橘唯奈のスキスキダイスキ⑤

 先日までは台風だったが、今日は真夏でハンカチでは汗がおさまらない。青々とした空は躊躇っていた私をいじめるかのように目に痛い。

 ――私のままでいい。

 ――私のしたいようでいい。

 そう決意してから、先に会うことになったのは稀莉ではなく、吉岡奏絵の方だった。


「ラジオイベントが台風で中止になったんだよね……」


 アニメのアフレコで吉岡奏絵と東井ひかりと一緒になった。Aパートが終わり、少し休憩中に三人で話す。今日の吉岡奏絵は元気がない。先日の台風の影響で、これっきりラジオのイベントが中止になったのだ。


「まぁしょうがないよね。そういうこともあるよ。私も何度かあったかな」

「ひかりんもあるんだ。私は今まで急に中止とかなかったからさ」

「特にライブが中止になると辛い。グループのライブで千秋楽!って時に中止になって、『今までの練習の成果は……』って項垂れた」

「私は今まで延期も中止も無いわね」

「さすが唯奈様!」

「お天道様も私に味方してくれるようね。ありがたい限りだわ」


 天性の晴れ女なのだろうか? 今まで大きなトラブルや、天候に影響されたことはない。運、だけで片付けてはいけないほどスタッフさんたちが尽力してくれたおかげだけど、それでも『神に愛された女の子』と呼んでも過言ではない。

 でも愛されたいのは神でも、天気でもない。 


「前言ったライブの時も確かに晴れていたなー。そうそう、ひかりんも唯奈ちゃんのライブ行ったよね」

「去年行ったね~。かなかなもいたいた。ライブめっちゃよかった!ライブBDも買ったよ~」

「……どうも」


 あの時はさほど意識していなかったので、吉岡奏絵は別に招待する気持ちはなく、稀莉に半ば強引に関係者チケットを求められたわけだが、今となっては私の晴れ舞台を見てもらえて良かったと思っている。それにライブ以降もやたらと私の曲を聞いてくれ、感想を言ってくれる。連絡が来るたび、メッセージは保存して、辛い時に読み返したりしている。


「唯奈ちゃんのこないだのアルバム良かったよ。特に2曲目の『青空に負けないように』が凄い良かった。あの曲って唯奈ちゃんが作詞したんだよね? 歌詞が心に響いてさ」

「う、うるさい! 事細かに解説すんな!」


 その曲は、あなたのことを考えてつくったの……なんて言えるわけがない! 顔が熱い。嬉しさが顔に出ていないだろうか。

 その好意の種類が違うことは知っている。それでも私を考えてくれることが嬉しくて、胸が満たされる。


 Bパートの収録は私には珍しく噛みまくったのであった。



 × × ×

 リハでは噛みまくったが、本番ではミス無しで完璧にできた。さすが私。リハから完璧でいたら人間らしくない。ミスもするから可愛らしい。と誰にも聞こえない言い訳をする。

 さて、今日はアフレコだけが目的じゃない。


「あんた、この後空いている?」


 台本をしまう吉岡奏絵に話しかける。


「え、次の仕事までは時間あるけど」

「ちょっとツラ貸しなさい」


 休憩スペースで話す話題ではなく、近くの神社へ連れていく。移動中は無言だった。何か気の利いたことが言えれば良いが、そんな余裕なんてない。

 少し歩いて着いた神社に人はいなく、話すにはうってつけだった。

 目の前の彼女も不安そうな顔をしている。別に説教するわけでもないし、咎めるつもりもない。

 ここからは確認と決意と、

 

「どうしたの唯奈ちゃん?」

「あんたさ……」


 私による芝居だ。


「稀莉と一緒に住んでいるの?」


 単刀直入に聞いた私の言葉に、彼女は驚いた表情を見せたが、言い訳やごまかしをせず、素直に答えた。

 

「一緒に住んでいる」

「そう、躊躇わないのね」


 わかってはいたが、顔は冷静でいようとするが、心はかき乱される。やっぱりだったが、事実は刃のように鋭くて、痛い。


「唯奈ちゃん、どうしてわかったの?」

「距離感、会話の違和感。稀莉とあんた、両方を前から知っている人間ならわかってしまうわ」


 植島さんも伊勢崎さんも明言しなかったが、わかっていた。私も気づいていたけど、心が気づかないフリをしていただけ。


「で、稀莉ちゃんと住んでいるかを聞きたくて呼び出したの? それなら安心して、もうたぶん終わるから」

「そう」


 どうして終わるのか。わからないがだいたいは推測できる。稀莉と吉岡奏絵は同棲しているが、快く思われていない。事務所か、彼女らの両親か、それとも両方か。だから稀莉は主役を求め、二人でいることはマイナスではないと示したかったのかもしれない。もしくは一緒に住む条件なのか。真実は知らないし、私には関係ない。

 私には、関係のないことだ。


「私はね、稀莉があんたと出会わなければ良かったと思っている」


 事実はどうであれ、私は私を貫く。

 

「でもね、空飛びの空音のあんたがいなければ、きっかけが無ければ稀莉は声優にならず、私に会うことはなかったのよね」


 そして私が吉岡奏絵と会うこともなかったかもしれない。


「稀莉ちゃんが選んだ道だよ。きっかけは私でも、彼女は選んだ」

「そうね。そこをとやかく言うつもりはない。稀莉は声優になってよかったと思う。声優の方が役の幅は広い。それこそ異世界や、宇宙や、過去や未来に飛ぶんですもの。性別関係なく、種別関係なく演じる。こんな自由すぎる仕事はないわ。稀莉の天職よ」


 演じることに関して彼女は天才だ。

 だからこそ、欠点もあった。


「役にのめり込めるけど、自分がなかった。素を出すのが駄目駄目だった。何かにならないとあの子は輝けなかった。だからラジオもイベントトークも下手くそだったのよ」


 それを目の前の彼女が変えた。


「稀莉はラジオでもトークでも輝けるようになったわ。ありがとう」

「あぁ、うん……? 何でお礼言われているの?」


 良いことなんだ。感謝している。

 稀莉を変えてくれてありがとう。稀莉をさらに凄い声優にしてくれてありがとう。

 でも、


「悔しいけど、私じゃないのよね」


 それができたのは私ではなく、一緒に成長できたのは私ではなかった。


 稀莉にとって運命の人は私ではない。

 吉岡奏絵が、稀莉の運命の人だった。憧れて、成長して、輝いた。

 そして、吉岡奏絵にとってもそうなんだ。

 稀莉に出会って、彼女も大きく変わった。

 

 その物語に私はいない。

 私は、彼女達の運命に関係がない。

 関係なんてなかったんだ。


「また難しい顔している」

「……ごめん」

「本当悩んでばかりよね、吉岡奏絵」


 私の言葉に微妙な愛想笑いを浮かべる。支離滅裂で、脈絡なくて彼女も困っているだろう。でも言いたいことはまだまだある。


「私だって悩んでばかりよ」

「悩まなそうだけど」

「うるさいわね。そもそも何でこんな話をあんたにしているの? 私の何の得があるわけ? 同棲が解消したら、私が稀莉と一緒に住めるかもしれないじゃない?」


 どこまで私は演じられている? どこまで私は自分でいられている?

 本音と建前と嘘と本当が混ざり合う。


「それに歌。本当にあんたに負けて悔しいんだから。あんた、すっごく良い声で歌うじゃない。何でその歳まで歌ってこなかったわけ? 自己アピール足りなすぎ」


 一方的に話す年下の私に文句も言わず、きちんと聞いてくれる。

 茶化さず、私の目をまっすぐに見てくれる。その瞳に私が映らないとしても、今だけは私のワガママだ。


「あー違う。そういうことが言いたかったわけじゃない。私も話しながら、何を言っているのかわからない。自分でもよくわかってないの」


 この気持ちをなんて、呼んでいいのかまだわからないんだ。恋と定義していいのかもわからない。嫉妬も、憧れも、いらだちも嬉しさもときめきも、友情も思い出も、ぜんぶごちゃごちゃで整理できてなくて収拾がつかない。


「でも、そういうものだと思うの。わかったようで、わからない。わからないようで、わかっている」

「……わかる気がする」


 結局、言いたいことはたったひとつだけ。


「好きよ、吉岡奏絵」


 無責任な一言。

 きっとそれが言いたくて、長々と私は話している。

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