私の好きだった先輩。⑤

 何処にいたって、好きな先輩の声は聞こえた。

 青森だって、アプリでラジオは聞けるし、アニメも配信で見ることができた。


 けどリアルで奏絵先輩を見るのは、あの冬の弘前で出会って以降なかった。東京で活躍する奏絵先輩なので、青森に帰ってくることはほとんどない。むしろ、ご両親が東京にライブを観に行ったと聞いた。……直接、本人やご両親に聞いたわけではないので不確かだけど。私からわざわざ東京のイベントに繰り出すこともしなかった。一度始めてしまったら、全通してしまいそうで怖かったのもある。

 それに奏絵先輩が青森に帰ってきたとしても、わざわざ連絡はしてこないだろう。それは私だけでなく、部活の人でも、友人でも同じだ。奏絵先輩の心はもうこの地にない。


 と思っていたのに、


「聡美ちゃんに髪を切ってもらうなんて嬉しいね」


 奏絵先輩が目の前にいて、

 私は手にハサミを持っていた。


 ……なんだこの状況!?


「き、き、き、き、き、緊張しますね」

「……大丈夫、聡美ちゃん?」

「だ、だだだだ、大丈夫です。言葉は震えていますが、手は震えていません。ほら、ほら!」

「いや、鋏を誇示しなくていいからね!?」

「ちょっとお水飲みます……」


 落ち着け、落ち着け……。

 鏡に映る奏絵先輩と目が合い、慌てて顔を背ける。

 私も30歳を超えた年齢なので、奏絵先輩も3X歳なわけだけど、相変わらず綺麗だ。むしろどんどん綺麗になっている。思い出が美化されているわけではない。


「整えるだけなんで安心してください」


 そういって息を整える私。整えるべきは私だ。

 再び鋏を持ち、先輩の髪に触る。染めているけどサラサラで、どこのシャンプーを使っているのか気になるけど、聞いたら買ってしまいそうなので聞かない。


「まさか奏絵先輩が青森でイベントやることになって、イベント前に私が髪を整えることになるとは思っていませんでしたよ」


 明日、奏絵先輩が担当しているラジオ、「これっきりラジオ」の青森凱旋イベントが開催される。スタッフさんの悪ノリ?で青森に決まったらしい。奏絵先輩はラジオで嫌がっていたが、私は嬉しすぎた。

 そればかりでなく、イベント前に髪を整えて欲しいと連絡がきたのだ。


「思い出したんだー。あの冬の桜を見た時に、聡美ちゃんが『東京でカリスマ美容師になろうと思ったんです』って言っていたなーって」

「……よく覚えていましたね」


 私の実家の床屋ではなく、イベント会場の待機室で整えている。今日はリハがあるらしく、その前に済ませてしまうのだ。もちろん明日のイベントのチケットはゲットしている。地元優先枠があったのかわからないけど前から3列目の神席で、当たった時は画面を三度見してしまった。

 今はそれ以上に近い。というか髪に触れているのだ。


「あの時は、色々と驚くことがたくさんあって反応が弱かったかもしれないけど、けっこう驚いたんだよ? 吹奏楽部の後輩が美容師になったんだ~とびっくりしたんだ」

「うまくいきませんでしたけどね」

「でも、今でも仕事しているんでしょ?」

「たまに実家の手伝いでやっている感じです。普段はデパートで働いています」

「デパートね。昔からあったっけ?」

「ありましたよ。もう、そういうことは覚えてないんですね」

「もう色々とこの街も変わってさ、私の街って感じがしないよね」

「そう、ですか」


 大学で上京してから10年以上で、いずれ青森で過ごした時間よりも長くなるだろう。今を生きる先輩にとって、ここは過去となって、思い出になっていく。


「私たちの通っていた高校の校舎も古くなって、新しい校舎立てたんですよ」

「え、本当!?」

「本当です。それに今、吹奏楽部強いんですよ~。いい先生がきて大会で金賞とったんだって」

「まじ!?」

「マジです。こないだ気になって演奏聞きにいったんですが、凄く上手かったです」

「そうなんだー。へ~……。今ならメンバーに入れないだろうな。厳しいと知っていたら、入部もしないかも」

「私も無理ですね。お気楽な感じがちょうど良かったです」


 せっかくだから、あの時に聞いたことをもう一度聞く。


「そもそも、先輩は何で吹奏楽部に入ったんですか」

「うーん、そんなに理由はないんだけど」

「教えてください!」

「もう15年以上前のことだよ。……自分で言ってビビる、15年って」

「16歳なんて遠い昔ですね」

「本当は演劇部入りたかったなんだ。けど、潰れてた」

「演劇部ですか」

「そうそう、私が受験する時にはあるってパンフレットに書いてあったけど、いざ行ったらなかった。だからといって、新しく部活を作る気もなかったしね。なら肺活量とリズム感鍛えようと」

「……そんな決め方なんですか」

「そんなもんだよ」

「そんなもんですかー」


 演劇部がなかったから、私は先輩と同じ部活で出会えた。『そんなもん』が運命になって、未来を変える。

 ふと視線を落とすと、彼女の左手薬指がキラリと光った。

 指輪。

 ラジオを聞いているので、誰との誓いなのかは知っている。先輩が幸せになれて、素直に嬉しく思える。


「どうですか」


 整え終え、鏡を持って後ろからの姿も見せる。


「いい感じだねー。スッキリとしたよ。ありがとう」

「良かったです」


 私の役目はこれで終わりだ。

 こんな機会はもうないだろう。幸せな瞬間はあっという間だ。


「奏絵ー」


 控室の扉が開き、先輩と同じ指輪をした女の子が入ってくる。

 佐久間稀莉。

 奏絵先輩と一緒にラジオをしている声優さんだ。


「こんにちは、後輩さん」

「こんにちは、佐久間さん」

 

 奏絵先輩も綺麗だけど、佐久間さんもとびっきり美人だ。あの冬会った時はあどけなさもあったけど、今は大人っぽさが増して綺麗になった。

 奏絵先輩と佐久間さんが並ぶと別世界に来た気分になる。


「稀莉ちゃん、もう来たんだね」

「アフレコ終わって、すぐに新幹線でバタバタよ。駅弁を食べる暇もなかったので、腹ペコ」

「じゃあ、リハのあとでご飯行こうか」

「えー、それまでお預けなのー?」


 それは可哀そうだと思い、鞄を開けて食べ物を出す。


「あのー、良かったら食べますか」

「あっ、イギリストースト!」

「もらっていいの?」

「えぇ、たくさん持っていますから」


 バッグの中身を見せる。あげた以外にイギリストーストの袋が5つ入っている。


「持ちすぎでは!?」

「さすが青森県民……」


 若干、引かれたのはなんで?

 せっかくなので、奏絵先輩にも1枚あげ、私も食べることとなった。

 プチおやつタイムだ。


「そういえば、後輩さんに聞きたかったのだけど」

「はい?」


 佐久間さんから私に話しかけられ、


「後輩さんは奏絵のどこが好きになったの?」

「ぶーーーー」


 突然、ぶっこまれた。

 

「にゃ、にゃにを言っているのですか、佐久間しゃん!」


 口が上手く回らない。奏絵先輩を見るとあまり動揺していなかった。


「好きって、私は親しみやすい先輩だったからねー」

「違うわ。ライクじゃなくてラブよ、この後輩さん」

「………………マジで?」

「そ、そんなことないですー。もちろん先輩のことは尊敬していましたし、部活で1番仲良い先輩でしたが」

「ううん、私にはわかるの。聡美さんは私と同じ匂いがするわ!」

「するわって、そう言われてもねー……聡美ちゃん?」


 いきなりの暴露に顔が真っ赤になってしまっている。なんでこんなに赤面してしまっているんだ。目の前に鏡があるから、自分の状態がハッキリとわかってしまう。

 この顔はどうやっても誤魔化せない。


「そ、そうです。私、奏絵先輩のこと好きでした! ま、まいったかー」

「お、おう……」

「ほら、やっぱりよ」


 奏絵先輩も困っているし、私も何を口走っているのか頭で理解できていない。


「私、年下に好かれるのかな……」

「待ってください、佐久間さん以外に何かあったのですか!? どこの馬の骨ですか。ま、まさか部活の後輩で私と同じような輩がいたのですか!?」

「ないない。ないよ! 必死すぎるよ、聡美ちゃん」

「ごめんなさい、少し取り乱しました」


 少し、ではない。危うく私の青春時代まで傷を負う所だったが、その時は何もなかったようで心が穏やかになる。

 バレたのでもう取り繕う必要もない。 


「大丈夫です。今でも大好きな重い女じゃないです! 他の人と付き合ったこともあるので安心してください! ……安心? 安心ってなんだ……」

「聡美ちゃん、落ち着こう」

「で、奏絵のどこが好きになったの?」

「稀莉ちゃんも落ち着こう!」

「……性格、顔、見た目、色々ありますけど、やっぱり声ですね」

「声」

「はい。奏絵先輩に名前を呼ばれただけで、1日中幸せでした」

「いいわね~、奏絵との部活動。来世は奏絵の同級生か後輩になりたいわ」

「へへ、部活動の思い出は譲れません」


 何を張り合っているのだ。


「それにしても稀莉ちゃん、普段なら怒りそうだけどやけに冷静だね」

「正妻の余裕です」


 どや顔で言った。


「あっ、でも浮気は1ミリも許さないからね」


 そして瞬時に怖い顔と声に切り替えた。さすが役者さんだ。


「奏絵は押しに弱いから、押して押さないと駄目なのよ」

「……私、奥手でしたから」

「押しの強い稀莉ちゃんが言うと説得力が違うな……」


 その後も何故か、もう遅いアドバイスを受けた。学生の頃の私に教えてあげたいが、それでは未来は変わってしまう。

 これでいい。

 奏絵先輩は、輝いている今の姿が1番いい。



 スタッフさんがきて、そろそろリハを始めるとのことで、私はここまでとなった。


「奏絵先輩、ありがとうございました。一生の思い出です」

「お礼を言うのはこっちだよ。綺麗になれた。それと……ありがとうね。嬉しいよ」

「うっ、わ、忘れてください」

「忘れないよ。それに声が好きって言われるのはやっぱり嬉しい」


 その言葉にどれだけ救われたか。

 ねえ、あの頃の私。君は報われない恋をするかもしれないけど、けして無駄なんかじゃないよ。奏絵先輩を好きになれたことは私の誇りだ。


「イベント頑張ってください。楽しみにしてます!」

「うん、頑張るよ。またね」


 終わりじゃない。

 終わった恋だけど、それでも先輩と後輩は終わらない。


 思い出は、これからの私を元気づけて、勇気づける。

 先輩を好きになれてよかった。


 × × ×


「よしおかんが、青森に帰ってきたぞーー」

「「わああああああああ」」


 舞台の上で大声を出す先輩を次の日、私は目撃した。

 声優の、吉岡奏絵。

 一緒に校庭を走って、一緒に演奏した人には思えない。

 でも、先輩は先輩だ。


「ワハハ」


 気づいたらお腹を抱えて笑っていた。

 先輩は、いつでも私を明るくしてくれる。

 あの時も、今も。そして、先輩が声優を続けてくれる限りこれからも―。

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