橘唯奈のスキスキダイスキ④
選ばれることも重要だが、さらにそれが主役であることで人生は大きく変わる。
どんなに名演技をしても、1番名前が覚えてもらえるのは主役だ。演技を覚えられてくてもいい、あの作品の主役の子。そう記憶してもらえるだけでも意味がある。主役をやってきたとやってこなかったでは、知名度にかなりの差が出る。
それにお金。
収録の給料はレギュラーキャラとほぼ変わらないが、それ以外の収入が大きい。顔出しのイベントや取材、宣伝ラジオをやったり、番組のオープニング、エンディング曲を何人かで歌ったりすることもある。アプリ化、ゲーム化すれば万々歳でさらなる収入が見込める。
歌ありなら私は強い。そもそもタイアップ前提で事務所が仕事を取ってくることだってある。歌は私の大きな武器だ。
スタジオから近くの所で待っていると、女の子が近づいてきた。
「唯奈、待っててくれてありがとう」
「おつかれ、稀莉」
控室で話を続けるわけにはいかず、稀莉がオーディション終わったあとの帰り道で話すことにしたのだ。互いに次の仕事があるため、移動しながら話す。オーディションがどうだったかはわからないが、彼女の顔は相変わらず暗い。
「うまくいかなかった?」
「わからない……、悪くはないと思うけど」
歯切れが悪い。
「今までたくさん主役を勝ち取ってきたでしょ、自信持ちなさい。私だって負けたこともあるわよ」
「そうかもだけど、風向きが変わったの」
「風向きが変わった?」
「新人声優に負ける……」
「あー、なるほど。新人料金じゃなくなったのね、稀莉も」
「うん……」
新人時代は料金が抑えられ、収入は安定しない。だが、役をとる上では安い料金はプラスとなる。
潤沢に資金がある作品なんて限られている。この作品は新人声優ばかりにして音響費は抑えるぞ!なんて作品もあるらしい。しかし、それも仕方がないことだ。あくまでこちらは選ばれる側。選ぶ方の理由、事情は関係ないし、文句を言う立場にない。
そうでなくても、同じレベルで普通の料金の人と、新人料金の人がいたら新人側を選ぶだろう。そんな単純な話でもないが、持っているものが同じならお金が安い方を選ぶのは当然だ。
稀莉は4月から現役高校生声優のブランドもなくなり、安かった新人料金でもなくなった。それでも選ばれるために、何かが無くてはいけない。
当然、稀莉にはある。
私を驚かせるほどの高い演技力。キャラへのシンクロ、没入。作品への意欲と自身の考え。それに吉岡奏絵とラジオをやっているおかげで、演技でのアドリブはもちろん、イベントでのトークも見間違えるほどに上手になった。
けれど、それでも選ばれるために必要のは『運』と『縁』だ。もちろん事務所のプッシュもある。が、ある程度稀莉は売れた、地位を確立した声優となったので、事務所が無理やりにねじ込まなくても自然と役はとれていく。それに大学生になったばかりで、ラジオにも復帰したばかりだ。「今は慎重に」と上の人は思っているのかもしれない。
そう、稀莉の主役への意欲と、周りの状況が合致しない。
「でも」とも思う。だって、
「どうしてそんなに主役にこだわっているの? 稀莉らしくない」
私に向けられた目は大きく見開き、やがて視線を地面へ向けた。
……彼女らしくない。
稀莉の才能は認める。やる気も認める。
「駄目なの、主役じゃないと」
「主役じゃないと駄目? 確かに今さらモブ役はまわって来ないかもだけどさ。今はちょっとゆっくりしてもいいんじゃない? 焦らない方がいいわよ」
「ゆっくりなんてできない!」
ムキになる姿はらしくない。
そんなにがっつくタイプでもなかった。主役以外やりません、そんな傲慢な演者ではなかった。どうして?
「……話せない?」
彼女が目を合わせずに頷く。こうして私たちの間に隠し事が増えていく。
「それって」
吉岡奏絵のことが絡んでいるの? そう、聞けはしなかった。言葉が続かず、微妙な空気のまま、稀莉とは駅で別れた。
× × ×
つり革を持ち、電車の窓から外の景色を眺める。
なんとなくそういう気がしたんだ。
稀莉の悩みは、吉岡奏絵が絡んでいる。
稀莉が必死になるのは、彼女が関係する。
どういった理由かはわからないが稀莉は主役をとりたいらしい。ラジオに復帰した稀莉が「もう大丈夫」だと彼女を安心させるために、主役をとりたい……のだろうか? いまいち直結しない。なんだろう。
つり革を握る手に力が入る。
稀莉のためになりたい。
……本当? 本当にそう思っているの?
思っているさ、稀莉は私の友達だ。
……本当に今でも友達だと私は思えているのか?
「……」
即答できない。
稀莉は変わった。
恋をしている。その相手は吉岡奏絵だ。
二人の関係は変化した。直接聞いてはいないが、わかる。わかってしまう。二人をよく見ているからわかるんだ。
稀莉と吉岡奏絵は付き合っている。付き合い始めたのだろう。
彼女と彼女。
彼女の仙台での涙を忘れない。
会場で再会した彼女の笑顔を忘れられない。
ラジオでのひと際明るい声が耳から離れない。
稀莉の綺麗になった姿。
必死な様子。
二人は付き合っている。
それは仲の良い私にだって、言えない秘密。
同じ性別で、声優と声優。
私をいくら信頼していたとしても、その関係を話すことには勇気と度胸と、覚悟がいる。
そのことにとやかく言わない。
ともかく彼女たちは好き合っていて、そしてその盛り上がりは最高潮に達し、
もしかして一緒に住んでいる……?
ふと目に入った電車内のマンション広告を見て、ぎくりとする。
一緒に住んでいる。同棲。
…………仮にそうだとして、何で稀莉はあんなに必死になっているの? わからない。
「唯奈様いいよな~」
名前を呼ばれてドキリとする。声の主はドア付近の学生さんだ。どうやら男子学生二人の会話で、私に気づいたわけではなかったみたいだ。
「こないだのメイドさんの役が最高だった。めっちゃSなんだけど、デレたら破壊力ヤバくて」
「わかる、あれはずるい。7話の担当回は5回見た」
「マジ女神」
「マジ天使」
「だよな~。来期アニメのクールそうなアンドロイドの役も楽しみでさ。すごいよな、唯奈様」
「うんうん。声最高だよな。でも本人は生意気っぽくない?」
「ないない。ラジオでも強気っぽく見せているけど、根はかなり真面目で優しいんだ」
1mも離れない所で私の話をされ、むず痒い。
「へー、そうなのか意外」
「聞けよラジオ! 聞けばわかる」
「最近バイト忙しくて」
「そんなの理由にならねーよ。やめちまえバイト! 唯奈様のラジオを聞いてないなんて人生の半分損しているっ!」
「そこまでかよ」
「そこまでだよ!」
ヒートアップしていた男子学生を思わず凝視してしまい、一人と目が合い、慌てて逸らす。バレた? と思ったけど、二人は声がうるさいから見られたと思ったのだろうか、声のボリュームを下げ、再び会話を再開する。
……バレないとバレないでちょっと不満に思う。人生の半分損している、とまで言ったのだ。かなりのファンなら気づいてもいいのでは? あなたの女神はここにいますよ?
でも、だ。
ファンレターでも、SNSのコメントでもないファンの声もいいものだ。恥ずかしいけど、繕ってないリアルな声は嬉しい。悩んでいた気持ちも少し軽くなる。
目的の駅に着き、電車のドアへ近づく。いまだに二人でのオタトークに夢中な男子学生の前を通過する際に、小さな声で私は言うのだ。
「応援、ありがとう」
駅のホームへ降り、振り返ると電車の中に残った男子学生二人が驚いた顔をしていた。ようやく気付いたか、あんなに私の話をしといて。
ドアが閉まった電車の中の二人に私は小さく手を振り、微笑みを送る。
ファンサービス。ふふ、これからも唯奈のファンでいさせてあげる。そっちの彼はこれを機にファンになりさない!
電車はすぐに見えなくなり、「よし」と気合を入れる。
駅を出て、電話をかける相手は私をよく知る構成作家だ。
「ねえ、伊勢崎さん」
突然の電話だったが、すぐに伊勢崎さんは出てくれた。
「ねえ、私って生意気なの?」
『どうだろうね。キャラほどじゃない。言うことはきちんと聞くし、我儘なイメージはあるけどそうでもない。でもね』
「でも?」
『唯奈独尊』
それは私のラジオのタイトル名で、
『唯奈さまは尊い。ただ唯奈さまだけが、尊い。尊いんだから、何してもOK』
「なにそれ」
『唯奈様は唯奈様でいいんだよ。周りなんて関係ない。君は君のままでいればいい』
顔がにやけてしまう。それがきっと私の欲しかった答えだ。
「ええ、そうね。私が1番カワイイ」
電話の向こうからは『生意気』と言葉の意味とは裏腹な明るい声が返ってきた。
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