橘唯奈の出番はない④

「こんにちは、唯奈さん」


 いつもは呼び捨てなのに、さん付けしてきてその丁寧さが逆に怖い。


「ひ、久しぶりね稀莉」

「うん、久しぶり。元気してた?」

「まぁぼちぼち。ライブは中止になったけど、最近はアフレコの仕事もできる環境になってきたし……」

「元気そうでよかったわ」


 稀莉の笑顔が怖い。元気そうで、よかった。このタイミングだと嫌味にしか聞こえない。

 佐久間稀莉。私と1つ学年が違うが、声優界においてその年の差はほとんど意味がなく、同級生のようにくだけて仲良くしている。

 でも、今日はいつものようなフレンドリーさがない。

 

 今日は呼び出されたのだ。

 ラジオに送った30歳記念回のビデオレターで勘付かれて、おそらく吉岡奏絵が稀莉に問い詰めらてを話したのだろう。

 晴れたお昼のオープンテラス。けどそんな晴れ晴れとした開放感は私になく、戦々恐々として彼女が切り込むのを待つ。


「唯奈がそういう気持ちだなんて思っていなかったわ」

「そういう気持ちって……」

「言葉にしてほしいの?」

「い、いいわ」

「唯奈も奏絵のことが好きだなんてね」


 言葉にしなくていいと言ったのに、稀莉が明確な形にする。……今日の稀莉は意地悪だ。そうさせたのは私なのだが。稀莉の口撃は止まらない。


「いつから?」

「……よくわからない。気づいたら」

「どこが好きになったの?」

「う、ん、説明しづらい」

「説明しづらいか~」


 「ふーん」と平然としている姿に恐ろしさを感じてしまう。稀莉は私に何を望む? 今日呼んだ目的は? 罪悪感を責め立てる? 抗議? 裁判? 罰せられるのだろうか。彼女の笑顔とは裏腹に、ここが修羅場であることは確かだ。

 でも笑顔はここで終わりとばかりに、無表情になった彼女がまっすぐに私を見た。


「で、どうしたいの?」

「……」


 どうしたい。

 その問いに閉口してしまう。

 どうしたい、と言われても答えられない。

 知ってほしかった? 自分の気持ちを伝えて自己満足したかった? 付き合いたかった? 奪いたかった? そこまでの気持ちはなかったはずだ。……そうだろうか? 好きと伝えて、口づけして加速した鼓動は何を求めていた?


「それでスッキリした?」


 答えを出さないままにさらなる問いが積み重なる。


「奏絵にキスして、気持ち伝えてスッキリした?」

「……スッキリしてない」


 気持ちを告げて、行動してそれで終わりだと思っていた。区切りがつく、勝手な自己満足は終了すると思っていた。

 していない。スッキリしていない!

 ますます彼女のことを意識するようになった。気持ちが高まって、どうにかしてしまった。それが稀莉の前であっても、このように問い詰められても気持ちは変わらない。


「稀莉には悪いと思っている……。こんな気持ちになると思っていなかった。私の気持ちを伝えて、それで私は終わりでいいと思っていた」


 いたのに、違った。終わらない。好きは勝手に終わらない。

 

「好きなの。彼女が好き。吉岡奏絵が好き。彼女のことをもっと知りたい」


 もっと吉岡奏絵の笑顔を知りたい。彼女の声を聞きたい。彼女に想われたい。彼女に触れられたい。名前を呼んでほしい。彼女に好かれたい。彼女がもっと欲しい。


「でも、あげない」


 そんな溢れる気持ちを上から押さえつけるように、稀莉は冷たい口調で一刀両断した。淡々と彼女は続ける。


「唯奈これ見える?」 


 彼女が左手を突き出す。薬指の輪がきらりと光った。

 

「ペアリングなの」

「っ……」

「当然相手は奏絵よ」


 言わなくてもわかる。でも言うのだ。

 橘唯奈はいらない。


「イヤリングもみる?」

「……いい」

「そう」


 稀莉は彼女からたくさんのものを貰っている。分かち合っている。一緒に生きている。


「もちろん同棲していることも知っているわよね?」

「……ん」

「私たち付き合っているの。私と奏絵は恋人。ごめんね、唯奈が間に入る隙間はないの」


 ……知っている、知っているんだ。

 言わないでほしい。気づいている、わかっているんだ。それでもどうしようもないじゃない……! 好き、好きなんだ。キャスティングされていなくても、出番なんてなくても物語にしたかった。恋をした。しまったんだ。だから台詞を付け加えた。余計なト書きを入れ、演じた。

 なのに、なのに、それは全部無駄で、意味が無くて、物語の行方に何の影響も与えない。

 そんなの私が1番知っている。


「うぅ……」

「ゆ、ゆいな……?」


 心の容量が超えて、目から水があふれ出す。止めようと思っても勝手に流れて制御がつかない。それだけじゃ収まらず、口から嗚咽が漏れる。


「うっうっ……」

「ご、ごめん、唯奈! 泣かないで」


 目の前の彼女が慌て出す。そして私に近づき、背中を擦るんだ。その優しさが痛くて、さらに涙が流れた。一度決壊したら止まらない。たまっていたものが一気に流れ出す。

 でも地面に落ちる涙は透明で、どんなに溜まっても何色にもなれないことを知った。


「……わ、私もわからないの」

「うん、うん」


 拙く喋る私に稀莉が相槌をうってくれる。

 わかっているんだ。稀莉は私のためを思ってきっぱりと言ってくれた。濁さず、期待などいだかせない様にしっかりと告げた。でもその瞳は私を心配していて甘いなと思う。敵役に徹しきれない。そんないい子な優しい子だから私も友達になって、彼女も好きになった。


「何で、好きなのかわからないし。気持ち言ったけど、伝えたけど、スッキリしない」

「うん」

「でも稀莉の邪魔をしたいわけ、じゃない。敵わないとしっているし、片想いでもいいと思っているけど」


 それでも私の心が許してくれない。何もせずに諦めてくれない。いい子であろうとしてくれない。


「無責任に好きって言いたい。好きなの、好き」


 正しさを知らない、理想と身勝手で歪んた叫び。


「これが私の恋なの」

 

 彼女の顔を見て気持ちを言葉にすると、また涙があふれた。



 × × ×

 泣き止まるまで、稀莉が背中をずっと擦ってくれた。お昼の時間帯で、ほぼ貸し切り状態だったので良かった。誰かに見られたら変に思われるだろう。マスクをしているとはいえ、SNSで拡散される恐れもある。

 でもスッキリしなかった想いが、少しだけ落ち着いた。


「ごめんなさい、唯奈」


 いまだ心配そうな顔をする彼女が私に謝る。


「……私こそごめんなさい。みっともないところ見せちゃった」


 ううん、それだけじゃない。


「稀莉の邪魔をしてごめんなさい。恋人だとしっているのに勝手なことをしました。本当にごめんなさい、許してくれなくていい。稀莉を裏切る行為でした」

「そんなこと……。あーやめよう。もうお互いに謝るのはやめ!」

「……うん、ありがとう」

「奏絵は素敵だから、他の人が好きになっちゃうのはわかる。当然よ、私の憧れで光だもの」

「そうだね……素敵な人よ」

「わかっているじゃない、唯奈」

「最初はムカついたし、ポンコツだし、大人のようで大人じゃないし、重度なオタクだし、やたら感想が長文で厄介だし、勝手に落ち込むし、気持ちがすぐに迷子になるし、一人で抱え込むし」

「私の恋人を悪く言わないでくれる!?」


 笑えてしまう。最初の出会いからこんな気持ちになるなんて考えていなかった。あの時の私にいっても信じられないだろう。


「でも、そんな人を好きになっちゃったんだよね」


 私には関係ないと思っていた。いつか、とは思っていたけどそれが彼女、吉岡奏絵が相手だとは考えもしなかった。


「恋って大変だね」

 

 意味がわからなくて、不思議で、気持ちも体力も持っていかれる、やっかいな奴だ。それでもしてしまう。性質なのか、欠陥なのか、わからない。それでも色づく気持ちは世界を変える。

 彼女は「そうでしょ」と腕組みして先輩面で頷き、私はやっと稀莉の前で笑えたのだった。

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