第40章 スタートライン
第40章 スタートライン①
仕事がない。
一発屋だった頃とは状況は違う。ありがたいことに人気はあって、ラジオを始める前は四桁いかなかったフォロワーが、今は10万人以上にフォローされている。それが人気の指標というわけではないが、私のことをこんなにも注目してくれているのだ。ありがたい。
けれども暇をしている。時間があり余っている。しかし文句を言ってもどうしようもない。
あったはずの仕事がない。
声優としての復帰後だったが、続編アニメの収録やラジオの収録があった、本当ならあったはずなんだ。
それが緊急事態宣言により、どこも中止になり、こうして家のリビングでぼーっとしている。
「……暇だ」
お昼のワイドショーを見ても、暗い話ばかりで気分は上がらない。
晴子さんも、稀莉ちゃんも家にはいるが、二人ともそれぞれの部屋の中だ。
稀莉ちゃんは大学生なわけだが対面での授業はなくなり、リモートでの授業となった。ノートPCで今も授業を受けているというわけだ。つい先日、後ろで稀莉ちゃんの授業風景を見学しようとしたら怒られた。恋人の私にも、学生の姿を見せたくないらしい。基本的にカメラオフとのことだが、仮に私が写ってしまったら問題だ。問題なのかな? でも真面目に受けている彼女の邪魔にはなりたくない。
稀莉ちゃんは高校からエスカレーターで大学に行ったので、知り合いは多いが、新しい友人はなかなかできないとのことだ。リモート授業だけでは大学でのサークル活動もないし、食堂で一緒に食べるイベントもない。まず顔を合わせて挨拶ができてもいない。大学って何だろうな……と思う。私は在学中に養成所に行き、声優となったので大学の記憶はほとんどないのだけど、それでも友人は少しはいたし、キャンパスライフというのを少しは感じられた。
可愛そうだな……。けどこうしてリモート授業だと余計なトラブルに巻き込まれる心配もないので、彼女としては一安心だ。うん、女子大だけど。それでも稀莉ちゃんはあまりに有名すぎた。私が大学生の時とは状況が違う。
もう一人の同居人である晴子さんは、元々私たちのお世話をしながら在宅で仕事をしていた。ホームページをつくったり、サイトを運営したりしているらしい。詳しいことはわからない、というか教えてくれない。身近にいながら経歴もいまいち知らず、いまだ謎の多い人物だ。もしやどこかの国のスパイをしたり、忍びの末裔だったりするのかもしれない。……アニメの見すぎだ。
学生の稀莉ちゃん、家で仕事のできる晴子さん。
一方で、私には何もすることがない。
声が活かせなかったら何もない。
声は戻ってきた。戻ってきたが、それを発揮する場が無ければどうしようもない。自宅に収録環境を整えている立派な人もいるが、それはごく少数の話だ。今から環境を整えるのは難しいし、お金がかかる。仮に環境を揃えたとして、どうするのだ。ユーチューバーデビュー? 顔出しで私の番組を見てくれる人がいるのだろうか? スパチャをたくさんしてくれそうな人は思い浮かぶけど、同じ家の人なわけだし……。
「うーん、何しよう」
休みの日に自分が何をしていたのか、思い出せない。ラジオを始める前はあんなに暇な時間があったのに、私は何をしていたのか。まぁバイトなんだけど、状況が状況なのでバイトも厳しい。
この状態がずっと続いたら、食っていけなくなる。
以前より貯金は増えたが、それも先日の沖縄逃避行で散財してしまったので、実はけっこうピンチである。家賃が払えなくなる、ということはないけど、半年これだと終わる。暗い未来が見える。稀莉ちゃん、晴子さんに借りるなんてできない。
声優は選ばれなければ、輝けない。
その言葉がずしりと重くのしかかる。選ぶ側がそれどころじゃないと、選ばれる側の私たちはあまりに無力だ。一人では何もできない。
「ええい! 暗くなるのはやめる! やめよう!」
先の見えない不安に、ついつい暗くなりがちだ。
今はできること、せっかくの時間の使い方を考えよう。
例えば読書。
本? 読むのは好きだけど、ずっとは厳しい。
漫画? 電子書籍でたくさん買ったけど、ずーっと漫画ばかり読んでいていいのかな? という気持ちになる。声優なんで漫画を読むのも、アニメを見るのも仕事と言い張れるけど、いざ暇な時間を与えられると読んだり、見たりする気がなかなか起きない。満喫に長時間いられないタイプだ。
なら、ゲームか。と思ったがゲームも最近はそこまでしていない。スマフォのアプリでゲームはするが、それも一日中することは難しい。仕事や移動の合間合間でやっていたので、最近は起動することも少なくなっている。
「……ん? ゲーム?」
そういえばと思い出す。
部屋に行き、棚の中を探すとお目当てのものを発見した。
「キミと恋する彼女」
通称、キミコイ。
同じ声優である東井ひかりから「私が出ているんだ。ぜひ私を攻略してみてくれ!」と渡されるも、忙しくてプレイできていなかったものだ。
ギャルゲー。
5人の女の子を攻略する、恋愛シミュレーションゲームソフト。アニメ化もされた人気作でどのキャラも個性豊かでストーリーも面白いと評判だ。さっそく電源を入れ、スタート。
「久しぶりだな、ギャルゲー……」
流れるOP曲に胸がときめく。
今まで、何人もの可愛い女の子を落としてきた。主人公として、女の子との幸せを築いてきた。あの頃の感情を思い出し、懐かしむ。
「ホシちゃんに、ツキちゃんに、マイちゃんに、リサちゃんに、会長に、先輩に、先生……」
思い出される付き合ってきた数々の女性たち(ゲーム上の話)。何故か部活の合宿で同じ部屋のオタク女子たちとプレイしたな。何で乙女ゲームじゃなくて、ギャルゲーだったのだろう。理想の男性を語るより、可愛い女の子キャラのプレゼンをする方が圧倒的に多かった気がする。共学だったはずなのに、何故だ。男子に幻滅していた?
プレイし始めると教室や、食堂や、体育館など様々な場所でヒロインと出会っていく。バイトで着替えているところに入ってしまい、怒られるなど最悪の出会いもあれば、手助けした子が転校生で教室で「あーさっきの!」パターンもある。
「どの子も魅力的だ」
けど、誰を攻略するか前もって決めておかないと、その子は攻略できない。誰にしようかと悩んでいたら、友人エンド一直線だ。でもこの友人エンドもいい話の時もあり、侮れない。
「うーん、でもこの子かな」
1年生のポニーテールの女の子。会う度に先輩である主人公を罵倒してくる、生意気な子だ。でも同じ部活の人には優しくて、ちょっと気に食わない。
でも知っているぞ。これはツンデレだ。この子は主人公の私が大好きで、でも感情表現が苦手でついつい毒づいてしまっているんだ。
…………なんか、良く知っている子な気がするが、まぁいい。この子を攻略だ!
× × ×
料理が机に並ぶ。今日も彩り豊かで、感心してしまう。
「稀莉さん、そろそろ吉岡さんを呼んできてください」
「はーい」と晴子に返事し、奏絵の部屋へ向かう。
ノックをし、ちょっと待つと奏絵が顔を出した。
「どうしたのよ、その顔。なんだかやつれた?」
「やつれるよ、良い子だったんだ。感情移入して必死に攻略したんだ」
「何の話?」と思い、奏絵の部屋をのぞき込むとテレビに真っ赤な画面が映っていた。そして『Dead End』の文字。
「ホラーゲームでもしていたの?」
「ううん、ギャルゲー」
「ぎゃ、ぎゃるげー!?」
「稀莉ちゃんみたいな子を攻略していたら、クリスマスの日に背中からぶすりと刺されて、血まみれに……」
「な、なによそれ!?」
私はそんなに野蛮じゃないわ!
奏絵が必死に弁明する。
「私は悪くないんだ。先輩を嫌な男から守ったり、先生の特別補習を毎回受けたり、幼なじみとプールに行ったり、水族館デートで記念にプレゼントしたり、文化祭でお化け屋敷に一緒に入って抱き着かれたり、修学旅行でハプニングで同じ布団に入ったり、グループ行動のはずが二人で京都まわったり、キャンプファイヤーでマイムマイムを一緒に踊ったりしただけなんだ!」
「それは刺されるわ」
「え」
「刺すわ」
「刺さないで、朱莉ちゃん!」
「誰よ、その女!」
奏絵が背後を気にして、びくびくする姿が1週間ぐらい続いたのであった。
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