第39章 新世界で迷子になって
第39章 新世界で迷子になって①
私は終わった声優だった。
でも彼女にラジオ番組の相方として会って、変わった。変わっていけた。
ラジオの人気が出て、アニメの仕事も増えていった。
ラジオで賞ももらい、番組のテーマソングも出した。
そして歌手、アーティストとしてデビューしてライブを行うこともできた。
たくさんの大切なものが増えていく。思い出がどんどん増えていく。
その中心にいたのは私に憧れた、私を大好きな女の子。
佐久間稀莉。
彼女がいて、私は私でいられた。また空を飛べたんだ。
でも、私はまた空から落ちた。
11月のライブ終わりを機に、私は喉の手術をした。
声は私の全てだ。声があるから私は私でいられた。ここまで来られたんだ。
声が出なくなって、未来が見えなくなった。
真っ暗になって、逃げだした。
手術は無事成功したが、喋れない期間が辛くて、どうにかなりそうだった。いや、どうかしていた。沖縄まで逃避行するなんて本当どうかしていたんだ。
でも、稀莉ちゃんはきた。南の島まで追いかけてきた。
そしてまた手を伸ばすんだ、声をかけるんだ。
また私は始めていいと。
変わっても私でいていいと。
私、吉岡奏絵は、東京へ戻って、また私を始めることができたんだ。
× × ×
2020年2月、家にて。
「あめんぼ あかいな アイウエオ、うきもに こえびも およいでる」
喉に手をあてながら発声する。
「奏絵、調子良さそうじゃん」
リビングからパジャマ姿の稀莉ちゃんが入ってきた。一時期沖縄への逃避行を繰り広げたが、またこうやって同棲が再開している。
「うーん、自分ではよくわからないけど、悪くはない」
先日アフレコも、ラジオにも復帰した。音響監督や、ラジオスタッフにも声が変わったとは言われず、セカイはいつも通りへと戻りつつあった。
「全く問題ないわ。歌もきっと……ごめん、焦りすぎね。今は日常に戻れたことに感謝しなきゃ」
「稀莉ちゃん……」
「時化た面しているんじゃないわよ! あーもー、2020年になってから奏絵とまともに出かけてないから色々なところにいくわよ!」
リハビリばかりでまだ無理することもできないので、出かけることはほとんどできなかった。まだ初詣もいけていない。「稀莉ちゃんは行ってきていいよ?」と言うも、私と一緒じゃなきゃ意味がないと怒られた。その優しさが嬉しく、頑張らなきゃと思う。
「ごめんね」
「もう謝らない! 仕方ないでしょ」
手で頬っぺたが挟まれる。むぎゅー。顔が近い。
「生意気な口は塞ごうかしら」
「きぃちゃん?」
手でサンドされているので、ちゃんと喋れない。
「こほん」
わざとらしく咳払いの声が聞こえ、おそるおそる視線を向ける。そこにはエプロン姿の柳瀬晴子さんがいた。
「相変わらず甘いですね。バレンタインデーのチョコなんて不要なぐらいにあまあま」
「い、いるなら言いなさいよ晴子!」
「別に止めてくださいとは言ってません。むしろ、もっとやってください」
「そう言われると嫌だ!」
「アハハ……」
晴子さんは私と稀莉ちゃんの同棲の監視役として、一緒に住んでいる。ただその役目も今となっては無いようなものだ。むしろ良い保護者として、友達として私達を見守ってくれている。本当、家事やら料理やら任せっぱなしになってしまうことも多く、すごく助かっています……。
私が沖縄から戻って以降も、こうして私たちと一緒にいてくれる。
「稀莉さん、早く着替えてください。風邪ひきますよ」
「大丈夫よ、このパジャマもこもこだもの」
アイボリーホワイトのモコモコでふわふらのパジャマを着た彼女が、両手と足を広げて、あったかいよ~とアピールする。……カワイイ。うちの彼女がカワイイ。
温かいが意外と軽く、動きやすいそうだ。抱き着かれた時は思わず「ママ……」と呟いてしまったほどに優しい抱き心地だ。その後怒られるでもなく、頭を撫でられて、すやすや眠ってしまったほどだ。なお、その一部始終は晴子さんのカメラに収められており、いまだにネタにされる。
一方の私は寝るときは専らアニメTシャツだ。貰えるのだから有効活用するしかない。キャラ物は日常生活では声優といえど着づらく、就寝時に活躍している。だが稀莉ちゃんには大不評で、「次の誕生日はパジャマをプレゼントするから!」と予告されている。4月が誕生日で、今は2月なのでもう少しだ。
「三十路か……」
「おめでとう」
「おめでとうございます」
「まだ、まだだから!」
「もうほぼ30歳じゃない」
「実質30歳」
「違う、まだ29歳なの。まだ20代!」
残りのタイムリミットを謳歌させてほしい。と思いながらも復帰したばかりなので無茶なこともできない。それに、
「30歳になったら何したい?」
「うーん、特にないけど。こうやって帰って来られただけで満足というか」
ここにいるだけで十分すぎるほどに幸せだから。これ以上を望むのは傲慢というか、なんかワガママだなって。
そんな私の気持ちを察したのか、彼女が問う。
「また、歌いたい……?」
歌。
私にはありがたいことに歌うことの才能があった。けど、喉をやってしまった。声優活動の影響もあるだろうが、原因はアーティスト活動の方が大きいだろう。今回はなんとか戻って来られたが、また喉をやったら次は無事かどうかわからない。そう思うと、声優に復帰できたはいいものの、アーティスト活動の再会は躊躇してしまう。
「武道館も改修中だし、当分は大丈夫だよ」
そう言い訳し、小さく笑う。
「そういうことにしておく」
「稀莉ちゃんこそ、どうなの? 歌のレッスン中なんだよね」
「牧野先生、鬼」
「えー、いい先生だよ」
「めちゃくちゃ厳しい。ミスったところ事細かに覚えていて、怒るんじゃなくて、淡々と指摘される……まぁありがたいんだけど」
「稀莉ちゃんの歌楽しみだなー」
「とりあえずはキャラソンだけどね」
「エンディング曲なんでしょ? 変わらないよ、早く放送されないかな」
「うん、ありがと。今回が良かったら、次も見えてくると思うから頑張る」
そう、セカイが元通りになっただけで私は良かったんだ。
稀莉ちゃんと、晴子さんとまた一緒に住んで、声優として活動して、そして『これっきりラジオ』のパーソナリティとして笑いを届ける。
それだけでよかったのに。
でもセカイはこの時徐々に変わっていて、2月になって根本から揺らいだ。
新型コロナ。
私たちだけの脅威ではない。日本が世界が混乱に陥った。
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