声優にならなかった私。③

 舞台挨拶後、どう駅まで歩いたのか、ちゃんと歩けたのかわからない。稀莉さんとの会話がずっとループしている。自分の早口を思い出してはその場で頭を抱えそうになり、彼女の温かい声を脳内再生してはついつい顔がほころんでしまう。

 そして、セカイなんて単純なんだと知ってしまった。

 変わるのなんてすぐにできてしまう。彼女の一声で私は変われてしまう。


 家についたらすぐに資料請求していた。

 26歳だ。今さら感がある。

 でも、彼女の言葉で私は走り出してしまった。


『すっごく良い声ですね』


 その一言で自信と勇気が勝手に湧いてくる。


『また会いましょう』


 その一言でそんな未来を見たいと思ってしまう。

 気づいていなかったのに気づいてしまった。

 私はアニメが好きで、声優さんが好きで、憧れだった。オタクで享受するだけだった私はその事実を見ようとも、本心を考えようともせず、やる前から諦め、ただただビールを飲むためだけに生きていた。

 ……気づいてしまったんだ。

 だから、輝く彼女に夢中になった。憧れて、追っかけた。素敵だなと思った。

 その先の彼女からの一言で、自分が変えられてしまった。私はこの日、変わったんだ。

 世界は自分次第で簡単に変わる。

 

 


 資料請求をしてからの私は早かった。

 働きながら学べるということで、すぐに養成所も決めることができた。入所審査も通り、本科に入ることができた。今まできちんと貯金もしてきていたので受講料、入所金は自分で払えた。

 自分の人生なので、自分で責任を持つ。親に一言も相談していない。まだ通うだけだ。ここがゴールじゃない。通過点。

 なりたい私になるための、ハジマリに過ぎない。


「先輩、何か変わりました?」


 大島ちゃんとお昼にうどんを食べている時に、ふとそのように言われた。


「恋をした」

「え、マジですか、誰、誰なんですか!?」

「教えない~」


 ケチ~と頬を膨らます彼女に、今なら本心を言える。


「やりたいことができたんだ」

「ほお、お酒入れた時に聞いた方がいい感じですか?」

「ううん、ここで全然でいいよ。声優になりたいと思って」

「せい?」

「ゆう」

「スーパーの話じゃないですよね?」

「違うよ」

「映画とかアニメとかで声をあてる人ですよね?」

「そう、その声優」


 馬鹿にされるかなとも思った。「アラサーが何言っているんですか?」と呆れられるとも思った。

 でも、この後輩は笑顔で言うのだ。


「なるほど、いい声ですもんね先輩」


 ゲームでジョブチェンジするみたいに簡単になれない。そんなの彼女も知っていると思うけど、そう褒めて後押ししてくれるんだ。



 うどん屋さんから出ても、話は続く。


「声優か~、それが先輩のやりたいことだったんですね」

「最近気づいたんだ。なろうと思ったら、すぐ行動できて、今は養成所に通うのが楽しい」

「もう通っているんですか!? 早い! それに仕事しながらって大変じゃ」

「それぐらいできないなら諦めちゃうよ。本気でなりたいなら完璧にこなさいと」

「変わりましたね、先輩」


 しみじみと後輩が言ってくれる。


「うーん、といってもなれる保証もないし、無謀すぎる夢だし」

「ですね……、甘くはないと思います」

「3年だけでも頑張ってみようと思うんだ。それで駄目ならきっぱりと諦める」

「諦められますかねー」

「わからない! その時の私じゃないとわからない」


 そう、甘くなどない。変わったといっても、なれるとは限らない。


「でも挑戦せずに終わったら、一生後悔すると思ったから」

「いいですね今の先輩。輝いていますよ」

「……本当?」

「本当です。そうだ、今のうちにサイン貰っとかないと。有名になった時に……」

「売らないでね?」

「売りませんよ! 私を何だと思っているんですか!?」

「私大好きな良き後輩」

「うーん、間違ってはいませんけど!」


 会社へと戻る道も、挑戦してからは違って見える。


「で、恋って、結局誰にしているんですか?」

「教えないー」

「はっ、もしかして私!? こ、困っちゃうな。でも先輩なら満更でもないというか、チラチラ」

「ごめん、それはない」

「それはないんですか!?」

「1%もない」

「1%はあってもいいんじゃないですか!?」


 この夢が何処まで続くか、わからない。

 でも走り出したんだから転んで膝をつくまで頑張ろうと思う。いや、転んでもきっと稀莉さんの言葉を思い出して頑張っちゃうんだろうな私は。


 そして、もし声優になれたとしても、ずっと挑戦し続ける。

 私のやりたいこと。


「私は私になりたい」


 ずっと私を探し続ける。

 私を信じてあげて、挑戦し続ける。それが私のやりたかったことで、たぶん人生を何度繰り返したってそう言うのだろう。

 そして、いつか憧れた彼女に言うのだ。


 稀莉さん大好きです、と。

 

 10歳も年上の人に言われても迷惑かな……?











 ガタン、コトン。


「……………………ん?」


 ゆっくりと目を開く。電車に揺られていた。椅子に座っていてちょっとお尻が熱い。


「あれ?」


 横を見ると、私に寄りかかって女の子が寝ていた。


「稀莉さん?」


 私の声に「うーん」といい、女の子が目を擦る。

 開けた大きなつぶらな瞳は私と合い、問われる。


「どうしたの奏絵?」

「稀莉さんが隣に寝ているって」


 彼女が怪訝そうな表情で私を見た。


「何よ稀莉さんって。急に余所余所しくなって何なの?」

「……ん?」

「変な夢でも見たの奏絵?」


 まだ夢を見ていたのだろうか。徐々に現実に戻ってくる。

 稀莉さん? うん、自分でも可笑しさに気づく。

 なんだ、稀莉さんって。彼女を何でさん付けしているのだ。


「あ、いや。稀莉ちゃん、ごめんごめん。寝ぼけていたみたい」

「ぐっすりだったものね」

「稀莉ちゃんこそ」

「よだれ、たれているわよ」


 慌てて口を拭うも何もない。「嘘~」という彼女に可愛い奴めと思ってしまう。惚れた女の子の仕草は何だって可愛い。毒舌も今となってはご褒美だ。


「夢を、見ていたんだ」


 夢、だろう。

 アニメ1話分の話を見た気がする。ぼんやりだけど確かに覚えていて、そういう物語があったのでは? と錯覚してしまう。鮮明でリアルであったかのような物語。


「ふーん、どんな夢?」

「私が声優にならなかったらの話」


 夢の私は会社員をしていた。


「でも可笑しいんだ。その私は声優にならず、会社員になったのに、やっぱり声優を目指す道を選んでいた。26歳だよ? その歳で声優に今からなろうと挑戦って」

「面白いじゃない。聞かせなさいよ」


 夢の話をし出す。

 社会人の私。後輩との飲み会。稀莉ちゃんの舞台挨拶。

 そこでの彼女の言葉。その後の私。

 悪くない。良い夢だった。

 良い夢を、見た。


「違う」

「へ?」

「私の夢と違う」

「え? 稀莉ちゃんの夢にも出たの私?」

「うん、CD特典の握手会に来て、熱烈に話すオタクがいて、スタッフに引きはがされていた。やばいオタクがいたね~とスタッフと笑い合ったわ」

「え、そのオタクが」

「うん、よしおかん」

「私、厄介!」


 出会ってはいるが、微妙に似ているが、印象は最悪だった。

 そんな世界線の私もいたかもしれないと、苦笑いしてしまう。私の夢に出てきたスタッフは優しかったのだと感謝する。


「でも、違う世界でも私は稀莉ちゃんに出会えるんだね。運命だね」

「運命なんてないわ、私たちには」

「え?」

「私は奏絵に憧れたから奏絵に出会えて、声優になった。声優になる私もいるかもだけど、何度ループしても私たちはほとんど出会えない。この私が勝ち取ったの」


 その通りだ。出会えるかもしれないけど、恋仲になるまでのルートはこれしか、きっとない。稀莉ちゃんが私をみつけて、声優になって、また再会しなければ始まらない。


「……赤い糸はないのかな」

「ないわよ。この世界の私だけ。他の世界の私にだって、奏絵を譲ってあげない」


 だそうだよ、他の世界の私。この世界で彼女に出会えて本当に良かったと安心する。


「稀莉ちゃんらしい」

「あら、赤い糸を実際に結んだ方がいいかしら?」

「やめて! 本当にやりそうで怖い」

「何処でも一緒よ、奏絵」

「ヤンデレルートは見たくないーー」

「……針と糸を買ってこないと」

「物理的につながないでー!」


 ねえ、私は私で良かったよ。

 こうして稀莉ちゃんに出会えて、本当に良かった。


 だからあなたも頑張ってね、私。

 きっとどの世界の私だって笑っている。辛いこともたくさんあるだろうけど、最後は笑っていられる。

 そう思うんだ、そうだといいな。

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