橘唯奈の出番はない⑤
稀莉の目の前で泣いたのはもちろん初めてだった。あんな醜態をさらして、本心も話してしまったので心の重りは何処かに消えてしまった。
「唯奈は、奏絵の何処に惚れたの?」
稀莉の直球の質問にも臆することなく答えられる。
「やっぱり声かな。ラジオの時も声優の時もそこまでほれ込むほどではなかったけど、歌声を聞いたらびびった。何気なく聞いていたラジオで曲が流れてきたのだけど、この曲すごい!ってすぐに調べたもん」
「わかる~。歌声わかる~」
「1stシングルの『リスタート』から良すぎるのよ。凄く聞いた、めっちゃ聞いた」
「原点にして頂点。ううん、全部の曲が最高にいいのだけどね!」
「しかもライブだとさらに良いのよね。CDやデータだと吉岡奏絵の魅力が収録できていない。ハイレゾでも表現できない」
「そうなのよ! ライブが本当にいいの。さすが奏絵。意外と本番に強いのよね~」
「強いとかそういう次元じゃないと思う」
新時代の歌姫と称される私でもそう思ってしまう。緊張しないとか、練習以上のものが出るとかそういう類のレベルじゃない。
「一緒に歌って私はのまれたわ。声が出なかった。歌えなくなった」
「稀莉……」
彼女の化け物じみた歌唱力の前に、歌手活動も考えていた稀莉は残酷にも実力差をみせつけられ、挫折した。
「それでも好きなのよね、奏絵の歌。嫌いになれない。最初からずっと憧れだもの」
「稀莉が初めて聞いたのは空飛びだっけ?」
そうよ、と嬉しそうに頷く。こうやって同じ好きな人を話すのは不思議な感じだ。稀莉と吉岡奏絵について楽しく話せるなんて思っていなかったから。
「私が小学生の時に空飛びのイベントにいって、朗読劇の彼女に感心して、歌う姿に憧れて好きになったわ」
「筋金いりなのよね……。何年思っているのよ。その後鳴かず飛ばずで、売れなかった声優をずっと好きでい続けるなんてどうかしているわ」
「最古参ですから」
「面倒なオタクですこと」
せいぜい1,2年の私とじゃ想いの重さが違う。彼女は見つけて、ずっと待って、共に歩んできた。
「唯奈は奏絵と歌ってみたいと思う?」
ふと変な質問をしてくる。彼女と歌ってみたいか。歌を聞くのはいいが、隣に並んで歌うのは話が別だ。
「……歌ってみたいけど、持ってかれそうかも」
「大丈夫、あの人そういう所は器用だから、ちゃんと合わせてくれる」
「そういうスキルも癪ね」
「楽しいよ、奏絵と歌うのは楽しい。今はそう思える」
そう笑う彼女が眩しくて、あー敵わないなと思ってしまう。
「私は歌いたい。これからも奏絵と歌いたい」
……だって彼女はもう、ちゃんと歌えないかもしれないのに。歌の練習を再開するそうだが、どこまで戻るか不明だ。私自身、吉岡奏絵を焚きつけた。「そんな自分勝手なあなたを皆は待っているの」と励ました。私は吉岡奏絵の出番を待っている。けど、それは希望で、願いだ。願いなんて叶わないことがほとんどだ。だから輝けた人はひと際眩しい。
「で、唯奈はどうしたいの?」
そう聞かれ、ハッとする。「で、どうしたいの?」と10分ほど前に言われた時とは違った優しい口調。
「私は……」
私のしたいこと。
想いは伝えた。行動にした。事実は知られた。でもスッキリしないんだ。まだ空に雲がかかって、晴れない。
「……いいの?」
「止める権利はないわ」
「そっ、か」
「私は奏絵を信じているから」
「……結果はわかっている、答えは知っている。意味あるのかしら」
「でも聞かないと、わからない」
私たちは声にして"意味"を持たせる。
そういって仕事のせいにするのはどうかと思うが、そういうことなのだ。
「吉岡奏絵の気持ちを、聞く」
彼女の言葉を聞きたい。
彼女の私への気持ちを、私は知らない。
……そんなのわかっている。稀莉と同棲している結果も、付き合っている事実も変わらない。揺るぎないのだ。それでも私は知らない。勝手に告白して逃げて、その後も連絡をろくに返さずきたのだから、私のせいだけど、吉岡奏絵の気持ちはわからないままなのだ。
「うん、頑張れ唯奈」
「……余裕ね」
「正妻だから。あ、重婚は認めません」
「わかっているわよ、ちゃんと振られてくる……言葉にすると悲しいわね。何しにいくのかしら私」
馬鹿みたいと言う私に、「空の色を知るためだよ」と彼女が笑った。
「なにそれ? 空飛びの台詞?」
「ううん、私がつくった台詞」
「詩的ね」
「誰かさんに影響されて、ね」
「とことん関係をみせつけてくるわね……」
悪戯に笑う彼女もやっぱり可愛いなと思ってしまう。
「さて、フラれてきますか」
「頑張ってフラれてきなさい!」
「いや、待って、待ってください稀莉さん。その言葉はやっぱり違う!」
「もういいから、早くしなさいよ。呼ぶ? 今から奏絵呼ぶ?」
「ま、待って。私にも心と舞台の準備が……」
「いいわよ、そんなの。電話でさらっと言いなさい」
「急に投げやりね!?」
「美味しいパンケーキ屋があるの。振られて慰める用に予約しとくね?」
「そんな優しさはいらないから!?」
振られにいくというのに気持ちが軽い。変な気持ちだ。
「もうわかったわよ、空の色を知るために飛び出すわ」
腕組みして彼女が満足そうな顔をする。この台詞に著作権は発生しないわよ?
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