橘唯奈のスキスキダイスキ③
新宿駅西口から目的地へ向かう。ビルやお店が所狭しと並ぶこの都会の地では、スーツ姿の人以外にも平日ながら私服の人が多く、声優である私もそんなに違和感がない。仕事上スニーカーなど底のない靴ばかりであるが、最近の大学生でもヒールを履く人は少なく思う。昔ほど背の高い人への憧れ、モデル体型であることへのこだわりが減ったからだろうか? 性別問わずユニセックスのファッションが増えており、『らしさ』を求められなくなってきたとも思う。
けれど、私たち声優はそれでも『らしさ』を求められる。
可愛い。綺麗。清楚さ。
声の仕事ではあるが、容姿、性格も選ばれる要素として必要だ。声優がアニメのメインではないが、それでもファンの前に立つ広告塔なのだ。そのために見た目が求められるのは仕方がない。
そして今日も選ばれるための日だ。
駅から10分かからないぐらいで、目的地の音響スタジオに辿り着く。
この後、ここでアニメのオーディションが行われる。
「よし」
声を出して、気合を入れ、扉を開く。
オーディションといっても事務所からの音声サンプルとプロフィールのみで選考し、知らない所で決まっていたり、原稿を読んで録音したもので選んでいたりすることが多く、こうやってわざわざ会場に呼ばれて選ぶのは今となっては少なくなっている。呼ばれるからには顔出しのイベントや歌ってのライブ、雑誌、映像等での大々的な宣伝があるのだろう。つまり、普通より金がかかっている。受かれば私に入るお金もアフレコ以上のものとなるわけだ。絶対に負けられない。
「橘さんは次の次なので、ブース前の控室でお待ちください~」
音響会社のお姉さんに案内され、控室に腰を落ち着ける。何人かいた同じくオーディションを受ける声優さんに軽く挨拶し、沈黙が流れる。私は慣れたものだが、オーディション前は緊張し、平然とした気持ちでいられない。目の前の女の子はオーディション原稿にひたすら目を通し、ぶつぶつと話し、練習している。隣の女性は真っすぐ前を見据え、微動だにせず瞑想しているが、途中途中で水のペットボトルをがぶ飲みしている。すでに500mlを飲み切っていて「大丈夫かな?」とこっちが心配となってしまう。
一方で、私は特に何もしない。終わったら今日は何を食べようかと考えたり、明日は朝が早くて億劫だなと普段と変わらないことを思い浮かべたりしている。今さら焦っても仕方がないのだ。キャラについて悩むのはもうとっくに終わった。それが合っているか、合っていないか直前で悩んでも仕方がない。あくまで自然体にして、指示があったら変えるだけ。平常心と、臨機応変が大事。
「橘さん」
名前を呼ばれ、ブースに入る。
そう、私は変わらずに私でいればいい。ただ、それだけだ。
× × ×
オーディションでは受けるはずだったキャラ以外の台詞も読んだ。主役になれるかはわからないが、私の声をいいと思ってくれたのだろう。どれかしらのキャラに受かった可能性は高い。少なくとも候補には残っているだろう。興味が無ければ、わざわざ他のキャラを要求したりはしない。といっても、そうやって落ちたこともけっこうあるので慢心はしない。受かったらラッキーぐらいの精神でいた方が、心の衛生上良い。
ブースから出ると知っている人がいた。見前違えるはずはない。何度も会った大事な人。
「稀莉!」
「あ、唯奈」
控室に稀莉がいた。
「久しぶり~、会いたかった!」
抱き着こうとする私を軽快なフットワークでかわす。稀莉、腕を上げたわね……。
「最近レギュラー被ってなかったから久しぶりね」
そして何事もなかったかのように会話を続ける、目の前の可愛い女の子。
いや、可愛いだけじゃない。思わず下から上までじろじろと見てしてしまう。
き、綺麗だ。
大学生になったからだろうか。メイクさん無しでもちょっとずつ個人で化粧をしているみたいで、元々絶世の美少女だったのにさらにレベルが上がっている。もう制服ではなくなり、私服姿も大人びている。
「……見ないうちに綺麗になったわね、稀莉」
「ありがと、唯奈。唯奈の服も可愛い。特に襟がいい」
「オーディションウケよ。稀莉もこの後?」
「うん。唯奈もこのオーディション受けていたのか……」
私が受けていたら、不都合なのだろうか。そりゃ同じ枠を争うのだからライバルなのだけど、同じアニメに出られる可能性だってある。
「そんなに思い入れのあるアニメなの?」
「そういうわけではないけど……、いやもちろん受かりたいよ、すごく演じたい」
何だか、いつもの稀莉の冷静さと余裕がない。
「大学大変なの?」
「そういうわけじゃないけど……」
稀莉はこの春から大学1年生だ。私は大学に行かずに、声優に専念する道を選んだのでその忙しさはわからないが、新しい環境が増え、慣れるのは大変だろう。でも吉岡奏絵と離れていた時期より、ずっと今の方が充実しているはずだ。あんな感動的な再会を果たして、楽しいラジオを繰り広げて、浮かれていいはずなのになぜか元気がない。何かある、あったのだろうか。
「どうかしたの稀莉? 私に遠慮せず話して」
稀莉は躊躇いがちに答えた。
「どうしたら主役ってとれるの?」
「それは……」
今まで主役や幾多のキャラを射止めてきた人の台詞には思えなかった。
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