side story:橘唯奈の出番はない
橘唯奈の出番はない①
“彼女”に想いを告げようと決心してから、長い時間が経ってしまった。
ライブ目前の吉岡奏絵のことを考え、ライブが終わった後に話そうと思った。ライブ前に彼女を惑わして、邪魔になりたくない。自分勝手な想いを告げるとはいえ憚られた。
しかしその後、彼女は声優活動を休止した。あとになって聞かされたが、喉の病気だったのだ。手術は無事成功したものの、療養のために東京から離れていた、らしい。
手術は成功し、喉が回復した吉岡奏絵は声優としてまた戻ってきた。けどリハビリを頑張る彼女にすぐに会いに行くことはできず、そしてその間に感染症が全世界で猛威を振るった。声優の仕事も一時休止となり、彼女に会うどころではなくなった。
ゲーム上のオンラインで会うことはできて嬉しく、元気そうな声は聞こえたが、それだけだ。直接会いたい気持ちが増し、高まっていって……悶々とした。
タイミングを逃した。
なんていえば簡単だが、踏み込めなかったのも事実だ。
私の居場所はもうなかった。
いや、『もう』ではない。そもそも存在しない。
ライブでの涙。声優活動の休止。
喉の病気、手術、沖縄への逃亡。
全部、あとから稀莉に聞かされたことだ。
私は何もできなかった。
何もできる立場になかった。
吉岡奏絵の隣には、佐久間稀莉がいた。
私が惚れた声優。私がこの子は凄いと思った声優。一緒に住んでいて、好き合っている二人。
「……敵いっこない」
それでも想いを告げたい。そう思っていたのに、出てくる言葉はマイナスの感情ばかりだ。
部屋のベッドで寝転がり、腕で目を閉じる。
稀莉にとって、吉岡奏絵はあまりに大きな存在だ。
そして吉岡奏絵にとってもそれは同じだ。
彼女に憧れて声優になった。
そんな彼女と一緒のラジオをすることになった。
6年ぶりにリメイクした作品の主役が前に演じた奏絵ではなく、稀莉になった。
憧れが毒となった。歌えなくなった。
声が出なくなった。
でも彼女たちは目の前の壁を乗り越え、その度に絆を強くしていった。
ドラマが多すぎる。感動のエピソードが多すぎる。
私との平凡で単調なシーンで叶うわけなんてない。
橘唯奈の出番なんて訪れない。
「……私は歌えなくなった彼女を好きになれるのかな」
吉岡奏絵が好きなことはもう認める。
でも、声が出なくなった彼女を好きでいられるのか。
答えに困る。困ってしまう自分が嫌だ。
けど、つまりそういうことなんだ。
驚き、感動、尊敬。
それがなくては、私は彼女のことを好きになれない。
才があったから、声優としての“好き”が、“好意”に変わった。
新時代の歌姫と持て囃される私を脅かす存在。
私と肩を並べるかもしれない、いや私よりも……と思える圧倒される歌声。
私と稀莉は違う。決定的に違う。
彼女は吉岡奏絵を諦めない。
稀莉は彼女が歌えなくなっても、声が出なくなっても追いかけ、その手を握っていく。
「強いな……」
その強さが私にはない。全てを投げ出せるほどの強さがない。そこまでの覚悟がない。強い感情を持ち合わせていない。
「でも好きなんだよな……」
たちが悪い。それでも気持ちは変わらないんだ。
好き。
でも、これからもそうであるのか、わからない。今なら単なる憧れで終われるだろうか。傷つかず忘れられるだろうか。
良かった思い出で片付けられるだろうか。
携帯が鳴った。
短い音だ。電話でなく、メールだろう。
仕事の連絡かもと思い、ベッドから起き上がり、すぐに開く。こう即座に仕事モードに切り替えられるのが私らしいというか、何だかなあとも思う。
メールを開くと1週間後のアフレコの連絡だった。
2週前から人数に制限をかけてアフレコが再開していた。まだ不安はあるが、仕事しなくてはお金をもらえない。学生でもなく、声優一本で食べているので収録が再開してもらわないと私はニートも同然だ。バイトもしたことがないので他に働く術を知らない。声優をやっていなければ私は何もできない。当分は貯金があるけど、不安定なこの職のことを考えるとまだ使いづらい。気を付けながら、できることを少しずつしていく。元通りではないかもしれないけど、頑張っていく。
「あっ……」
メールには一緒に収録するメンバーの名前もあった。
吉岡奏絵、広中砂羽。
1回の収録で全員一度にできなくなったので、2,3人ごとに収録していく方式に変わったのだが、同じ時間のグループに彼女の名前があった。
「……」
私の心の声を聞いたのか、誰かの仕業で機会はやってくる。神か、運命か、そんなのは知らない。
さっきまでのマイナスの気持ちは何処に行ったのか、「……よしっ」と右手を強く握り、まずは明日の衣装を考えるためクローゼットを開くのであった。
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