第42章 私の周波数③

 事務所に行くと、入口で後輩に遭遇した。


「あっ、砂羽ちゃんだー。おはよう」

「おはようございますー、吉岡先輩ー!」


 振り返った姿は元気いっぱいだ。


「なんだか嬉しそうだね」

「先輩に会ったからですよー」

「お世辞言っても何もあげないよ?」

「お世辞じゃないです!」


 嬉しいことを言ってくれるのは同じ事務所の後輩、新人声優の広中砂羽ちゃんだ。新人といっても会ってからは数年経っており、これから呼び名は若手へと変わっていくだろう。そもそも声優界において新人の定義が曖昧過ぎる。5年経っても「フレッシュな新人です!」と名乗る人が多く、個人の気持ち次第だ。さすがにもう私は新人声優とは名乗れないけど。


「これから入るところ?」

「そうです。役受かって台本を取りに来たんです」

「だから嬉しそうだったんだね」

「ちょい役なんですけど、出たかった作品なんで、はい」


 いくつになっても役が受かることは嬉しく、落ちることは悲しい。慣れてきて、大きなダメージは受けなくなってくるが、それでも毎回一喜一憂する不安定な職業だ。だからこそ、受かった役はどんな役だとしても大切にしたい。


 扉を開け、「おはようございます」と二人で順に挨拶する。


「おつかれさまでーす」


 きちっとしたシャツを着た、黒髪の青年? が声を返してくる。はて、こんな人いたっけ? 新人さん? それにしては軽々しい感じがする。


「おはようございます。新しいマネージャーさんですか?」

「何言っているんすかー、俺っすよ、俺」

 

 軽い口調も二度目となると思い出す。


「か、片山君!?」

「なんで、そんな驚くんですか? 5年以上も吉岡さんのマネージャーじゃないっすかー」

「いや、だって格好がチャラくないし」


 髪が黒く、短めに切られていて爽やかな感じがする。それにいつもボタンをほとんど止めず、シャツがやたら開いていたが、今日はきちんと上まで閉じられている。


「本当に片山君? お兄さんとかじゃない?」

「違うっすよ。ひどいなー。黒髪も良くないっすか?」

「どう思う、砂羽ちゃん」

「えっ、あ、いいとは思います」

「は、って何? は、って」


 中身までは変わってない。いつものお調子者のうちのマネージャーだ。


「で、どうしたんですか? 心境の変化ですか」

「役職あがったんっすよ。チーフマネージャーになったんでちゃんとしようとした感じっす」

「チーフマネージャー?」


 マネージャーの中でどれぐらい偉いのか、私にはわからないが、それでも管理する側に近づいたのだ。

 あの片山君が、か。

 この事務所、大丈夫かな……。


「この事務所、大丈夫かな……」

「声に出てますよ、吉岡さん!?」


 なんだかんだでいい人なので、大丈夫だろう。うん、きっと大丈夫。


「来年はフリーも考えなくちゃな……」

「吉岡さん、そりゃないっすよー」

「冗談です、冗談。半分冗談」


 「半分本気じゃないっすか!」とツッコミが入る。


「そうそう、さっきまで新人に講座を開いてたんすよ。せっかくなんで新人に挨拶してってください」


 そう言われ、私と砂羽ちゃんが見慣れない黒髪の青年についていく。部屋に入ると初々しい女性二人、男性一人が目に入った。この子たちが新人か。私と砂羽ちゃんのことを知っているのか、見た瞬間に椅子から立ち上がった。


「「「おはようございます」」」


 そこまでかしこまらなくてもと思うが、新人なら仕方がない。


「ちょっと挨拶しにきただけなんで、リラックスしていいよー」

「生よしおかんだ」

「すごい……」

「アニメの声が聞こえる……」


 こそこそと喋っても耳がいいので、しっかりと聞こえる。


「人を天然記念物みたいな言い方しないで~」

「も、申し訳ございません!」

「あ、ごめん。ついツッコミを入れただけで、怒ったわけでなく」


 や、やりづらい。軽さはこのチーフマネージャーを見習ってほしい、と思うも、私もこういう頃があったなーと懐かしく思う。


「今年の新人です。えーっと」


 片山君が紹介する前に、女の子が話し出し、一人一人自己紹介が始まる。自己アピールだ!と言わんばかりに、出身から趣味、好きなアニメ、やりたいキャラなど紹介してくれる。嬉しいけど、面接でもなく、そんなに話されても絶対に覚えられないな……。隣の砂羽ちゃんを見ると、同じように苦笑いしていた。


「私、吉岡さんの活躍を見て、この事務所に決めました。吉岡さんのラジオが好きで好きでずっと聞いています」

「ありがとう、嬉しいな」

「吉岡さん、待ってください。ボクの方がこれっきりラジオリスナーです。そこの新人ちゃん、君は何回おたより読まれたかい? ボクは30回を超えているよ!」


 ガチリスナーの砂羽ちゃんが新人にマウントを取り出す。って、30回も超えているっての? けっこうな常連さんだ。え、あの変態ネタばかりのラジオネームじゃないよね?


「落ち着こう、砂羽ちゃん」

「すみません、取り乱しました。君、今度これっきりラジオについて飲みながら語ろう」

「はい!」

「……私のいないところでやってね」

「わかりました、報告はします」

「せんでいい!」


 謎のコントを繰り広げたおかげで、部屋の空気が和む。どこでもラジオパーソナリティーだなと少し反省してしまう。


「じゃあ吉岡さんから、新人にありがたい言葉を!」

「え、片山君無茶ぶりな!?」


 私の答えを待つ新人たちの輝く目が眩しい。答えないわけにはいかない。


「えーっと、イベント用の服を毎回新調するのは大変だから、最初の方は先輩からおさがりもらうといいよ。役受からなかった時はひきずらないこと。まず受からないから。それと先輩や先生からのアドバイスは全部鵜呑みにしない方がいいよ。受かるか受からないかなんて、運と好みだから。話半分ぐらいに聞いとくぐらいがいいと思う」

「現実的すぎるアドバイス! 新人たちも真面目にメモらないでいいっすよ」


 片山君が嘆く一方で、隣の声優さんは元気な声を返してきた。


「ためになります、吉岡さん!」

「いやいや。砂羽ちゃんも何か後輩に言ってあげて!」

「そうそう、現実を見すぎた吉岡さんとは違う、夢のあることを言ってくださいっす」


 チーフマネージャー、一言多いよ。


「夢は必ず叶う! ……というわけじゃないので、貯金はしっかりして、節約をきちんとしましょう。でも体壊すほどバイトしてもいけないので、ほどほどに」

「こっちも現実的すぎるっ!」

「事務所の言うことを信じず、自分でできることは自分でした方がいいよ。所属しているけど、個人事業主なんだ。信じられるのは自分!」

「吉岡さん、営業妨害しないでくださいっす!」


 新人たちも苦笑いだった。

 

「こんな風に軽口叩いても干されない、いい事務所なんで、皆遠慮しないで頑張ろう」

「「「はい!」」」

「今日一の良い返事だよっ!」


 先輩ぶれるのも嬉しいことで、謎の満足感を得てしまった。

 そのせいかアフレコ用の資料を取りに来たのに何も受け取らず、駅について思い出し、事務所へ引き返した私がいるのだった。


「おはようございます!」

「もう来ないで吉岡さん!」


 今日も私の事務所は愉快です。

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