私の好きだった先輩。①

※このお話は同人誌『ふつおたはいりません!』③で書き下ろした短編+αです。


登場人物:

 □松野 聡美(まつの さとみ)

   奏絵の高校時代の後輩


 ■吉岡 奏絵(よしおか かなえ)

   27歳の崖っぷち声優。21歳で大ヒットアニメの主役を演じたが、

   それ以降は鳴かず飛ばず。4月から稀莉ちゃんとラジオ番組を始め、

   声優界に生き残るため奮闘中。青森県出身。


 ■佐久間 稀莉(さくま きり)

   17歳の、人気急上昇中の女子高生声優。

   可愛い容姿だけでなく、声優としての実力は抜群。東京生まれ。

   奏絵に憧れて、声優になった。奏絵ラブ。

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 背中がどんどん遠くなっていく。


「奏絵先輩、早い、早いですよ! もう少しゆっくり走ってくださいよ」


 揺れるポニーテールを必死に追いかけるも、足の速さが違う。


「ごめん、私は止まれないから」

「何ですか、その台詞!」

「ははは、追いついてみろー」


 そういってさらに加速する。化け物か。校舎外を走る先輩は見えなくなってしまった。私は先輩に追いつくことができない。

 17歳の初夏、私、松野聡美は青森の地を走っていた。


 走り終え、水飲み場に行くと、タオルで汗を拭く奏絵先輩がいた。水でも浴びたのか、髪は潤いを帯び、垂れた水でTシャツは少し透けていて、少しドキッとしてしまう。


「おつかれさまです」


 そう声をかけると、ペットボトルのスポーツドリンクを私に投げてきた。


「おっと、と。急に投げないでください」

「完走おめでとう記念」

「練習ですよ? 完走するのは当たり前です。あ、ありがとうございます」


 私の言葉に、先輩は微笑みで返す。

 綺麗。奏絵先輩は綺麗だ。真っ黒なロングの髪は見とれてしまうほどに美しい。でも走ったり、部活で演奏したりする時に結ぶのもまた良い。つまり何でもよい。素材が良い。


「相変わらず足早いですね。何で吹奏楽部にいるんですか? 陸上部の方が活躍できましたよ、きっと」

「そこまで早くないよ。優勝なんて狙えっこない。吹奏楽部だって楽しいよ」


 それに声も抜群に良い。

 ハキハキとした喋り、声はよく通り、そして声の変化が多様だ。本人は自身の声が特徴的で、「全然良い声じゃないよ~」と謙遜するが、私は先輩の声を聞くだけで気持ちが高ぶってしまう。

 そんな美貌と声を持っているのに、普通~な吹奏楽部に先輩は所属している。

 うちの吹奏楽部は弱小校で、過去に全国に行ったことなどない。吹奏楽に人生を懸けている人はここにいないし、わざわざ選ぶ理由はないのだ。

 それに奏絵先輩一人が抜群に上手い、というとそういうわけでもない。大会のメンバーではあるが、聞き惚れるほどうまくはない。高校から始めたにしては十分な上手さだが、別に練習も好きではなさそうだ。

 楽器を吹くより、陸上部だった血が騒ぐのか、体力づくりのランニングの方が張り切っている。さらに部に所属する理由がわからなくなる。

 なので、素直に聞く。


「なんで、吹奏楽部に入ったんですか」


 私の質問に曖昧な言葉を返す。


「うーん、何となくだよ。何となく」

「何となくですか」

「そう、何となく」


 奏絵先輩は、いつも「何となく」で誤魔化す。その緩さが私には居心地が良かったわけだが、でも本音を言ってくれない寂しさもあった。


「……」


 そして先輩は時々、急に無言になる。

 どこか遠くを見ている。ここではない、どこかを。遠くの、ずっと遠くを。


「先輩が楽しいってことって何ですか」

「え、何、急に?」

「奏絵先輩ってけっこうミステリアスじゃないですか」


 「そうかな?」と首を傾げる。


「自分ではそんなつもりはないけど。フレンドリーだよ、フレンドリー。ほらさっきもドリンクあげたよね」

「そうやって買収ですか?」

「お気持ちだよ。で、楽しいことかー、話すのは好きだよ。聡美ちゃんとこうやって話すのは特に楽しいよ」

「はい!?」


 私と話すのが楽しい!?


「急に大声出さないでよ」

「だって、先輩が、先輩が」


 急にそんなこと言われると挙動不審になる。

 嬉しくて焦ってしまう。口がまわらない。


「先輩っていっても、1歳しか違わない。社会に出たら誤差の範囲だよ」


 先輩はそう言うが18歳と17歳は違う。全然違う。高校3年生と2年生、1歳違うだけで同じ時を生きられない。


「……先輩って大人ですね」

「ありがとう。大人な綺麗な女性だよね」

「綺麗とは言っていません」

「綺麗じゃない?」


 本気で受け取らないで欲しい。


「き、綺麗ですよ。それこそアイドルや役者さんでも可笑しくないくらいに」

「……買い被りすぎじゃない? でもありがとう。そう言われると自信になるな」

「興味あるんですか? もしかしてスカウトされたことがあるとか!」

「青森じゃそんな機会ないよ」

「それもそうですね!」


 先輩と話すのは楽しかった。それは1番私が知っている。




 別パートの練習で別々の教室の練習の時も、帰りが一緒になるように調整していた。


「あ、奏絵先輩お疲れ様です!」

「おつかれさま、聡美ちゃんも今帰り?」

「そうです! 偶然ですね」

「よく偶然が起こるね~」


 先輩にはバレているかもしれないが、それでもよかった。

 奏絵先輩と過ごす時間はもうあまり残されていなかった。


「大会ももうすぐですね」


 大会が終われば、3年生の先輩たちは引退で受験シーズンに突入だ。


「もう引退か……」

「諦め早い! 県予選勝ち抜けば、まだまだできますよ」

「勝ち抜けないよ。そこまで凄くない」

「……残念ながらそうですね」


 自分らの実力は自分たちが一番知っている。結果を出せるほど、青春をかけてこなかった。


「あー嫌だー受験、受験が待っているー」

「先輩はもうどこに行くか決まっているんですか?」

「う~ん、うん、何となく決まっている」


 何処とは言わない。高望みしない先輩のことだから東北の大学に行くと思っていた。


「進学ですよね?」

「とりあえず進学」


 何となく進学し、何となく大人になる。

 いつも通りだった。奏絵先輩は、そういう人なんだと思っていた。

 カッコいいけど、綺麗だけど、

 それは私も同じだった。やりたいことがなく、今が何となく楽しければいい。先輩とただ話しているだけで満足。

 先輩と私は似た者同士。


 無邪気にも、そう思っていたんだ。

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