第39章 新世界で迷子になって②

 今日も変わらずラジオの収録の打ち合わせ。

 なのだが、皆の口にはマスクがされている。声優がマスクをすることは喉の保護と変装のため見慣れたものであるが、スタッフ全員がマスクをしているのは初めての光景である。


「植島さんがマスクすると不審者ね」

「佐久間君、それはひどくないかい? マスクしてイケメンに見えるだろ?」

「植島さん、見た目とか気にするタイプだったんですか?」

「場を和ませているんだよ、くみ取ってくれ……」

「……」

「……」

「なんでノらない?」


 そこまでしてやっと笑いが起こる。マスクをしているので表情までは詳しくわからないが、それでもスタッフたちの顔は笑顔だ。

 だけど、マスク越しの声はちょっと聞こえづらくて、不安になってしまう。2月、新型コロナについての情報も私たちの耳にも当然入ってきた。連日ニュースで目にするし、声優、関係者と会う度にその話題で持ちきりだ。今のところラジオの収録は変わらずできているし、アフレコだって中止になっていない。


「けど、不安よね」


 隣の稀莉ちゃんもうかない顔だ。


「すでに中止になったライブもあるんでしょ?」

「みたいだねー」

「関係者も頭を抱えているよ。イベントやライブはグッズの売り時だし、収入源だ。それがなくなるとけっこうキツイ」

「ですよね……」

「通販しても、その場の勢いがないと全然売れない。中止のイベントでグッズを買ってほしいとお願いするのも、それはただのお布施をくれといっているようなものだ」


 ライブやイベントに行ったら、せっかくだからで買ってしまうことも多い。ファンなら尚更その場の勢いで買ってしまう。勢いも馬鹿にできない、必要な要素なのだ。


「でも今週ライブ開催している人もいましたね」

「ああ、開催している所もある。だが万が一のリスクもあるから判断は難しい。それに開催して何も問題なくても、開催すること自体への批判の声も大きい」

「……大変ですね」

「まぁ暗い話は置いておこう。ともかく今は収録だ」

「はい!」

「言われなくてもわかっているわよ」


 不安な気持ちはある。

 けど変わらず収録はできていたし、気を付ければ大丈夫だとも思った。インフルエンザ的な季節の流行りもので、少し経てば何とかなる、元通りになると。

 でも、私たちはどこか甘く見ていたんだと思う。

 


 × × ×

 3月になっても脅威は収まることを知らず、さらに不安は募っていった。

 

「暗いニュースばかりね」

「仕方ないよ」

「そうなりますよね」


 稀莉ちゃんと晴子さんと三人でリビングでティータイムだが、話題は暗い。大学は春休みということで、稀莉ちゃんが家にいる時間が増え、こうやって一緒にいる時間も増えてきた。でも出かけるのは躊躇われ、お家でのんびりするしかない。


「3月のイベントは全部中止になってるわね」


 2月はまだ開催するところもあったが、3月は軒並み中止。延期とアナウンスするイベントもあるが、いつになるか未定ばかりだ。


「私たちのイベントの予定はなかったけど、ファンは残念だろうね」

「ええ、それに延期になってばかりだとその後のイベントも抑えづらくなるかも。マシになるかもわからないし、主催側も及び腰になるわね」


 けど私は復帰したばかりだったので、イベントの数が減るのは正直言って好都合だった。今は無理できない。お願いされても、断ってしまっていただろう。

 しかし、好都合なのはこの状況まで。


「アフレコ、大丈夫かな……」


 心配が口から出てしまう。これ以上悪化して、アフレコができなくなってしまうことも大いにありえる。飛沫感染するとの話で、声優のアフレコ現場はまさにその危険が大きい。まだ私たちは若手、私は30になるけど若手といっていい、いいんだ!、声優は老若男女問わずだ。高齢の声優さんやスタッフもいる。私たちだけが大丈夫だから問題ない、とはならない。


「中止になったら全部が止まるわね」

「じゃなくても一人だけで録るとか?」

「いったい何時間かかるのよ」

「そうなるよね。とてもじゃないけど終わらないよね」


 アフレコだろうと、プレスコだろうとアニメは声がないと成立しない。声がなければアニメたりえないのだ。絵ができたとしても収録できなければ、アニメ制作は完全にストップするだろう。

 そして、


「ラジオの収録も止まる……」

「それは嫌だね……」


 でも脅威が増せばそんな未来も現実になってしまう。「嫌だ!」の感情だけで済まない事態になる。

 

 ブルル。


 机に置いてあった携帯が震えた。ラジオの話をしていたのでちょうどラジオスタッフから連絡? と思ったが、表示されたのは意外な人だった。


「……唯奈ちゃん?」


 私の戸惑いに、稀莉ちゃんが怪訝な顔をする。


「唯奈から? 私じゃなくて、奏絵に電話……?」

「みたいだね。……出ていいよね?」

「承諾なんていらないわよ! 私がそんな束縛強いと思う?」


 思うから聞くんです。


「もしもし、吉岡です」

『や、やあ吉岡奏絵。突然悪いわね』


 表示通り、出たのは同業者である声優の橘唯奈ちゃんであった。もう少しで20歳の『新時代の歌姫』と称される圧倒的歌唱力の持ち主。歌だけでなく、演技もルックスも抜群で、若手の中でも1番勢いのある女の子だ。そして独特の世界観を持っている。彼女のラジオ『唯奈独尊ラジオ』は毎回面白く、私も欠かさず聞いている。

 そんな唯奈ちゃんだが、稀莉ちゃんと仲良しさんで、彼女のラジオのゲストに二人で行った以来、私はライバル視されている。けれど常にツンツンなわけじゃない。困った時や辛い時に手を差し伸べてくれたり、後押ししてくれたりしてくれた。何度も彼女に救われていて、根はやさしい子だと知っている。年下ながら尊敬し、頼りになる声優さんだ。


「どうかしたの?」

『べ、べ、別にどうもしないけど、元気してた?』

「え、うん、元気元気」

『なわけないでしょ!? なんでちゃんと連絡しないの!』


 しどろもどろな感じでどうしたんだろう?と思っていたら、急に怒られた。

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