声優にならなかった私。④

「おはようございます。シングルグレイスプロモーションの瀬名灯乃です!」

「おはようございます」


 扉から元気よく入ってきた女の子に、挨拶を返す。

 挨拶が一通り終わると「今日はよろしくお願いします!」とこれまた元気よく言い、収録ブースに移動していった。


「……ぼちぼち、開始時間か」


 音響監督が時計を見て、呟く。しかし、まだ到着が遅れている人物がいる。私の役割として音響監督に事実を告げる。


「主役がまた来ていませんよ」

「あの子は多忙すぎるからな。前も急ぎの別件があると聞いてる。別録りも考えとこう。今日って、昼過ぎまでここのスタジオおさえてるでしょ?」

「14時まで、ですね」

「……そりゃ、頑張らないとな」


 普通のアニメ収録なら終わるレベルの時間が確保されている。が、今日収録のアニメは新人が多数起用されているのだ。普段のアフレコよりスムーズに進まず、本番1回ですんなりと終わることがなく、時間がかかるだろう。

 遅れてくる彼女がいたら、そんな新人ちゃんたちの良い見本になるのにな、と新人声優さんたちを憂う。

 そう思っていると、扉が開き、爽やかな風が吹いた。


「おはようございます、佐久間です、稀莉です。遅れてすみま」


 私を見て止まった。


「……お姉さん!?」


 扉近くにいた私と目があった。


「「……お姉さん?」」


 音響監督や効果さんが不思議がるが、私は咄嗟に反応できない。


「あれ、もしかして、そのもしかしてお姉さんって、お姉さんですよね」

「覚えて、くれているんですか」


 目の前にいるのは佐久間稀莉さん。

 私が憧れ、目指し、そして人物。

 でも、こうしてまた出会えた。


「忘れるわけないですよ。あー、ごめんなさい、収録が始まるのに! あとで、あとで話しましょう! 絶対ですよ~~~」


 佐久間さんはバッチリと演技をしたのに、私は私の仕事どころではなかった。

 私はアニメの現場にいる。

 でも、収録ブースのマイクの前に立つ人間ではなかった。



 × × ×

 

 収録を終え、コントロールルームから出ると、彼女、佐久間さんが待っていた。


「ごめんなさい、待たせちゃいましたね」


 待たせたことお構いなしに、彼女がぐいぐいと迫ってきて、後ずさりする。


「お姉さんなんですよね! 試写会で熱烈な感想を言ってくれたお姉さん!!」

「たくさん、そんな人はいるかもだけど」

「あんな熱烈に感想を言う人は、お姉さん以外にいません! いたら、困ります」

「あれ、意外といるもんだと思ったんだけどな……」


 近くの椅子に座り、話を続ける。


「お姉さん、えーっと」

「吉岡です。吉岡奏絵」

「音響関係の仕事ついたんですね」

「ええ。音響会社で働いています」

「そうだったんですね」


 目指したところとは違う。


「佐久間さんに会って、貰った言葉が嬉しくて頑張ったんです。声優の養成所にいったんですが、まぁ、そんなにうまくいくわけなくて……。モブ、生徒Bで出演できただけで私の声優人生は終わりました」


 声は良いと褒められていたが、代わりなどいくらでもいる世界だ。声だけでは、たどり着けなかった。今から、ダンスレッスンや、ボーカルトレーニング、演技のいろはを教え込まれても、若さには敵わなかった。一朝一夕でどうにかなるものではない。

 それでも目の前の彼女は褒めてくれた。


「すごいじゃないですか! 声優になれたんですね」

「3年かかって、すぐにやめることになったけどね」

「3年って、そんな短期間でなれたのは奇跡ですよ。そう言われちゃ他の人に恨まれます」

「それもそうかな……。いやー正直めっちゃしんどかった。仕事しながら、養成所に通うってやばいって」


 我ながら、良く体力が持ったものだ。


「けど、長続きはしなくてさ。オーディション受けても全然で、していた仕事も辞めざるを得なくてさ。そんな時ちょうど縁があって、音響事務所の事務に誘われて、気づいたら事務ではなく、色々やらされてさ」

「ブラック」

「……否定はしないけど、楽しくやっているよ」


 社会人経験のあった私は重宝された。それに声優を目指した人間として、多少の知識はあったのだ。

 多忙だけど、土日関係なくアフレコがあったりするけど、それでも好きなことをやれている。好きな私でいられている。

 そして、また彼女に会えた。再会でき、なんと覚えてくれていたのだ。


「また、佐久間さんに会えて嬉しいです」

「私も熱烈なファンが同じ現場になったなんて、びっくりで嬉しい」

「いや、この時間って仕事を利用した越権行為すぎないですかね!? 私、佐久間さんと同じ長椅子に腰かけていいんですか!? ファンに怒られたりしません!?」

「バレなきゃOKよ」

「絶対にラジオで言わないでください!」

「……あー、確かにいい話のネタになるかも」

「言わないでください!」


 不思議な気持ちで、夢のような気がする。

 憧れた彼女とこうやって仲良く話をしている。

 仕事で、出会うのはちょっと期待していたけど、まだまだ先だと思った。

 だって、まだ夢の途中だ。


「このまま音響スタッフで働いていき、いつか……音響監督になるんだ。なりたいと思っている」

「音響監督! そしたら、私を起用してくれるんですね!」

「いや、あまり依怙贔屓しては良くないと思うし、露骨な推しをつくる音響監督になりたくないんで、指名はしないと思う」

「してよ!」

「佐久間さんばっかり主演にしている音響監督と噂されたくないじゃないですか!」

「いいじゃない!」


 佐久間さんが腕時計をちらりとみる。そろそろ時間だろう。

 多忙な彼女だ。こうやって話せたのも奇跡で、もうない機会かもしれない。


 それなのに、彼女はまた言うのだ。


「また会いましょう」


 あぁ、彼女は変わらない。

 憧れは近づいても憧れで、眩しい。

 はい、っていうだけなのに、違う言葉が出ていた。


「佐久間さん、大好きです」


 クールな感じでいた彼女も、


「…………へ?」


 さすがに、顔を崩した。


 セカイなんて単純だ。

 変わるのなんてすぐにできてしまう。一声で簡単に変われてしまう。

 

 選ぶか、行動するか。


 セカイは自分次第で簡単に変わっていく。


 戻らず、放った言葉は消えずに色をつける。


「……すみません、間違えました!」

「間違えたってどういうこと!?」

「いや、間違いではないんです! つい気持ちが高ぶって、その、あの、すみません!」

「謝る必要はないですが、わー、えー、あー、もうー!!」


 私のなりたい私。

 形は違うかもしれないけど、会えたよ。


「もう仕事にいかなきゃいけないんで、はい、QR出して! 連絡先を交換! また詳しく話しましょう!」


 そして、世界は回っていく。星は変わらず輝き、私もそんな彼女を照らそうと生きていく。





 × × ×


 ドリンクバーでとってきたメロンソーダーを置き、稀莉ちゃんが私にポツリと言った。


「夢の話ってナンセンスだと思うのよね」

「……」


 いつだかラジオ収録の時にも言われた気がする。

 夢。夢は盛れてしまうし、それが本当だと証明できるものはない。

 空想、妄想、創作。

 けど、実際の夢は自分の思い通りにはならない展開も待っている。


「はい、黙らなーい」

「……じゃぁ、ラジオのネタにしないでよ! よしおかんが夢でも私に会って、熱狂的ファンでさ~って」

「奏絵から声優にならなかった時の話をしてきたんじゃない。ラジオのネタにしていいってことでしょ?」

「ラジオパーソナリティのかがみ! プライベートのそれも夢の話をしちゃうの? 妄想かもしれないでしょ? ラジオでする必要なくない?」

「だからナンセンスだったって、反省しているのよ」


 けど、SNSは盛り上がり、コメントも、その後のおたよりも多かったことを、ラジオスタッフから聞いた。

 しかし多用はできない。

 私生活を切り売りしているラジオだが、夢まで使い出したら「ネタがないのか?」とリスナーに不安に思われてしまう。


「だからね、奏絵はもっと私とデートすべきなのよ」


 稀莉ちゃんの言葉を聞きながら、隣のテーブルに座った人の会話が耳に入った。


「先輩、おひさですー」

「ごめんね、今日は個室取れずにファミレスで」

「いいですよ。こうやって先輩に会えるのが1番です。ほら、飲みますよ。ファミレスのワインもけっこういけるんです。夢のいっぱいに乾杯―」

「大島ちゃん、ありがとうね」

「で、早く想い人の話を聞かせてくださいよ~」

「もう~」

「まさか、あの看板の人とね。さすが先輩」

「もうー、まだアルコール入ってないよ」


 隣の会話が気になったが、


「どうしたの、奏絵?」


 目の前の稀莉ちゃんに意識を戻す。


「……いや、何でもないよ」


 うん、何でもないんだ。

 繋がらなくても、きっと繋がっている。

 わからなくても、きっとわかる。

 

 そうやって私はできていて、


「大好きだなって」


 稀莉ちゃん、彼女中心でこうやって生きている。


「何よ突然に!」

「なんでもないよ。いつも通り」

「もう!」


 赤面する彼女をいとしく想い、


「早くマイホーム買わなくちゃ……」

「何の話!?」


 私への重い想いににやけてしまう。


「もう直接言えばいいの!? 今夜は寝かさないぞ★って」

「どういうこと!?」

「どういうことって、あーもう! 早く二人暮らししたい! メイドから脱却したい!!」


 何にならなくても、何であっても、彼女を好きな私でいる。

 それはきっと変わりなくて、今日も幸せだなとしみじみ思うのであった。



     〜声優にならなかった私。〜 完

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