えたが、既にシニガミからの執拗な攻撃を受けていた為、セキュリティは更に強化された。

 亜望丘を飛び出した瞳ちゃんを追ったカー君が、らしからぬ結果を携えて帰宅してから数時間が経った。ミッドナイト・チャンネルが始まり、いつも通りに時計は進んだけれど、瞳ちゃんが見つかったという連絡がなく、焦らされていた。生放送中は連絡してこないとわかっていても、気になって番組に集中できるはずもない。

 リクエスト曲をとちったところで社長にダメ出しをもらった。

「カーヤ、例の事でしょ?今更気にしても仕方ないの。集中しなさい……あーもうわかったわよ。でも、ここから出ちゃダメよ、次のリクエストまでだからね」

 私は電脳の海に飛び込んだ。カー君はシスターズを排除し、館内の監視カメラの画像を切るようなことをしていなかった。亜望丘の警備システムから翔の居場所を探し当てるのに、時間はかからなかった。カメラの移動は手間だから、翔の側にいたムルルをハッキングする。いた。瞳ちゃんと一緒に?

「翔様、私、壊れてしまいましたの。だから、何もかもどうでもよくなってしまいましたわ」

「壊れたのが実感できるうちは、まだまともだ。本当に壊れたら、俺やカーヤみたいになる。そうなったら、ジ・エンドさ」

「まるで私がしているように、あのような在られもない姿を晒されて、もう、何処にも往くところがないの」

「瞳には帰るところがある。瞳には瞳のうちだってあるじゃないか、俺とは違って」

「何をおっしゃるの?ここは翔様の……」

「やれやれ、今は瞳の言う通りだったな」

「……今は?」

「いいや、気にするな。何でもない。まあ、確かにああいうのが流出したら、館長は瞳にどう接したらいいか困ってしまうだろうな。それより、この前、ここに来た時にも言ったろ?瞳の気が済むまでここにいればいいって」

「……そうでしたわね」

「もし……もしも瞳がこの世の中全てを敵に回したとしても、俺は瞳の味方になる。これは理屈じゃない。俺が瞳に誓ったことだからな」

「翔様……ありがとう」

「馬鹿だな、そんなことで礼を言う必要なんかないぞ」

「やっぱり、翔様は翔様ね。私は夢でも見ていたのかしら」

「夢?」

「ええ、夢よ。現実は夢のようで、夢が現実のような」

「現実が夢であったなら……それもとびっきりの悪夢だったらなら、なんて思ったこともあったよ。でもさ、そんな妄想を打ち砕く勇気を持つことを教えてくれたのは、瞳だよ」

「カーヤではなくて、私が……ですの?」

「そうだよ」

「……」

「どうした?」

「だって……だって、今更、もう遅いわ。嘘が現実を変えてしまったの。それに、どちらが本当なのか、私にはわからない」

「仕方のないお嬢様だな。昔、俺が瞳に言っただろ?『俺が瞳の全てを引き受ける』って。瞳は今のままでいい。現実も嘘も全て」

「翔様、私は真実が欲しい。確実で実感のある現実に、私が存在している証拠が欲しい。あれ?私、何を話しているの?これではまるで、あの映像みたい」

「どんなに着飾っても、現実なんてこんなものさ。俺を欲しいと求める瞳のほうがリアルだ」

「こんな私が?こんな私でも?」

「瞳だからさ」

「翔様、私を抱いて」

「仰せのままに」



《Sistersの視覚記録、及び「シニガミの告白」※著者不詳より》

 もし、カーヤが私と翔様の前に現れなかったとしたら。もし、中学生心中事件が起きなかったとしたら。もし、翔様がマカオから戻って来なかったとしたら。もし、カーヤが私の分身として蘇らなかったとしたら。もし……。

 脳裏に次々と浮かび上がる様々な可能――甘く芳しい香りのする夢想――は、穢く痛みを伴った事実に上塗りされて跡形さえもなくなってゆく。私はただ、翔様と同じ時を刻む心身の高揚だけを感じていたかった。なのに、ほんの些細な翔様の仕草一つにさえ、私は私と何処かで繋がっているカーヤを意識してしまう。私と翔様とでは初めてだったとしても――私の初めてが翔様でも――、カーヤと翔様の間では食事やトイレと一緒で、ありふれた日常の一つでしかない。

 迷うことのない翔様の行為の一つ一つは、私の快楽のスイッチは確実に起動させてゆく。カーヤの、つまりは私の身体のコピーで検証済みだからこそ、ケチをつけられないくらい間違いがない。歯痒い思いは、炎となった私の身体に油を注ぎ、自分でも驚くくらい大胆になってしまう。

翔様と一夜を伴にするのを私から望んだとはいえ、包み隠さず何もかもさらけ出して、彼と対峙するのには勇気と覚悟以上に何かしらのきっかけが必要だった。まさか翔様がそのきっかけを作り出すなんて、想像すらしなかった。ハッカーによるカーヤのコピーの流出。翔様はそれをシニガミの仕業だと言い切る。でも、私はシニガミには不可能だと知っている。かつてのシニガミならいざ知らず、今は私自身がシニガミなのだから。

かつてのシニガミ――カーヤだと知ったのは、翔様ではなく“殿”こと白鳥から告げられた――は、一度狙われたら最期、この世の中に存在していた事実さえも抹消されてしまうサイバー・エージェントであり、ペンタゴンを始め、ありとあらゆる組織や機関の厳重な防壁を潜り抜けることを「散歩」と評した凄腕のハッカーだった。クラッカーやハッカー、果ては国家も絡んだ電脳世界の覇権を巡る様々な技術開発は、日進月歩ならぬ秒進分歩の凄まじい勢いで進化する。そんな百鬼夜行の情勢のなか、とある革新的な開発中の技術の実証実験を巡って組織と対立した翔様はパートナーであったカーヤを唆して、秘密裏に実験を行った。所謂、人体の完全なデジタル化である。実験自体は成功したものの、文字通りカーヤは消えてしまった。

 私が知りたくても辿り着けることができなかった中学生心中事件の真相は、江ノ島誘拐監禁事件の後、入院中の私を訪ねてきた白鳥刑事の告白によってもたらされた。中学生心中事件当時、殿(トノ)はカーヤや翔様と同じチームに属しており、事後処理にあたったというのだ。だとすれば、翔様の言葉は欺瞞だらけだ。

 しかし、翔様を最初に裏切ったのは、他でもないこの私だ。だのに翔様は優しい。それに私の最初が翔様の最期になるなんて、翔様は知る由もない。翔様に真実を隠し欺く背徳と、私自身の羞じらいが化学反応を起こして、私の躰は私の意思を受け付けない全く別の生き物に成り果てていた。耳許で囁く翔様の甘い問いかけにカーヤと同期した躰で「初めて」と答えれば、嘘になるし、カーヤの躯として「慣れていないだけ」と返せば、抑圧的だ。困惑して黙って羞じらいながら顔を背けるのが精一杯な私を知ってか知らずか、笑みを浮かべた翔様の口元は私の首筋に移動して、気持ちのいい唇の感触がした。

 私は過去を失う事より、未来を創る事を恐れていた。私の望まない未来が、翔様とカーヤの婚約発表が行われるステージを滅茶苦茶に破壊する事だけが、私には唯一の救いなのだ。しかし、喩え成功したとしても、全てが無に帰すだけで、私には福音はもたらされないだろう。それでいてなお、今度こそ本当にカーヤを抹消しようとしている私の迷いは肌越しに翔様に伝わり、翔様は私の迷いを払拭しようとして私の快楽のダムを満たしては決壊させる。

 ふと、かつてのカーヤもまた、どうしようもないジレンマの中で悶え、狂おしいまでに翔様を求めたのかも知れないということに気づいてしまった。切なくて堪らない。失いたくなかった。でも失ってしまうこともわかっていた。私は次のステージでカーヤもろとも全てを滅茶苦茶にするように、翔様には私が私を何であるのか分からなくなるくらいに滅茶苦茶に壊して欲しい。そうすれば、今、この瞬間を永遠に止めておくことができるかも知れない。


 後朝の空が白み始めた頃、私は翔様の腕枕の中で目を覚ました。

「おはよ、瞳」

「おはようございます、翔様」

 翔様は躰を横にして私と向き合っていた。

「済みません、ずっと腕枕で」

「気持ち良さそうにしていたから、そのままにしていただけさ」

 翔様は狡い。昨日は乱れた私を楽しんでいたに違いない。しかし、邪険に扱われたという事実を反芻すればするほど、こそばゆい。

「……ああ、そういうのじゃなくて、眠っている瞳を起こしたくなかった。それに、瞳のいろんな寝顔を見られたし」

 こそばゆいというより、全身が熱くなる。

「瞳、顔が赤いぞ。まあ……リクエストに応えるのが甲斐性だよな。好きなんだな、瞳は」

「翔様、その言い方は狡いです。私ばっかり悪者にして」

 掴まえようとする翔様の腕をすり抜けて、ベッドの上に立ち上がる。躰に纏っていたシーツは足元にあった。

「ほら、翔様こそ、そんなにして。翔様がしたいだけじゃありませんか」

 東に向いた窓から、朝日が射し込んできた。

「すっかり同じだと思っていたけど、カーヤとは違うんだな」

 翔様はそう言いいながら、枕元のスマートフォンをいじる。一枚ガラスの窓に霧がかかった。

「あまり見ないで下さい。恥ずかしいから」

「やっぱり、違う。それにカーヤが言ってた通りだ」

 ここには私と翔様しかいない。翔様の言葉が気になって、私は思わず振り返る。

「翔様は意地悪です」

 私は全てを翔様にさらけ出した。翔様は私だけを見ている。

「カーヤは、瞳にはあるホクロを消しているんだ。それと……『案外、瞳ちゃんは大胆なんだから』って」

「誤解です、翔様。私、誰にも抱かれてなんかいませんわ」

 翔様は掌を顔に当てる仕草をして笑いをこらえた。翔様もベッドの上に立ち上がる。翔様の指先は、私の体を袈裟斬りにして、黒子の位置で立ち止まる。普段なら見えない、人には見せない場所。私は躰をこわばらせながら、次を期待してしまう。なるほど、翔様の言うとおり、私は……。

「躰に嘘をつかせるのは、超一流のスパイだって難しい。御免な、瞳。瞳を試すようなことばかりして」

「翔様、そうですよ。翔様は私の気持ちをご存知の筈なのに、私を試そうとなさるのね。翔様の意地悪」

 私の目尻には泪が浮かんだ。翔様の幼なじみの星野瞳として、カーヤのコピーである星野瞳として、そしてカーヤを消し去る狙撃手であるシニガミとして。

「変わったよな、瞳は」

「例えば、どのようなところが?」

「そうだな……これは話していいかどうか迷うところだけど」

「翔様の意地悪には慣れています。いいえ、慣らされてしまいましたわ。遠慮なく、おっしゃってください」

 翔様の指先は黒子から移動して、私の敏感なところばかり弄った。その指先を私の手が追いかける。

「んっもう、誤摩化さないで」

「好きにさせてくれたら、話すよ」

 私は手を止めた。

「前の瞳とは違うんだ。どこがどうっていうんじゃない。瞳が芳夜で、芳夜が瞳のような……。いや、これは俺の勘違いだけなのかもな」

「変な翔様」

 そういう私は、ドキリとした。お互い隠しようがない姿でいた。

「瞳は、敏感だな」

 翔様は、弄ばれている私が反応している、と思っていた。翔様が誤解してくれたことで私は逆にホッとした。

「そう。翔様が私を変えてしまったの。翔様が知っている昨日まで瞳は、翔様に染まってしまったから。だから……」

「瞳、何を?」

「初めてなので、わかりません。でも、誰にも渡したくないの。翔様が、芳夜のことを忘れてしまえばいいのに」

 私はベッドに膝を着いた。翔様は目の前にいて、翔様は私の手の中にある。

「嫁入り前のお嬢様がすることではないな」

「翔様、私の願いを、一つだけ、たった一つだけ叶えていただけませんか?」

 翔様は大きな溜め息をついた。

「多分……多分、あのことだと思うけど、俺が止めても瞳なら駄駄をこねるだろ?」

「翔様はお見通しでしたね。私は手放すつもりはありません」

「ヤレヤレだぜ。話してごらん」

「ありがとうございます。翔様、明日のコンサートで翔様との婚約発表をカーヤにさせないで。お願いです」

 私の見上げる視線と、翔様の見下ろす視線が真正面から交差した。翔様は私の視線を避けなかった。

「駄目だ」

「翔様!」

 一縷の望みが無い訳ではなかった。希望は確かにそこにあったのだ。しかし、夜はますます闇を深くしてゆくだけで、旭日の気配さえ消え失せてしまった。明けない夜は無い、それと同様に更けない夜は無かった。

「瞳はこれで良かったのか?」

「翔様?」

「瞳はこれで本当に良かったのか?」

「いや。絶対にいや!」

「今なら、間に合う」

「間に合う?翔様、何に、ですの?」

「ちょっと待て」

 翔様は、私を弄んでいた指で、空中に五峰星を描いた。

「それと……」

 翔様は私の瞳に接吻した。翔様の唇にはコンタクトレンズがあった。翔様はコンタクトレンズを飲み込んだ。

「これでカーヤは俺たちの様子を見ることができない」

「どういうことです?」

「すまないな、瞳。今までのことは全てカーヤに筒抜けだ。これから言うことをカーヤは知ることができない」

 翔様はカーヤの遠隔監視を解除したようだった。

「それに、白鳥の監視も解除させてもらった。今のなら、白鳥も気づかないだろ?」

「翔様。……ご存知だったのですか?」

「白鳥が手放しで瞳をこの要塞みたいな阿望丘に送り込む筈が無い。何らかの方法で監視する術を瞳自身に仕込むだろうと予想していた。コンタクトをしない瞳が、コンタクトをしている。あり得ないことだ。くのいち、それに涙目。これで確定だった。白鳥も言っていただろ? “最強の切り札”はジョーカーだって」

「はい」

「ファイブカード、本来ならあり得ない組み合わせ、スタンダードなルールから言えば、いわば反則だ。全てのエースと、もう一枚のカードが組合わさると、どんなことが起きるかわからない。エースは勿論エースだ。但し、それぞれのスート、つまりはその分野では最高だが、所詮そのスートの中で一番というだけの話だ。ワイルドカードであるジョーカーが加われば、無敵の組み合わせになる。ゲームの相手には最凶・最悪という訳さ」

「翔様、楽しそうですね」

「本当に楽しいことは、これからするのさ。瞳とね」

「翔様は本当に狡い」

「瞳から言われた最高の褒め言葉だ」

 翔様は私の手を解いて、膝を着く。

「どこから話そうか?」

「話しても良いのですか?」

「良い訳がない。だから、全てのしがらみを断ち切った」

「つまりは私と翔様だけの秘密ということですね」

「そう、誰も介入できない」

「私たちがどんなことをしても?」

「どんなことをしても、だ」

 そのとき翔様が私にしたことは、とても恥ずかしくて書けない。それに私は書きたくない。

「カーヤはこうすると、悦ぶけどな」

「カーヤと私を一緒にしないでください」

「嫌よ嫌よも好きのうちっていうけどな」

「駄目なんです。……気持ちよすぎて」

「ほら」

「バカ!翔様のバカ。翔様はいつから?」

「瞳が入院したときからだ」

「では、語学短期留学も?」

「まあね。瞳の経歴や俺との関係から考えれば、次はそうなるだろうとは予想していた。白鳥君は、あざと過ぎる。どうせ、知りもしないことで、瞳の気を惹こうとしたんだろう。クラブのキングなら……俺の親父のことだけど、もっとスマートに権謀術数を使いこなすだろうよ」

「それならどうして、私を止めなかったのですか?」

「スペードにばれる」

「白鳥さんに?」

「あいつ、昇……潮 美智瑠がカグヤとして、つとめていたニューハーフクラブ「姫」で、殿って呼ばれていたんだって?全く品性のかけらも無い。シャンパンタワーとか、フルーツ盛り合わせとか経費で落していたんだろうよ。ダイヤのキング……これは俺の母親だったら、面倒くさいから店ごと買うけどね」

「翔様はどこまでご存知なのですか?」

「少なくとも瞳が知っていることは全て」

「私が何者かも?」

「まあね」

「私はそれを知らないで、翔様のお相手をしたというの?」

「まあ、結果としてはそうなっちゃったな」

「ま、ま、なんて狡いの!」

 私は咽せた。翔様は優しく背中をさすってくれる。ベッドから降り、冷蔵庫から瓶を二本もって来て、翔様は私に差し出した。

「これって……翔様」

「お前んちのシャンパン。鏡山酒造のありがたいお米の飲み物だ」

「お酒です」

「そういう見方もあるな。要らないなら、仕舞ってくる」

「いいえ、いただきます」

「瞳もやけになることがあるんだな」

「こんなことを知ったら……」

「いくらカーヤでも俺をただじゃ置かない、だろ?」

「もう、知りません」

「まあ、俺も素面では話せそうにない。でも腹上死はごめんだな。閨房の術はカーヤが一番知っている。なんせ、ハートのエース。人の心の扱いはお手のもんさ。勿論、心と躯は切り離せないものだからね。瞳が望んでいることだと分かっていたけど、白鳥も易々と俺の仕込みに乗ってくるとは。勿論、瞳には悪いと思ったよ。でも、昨日のあれは瞳の演技じゃない。だから、さっきの涙はとても気の毒だった」

「人でなし、ろくでなし、私の心も躯も弄んだのね!」

「やっぱり、最後まで話すべきではなかったかな。……俺はいつでも本気だよ。これは嘘じゃない。まあ、今の今までのことだから、今更俺を信じてくれというのは、余りにも虫が良過ぎるか」

 翔様から手渡されたシャンパンを一気に飲み干した私は、翔様に抱きついた。

「瞳、酔ったな。昔から酒癖が悪いのは知っているけど……酔うと誰彼構わず抱きつく癖は」

「翔様、私、酔ってなんかいませんわ。嬉しいだけです」

「正直、瞳を口説こうとしている俺が、恥ずかしいくらいだからな。もはや酔っていおうがいまいが関係ないや」

「翔様は私の気持ちをご存知ですか?」

「ご存知もなにも、瞳は俺が好きだ」

「いいえ、違います。私は翔様のことが大好きなんです」

「それは奇遇だな。俺は瞳を愛してる」

「翔様、私も翔様を愛しています」

 沈黙はどちらからとも無く望んだことだった。

「相思相愛と確認できたところで、最後の種明かしをするか」

「はい。翔様」

「結局、スペードはジョーカーには成れなかった。奴さんができる残された手段は、瞳にカーヤと俺を狙撃させることくらいしかない。手向けの花は俺が用意した。カーヤが奴を始末する。瞳は手を出すなよ。俺は瞳を人殺しにはしたくない」

「翔様は身勝手ですね」

「今更だ。何とでも言ってくれていい」

「でも、だから、私は翔様が好き」

「白鳥は最初から、瞳にこれを言わせれば良かったんだ」

「そうしたら?」

「俺は喜んで、瞳に殺されていだだろうさ」

 私は翔様に押し倒された。

「困ります」

「白鳥は困らない。奴の描いたシナリオなら、格好がいい。瞳は悲劇のヒロイン。ジョーカーたる俺は、タロットカードの名前通りの愚か者として始末される」

「その後、私はどうなってしまうのですか?」

「悲劇のヒロインは、本物の死神に始末されてしまうだろうな。勿論、スペードが演じる死神によって」

「口封じされてしまう?」

「すべては闇の中」

 私は翔様と躯の位置を入れ替えた。

「翔様は、真実をご存知なのですか?」

「真実……誰もが求めるが、誰も手にすることができない禁断の果実。事実は人の数だけある。真実はそれ以上だ。なるほど、白鳥の奥の手はそれか」

「ことをなし得た後に、私に真実を教えると、彼は言いました」

「非道い詐欺師だ」

「詐欺師、ですか?」

「当事者でさえ分からないことを、知ったような顔で語る。白鳥は何も知らないよ。知る立場にもいなかった。あれはおそらく事故だったと俺は思う」

 翔様は髪をかきあげた私を止めなかった。好きにしていい、ということらしい。

「朝っぱらから、こんなことをしている俺たちを館長が知ったら、なんて言うか……」

「翔様には責任を取ってもらいます」

「そうだな、責任者が責任を取るのは当然だ。詐欺師が瞳に話した事件の内容は、まんざらではない。惜しいところまでは行っている」

「どこが違うというのですか?それに当事者である翔様は、禁断の実を手に入れてはいないのでしょう?」

「実証実験、組織、対立、パートナー、秘密、人体の完全なデジタル化、成功、消失。キーワードには間違いはない。全て瞳が知っていることに符合する内容だからな。瞳が真実に後もう少しで近づけると思わせるには充分だ。自分が理解できる範囲で、事実は真実になる。理解できなければ、真実は嘘に成り下がる。白鳥はいい詐欺師に成り損ねた」

 私は翔様を掴まえた。翔様がどうなるのか、どうなってしまうのか、ここからは私には未知の領域だった。

「駆け引きなしの話なんて、俺の記憶がある限り初めてだ。瞳は答えなくてもいいよ。そうしようにも今はできないか」

 愛しい人は全て私の手の内にある。恥ずかしいことをしている筈なのに、それが嬉しい。

「あの事件に直接関わった人物には、事件の記憶はない。俺は勿論、カーヤにも、瞳にも、昇にも。おや、意外だったかな?」

 私は翔様に奉仕しながら、翔様を見つめていた。髪の毛が邪魔になる。翔様だけを見つめていたいし、見つめられていたい。

「俺と、カーヤの記憶は検証済みだ。昇の記憶は、今となっては再検証しようがないが、カーヤとの同期のテストで大概のことはわかっている。第一発見者の昇の記憶は操作されていた。昇の記憶をいじったのは、トノ……白鳥だろう。条件付けをされ、マインドコントロール下に措かれ、昇は白鳥の手足になった。潮美智瑠の件に白鳥がどこまで関わったのかは白鳥本人に確めるしかないが、事件の処理をした白鳥が第一発見者である昇に事件直後から接触するのは至極当然だろう」

 翔様の眉間に力が入る。

「瞳……あとでたっぷり可愛がってあげよう」

 私がこうしている間も、翔様の手足は休んではいない。飛びそうな意識を私が躰に繋ぎ止めるには、翔様を可愛がるより他に術はない。

「昇が事件直後から変わってしまったのは、……昇が芳夜と自分を同化させてしまったのは、ある精神科医が関わったからだ。瞳も知っているだろ?俺の付き添いで行った精神病院のセンセイだ。但し、俺が通院していたのは、PTSDの為じゃない。あそこは俺が元いた組織の病院だ。その病院内をカーヤが潜索するためには、潜入してセキュリティー網の中に取っ掛かりを付けておく必要があった。それにそもそもセキュリティーコードが変更されるから、定期的に通院していた。後で気づいたけど、PTSDをいかにも装うためとはいえ、瞳を連れて行ったのは失敗だった。白鳥が瞳にまで手を出す切っ掛けを与えることになるとは予想していなかった」

 得意気に話す素振りは翔様に微塵もない。むしろ私に申し訳ないといった雰囲気だった。たまらなくなって私は躯を捩る。しかし翔様は私を逃さなかった。私は変になりそうだった。

「おっと、そうはゆかないよ。俺は瞳がどうなるのか、どこまで飛んでゆくのか、それが知りたいんだ。俺が我慢できなくなるなるか、瞳が飛んでしまうか、それとも俺達は同時に飛ぶのか、どうなるのかをね。瞳が集中できるように話を続けよう。事件の、世に言う中学生偽装心中殺人事件の真相は今や闇の底に沈みつつある。組織による関係者の処分はもう少しで完了する。ファイブカードの生き残りはあと二人。俺と白鳥だけだからな。組織は共喰いを仕掛けて、都合良く二人とも始末してしまいたい。便利な道具も度を超せば、自分たちにとって取り扱えない化け物になる。ファイブカードはそういう存在だった。そして都合良く偶然に事故が起きた。芳夜は消え、彼女に関するデータ、存在そのものが失われた。犯人はパートナーだ。その秘密保持のため二人のエージェントが無辜の数百人とともに事故死させられた。その実、組織はその飛行機を同じチームの一人に墜とさせただけだった。スペードは組織への忠誠と義務感から作戦を実行したに過ぎない。その作戦はブラックジャックというコードネームだったそうだ。3枚のカードで落としたら勝ちとは、よく言ったものだ」

 私には羽が生えていた。虚ろに翔様の指先を感じながら、空に浮いていた。

「そして、その作戦には伏線があったことなんて、スペードは知らない。俺が事故を免れることは既定路線だった。怒りに狂った俺が、スペードと殺し合うように仕向けたつもりだったらしいが、俺は相も変わらずPTSDの後遺症で使い物にはならなかった。そう組織は映っただろう。組織は俺を病院に通わせて、スペードと命のやり取りをするよう洗脳する計画にシフトした。と、同時に白鳥に保険を掛けた。それが、俺が日本に戻ってから起きたカーヤがらみの数々の事件だ。……瞳、まだだ。物語の終わりも、もうすぐだ」

 翔様は私に敏感な場所に爪を立てた。痛覚は私を現実に戻したが、一瞬あとに快感に昇華した。足の指は猫の手のように固く丸くなり、両手はそれぞれ翔様の胸の上で小刻みに震えながら、弓形になった。

「カーヤがデビューすると、組織は最後の仕上げに着手した。しかしその頃、俺の行動は組織の想定外で、カーヤは公になってしまった。だから、俺にもカーヤにも迂闊に手を出せなくなった。後の事は瞳もよく知っているだろ?

カーヤのスキャンダル、あれはカーヤと俺が組織のしたちょっかいの後始末をした結果にすぎない。俺は組織の仕出かした数々の犯罪を冗談で打ち消してやったのに、恩に着るどころか仇で返しやがる。俺もそろそろ飽きて来たし、いい加減終わりにしたい。組織がそれを望むのなら、それを叶えてやるのも、最強のワイルドカード、ジョーカーとしての勤めというものだ。真の言の葉は、始まりであり終わりにある。『死を受ける者は生を受け、死を拒む者は生を奪われる。生を奪われる者は最期の審判を恐れ、生を受ける者は永遠の祝福を喜ぶ。而して、死神をして生を奪うにあらず、道化師をして死を与うるにあらず。死神の鎌は生者の魂を狩り、死神の接吻は死者の魂を呼び戻す。道化師の鈴は生者に恐怖と試練を与え、道化師の舞踏は死者に歓喜と祝福を与える。』俺は何人にも歓喜と祝福を与える存在でありたい。勿論、瞳にも。いくよ、瞳。君の背中には羽がある。空高く舞い上がるといい。高く遠く、思うがままに」

 翔様の許に舞い降りた天使は、歓喜の唄を謳いながら空高く羽ばたいた。

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