01.癒しのコトバ

昨夜、彼に出会った。

近所の公園のベンチで横になっていた私に、声をかけてきた彼。

「どうしたの?大丈夫?」って、大丈夫なわけないでしょ!

私、回る地面と、ひしゃげる彼の顔が可笑しくて、訳も分からず笑い転げてた。彼、私の顔をまじまじと見つめて、それから一瞬、ほんとに一瞬だけ記憶を確かめるような、そんな目をしたと思う。

「ほっといてよ」という私を無理矢理抱き起こしてベンチにもたれかけさせてから、彼は職務質問じみたことを私に問いかけてくる。答える必要も義務も少しもなかったけれど、適当に「仕事の帰り」みたいなことを答えた。彼は「仕事?」と首を傾げて私の顔に近づくと、「うわっ、酒臭い!」と言って顔を背けた。

こんな酔っぱらい、放置するのが当たり前だと思っていたけれど、でも結局、彼は私が落ち着くまで介抱してくれて、その上ほっとけなかったらしく、うちに途中まで送ってくれた。変わった人ね、彼。

興味なんて無いし、会うつもりはないけれど、明日までにハンカチを返す約束をしちゃった。

どうしようもなく気持ち悪くて、……お好み焼きをしちゃって、うがいした私に差し出されたハンカチ。

洗濯機で済ましてしまえばいいのに、甲斐甲斐しく手洗いしている私。

「返さなくていいよ、あげるよ」て彼は言ってくれたけれど、やっぱり、明日返すことにします。

でも、もう一度、彼に会えるのかなぁ。信じていないけど、神様、お願いします。



今夜、仕事は無い。

散々迷ってから、夜の町を散歩。スタジャンのポケットにハンカチを入れて。

あれからよくよく考えてみたら、こっちから勝手な約束……約束といっても酔った口から出た「出鱈目」。時間も、場所も、そして肝心な彼の名前さえ知らないのに、……どうしよう。それで部屋の中を何往復もして、途中何度もゴミ箱を見て。

あのときの事をまるで覚えていないのなら未だしも、ちょっとでも記憶があるから、最悪。

醜態を曝していたことは明らか。いいえ、間違いなくすごく格好悪いところを見られている彼に会いに行くなんて、正気のさてとは思えない。

そんなことばかり考えていて、頭がもやもや。もう、一か八か、深夜、おととい行ったはずの公園に行ってみた。

友達から「嘘だ〜」ってからかわれた。でもね、彼、いたの!

待っていたんですって。奇特な人ね。彼も「まさか」と思ったって。

で、私が理由を尋ねる前に、彼が自分から説明したの。「彼女に似ていたから」ですって。あまりにも野暮ったいこじつけに飽きれてしまい、帰ろうとベンチから腰を浮かそうとしたとき、彼の口から突いて出た言葉が私をその場に停めさせた。

「僕が殺したんだ」。

唐突でスリリングな言葉。首筋に冷たい刃物をあてられたみたいに動けなかった。

奇妙な緊迫感が、彼と私から声を奪って、沈黙を拒む理由は無かったの。

どれだけ時間が経ったのか、冬の乾いた風で空き缶が転げる甲高い音が空間を切り裂いて、固体のような空気が徐々に溶けてゆくのを感じたわ。

彼、「しまった」とでも思ったのかしら。相変わらず黙り込んでいたの。

私にはそんな彼の沈黙が恐くて、話をして少しでも誤摩化すしかないように思えた。新聞やテレビで見たり読んだりしたことはあったけれど、「本物」を告白する場面を目の前にしたら誰だって、やたら喋りたくなるわよ。

少なくとも、私がこうして無事に日記を書くことができるのは、慎重に言葉を選ぶ話し方が良かったのかも知れない。詳しくは聞き出せなかったけれども、あらかたはこういうことみたい。

3年前、彼は中学生だった同い年の彼女と心中をした。一時期、マスコミが「中学生偽装心中殺人事件」とか見出しをつけて大騒ぎしたあの事件。彼だけ生き残ったからだって。原因が分からないけれど、彼に事件の記憶が無くなっていて、全く事情が説明できなかったらしいの。でも、彼は信じている。自分が彼女を殺したってことを。



また、彼に会った。たまたまね。あれから三日、ずっと彼の話が気になってた。

「何が彼と彼女をそうさせてしまったのか」とか、「どうして彼が彼女を殺したと確信できるのか」とか、「その後どうなったのか」とかね。

こんな事を誰か他の人が読めば、「彼に興味があるからでしょ」なんて変な誤解をされそうだし、後で私自身が誤解しないために書いておくけど、「彼個人」に興味があるからじゃなくて、「彼をしてそうさせた境遇とか、背景」に興味があることを明言しておくわ。念のため。

彼に再会したのは、この前のところで、いつもの時間だった。相変わらず暗い声、沈んだ面持ちの彼。まあ、それはそうでないほうが不自然よ。井戸の底のような暗く底の知れない過去を持つ人間だもの。「語らずに済めばいい」と思うのは極当然の事でしょ。大前提として、彼が彼女の死に対して真剣に責任を感じていて、後悔の念を持ち合わせているのだから。

そうそう、彼の話の続きの前に、重大な事を忘れるところだった。彼の名前。気にはしていたから、検索サイトや掲示板で調べてはみたけれど、ヒットしなかった。不自然に感じてた。

結果、話の流れ……これから順に説明するから。彼の名前に至るまでは、ヒヤヒヤし通しだった。経過はいろいろ。何の脈絡もない私の仕事に端を発する。私が前のようにではないけれど、仕事帰りだったから少し酔っていたの。それに化粧が少し派手だったからかもしれない。私は仕事のことを聞かれたから答えて、そしたら彼「やめた方がいい」ですって。「あんたみたいな人殺しに説教される筋合いじゃないわよ!」そうやり返して直ぐに自分のうかつさを私は反省した。目の前にいるのは、もしかしたら殺人犯かもしれないのに。危ない、危ない。

で、沈黙した彼、いきなり「名前は?」て。私、ついポロッと「カグヤ」。彼、私の名前を聞いてすごく驚いてた。顔、青ざめていたもの。私が「源氏名」だと説明すると、彼は平静を取り戻して鼻でせせら笑ってから、ぶっきらぼうに「カケル。天地 翔。……今更、隠しても意味が無いから。どうせ知っているんだろ?」と私に自分の名前を伝えた。私は仕事柄、条件反射的に「ついでに」諸々の彼のプロフィールを聞き出した。

そして、彼はポツポツと話し始めたの。今はおじさんと、従兄弟と一緒に生活している事。制服も校則もない自由な高校に通っていること。両親は2年前、旅行でたまたま別便に乗った飛行機が墜落して亡くなったこと。お節介な、というより煩わしい「幼馴染み」の女友達がいること。

最後の「幼馴染み」のことで、「彼女、いたんだ」って突っ込んだら、曖昧にはぐらかされた。彼、それで「さよなら」言って帰ろうとしたの。前より時間が早かったから、理由をそれとなく尋ねたら、「仕事」とかいって取り合ってくれない。昨日はそれ以上の深入りはしなかったけれど、でもちょっとだけ訊きたくて「どうして幼馴染みに昔の事を話さないの?」と探りを入れてみた。すると、「あいつも被害者だから」だって。



また彼の事ばかり書いていると思われるのから、断っておく。

誰に読まれる事のない日記なのに変だけど。ここのところ、仕事でも学校でも「これ」といった事が無いからに過ぎませんから。

で、今夜は私から彼に“あのこと”を切り出してみたの。前に私の名前を聞いた時、彼が顔色を変えた事があって、私にはどうしても不可解だったから。

それでね、答えはいたってあっけなかった。簡単。亡くなった「彼女」の名前なんですって。まあ、偶然の一致というものには、それなりに驚いたけれど、それよりもそんな名前を付けた親の考えというものが解らなくて。

夜のお店でバイトをする私みたいな人につける「カグヤ」なんて。

彼には私が愚痴っているように聞こえたらしく、どこから拾ってきたのか、木の枝で公園の地面に「芳夜」と描いてた。

彼は私の眼を見て言うの、「おじさんがね話してたよ。生まれたのが月の綺麗な夜だった」って。

私の瞳の内に、彼が芳夜を顧みているのに思い当たって、この人は過去の中に生きているのだと直感した。だって、彼、本当に哀しい眼をしていたもの。

因みに、芳夜は彼の同い年のいとこ。

う〜ん、微妙というか、際どい関係だったらしく、どうもそれが元で「心中」という結果になったのだろうと彼の話し振りから私は想像する。そして、幸か不幸か、彼だけが生き残った。最も大切な人を失って。

彼が意識を回復して彼女の死を知った時、既に「事件」が出来上がっていたんだって。

彼が生死を彷徨っているうちに、巷で「疑惑の中学生心中事件」がセンセーショナルに報道されていたそう。

今になって、私はふと、大変な数の報道陣の海に囲まれた病院に事情聴取の捜査官が訪れる光景をテレビで中継していた事を思い出した。

私が知る「事件」は、「祭りの喧騒に紛れて行われた、計画的で凶悪な偽装心中による殺人」。

でも、時が経つにつれ明かになったのは、彼が彼女を殺す事ができなかったという「不可能を裏付ける状況証拠」ばかり。その後、過熱した報道はいつの間にか沈静化して、「事件」の結末は誰知れず日常のニュースに埋没してしまっていた。

「一年後、彼は一般人に戻った」そんな結果を今の今まで私は知らなかった。

事件として爆発的に報道が過熱した訳には二つある。

ひとつは、当初「事故」と扱われていたために「事件」隠しや捜査の怠慢が指摘された事。

もう一つは、彼が中学生であり、更に或る意味「都合良く」事件当時の記憶が全く失われていた事。まあ、理由付けはこの事件をきっかけにブレイクした直撃ビデオジャーナリスト葉月陽子の本からのパクリだけど。勝手な憶測や想像をするには適当な「事件」だった。

「事件」は世の中の大半から忘れられていくけれど、彼と彼を直接知る社会には多大な負の影響を残した。彼には自己不審と罪の意識を、彼の周囲にはどこか彼とは一線を画してしまう不自然であり極めて当然とも言える冷たい態度を。

私は彼の境遇には同情するけれど、でも、今の後ろ向きに生きる態度に、諸手をあげて賛成できない。死に切れず、生き切れず、中途半端に惰性で生活をしているのには。



参ったな〜。

彼、私に言われた事が相当応えているみたい。

今度は本当に自殺しちゃいそうな重たい足取りで帰るのが、彼から眼を背けた瞬間に視野に入っていたから、ここ二三日は「あの疑惑の少年が自殺」なんて記事やニュースになるんじゃないかって、後悔と反省しきりだった。

間違ってはいないと確信している。でもまずかったよな〜と仕事帰りの夜の公園で夜空を見上げていたら、いきなり彼の顔が目の前に現れた。

ホント、「化けて出た」って感じで、酔いが一気に醒めたわよ。

で、借りがあるようで気分が悪いから、私のおごりで屋台のラーメンをすすりながら、話の流れで「幼馴染みのコがどうして被害者なのか」という話題になったの。

「瞳から親友を奪ったし、彼女の気持ちにも応えられなかったし、応えられない」と彼。

「今からでも遅くはないでしょ」と言いかけた私に、間髪入れず彼は「あれ以来、暗黙の了解みたいなもので、瞳は芳夜に、僕は瞳に遠慮というか、ある種のタブーを感じている。決して触れてはいけない話題。瞳に直接訊いたことはないけれど、あいつも同じように思っている」とか納得したように話す。

「だからこそ」って思うな、私は。

それから、彼は「険悪じゃないし、むしろ今も友達だし、親友だし、うまくやっている」と云った後、「嘘に聞えるかも知れないけれど」という注釈を付け加えた。

「やっぱり嘘に聞える」と私が返すと、彼、苦笑いしてた。

今も、彼は事件の後遺症、心の傷のためにカウンセラーに通っている。でも「退院」も近いみたい。だって、彼の口数が増えてきているし、彼の雰囲気も冷たくジメジメ……梅雨時のカエルの皮膚を想像することができたら、将にそれ……したものではなくて、何と表現したらいいのか、兎も角「まし」になってきている。

古傷に塩を摺り込むようなことは、私の性に合わないから、少しだけ妥協はすることにしたの。だからという訳ではないけれど、彼に私の名前を呼ぶ事を許した。だって、「カグヤ」って私を呼ぶ度に辛気臭い、ゴキブリを噛み潰したような表情を繰り返すから。「ミチル」って呼んで、と云ってあげた。彼、ちょっぴり嬉しそう。

帰り、お互いにほっとしていたわ。

別れる時、彼、「さよなら」ではなくて「またね」って。



今日、会って早々、「メール届いた」って?

身に覚えのない事だから、嘘をついていそうな顔にみえたのか、彼は怪訝そうに「嘘をついても駄目だよ。どうやって手に入れたのか知らないけれど……もしかすると前にアドレスを渡したっけ?」と記憶を辿っていた。

スマホの番号は知っているけど、彼が仕事で使っているパソコンのメールアドレスなんて初耳だし、「ふうん、プログラマーをしてたんだ」というくらい彼については私、無知なのね。

でもさ、そんなに責めなくたっていいと思うよ。

さっき彼の独演会が終わるまで、彼の今のプロフィールを知らないんだもの。どうやって分かれっていうの?

つい意地悪をしたくなって、ある事が思い浮かんだから「どうせ彼女でしょ? 幼馴染みの!」って彼にぶつけた。

そしたら血相変えて行っちゃった。

怒らせちゃったのかな。でも、本当に私じゃないもん。



結局、彼、私に謝った。

彼が熱心に説明する内容の80%は複雑でよく分からないけれど、「誰でもない」ということらしいの。私でも幼馴染みでもでもない「誰か」は、「かぐや」という名前で、彼が知らない事や、彼が知っている事を彼よりも詳しく書いて、彼にメールをした。「いろいろチェックをして危険はない」と彼は言い切るけれど、少し心配。



いろいろあって、しばらく仕事を休むから、彼と会えない。それで手紙を送りました。びっくりするだろうな、彼。



彼から電話が掛かってきた。

私が「諸般の事情でしばらく御会いするここができなくなりました。何かありましたら、下記にご連絡下さい」って書いたものだから。

彼、「病気、怪我?それとも事故?」なんて慌てて。

私が「テストだから、仕事はお休み。ちょっとは勉強もしなきゃ。翔もそうでしょ?」って答えたら、「ミチルも学校なんだ」とか変に感心してた。私だってちゃんと高校生しているんだから!


彼が言うには、前からしていた仕事が一段落したのだそうだ。明日から本格稼働するプログラムは、世の中を変える可能性があるのだとか。「見てもらいたいものがあるんだ」って。彼の部屋に招待されたけど、ちょっとは下心とかあるのかしら?

だって、その日は「昇はバイトで、おじさんは残業になるのが定例」

つまり彼の他に家には誰もいないってこと!

それから、「癒しの言葉」がキーワードなんですって。

何の事かしら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る