第42章 私の周波数④
演技も、ラジオも問題なかった。
歌うことだってきっと問題ない。
そう思っていても心のどこかで不安はあって、その暗闇に心が支配されることはないけど、ささった棘のようにチクチクとして気になった。
「いよいよ、来週ね」
次のアフレコのために休憩所で待っていると、隣の女の子が告げた。
稀莉ちゃんがいうのは、『空飛び音楽祭』のことだ。
そのイベントに私と稀莉ちゃんは歌手として出演する。喉を壊してから初めての有観客のライブだ。コロナ禍があったこともあり、なかなか人前で歌うことはできなかった。ただその間に練習を再開し、歌える準備をしてきた。今回のイベントにだって万全の調子で臨める。
それに歌う舞台は新調された武道館なのだ。歌う人間にとって夢の場所。あの日約束して、立てなかった場所に立てる。これほど嬉しいことはない。
心配はない。けど全く……、とは言い切れないのが少し困ったところ。
「そうだね、楽しみすぎて寝れないよ」
「睡眠はばっちりとりなさいよ。私が隣で寝て安心させてあげようか?」
「それは逆に寝れないね……」
「慣れたでしょ?」
「慣れると思う?」
しかし、それ以上に言葉に出したように楽しみな気持ちの方が大きい。あの日沖縄まで単身迎えにきた稀莉ちゃんの気持ちに応えたい。返しても返しきることはできないけど、少しでも恩返しできたら嬉しい。
久しぶりのお客さんの前で歌えるのだ。皆の笑顔を見るのが待ち遠しい。
それに稀莉ちゃんだけじゃない。
もう一人の女の子のライブにも後押しされた。
そう考えていたら、休憩スペースにその女の子がやってきた。
「稀莉に、よ、よ、よ、吉岡奏絵じゃん」
金色の髪が風が吹いたかのようになびく。
その煌びやかな姿とは裏腹に、表情は慌ただしい。
あれからだいぶ経った気はするけど、唯奈ちゃんはまだ慣れないみたいだ。そう簡単に気持ちは切り替わらないか。
私はこの目の前の女の子に告白されたのだ。
……今でも信じられないけど、唯奈ちゃんの私への熱い気持ちは確かにあって、彼女は私に恋をしていた。そして、私は振ったのだ。
それに慣れないのは私もで、
「唯奈、おはよう」
「唯奈ちゃん、おはよう!」
気まずさを隠すかのように大きな声で返す。
「今日、二人と収録同じだったのね……」
「砂羽ちゃん的にいえばアフレコガチャ大当たりだね」
「大当たり……なのかな」
「唯奈、そのキーホルダー」
「あっ」
バッグのファスナーについたキーホルダーが揺れる。
それは私が前クールのアニメで演じた少年キャラだった。
設定は暗く、悲惨なことばかり起きる世界観だったけど、持ち前の明るさで周りを引っ張る面白いキャラクターだった。今までメインで少年役を演じたことはなかったけど、アフレコでは音響監督に「イメージ以上!」と褒められ、原作者さんにも感激されて光栄だった。演技の幅が広がることは嬉しいことだ。
そんなキャラクターの2ヶ月前ぐらいに発売されたキーホルダーを唯奈ちゃんがつけていた。
「こ、これは違うのよ」
ブルーレイが大ヒット! という作品ではなかったけど、一部で人気の高い作品となった。慌てる唯奈ちゃんもハマってくれたのかな?
「何が違うのかな、唯奈さん?」
「……ともかく違う!」
私が演じたから、と思ってはいけないよね? うん、唯奈ちゃんはショタキャラ好きという話も以前聞いたし、何も不思議はない。……本当?
「唯奈ちゃん、アニメ見てくれたの?」
「当然よ! 元々、原作ファンだったの。アニメ化最高だったわ。あんたの演じた役もよかったわ。褒めてあげる、ありがとう。演じてくれて」
「そこまで褒められると嬉しいな~」
だらしない表情になってしまう。何歳になったって褒められることは嬉しい。そんな私とは違い、稀莉ちゃんは腕組みして悪そうに笑っている。
「ふーん」
「稀莉さん?」
恐れをなしたのか、唯奈ちゃんが「さん」付けで答える。
「私のですから」
そして急に腕に抱き着かれた私。
「えっ?」
……な、何事!?
稀莉ちゃんが腕にしがみつき、べったりと体をくっつける。あの、ここ収録スタジオなんだけど! 扉がいくら分厚くて音が入らないからといって、これはけしからんですよ?
「ぐぬうううう」
所有権を主張する稀莉ちゃんに、悔しがる唯奈ちゃん。「羨ましい……」って言っているんじゃない、聞こえているよ、唯奈ちゃん。
「唯奈の居場所はありません!」
「そうだけど、そうだけど!」
バチバチと火花とスパークする音が聞こえる。見えないけど、みえるんだ。
「こ、こっちの腕が空いているわね」
「えっ?」
そして空いている左腕の方にそそくさと移動してきて、抱き着いてきた。
「あー! どきなさいよ、唯奈!」
「稀莉こそ離れればいいじゃない!」
「嫌だー」
「……なにこれ!」
両腕の感触が良くない。嬉しいとか思っちゃ駄目だ。ここ職場。けしからん。もう5分ぐらい……とか思うんじゃない私! 誰かに見られたら……
そう思っていたら扉が開き、音響監督に見られた。
「ハーレム?」
「ち、違います! 事故です、事故!」
必死に弁解するも、言葉は届かない。そりゃこの状況だ。説得力皆無。
「事故でそうはならんよ。主役の男の子が入りづらそうに自販機前で佇んでいるからその辺にしてあげて」
曲がり角からひょこっと顔が出てくる。このアニメの主人公の男性声優さんだ。……いたの? 一部始終を目撃されていた?
「ごめんなさい!」
「あっ、いいんです。どうせ僕は収録に女性ばかりでハーレム王と揶揄われながら、彼女無し=年齢の、アニメの中でしか実現できない人生モブキャラの……」
「そこまでいってないぞ。はい、テストから始めるから、入って入って」
音響監督の一声でブースの中に入っていく。その際、目撃された男性声優さんから尋ねられた。
「吉岡さん、どうしたらモテるんですか」
「モ、モテないですよ?」
「その絵面でいいますか?」
「アハハ……そろそろ離れてね、二人とも」
いまだひっついたままで重かった。
「そっちが離れるまで離れないから」
「私もよ」
「もう仕方ないから、せーので離れてよ、二人とも」
「わかった」
「仕方ないわね」
「せーの」
「……」
「……」
「……なんで二人とも離れないの!?」
「稀莉は裏切ると思って」
「唯奈ならそう言われても動かないから」
「二人の互いへの信頼感は別のところで発揮してほしかったよ!」
ブース内で私の両隣の席を座ることで、彼女達はしぶしぶ納得してくれた。
なお、男性声優さんは隅っこの席に座っていた。彼、このアニメ作品の主人公なんだけど! 台詞の多い主人公は中央に座るべきで、本当にごめんなさい!
「じゃあテストから」
カウントダウンが始まり、画面が動き出す。
よし収録はちゃんとするぞ! と思ったが、テストの1回目は主人公にハートマークであるはずの稀莉ちゃんと唯奈ちゃん演じるヒロインが、主人公にやたら冷たく、もう一人のヒロインの私に甘ったるい声で話しかけていた。音響監督に怒られろ! と思ったが、腹をかかえて大爆笑していた。ひどい。
さすがに本番はしっかりと仕上げてきた二人だったが、以降この二人と一緒のアニメに出るときは私だけ別録りにしてもらおうと、固く決心したのであった。
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