橘唯奈の出番はない⑦

 ライブ会場の外で、彼女に話しかける。

 私のライブ中、吉岡奏絵は同じ敷地内にはいた。ただ会場にいながら、席には座らず、控室でノートPCとヘッドフォンで見てくれていたのだ。一人ぐらいなら座ってもいいんじゃない?とも思ったが、「特別扱いは駄目だよ、ファンと同じ目線で!」と彼女は言い、断った。律儀というか、生真面目というか。

 ライブを終えた私よりも興奮気味に彼女が話す。


「最前列で堪能したよ。唯奈ちゃんの顔がバッチリ見えた! めっちゃ目があった」

「目が合ったのは錯覚よ。何万人いると思っているの?」

「4万人も見てたよ。武道館も、SSAも満員の人数だよ!」

「それに皆、最前列」

「そうだね、そういう点ではオンラインライブは全員最前列ど真ん中でいられて平等だね!」


 確かにそれもそうだ。参加者は一人残らず最前列。私の顔がバッチリと見える。カメラも複数台あったので、一番良い私を撮ってくれたはずだ。

 2階席から全体を把握したい勢、ファンの盛り上がっている姿を後ろから腕組みして眺めたい勢からしたら微妙かもしれないが、基本前の席の方が嬉しいだろう。


「もう顔がいいよね~。カメラの場所を把握しているの?ってぐらい、瞬間瞬間顔を決めてくるし、天才だよ」

「ええ、私は天才の歌姫よ」

「歌もさ、前のライブで聞いた時よりもパワーアップしていた。お客さんの声が無いのは寂しいけど、その寂しさを感じないぐらいに力強い歌声で熱い時は熱いし、聞かせる時は綺麗な声を響かせるしでかっこよかった、オーラをまとっていたよ。音域も広いよね、羨ましいぐらいに! それに唯奈ちゃんは、ラスサビが特に上手い。声量が周りの音に負けないぐらいに出て、ロングトーンの迫力が凄い。ぐっと惹き込まれるよ」

「……うん」


 褒めすぎだ。否定もせず、どんどん褒めてくれる。誰より最初に感想を聞きたかったが、絶賛の言葉が降り注ぎ、赤面してしまう。


「アーカイブ視聴で家帰ってからも見れちゃうから贅沢だよね! 振り返りができるのすごい。何回も聞くよ、ありがとう!」

「ね、私は凄いでしょ」

「うん、凄い」


 私は凄い。私が凄いと思った彼女がこんなに褒めてくれるのだ。「頑張ったね」と自分を褒めてもいいだろう。

 少しぐらい躊躇ってくれてもいいが、互いにテンションが可笑しい。その勢いを借りている節もあるので、止まろうとはしない。


「褒めてくれるとは思ったけど、ここまで褒めてくれるとは思わなかったわ」

「褒めるよ、いくらでも褒める! 本当に凄かったんだって! ありがとう、勇気をもらったよ。有観客のライブができなくて、お客さんがいないって歌う意味あるの?と思っていたけど、違った。配信でも凄さは伝わる。感動も、勇気も、元気も、笑顔も何でも伝わるんだ」


 届いた。

 それだけで今日は満足してしまいそうなほどに、嬉しかった。


「それを今日は知ることができた。本当にありがとう」


 歌の練習を再開するといったものの、何のために歌うのか、わからない、と私に心情を告げてくれた彼女。

 そんな目の前の彼女に、私は歌う意味が今だってあることを伝えてあげた。

 歌って、私が示したのだ。

 画面越しだって、届く。歌う意味は失っていない。この状況が歌わない理由にはならない。

 ……また、歌ってくれるだろうか。

 「どう、これでまた歌えそう?」とは問わない。

 私ができるのはここまでだ。私の後押しは終わり。もう歌姫の出番はいらない。

 橘唯奈の出番はない。

 あとは、吉岡奏絵の頑張り次第だ。


「ねえ、吉岡奏絵」


 そして、ここからは私の物語の終曲。

 あんなに堂々と歌ってライブをやり切った歌姫はいなく、一人の女の子がいるだけだ。


「聞いてほしいことがある」

「うん」


 すでに放った言葉をもう一度口にするだけだ。

 なのに、彼女の目をまっすぐに見ると唇が震えてしまう。

 でも歌い切った私が後押ししてくれる。「唯奈」なら言えるよ、と。


「私は、あなたが好き」

「……ありがとう」


 何度も演技で口にした台詞が、私の生で初めて意味を持つ。

 彼女は微笑みながら、でもちょっと困ったような感じで答えた。


「うん、今でも信じられない。友達としてでもなく、歌手としてでもなく、恋愛的な意味、なんだよね」

「ええ、ここがドキドキする好き。吉岡奏絵、あなたそのものが好きです」


 手で押さえた心臓はバクバクしていて、逃げ出したがっていた。でも、あと少し。もう少しだけ頑張って、私。


「……そう、なんだね」


 彼女がどう答えようか迷っている時間が、やたら長く感じられた。

 風が吹き、衣装のスカートが揺れると同時に彼女がやっと口を開いた。


「唯奈ちゃんのことはもちろん嫌いじゃなくて、好意を持っている。あの子より先に会っていたらとか、一緒にラジオをやっていたのが唯奈ちゃんだったらとか考えた。ごめん、そういうのも失礼だよね、ちゃんと言う。こうやってきちんと言ってくれた唯奈ちゃんに、しっかりと答えを言う。返事をする」


 彼女が私をまっすぐに見る。

 見られた私は目を大きくし、言葉を待つ。


「ごめんなさい、私は稀莉ちゃんしか見ていない。それ以外考えられないんだ」


 答えを聞いて、思わずフフッと口元が緩んだ。そんな私を気にせず、彼女が言葉を続ける。


「彼女はもう私で、私は彼女で、切っても切り離せないんだ」

「……なによそれ、呪いね」

「あそこまで呪われると……幸せだよ」

「そう」

「うん。私は稀莉ちゃんが好き。稀莉ちゃんを愛している。稀莉ちゃんと一生を共にする」


 すでにわかっていた答え。

 なのに、口に出された真実はナイフのように鋭くて、私の心にグサグサと刺さる。


「だからごめんなさい。唯奈ちゃんの気持ちには答えられない」


 予想していたのに、胸が痛い。

 そんな気持ちを見せないように、馬鹿みたいに元気に声を出す。


「うーん、スッキリした。やっと晴れ晴れとしたわ」


 でも、声とは違って身体は拒否反応を示す。目から涙が溢れ、頬をつたう。


 大好きだった。

 叶わないと知った。敵わないと知っていた。

 彼女は稀莉しか見ていない。私はそういう役ですらない。

 わかっていたさ、わかっていた。

 完膚なきまでに振られた。

 1ミリの期待もない。 

 私のためを思って、期待させるようなことも言わなかった。


 残酷で、優しい返事だった。

 

「私、ちょっとそこらへん歩いていくから」

「唯奈ちゃん……」


 私を心配する声。


「ついてこないで!」


 でも、こちらへ近づこうとする足音を拒む。

 もうこれ以上、優しくされたら……。


「今日はありがとう、吉岡奏絵。バイバイ」


 急いで涙を拭き、振り返り、彼女を見てそう告げた。

 ちゃんと笑えて、お別れを言えただろうか。

 

 早足にその場から去る。気づいたら走っていた。身体が悲鳴を上げるのも気にせず、走って、走って、ようやく噴水広場で足を緩めた。

 膝をつけて水面を眺める。噴水は動いていないのに、水の音がする。

 ああ、自分から流れる音かと気づき、笑ってしまう。

 噴水のぞき込む顔はみっともなくて、こんなに泣く私は初めて見た。


「スキ、スキだったの」


 私の恋の終了。

 たぶんそれは、初めての失恋だった。


 足音が近づき、慌てて振り返る。


「ついてくるなっていったじゃん……」

「ごめん。でも、ほっとけなくて」

「バカ」

「うん、ごめん」


 彼女がタオルを差し出す。それは私のライブのマフラータオルで少し笑ってしまって、受け取るとまた涙が溢れた。


「ごめんね」


 私が泣き止むまで、彼女は黙ってずっと側にいてくれた。どんなに私から流れても、感情は一緒に出ていかない。

 ……嫌いになれたらどんなにいいのに、と願う私の恋の終わり。





 でも、嫌いになってもきっとまた私は……好きを思い出す。好きになれてよかったと声を震わすんだ。

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