私の好きだった先輩。②
「え、東京の大学に行くんですか」
その事実を知ったのは、先輩が高校を卒業する少し前だった。
「ごめん、言ってなかったっけ?」
奏絵先輩の成績がいいのは知っていたが、まさか東京に行くとは思っていなかった。東北の何処にいっても離れ離れにはなるので同じことだが、まさかそれが東京だとは私の考えになかった。
部活引退後、疎遠になっていたのもある。受験生に気をつかい、連絡をしなかったのもある。しかし今日まで知らないとは、やってしまった。
「どうして」
受験合格後、先輩とたくさん遊ぼうと考えていたが、先輩は今週にも東京に行くとのことだ。
「どうして、東京なんですか」
そうだ、東京じゃなくたっていい。青森ではできないことかもしれないけど、仙台だって「何となく」できるだろう。
そう、きっと東京を選んだのもたまたま、「何となく」なんだ。
先輩は口にした、
「私ね、やりたいことがあるんだ。それは東京でしかできない」
それは「何となく」ではなかった。
「そう……ですか」
先輩は違う。私とは違う。
ただ「何となく」生きている私と違うのだ、そう気づかされた。
やりたいことがあった。やりたいことを実現するために東京に行く。
遠い、先輩との距離は遠い。
「奏絵先輩、応援しています」
「ありがとう」
そう言って、先輩は去った。
話したいことはたくさんあったはずなのに、先輩との違いに悲しさを覚えてしまった。
先輩は私と同じではない。先輩は違う所を見ている。
私には、やりたいことがなかった。
高校生最後の年は、必死にやりたいことを探した。
やりたいことはすぐにわからなかったが、目的は決まっていた。
『いずれ先輩のいる東京に行く』。
そのために自分のことをたくさん考えた。初めてこんなにも自分のことを考えただろう。
そして美容師になろうと決めた。元々、実家が床屋だったこともあるが、先輩の長い綺麗な髪を切ってあげたいと思ったのだ。
それに美容師なら、人のたくさん集まる東京で需要があるはずだ。
私にもなれる。いつかカリスマ美容師になって、先輩のためになるんだ。
無事に専門に受かり、休むことなく専門を卒業したが、すぐに東京に行くことはできなかった。専門学校の伝手で、仙台のお店で修行の身となった。
先輩とは連絡を取っていなかった。
まだ隣に立つにはふさわしい人物ではない。何をしているのかわからないが、まだまだその背中に追いつく資格はない。
先輩が何をしているのか知ったのは、連勤続きでひどく疲れて帰った夜だった。
「疲れたー。今週も耐えきった」
新人なので雑用が多く、帰りはいつも遅くなっていた。働きながら新人として学ぶ身なので仕方がないと思うも、なかなか私の腕は上達しなかった。
深夜に帰ってきた私はいつも通りテレビをつけ、コンビニ弁当を机に並べた。
安くなった弁当を開け、レモンサワーの缶を開けようとしたら、その声は聞こえた。
テレビから奏絵先輩の声が聞こえた。
「え、え、どういうこと?」
それはアニメだった。アニメの女の子から奏絵先輩の声がした。
間違えるはずがない。あの通るが、ちょっと癖のある声は間違いなく、奏絵先輩の声だった。
ご飯に手をつけず、30分夢中になって見ていた。
そしてエンドロールを見ると、私の予想通り『吉岡奏絵』の文字が載っていた。
芸名ではなく、本名を使用していたので、私でも気づけた。
「本当に、本当の奏絵先輩だ……」
声優。
これが奏絵先輩のやりたいことだったのか。
全然知らなかった。
専門の私とは違い、先輩は4年制の大学に行ったので、まだ大学生のはずだ。
なのに、声優としてデビューしている。
「すごい、すごい! 奏絵先輩はすごい!」
すぐに携帯で検索すると、奏絵先輩はちゃんと事務所に所属しており、写真も載っていた。
長かった髪は少しだけ短くなり、色は茶色気味。高校の頃よりさらに大人で、綺麗になっていた。
ますます距離は遠くなった。
「……でも東京で美容師になれたら、先輩の髪を切れたりするかも」
そうだ。声優さんはイベントもたくさんあり、美容には気をつかうはずだ。
「うん、素敵だ。私は東京に行き、先輩の髪をカットする。私が綺麗にした先輩がイベントに出る。うん、最高だ!」
遠い。でも、私の新しい夢が出来上がった。
声優の奏絵先輩の髪を切ってあげたい。先輩の綺麗さを皆に伝えたい。
すごい先輩に追いつきたかった。
私だって同じだと思いたかった。
「待っていってください、奏絵先輩……!」
でも、そんな私の夢はすぐに破れた。
別に髪を切りたかったわけではなく、カリスマ美容師になりたかったわけではない。
美容の才能があったわけもなく、美容への気持ちもそれほどなかった。
怒られ、我慢してもただただ虚しいだけだった。
私は、奏絵先輩といたかった。もっと話したかった。
ただ私は奏絵先輩に恋していただけだった。
気づいたときには、遅すぎて、遠すぎた。
仕事を辞めた帰り、悲しすぎて泣いてしまった。
「遠いな……」
声優。一種の芸能人だ。生きているかぎり一生まじわることない種類の人間だ。
私だってまだ若い。まだまだやり直しがきく年齢だ。
それでも、先輩には一生届かない。
やりたいことを持っている人と、持っていない人。
その差は大きくて、埋まることはない。
「本当、遠い……」
誇りにできる先輩。
そんな先輩を好きになれた。それだけが私のちょっとした誇りだった。
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