橘唯奈の出番はない⑥
6月に入ってすぐに、「8月にライブを開催しないか」と話があった。せっかく準備してきた春のライブツアーが中止になり、時間も努力もすべて無意味となった私にとって、リベンジの機会がすぐに訪れたことは嬉しかった。
でも、いつも通りのライブじゃない。
『無観客・オンラインライブ』。
お客さんを入れず、ライブ配信でお届けの形だ。当然だ、感染のリスクはおおいにある。まだまだ油断ならない。
「お客さん無しのライブ……」
けれどもファンあってこそのライブだ。歓声があって、光があって、皆の笑顔や喜び、感動があって私は舞台の上で輝ける。何もない空っぽの中で私が歌って何になるというのか。
それでも気持ちはすぐに決まった。
「ぜひやらせてください」
8月に向けての特訓が始まった。
× × ×
「オンラインライブを開催します」と唯奈独尊ラジオで発表すると、すぐにたくさんのおたよりが届いた。
『待ってました、嬉しいです!!』、『辛い毎日に、生きる希望が出来ました』、『春のツアーが中止になり泣いていましたが、今はうれし泣きです。ありがとう、唯奈様』、『楽しみにしてます、でも唯奈様も無理しないで! 体調第一!』、『今年は唯奈様の歌声を聞けず、終わると思っていました、こんなに嬉しいことはありません』、『唯奈ちゃんの声で日本、いや世界を明るく!』、『天使との邂逅が待ち遠しいです』などなど、目を通すだけでも一苦労なほどにおたよりは殺到した。
けど全部読まないわけにはいかなかった。ライブ、ツアーが初めて中止になったからこそ実感した。当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃないと知った。皆の声があって、私はさらに頑張れる。会場にお客さんはいない。でも皆、見てくれるんだ。私を待ってくれる。皆がいてくれるなら、私は照らされなくても輝ける。
それにオンラインライブだからこそのおたよりもあった。
『いつも遠方で行けなかったのですが、配信なら行けます! 唯奈様の初めてのライブ楽しみです』
現場に来てくれることがやっぱり1番嬉しいけど、それが叶わない人も多く存在する。距離、時間、お金、キャパ。学生だとチケット代も高額だし、会場が近くないと移動にもお金がかかり、参加がなかなか難しい。宿泊なんてなったら親の許しがほとんど出ないだろう。他にも色々な理由がある。ライブ会場で出会えることは一期一会で、その時間はもう訪れない。
けれども配信になることで様々な制約がなくなる。初めて私のライブを見てくれる人も多くいるだろう。お客さんが目の前にいないからって、手を抜けない。手を抜くつもりなんて毛頭ないけど!
練習は今まで以上に熱が入った。
× × ×
ゆっくりと歩き、真ん中へ向かう。
コツコツと歩く音がやたら響く。
暗闇の中に、一人。私しかいない。
ここが舞台、私が立つステージ。
歓声は聞こえないし、ペンライトの光も、拍手の音さえ聞こえない。
何度も立ったのに、こんな寂しい気持ちは初めてだ
「ふー……」
ぼんやりと光るフットライトの明かりをたよりに立ち止まる。少し見渡すとスタッフが少しだけ見えるが、関係者以外はいない。座席は空席だ。前を見ると表情のないカメラが私を捕える。
けど、その先にいる。私の出番を待つ人たちがいるんだ。
どれぐらい集まっているのか知らない。配信が問題なく、きちんとされるのかもわからない。
でも私は歌う。届け、届けと願いを込めてここで叫ぶ。
「今日も頑張ろうか、唯奈」
“私”に向かって小さく声に出す。
ここからは自分との勝負だ。
いつも頑張ってきた。才能はあったと思うが、常に努力してきた。この仕事に全力を注いできた。今日は私が報われる日だ。見えない後押しが私を支えてくれる。
「さぁ私をみなさい!」
同じ場所にいなくても、同じ時間にいなくても、世界は繋がっている。
「今日も世界で1番私が可愛い!」
私の声はどこまでも届く。
そう、私が証明するんだ。
スタッフの合図とともに、音楽が流れ出し、私にスポットライトが当たる。
「……ハハ」
思わず笑ってしまった。
……歓声が聞こえた気がした。そんなの幻聴だ。でも何度も聞いた。遠くからだって届く。息を呑む音が聞こえなくても聞こえる。光の励ましを何度も見た。辛い時はその光景を思い出して、自分を奮い立たせた。拍手の音が私の余計な気持ちを吹き飛ばしてくれた。
画面の向こうで、私を見てくれているだろうか。
私はここにいるよ。
「君へのステップが、ダイスキを加速するの♪」
最初から全力だ。
中止になった無念さを晴らす。
それだけじゃない。
色々な想いがある。
彼女のへ想い。彼女への告白。布越しのキスの感触。
……だいたい一人のことじゃない!
まぁ、いいや。
それが今の私だ。
彼女が私のほとんどを占めている。
そんな自分を全力でぶつける。
「気づいてよね、アイコトバ♪ 見つけてよね、コイゴコロ♪」
奏絵も画面の向こうで見ている。
そう思うと、声がいつもより良く出た気がした。
× × ×
「ここまで11曲をお届けしました、次で最後の曲です」
トークはほとんど挟まず、合間合間は事前に撮った映像を流し、繋いだ。歌うことに専念させたいというスタッフからの気づかいだ。反応がない中でのトークはなかなかに辛い。でも最後だけはきちんと言葉で伝える。
「気持ちを込めてきました。ちゃんと伝わったかな? 伝わったよね。皆の笑顔見えるよ。私には見える。覚えているよ、皆の笑顔。……初めての人はわからないけど、今回で私に魅了されて次も見て欲しいな。ちゃんと覚えるから」
限られた時間で想いは伝わっただろうか。
「春に中止になったので、久しぶりのライブでした、今年初めて! それに初めてのオンラインライブでした。うん、やっぱり皆の前で歌いたい! 寂しい! 物足りない! でも仕方ないよね、今はこれしかできない。でもそれでも届くものがあると私は信じている」
ううん、伝える必要なんてない。きっとわかっている。私の歌を聞いてくれた皆ならわかってくれる。何かを感じてくれるはずだ。
それでも言葉にするんだ。
「私はすっごく今日楽しかった! 少しでも皆にそんな楽しさが伝わってくれると嬉しいな。大変なことばかりだし、辛いこともたくさんあるよね。でもまた皆に会えることを信じている。その日まで私は歌っていくよ、待っていてね。笑顔で再会しよう」
形づける。ぼんやりとした気持ちに色をつけて、記憶に残るために届ける。
たくさんの中から見つけた。私が見つけたものだ。私だけの感情だ。
まっすぐに響かせる。心のままに、音を歌にする。
「では、最後の曲です。皆に幸せが訪れるように、唯奈が引金をひくよ。じゃあ、画面前の皆も曲名を一緒に!」
今までの思い出は色あせない。
これからの私だって、きっと笑顔だ。
「Lucky Trigger!」
精一杯の気持ちを込めた熱唱に、今日一番の盛り上がりを見せて、たくさんの拍手をもらった。そんな気がした。ううん、私には届いたんだ。
× × ×
スポットライトが消える、ライブが終わる、カメラが切れる。
拍手の音がまばらに聞こえてきた。スタッフの拍手だ。
深く頭を下げ、感謝を伝える。私、一人じゃ歌えなかった。普段とは違うライブ方式に、新しい挑戦にスタッフは尽力してくれた。感謝してもしきれない。
「ありがとうございました!」
そのままステージから降り、駆け出す。
「どこいくの唯奈様!?」
「お外走ってくる!」
スタッフからタオルが投げられ、ありがたく受け取る。汗がおさまるのを待たずに、足を前に進める。
「ほどほどにね」
「ええ!」
階段を駆け下りる。
扉を開く。
ライブの余韻は消えない。
会場から外に飛び出す。
人がいない、静寂に包まれた街。
ライブがあったなんて思えない、外の様子だ。
私の走ったせいによる荒い息遣いだけが、あたりに響く。
「はぁはぁ……」
ちかちかと点滅する灯りの下で“彼女”をみつける。
彼女も私に気づいたのか、「やぁ」という感じに手を上げる。
息はまだ落ち着かないけど、声に出す。
「どうだった、私のライブ?」
「最高だった!!」
吉岡奏絵が笑い、私の声に負けず、大きな声でそう答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます