第41章 君を待っている⑤
今までは3,4時間かかっていたアフレコも30分ほどで終わってしまい、なんだか物足りない気分だ。
「待っている時間の方が長かったよね~」
「今は仕方ないでしょ」
「うう、もう少し皆さんの演技を聞きたかったです」
1回通しでやり、すぐに本番の収録。私たちの出番がないところはカットするので効率よく収録が進み、あっという間に終了。台詞数も多くなく、3人ともBパートのみだったので、Aパートがどういう雰囲気だったのかもわからない。配信・放送されるまでのお楽しみだ。アフレコってこうだったっけ?
「少しだけの台詞の時は、練習もなく最初から本番よ。一つの台詞で終わったこともあって、働いた気がしなかった」
「でも1回の収録ごとにお金もらっているから、まとめ録りはされないよね。効率がいいのやら、悪いのやら」
「お金がきちんと貰えるのはいいことです」
「今のご時世そうだけど」
物足りなさからか、3人で駅まで小声で話しながら歩く。
「でも人ごとにマイク固定は楽だよね」
「あれはいい。もう戻れなくなる」
「せっかくマイクワークを覚えたのに……」
「いつ出なきゃ、マイクからすぐどかなきゃと移動のことばっかり考えて、演技に集中できないこともあったから、今の方がいいわね」
複数人で同じマイクを使い、代わる代わる立ったり、座ったりだったので、余計なことを考えず「このマイクは私専用!」となる現在の方法は楽だ。慣れきってしまうと、私もマイク前の移動ができなくなりそうで怖い。新人の頃はタイミングが読めず、苦労したものだ。あの頃の苦い思い出も糧とならず、今は意味がない。移動中にぶつかった時はすごく謝ったけど、これからの子はそういった想いをせずにこの業界を生きていくのかもしれない。当たり前だった習慣も、環境が変わればいらないものとなる。適応して、私たちも変わっていかなきゃいけないんだ。
「では、私はここなんで」
地下鉄駅の入口前で砂羽ちゃんが止まる。
「唯奈ちゃんは?」
「銀座線。あんたは?」
「丸の内線」
「じゃあ、あっちの同じ駅ね」
「お二人とも今日は楽しかったです! また一緒の収録に、落ち着いたら飲みにいきたいです」
「うん!」
「ぜひ、いきましょう」
落ち着いたら。そんなのいつになるか、わからない。けど約束が増えていくことは良いことだ。どうせ無理だと思って、希望を持たないのはつまらない。
「いこうか、唯奈ちゃん」
「ええ」
街中を彼女と歩幅を合わせながら歩いていく。稀莉ちゃんと同じぐらいの身長の唯奈ちゃんなので、なんだか隣にいても違和感なく思う。
唯奈ちゃんとこうして二人になるのは久しぶりだ。
「こうやって話すの久しぶりね」
彼女もそう思ったのか、言葉に出す。マスクで表情はわからないけど、ツンツンしている普段とは違って、柔らかな雰囲気だ。
「仙台に行ったことや、一緒にタピオカ飲んだのが遠くの昔に思える」
「仙台で号泣したオタクがいたわね」
「そりゃ泣くよ。稀莉ちゃんの歌っている姿見たら泣く」
「気持ちはわかるけど。稀莉も歌上手くなったわね。こないだの稀莉のキャラソンも凄くよかった」
「それ稀莉ちゃんに言ってあげた?」
「当然。でも唯奈に言われると嫌味に聞こえるって言われた」
「それはそうかも」
「ひどくない?」
「歌姫さんに言われても」
「あんたがいう?」
「アルバムも絶好調だよね、全曲すごい良かった。でもバラードの切ない感じが1番好きだったかな。すごい気持ち感じられた」
そう言って彼女に視線を向けると、露骨に逸らした。
「もう、あんたは本当そうなんだから」
そう、なんだから。
「そう?」
「そうよ」
「う、うーん」
……よくわからない。
「もう一駅歩いていかない?」
「うん、いいけど」
「次まで時間が余ったの。けど今は喫茶店で時間を潰すのも、多少なりともリスクあるし」
仕事の間はファミレスや喫茶店、時にはファーストフードで時間をつぶしていたが、今はそうもいかない。スタジオに早くつきすぎても邪魔になる。
「車で通う人も増えたよね」
「あー、車だと人との接触も減るし、待ち時間も車で過ごせるのかー」
「唯奈ちゃんは免許持ってるの?」
「そんな余裕あったと思う?」
「ないよね」
「あんたは?」
「あるよ。両親から絶対にとれって言われて大学の時、合宿でとったんだ。AT限定。ほら」
「……免許の写真ってブサイクに写るわよね」
「失礼な!」
街を歩く人も少ないが、さらに小さな路地に入ると誰も人はいなくなった。それを待っていたかのように、彼女が呟く。
「大手術だったわね」
大手術。
唯奈ちゃんが言いたいのは、私の喉のことだろう。私は喉の病気になり、最後まできちんと歌うことができなかった。そして年末に手術に踏み切ったのだ。
「うん、色々とあったよ。でも今は治ってよかった」
「治った、のよね?」
「うん、たぶん。まだ怖さはある。また再発の可能性もあるし」
「もう歌わないの?」
率直な問い。
答えに困る。
「うーん……」
「ハッキリしないわね」
「歌いたい。でも怖い」
気持ちはある。でも、
「私を失っていく感覚は、もう二度と味わいたくない」
私の全てである声を、奪わないでほしい。喋ることはできる。でもそれが前と同じだった保証は、私である証明はない。
自業自得な面もあるし、この職業的に仕方ない面もある。
それでも、私は私のままでい続けたい。
私のままの声じゃなきゃ、生きていけない。
「そう、よね……」
「けど声優としてまた戻ってきたんだよね。リスクがあっても、今までとは違っても、私はこうやってしか生きられない」
「そんなこと、……あるわね」
「別の生き方をしろって言われてもできないし、私は私の声を届け続けたい」
「だよね。達成感、満足度は他じゃ味わえない」
「自分大好きよね、私たちは」
「ナルシストとは思わないけど、好きだよね。好きだから、自分を信じているから頑張れる」
好きなんだ。歌っている自分が、自分の輝く姿が、皆に求められる私が。
一度失った今でも、その気持ちは、
「諦めてはいないよ」
残っている。
「6月から少しずつだけど歌の練習を開始していくんだ。でも何のために歌うのか、わからない」
武道館をもう望まない。稀莉ちゃんを立ち直らせることももうない。もう私のことなんて、みんな忘れているかもしれない。私に構っている場合でもないんだ。皆が皆必死に生きている。歌う場所は当分用意されないし、これから状況も改善するかわからない。
それでも、目の前の女の子は空を見上げる。
「理由なんていらないわ。ただ歌いたい。それだけでいい」
誰かのためじゃなくて、独りよがりの自分でいい。
「そんな自分勝手なあなたを皆は待っているの」
「うん、そうだといいな」
「だって私、好きよ」
「ありがとう。私の歌を好きになってくれて」
隣を歩いていた足音が止まる。
「違う」
振り返ると、彼女が少し後ろに立ち止まっていた。
「……歌だけじゃなくて、その、あの、えーっと」
「どうしたの、唯奈ちゃん?」
彼女が一歩踏み出し、そして飛び込んできた。その距離は見えないアクリル板を超えて、私に迫る。
その突然の行動に、私は何も動けなかった。
目の前に顔があった。目はつぶられ、何処を見ているのかわからない。
彼女は咄嗟にマスクをずらし、赤色が見えた。
ちゃんと触れたのかはわからない。
でも私のマスク越しに感触があって、その場にいた彼女の残り香が微かに残っていて、
「こ、こういう意味でも好きだから!」
「…………えっ!?!?!?!?」
心が、頭がようやく事態を理解し始める。
いや、混乱しっぱなしだ。
目の前の真っ赤な顔をした彼女が告げた言葉の意味を考える。
汗が止まらない唯奈ちゃんの行動を思い返す。
もうマスクはしていて、その形を思い出せない。
キスされた?
マ、マスク越しだけど。いやいや、唯奈ちゃんは生唇だったけど。
なに!? 生唇って!?
「あんたが稀莉と付き合っているのも、同棲しているのも当然知っているわ。う、奪うつもりもない! で、でも知ってほしかったというか、私のワガママというか、ああ、もう好きなの! あんたが好き!」
「え、え、えええ!? 唯奈ちゃんが私を好き? あの、その私のこと敵視していて、いや時には優しくしてくれたり、励ましてくれたりしたけど、うん、え、ええええええ」
「べ、べ、別にどうこうしてほしいわけじゃないから。そういうことよ!」
「どういうこと!?」
「知らない!」
「わけわからない!」
「私の方がわけわからないの!!」
「え、ええ……」
「じゃ、じゃあ! 私はここで!」
「え、まだ駅まで距離あるけっ……ど。いっちゃった」
追いかける間もなく、嵐が通り過ぎたかのように彼女は去っていった。
混乱がいまだに収まらない。
唯奈ちゃんが私を好き?? 疑問符が頭を占有する。何処に好きになる要素があった? 頭が追いつかない。稀莉ちゃんが恋人だと知った上での行動? 本当によくわからない。
「なんだったんだ……」
困惑した私が、街中に取り残される。残る感覚は鮮明で、私のマスクにはほのかに彼女の赤色が残っていた。
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