橘唯奈のスキスキダイスキ⑦
これで気持ちの整理がつく。
とは、ならないのが人間だ。
吉岡奏絵の新曲を聞いては神社での告白を思い出し「ぬあああああ」と部屋で叫び、頭を抱えてしまう。でもやっぱり良い曲で、聞かないなんて選択肢はない。
私の後押しのあと、吉岡奏絵は『これっきりラジオ』の番組の企画として『料理配信』を稀莉と始めた。『ドキドキ同棲!?スペシャル、ちゃんと料理できるかな?』と銘打って、イベントが中止になったことを補填しようとした。いや、違う。これは準備だった。5回目は生配信を行い、そこで吉岡奏絵は稀莉と『同棲』していることをぶちまけた。
かつてイベントで彼女に公開告白した稀莉。
それをはるかに凌駕する爆弾を彼女は投げ込んだ。
手書き文章での結婚報告、お付き合い宣言とはわけが違う。番組の了承はとってあるのだろうが、事務所まできちんと根回ししたのだろうか? 両親、友人は? 後押ししたとはいえ、私も知らなかった。ほとんどの人にこの奇策は伝えていなかっただろう。
下手すれば業界から干される。
声優はあくまで裏方、とはいえない昨今だ。アニメの顔として望まずとも扱われる。不祥事が起きれば演じたキャラのイメージを汚すことにもなり、そのアニメにとって大きな損害となる。キャラと声優は違う。同一視すべきではない。そう綺麗ごとを言っても、あの人は〇〇を演じた△△さんだ。私もついつい演じたイメージでその人を見てしまう。それぐらい密接で、近くて、錯覚するのだ。
それにトラブルメーカーをわざわざ製作側が起用しようとも思わない。今までのイメージだけでなく、これからにも大きな影響を及ばす愚策ともいえる。それほどのことを彼女はしでかした。
けれど私は思ってしまう。
「かっこいいな、吉岡奏絵」と。
配信を見て、私は「よくやった」とガッツポーズしてしまった始末だ。
覚悟。
稀莉のために生きる決意。
ワガママでいいと言ったが、ここまでのことをするとは私も思っていなかった。稀莉は幸せ者だ。こんなに思われて不幸なはずがない。
良かった。これからのことはわからないが、二人の世界は揺らがない。揺らごうとしても何とかしてしまうだろう。そう思うぐらいに強固な絆が二人にはある。
いや、でも
「同棲暴露後、見せしめのように草津旅行って大胆すぎじゃない!?」
吉岡奏絵のSNSに載った、湯畑前のツーショット写真を見ながら、携帯を持つ手がわなわなと震える。二人とも浴衣姿でライトアップされた景色が綺麗だ。って、この時間にいるってことは確実にお泊りじゃない!? ま、まぁ今さら同棲しといて、お泊りなんて気にしないけど。…………いや、気にするし! めっちゃ気になる! 胸がやきもきする!
恋は大胆で、不敵で、盲目だ。
それでも二人をかっこいいと思ってしまう。
そしてどんなに見せつけられても、恋はなかなか切り替えられない。私の恋は終えられない。
× × ×
「梢、あんた恋したことある?」
「スイーツの話でしゅか?」
ラジオ収録終わりにたまたま会った同業者、声優・新山梢とお茶することになった。梢が美味しいパンケーキを紹介したいといい、私ももやもやした気持ちを話したいこともあり、誘いにのった。
連れて来られたお店はハワイ風パンケーキのお店だった。ふわふわでとろとろな食感のパンケーキで、初めての感覚に不覚にも感動してしまった。なお、目の前の食いしん坊さんはおかわりでもう一枚頼んでいる。その体のどこにそんな量が入るのだろうか。
「いや、スイーツじゃなくて恋の話って」
「南青山で食べたフルーツタブレットに恋しましたぁ~。フルーツがチョコで贅沢にコーディングされているんですぅー。1月に食べたみかんも絶品でしたが、2月に食べたいちごのフルーツタブレットが格別でした~」
甘い声から出るのは、甘い話ばかり。嬉しそうに話す梢を見ていると、私の悩みなんかちっぽけにな……らないわよ! ちゃんと聞け!
「星の数ほどスイーツはありますぅ」
「いや、スイーツではなく、人との恋の話で」
「でも出会わなければ意味ないんですぅ。足を運んで手に入れなければ、お口に入れなければ意味がないんですー」
「……っ」
「写真を見ても、イラストを見てもよだれがでるだけで、満たされません」
味を知らなければ、味わなければその美味しさを知ることは意味ない。
実らなければ意味がない。
「言うじゃない、梢……!」
「え、何のことですぅか?」
「この小娘が……」
「ひぃぃぃ、私の方がお姉さんですぅ~」
小動物系の彼女がとても年上には見えない。けど梢の話はどこか真理をついていて、この人も20代ちょっとにして人ができている。
「友達の話なんだけど」
「唯奈様の恋の話ですぅか!? 聞かせてください!」
「友達っていっているじゃん!」
「ふふ、そういうのって100%自分のことって知っていますぅー。アニメや漫画で何度もみましたぁ~」
「くっ、この小娘め」
冗談が通じない。ほわほわ~とした雰囲気をまとっているのになかなか侮れない。これじゃ腹を割って話すしか、
「私の知っている人ですぅか?」
「お、教えるわけないじゃない!」
できない! 梢のラジオに吉岡奏絵がゲストで行ったこともあるし、合同イベントでも共演をしたのだ。一緒にライブを行ったりもした。話すと勘付かれるだろう。
「私は女子校育ちで、大学も女子大でともかく女子の世界でしか生きてきませんでしたぁ~」
「へー、そうなの」
私が話しづらいと思って、梢から切り出す。
「パパ以外の男の人と話すようになったのは仕事を始めてからです~。今では仲良く話せますぅがラジオ番組スタッフとも恥ずかしくてなかなか話せませんでしたぁ。恋なんてまだ梢には幻想で、空想で、シャボン玉ですぅ」
彼女のラジオ『新山梢のコズエール!』は仲良しな現場で、収録風景も梢のようにほわほわした空間なのだが、それでも最初は苦労したのだという。
「でも、恋が綺麗だと知っていますぅ。梢も恋の物語を読み、恋焦がれる思いを歌い、恋を演じてきましたぁ」
「そうね、私たちは演じてきた」
声優として演じることが全てだったから。
だから、
「実感してきていないのに知っちゃっていますぅ」
そう、知らないのに知っている。体験していないのに、理想ばかりが膨らんでいく。綺麗なものにどんどん憧れをいだいていく。
「なにが言いたいの……?」
「唯奈様も、私も」
素晴らしいものを知りすぎている。
「感覚が歪みますよね?」
綺麗なものに手を伸ばす。でも掴もうとすればその泡は無残に弾ける、実体のないもの。私たちはそんな幻想に囚われ、愉快に踊っている。
一番多感な時期を仕事に捧げてきた。
それに後悔はないし、そこらの10代の学生よりはるかに私の人生は充実していると自負している。
私たちは何にでもなれる。何でも味わえる。何でも代わりに知ってしまう。
万能という、紛い物の代償。
普通のことがきっと欠如している。
「現実を見ろってこと?」
「ち、違いますぅー。梢はそれでも唯奈様にはシャボン玉を素手で掴んで欲しいんですぅ~」
「意味がわからないんだけど」
「理想、幻想と人は笑うし、現実に生きろと梢たちは言われますぅ。それでも私たちは表現者で狂った世界の人間なんですー」
口に生クリームをつけて、無邪気な声で言うのだ。
「歪んだまま、楽しみましょう~」
やばい。変な奴だ。
「あんた変わっているわね」
「でもそれが梢なんですよねー」
あぁ、私もそれなんだ。
変わり者。
変わり者だから、こんな普通じゃない道を選んだ。
なら、歪み切ってやろう。
幻想を追い続けてやろう。
これが恋なのか、わからない。
稀莉のことも好きで、吉岡奏絵のことも好き。彼女の歌が好きで、声が好きで、優しさが好き。憧れと嫉妬が入り混じった透明な感情を果たして何と呼んでいいのか知らない。
でも、それでいい。
まだ私は気持ちを伝えていない。
「スキ」とは言ったけど、全然足りない。
振られるのはわかっている。わかっているんだ。
勝負はとっくに終わっている。
「がんばって、精一杯想いを伝えてください~」
それでも私は、まだ私は何もできていない。
後押しして、満足しきっている。それが私のワガママだと完結して終わりにしようとしている。
この辛さも、苦しみもまがい物。
失恋すらできていない。
「駄目だったら梢が甘いスイーツのお店にまた連れていって励ましてあげますぅ~」
「この小娘、言うじゃない」
「だから私がお姉さんなんですぅ~」と抗議するこの人に感謝する。
もう一度言おう。今度は本気の言葉で。
その恋が幻想だとしても、私は手を空へとまた伸ばす。
私の物語は終わっていない。まだ終われないのだ。
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